第三話 南部へ④

 ◆

 王都から数百メートル離れた街道沿いの茂みで、馬車とロザリーの乗った馬はようやく疾走を止める。地平は暁色に染まっていた。間もなく夜明けという頃合いだが、


「追ってはこない、か……」


 振り返ってもロザリーたちを追ってくる気配は見つからない。ようやく安堵し馬を降りたところで、同じく止まった馬車から勢いよくフロレンツィアが飛び出してきた。


「ロザリー!」


 彼女は一目散にこちらに向かってくると、半ば体当たりをするかのようにロザリーに抱き着いてきたので慌ててその身体を受け止めた。


「馬鹿! 無茶しないでよ!」

「すみません、お嬢様、お怪我はございませんか?」

「無い! 無いわよ! それより心配したんだから!」


 胸元を思いの外強い力で叩かれるのでロザリーは苦笑した。縋りつく華奢な肩が細かく震えているのを申し訳なく思いながら、ロザリーは彼女を抱きしめて宥める。

 そこにルートヴィッヒも近づいてきて、ロザリーは顔を上げた。


「辺境伯、貴方もお怪我はございませんか?」

「……ああ」


 ルートヴィッヒはどこか歯切れの悪い口調で返事をした。だが、一目見た感じでは目立った外傷は見られない。本当に皆無事だったと判断すると、ようやくロザリーも肩の荷が下りた。


「……とりあえず王都から出来るだけ早く離れよう。次の町で馬車も変える」

「はい」


 短く返事をしたロザリーは敵から奪った形となった馬の背を優しくなでると、どこへなりとも自由に行くよう胴部分を軽くたたいた。馬はすぐさま駆け出し、やがて姿は彼方へと消えていった。


「馬車に戻ろう」


 ルートヴィッヒが静かにつぶやくと、ロザリーもそれに従った。三人が馬車に乗り込むと、御者は静かに発進させる。


 しばらく車内は無言だった。言いようのない疲労感がロザリーたちにのしかかり、ロザリーは小さくため息をつく。


(やはり刺客は本気だった。ああまでして、フロレンツィア様を狙うなんて)


 ちらりと隣にすがるフロレンツィアを盗み見ると、彼女は顔面蒼白で眉を寄せたまま瞼を伏せていた。気疲れて眠ってしまったのか、ロザリーに寄り掛かったまま静かな寝息を立てている。ロザリーは自身の上着をフロレンツィアにかけるとそっとその肩を抱いた。一度ならず二度までも、あのような怖い目に遭うなんて、彼女が不憫で仕方がなかった。

 ――と、


「……?」


 ふと視線を感じ前方に視線を向けると、ルートヴィッヒがこれまで見た以上に険しい顔でロザリーを睨んでいたのでぎょっとした。


「な、何ですか?」

「……」

「あの――」

「無茶をするのがお前の性分か?」


 地の底から響くぐらいおどろおどろしい声だった。明らかに怒りを内包したルートヴィッヒの声音に、ロザリーは思わず肩をびくりと震わせる。


「無茶って、……私の役目はお嬢様を守る事だから」

「だからって銃を持った相手に、あんな無謀に突っ込んでいく奴があるか」


 声量は抑えられているものの、ルートヴィッヒは相当に怒り狂っていた。だがその瞳の奥に、僅かに不安と恐怖の色が見れ隠れる。

 以前、ロザリーが刺客に襲われ気を失った時に見たのと同じ色だ。


「……たとえ無謀でも私はお嬢様と貴方を守るために無茶をします」

「……っ!」

「それが私の役割ですから」


 ルートヴィッヒは酷く傷ついたような顔をした。難しそうに目を細めると、


「……俺はそんな事頼んでない」

「でも、貴方の身に何かあればお嬢様が悲しみます」

「そんなこと勝手に決めるな!」

「勝手も何も事実です」

「……っだから! そんな事よりも俺はお前が――」


 だがその途中で彼は押し黙り、それ以上何も言わなくなってしまう。

 再び訪れる重苦しい沈黙。もう話すことはないと言わんばかりに、ルートヴィッヒは腕を組んだまま目を伏せるので、ロザリーは何故か拒絶されたみたいで悲しくなった。


「……さっきは、助けてくれてありがとう」


 そういえば礼を言っていなかったことを思い出して、ロザリーがぽつりと呟くと、


「……ああ」


 微かに、彼は応えてくれた。



 それからしばらく道中は追っ手のかからないよう慎重に道を選んで南部へ向かった。幸いにも襲撃は王都を出るときのあの一度きりで、それ以降は平穏な行幸が続いていた。いくつかの峠を越え、時には舗装の甘い獣道を通る。過酷な道のりではあったが、ベルクオーレン家の御者ぎょしゃは慣れているのか大きな問題もなくスムーズに進んだ。

 宿泊は道中に立ち寄る町のベルクオーレン家ともつながりのある貴族の邸宅にお邪魔することが出来たが、念のためロザリーだけでなくフロレンツィアも身元を隠し従者としてふるまった。侯爵令嬢のフロレンツィアにとっては何もかも初めてで窮屈きゅうくつな扱いだったかもしれないが、フロレンツィアは一切文句を言わなかった。


「お疲れですか?」


 三日目の夜、ロザリーはフロレンツィアとあてがわれた寝室でベッドに力なく横たわる主人をいたわりホットミルクを用意してもらった。

 手渡されたミルクを静かに飲んでいるフロレンツィアの側に寄り添いながら、ロザリーは部屋の間取りを確認した。ルートヴィッヒの顔見知りだという地方都市のメルン伯爵の家。挨拶した時の印象は悪くなく本当に片田舎の人の良い老人という感じだった。ルートヴィッヒがロザリーたちにも客間を用意してくれと頼むと、快くこの部屋を用意してくれた。


「明日の昼には、ブラムヘン領に着くのよね?」

「その予定です」


 出発前日は旅行気分でうきうきしていたフロレンツィアもさすがに気疲れのせいかぐったりとしていた。慣れない長旅に刺客の影に怯え、そしてまだ打ち解けきれないルートヴィッヒと四六時中行動を共にしなければならない。しかも身分を隠してこそこそと動き回らなければいけないなんて、神経をり減らすのも当然だ。


「ルートヴィッヒ様の所領に辿り着けばまたのびのびとできます。南部は王都にはない花や木々が生成していますし、気温も穏やかですからお散歩もきっと楽しいですよ」

「ロザリーは南部に行った事あるの?」

「はい、巡業で何度か」


 劇団は一年のほとんどを移動についやす。ロザリーは幼い頃からずっと父に連れられ旅をしていた。旅の道中で武術を教わり、演技を磨き、そしてついた都市で舞台を披露した。


「ロザリーは凄いんだね」

「凄い、とはまた違いますよ。自分の意思で周遊していたわけではありませんし」

「ううん、凄いよ。私なんて、セントレアどころか、お屋敷の外だって一人じゃ滅多に出歩かなかった」


 それが今やこんな遠い見知らぬ土地で親と離れ旅をしている。


「家が恋しくなりましたか?」

「平気よ、私そんなにやわじゃないから」


 ミルクを飲んで少し気持ちが持ち直したのか、フロレンツィアはいつもの調子で笑う。それを見たロザリーはホッとして笑みを返した。


「さあ、明日も早いですのでもうお休みください」


 フロレンツィアをベッドに横たえてロザリーは彼女の枕元のランプを消そうとした。


「……ね、ロザリー」

「はい、何でしょうか?」

「私が眠るまで、手を握っていて」


 暗闇の中で差し出された細く白い手をロザリーは何も言わずに握り返す。フロレンツィアは思いの外強い力で握り返してきたので、ロザリーは彼女を安心させるようにもう片方の掌で彼女の頭を撫でた。


「大丈夫ですよ、お嬢様。お傍におります」

「……」


 フロレンツィアは眠たいのか黙ったままじっと握られたロザリーの手を見つめていた。何かを言いたげな、寂しそうな瞳。やがてその大きな輝きがゆっくりと閉じられると、


「お休みなさいませ、お嬢様」


 ロザリーは主人の寝顔を眺め、静かに呟くのだった。

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