第五話 獅子と溝鼠④

 エドヴィン=ヴェロッチェが率いる劇団『サンヴェロッチェ』は王都の外れでキャラバンとテントを広げ、芝居の稽古を続けていた。どうして王都の中ではなく、こんな平原で野営しているのかと聞くと、


「俺たちは根無し草の余所者だからな、こんな大所帯でこんな大荷物で王都の街に入っちゃ迷惑になるだろ。まあ宿泊の資金も伝手もねえしな」


 最初熊のようだと思ったエドヴィンは話していると意外にも知的で思慮深い男だった。団員たちが焚火を囲んで騒いでいるのを少し離れたところで見守っている。ルッツはその横に座って、焚火に照らされる彼の横顔をじっと見つめた。


「ここにいる奴らは戦争で親を亡くした奴とか、生き残ったはいいが故郷が壊滅して行き場を失くした奴とか、そういう奴ばっかだ。血は繋がらないが皆家族みてえなもんだ」


 十二年前に終戦した旧教派と新教派の戦争は世界各地に爪痕を残していた。三十年続いた戦争は終決を迎えたが、度重なる戦闘に兵たちの徴収略奪、干ばつや飢饉が続いて農村部は壊滅し人口は激減した。親類を失くし故郷を失くし、行き場を失った者たちに居場所を与えたのがエドヴィンだった。


「俺も昔傭兵として戦争に組みしていた。非武装の人間を殺すような真似はさすがにしなかったが、それでも行く先々の村で物資を徴収したり畑を踏み荒らしちまったりはあったな。『戦争だから』なんて免罪符を振りかざして無辜むこの人間を苦しめていた。

 戦争が終わってすぐ、俺は各地を回って復興事業に勤めた。その中で戦争孤児を拾って世話してたら、いつの間にか大所帯になってた。それが劇団『サンヴェロッチェ』の始まり。俺たちはこの国のどこにでも夢と希望を届けに行く。それが俺の罪滅ぼし、ってわけじゃねえけどな」

「……」

「不機嫌だな。ひょっとしてお前もそうだったか?」


 ルッツは押し黙った。ルッツもまたエドヴィンの言う無辜の人間の一人。村を襲った傭兵に母を殺され幼い頃から一人で生きてきた。


「あんたは俺の母さんを殺した奴とは別人だ」

「そうは言っても煮え切らない、だろ? いいんだよ、それで。俺はお前みたいなやつらに恨まれながら生きていく」


 そういう迷いの一切ない言い方もエドヴィンの強さを象徴していた。不意に、劇団の者たちと一緒になってはしゃぐ少女の姿を遠目に見る。


「……あの子も?」

「あいつは俺の子だよ。母親も団員の一人だった。あいつを生んだ時に命を落としちまったけどな」


 そうか、とルッツは何故だか安堵した。彼女は自分のような生き地獄を味わう事がなくてよかったと素直にそう思った。そんなルッツの事を穏やかな目で見つめているエドヴィンは、


「ロザリーに負けて悔しいか?」

「は?」


 一転し憎らしい笑みを浮かべてルッツを見ていた。


「あいつは強いぞ。体術に関しては俺よりも上だ、天賦てんぷの才能がある」

「別に……、悔しくなんかねえよ」

「なんなら俺が稽古つけてやろうか? そのまま劇団に入っちまってもいいぞ」

「嫌だよ、俺は役者なんてガラじゃない」

「そうかぁ? 見た目も悪くないし結構化けると思うんだがなぁ」


 本気なのか冗談なのか、この男の真意が全く読めない。だがどちらにせよ、ルッツには劇団に加入する気はない。こんな騒々しいところ、ルッツのような日陰者には似合わない。


「それにうちに入ったらロザリーとお近づきになれるぞ」

「……はぁ?」

「可愛いだろ、うちの娘」


 自慢げに語るエドヴィンにルッツは呆れて物も言えない。

 なんだか腹が立ってきた。なんで自分はこんな能天気な男の相手をしているのだろうかと、唐突に馬鹿馬鹿しくなってくる。


「……町に戻る」

「なんだ突然、もう帰っちまうのか?」


 こんなところでのんびりと劇団の稽古を鑑賞している意味はない。自分の住む場所はあの薄暗い下町の路地だというのに。


(こんな能天気な奴らと自分は違うのに)


 むしゃくしゃした怒りを押し殺してルッツは町に向かって駆け出した。


「またいつでも来いよ」


 背中に掛けられたエドヴィンの声が温かくて、ルッツは涙が出そうになるのを必死に堪えていた。




 ◆

 それから数日後、ジャックドーの会合が開かれてルッツも顔を出した。薄汚い路地で代り映えのしない顔ぶれが集まって辛気臭い会話を続けている。


「アルバマの連中、また夜に奇襲を仕掛けてきやがった」

「第二区画の連中が襲われたって」


 仲間たちの怒りの声を聞きながら、ルッツはどことなく上の空だった。


「――なあ、ルッツ」


 突然名前を呼ばれてルッツはどきりとした。気づくと周りの仲間連中が皆ルッツの方を怪訝な目で見つめていて、そのいたたまれなさにルッツは苦笑を浮かべる。


「悪い、何の話だったか?」

「アルバマの連中の事だよ。どうしたんだ、ルッツ。最近よくボーッとしてるけど」

「別にボーッとしてたわけじゃ……」

「一週間前にボコられてからずっとそんな感じじゃないか」

「しっかりしてくれよ。ここ正念場なんだからな」


 仲間は皆ピリピリしている。ギャングの縄張り争いはいつもこうだ。本来ならルッツだってその一人のはずなのに、ルッツは何故か他人事のようにしか思えなかった。


「皆ルッツを責めるなよ。酷い怪我をしたんだ、調子が出なくて当然さ」


 ルッツをかばったのはルッツの相棒でジャックドーのナンバーツーであったヨハンだった。

 彼が仲間たちを宥めると場の空気が少しなごやかなものになる。下町の浮浪児には見えない朗らかな外見と人当たりの良さはヨハンの武器だ。ルッツもいつも助けられている。


 仲間たちの会合が終わると、皆思い思いに散っていく中ヨハンはルッツの隣に居座りニコニコと笑っていた。


「悪かったな、ヨハン」

「気にすんなよ。なんだかんだ言って、皆ルッツの事を頼りにしてるんだ」

「……そうか?」


 正直そうとは思えない。成り行きで頭だ、ボスだなんて言われてるけど、ルッツにそんな才覚は本来ない。


「でも悩みがあるなら言えよ。俺たち親友だろ!」


 ヨハンがバシバシと背中を叩くので思わず痛みに呻いた。まだ身体の傷が治っていないというのに容赦のない力加減だ。


「はは、悪い悪い」

「……全く、お前は相変わらずだな」


 毎度の事ながら能天気な親友に笑みが漏れる。ルッツがこの町に来てから最初に行動を共にするようになったヨハンは、こんな掃きだめみたいな場所で長く暮らしていても変わることなく明るい笑顔を振りまいていく。


「俺たちはここでしか生きていけないんだ。だったら、とことん明るく笑って過ごすのがりこうってもんだろ?」


 ここでしか生きていけない。そうだ、その通りだとルッツは同意した。


(俺たちはどこにも行けない。こうやって、手を汚して誰かを傷つけて生きていくことしかできない――)

「だからこれからもよろしく頼むぜ、相棒」


 でもヨハンがこうして相棒だと言ってくれる限り、きっとルッツの居場所は無くならないのだと思った。




 更に一週間が経過したある日、偵察と称してルッツはセントレアの中心街に出かけた。

 下町の貧民区から中央区に向かって少し歩くと、辺りは急にその街並みを変える。じめじめした陰気臭さが一掃されて、道も舗装され街路樹も整備された華やかな街並みに切り替わり、道行く人間の装いも激変する。

 本来だったらルッツのような薄汚い浮浪児がこんなところをうろついていると倦厭けんえんされるのだが、今日はあまりそんな視線が刺さらない。道行く人々は浮足立って、ルッツの存在など眼中にないようだ。

 そのいつもと違う空気に眉を寄せていると、楽し気な少年たちがバタバタとルッツを追い越していった。


「早く早く! もう始まっちゃうよ!」


 心躍らせる少年たちが一目散に広場に向かっていく。何があるのか気になって、ルッツもその後を追っていくと、視界に見覚えのある顔が飛び込んできた。


『いざ大海原へ! この海に眠る富は我ら『ジェフリー海賊団』のものだ!』


 耳をつんざく力強い台詞にルッツは思わず足を止めた。

 広い中央広場に人集りができていて、皆が注視するその先にエドヴィンが立っていた。海賊帽に眼帯を付けたその恰好は一目で海賊の船長だとわかる。他にも綺麗なドレスを着た女性や同じく海賊の衣装を着た若い男性もいた。

 劇の内容は宝を狙う海賊が、同じくそれを狙う悪徳商人と戦いを繰り広げる話だった。

 エドヴィンは広い舞台の上で縦横無尽に駆け回る。広場の隅々まで轟く声で、主人公の船長を演じていた。その姿は先日ルッツと話していた男とは全くの別人だ。明るい豪快な男ではあるが、まるで別人格が乗り移ったかのような変貌ぶりだ。

 気づいたらルッツはその舞台に目を奪われていた。と、


「にいちゃん、にいちゃん」


 誰かがルッツの袖を引っ張った。斜め後方を見下ろすと、そこにまたしても見覚えのある顔がある。


「お前は……」

「やっぱり、あの時のにいちゃんだ」


 少年――いや、少女は大きく歯を見せて嬉しそうに笑った。先日ルッツが『サンヴェロッチェ』で出会った少女だ。確か名前は、


「――ロザリー、だっけ?」

「うん」


 名前を覚えてもらえていた事が嬉しいのか、ロザリーはルッツの袖をギュッと握る。


「にいちゃんも父さんの舞台見に来たの?」

「え、いや、俺は別に」

「こっち! 特等席があるから」


 ロザリーはぐいぐいとルッツを引っ張った。ルッツは戸惑いながらもその少女に手を引かれる。舞台に釘付けになっている観客のむれを少し外れ、広場の隅に置いてある劇団員たちの荷物置き場に案内された。ロザリーは積み上げられたコンテナの上にすいすいと昇っていくと、「早くおいで」とルッツを手招きする。


「こんなところに登っていいのか?」

「いいよ、誰も怒らないから」


 ロザリーはともかく関係者でないルッツが立ち入っていいわけないと思うのだが、まあルッツが遠慮する義理はないか、とコンテナの淵に手をかける。


「……、結構キツ……」


 上に登るのは結構な重労働だった。逆になんでロザリーはあんなに軽やかに登れていたのか不思議になる。息を荒げ何とか頂上まで登ると、楽しそうに舞台を見つめるロザリーが座っていた。


「ね? 特等席でしょ?」


 ロザリーにつられて舞台の方を向くと、雑踏の中にいた時は前方の客の頭で見えなかった舞台全体が一望できた。役者一人一人の動きやセットの細かいところまで。確かにここは特等席だ。


「私もいつかあの舞台の上に立つんだ。今は演技が下手くそだからって父さんが許してくれないけど」

「お前、役者になりたいのか?」

「うんっ! いつか父さんみたいな正義のヒーローになりたいんだ」

「正義のヒーロー? 姫役とかじゃなくて?」

「うん。一番やりたいのは騎士の役かな。悪者からお姫様を守るんだ。父さんが前にやってたの見た事あるんだけど、すごくかっこいいんだよ」


 少女の目はキラキラと輝いて、舞台の上で活躍する父親に注がれている。改めてロザリーの横顔を注視すると、少女というより少年の様な利発な印象だが、くっきりした目鼻筋に薔薇色の頬は将来大きくなったらきっと美人になるだろう事が伺える。


(というか、普通に可愛いな……)


 最初に投げ飛ばされたせいでなんだか恐ろしいものの様に思っていたが、舞台を楽しそうに眺めている姿は可憐かれんな少女に変わりなく、


「――何?」


 ルッツがじっと見つめている事に気が付いたのか、少女は蜂蜜色の目をこちらに向けたので慌てて何でもないと視線を逸らした。


 それから二人でエドヴィンの率いる舞台を観劇する。息を呑むアクションシーン、町の令嬢と若者が結ばれる感動的なシーン。最後にエドヴィンふんする海賊の船長が街を去って行くシーンは広場の観客の涙を誘った。


「父さんの舞台はすごいんだ。いつも広場が満員になる。大人も子供も、みーんな父さんに夢中になる。広場中がワーッて熱くなってさ、世界が変わるんだ」


 今まさにルッツの目の前に広がる光景。ここにいるすべての人が、今この時だけ己の現実を忘れ、ただ一つの非日常の世界に没頭する奇跡の時間。


『俺の仕事は夢と希望を届ける事だ』


 以前エドヴィンが言っていた事はただの理想だと思っていたけれど、


「本当に、そうだな」


 そしてルッツは隣で舞台に釘付けになっている少女を盗み見た。


(いつかこの子も、あの華やかな舞台に立つんだろうか)


 それはきっと素晴らしい舞台になるだろう。彼女はいつか人気役者として名を馳せ華やかな世界で羽ばたくことになる。

 きっとルッツみたいに路地裏で地を這いつくばって生きていくような人生ではないはずだ。

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