第三話 南部へ③

 ◆

 翌朝、日が昇らぬうちにロザリーとフロレンツィアはこっそりと屋敷を抜け出し、ルートヴィッヒが馬車を待機させている場所へと向かった。見送りも最小限でナイトガウンを着たカインとセラス、そしてエゴールのみが庭の勝手口に来てくれた。


「気を付けるのよ、フロレンツィア。あちらのお屋敷でもご迷惑ならないようにつつましやかに――」

「わかってるわよ、お母様」


 心配性のセラスがフロレンツィアを抱きしめて涙を流していた。カインも神妙しんみょうな顔つきで妻と娘のやり取りを見守っている。そんな中、


「おい」


 エゴールがロザリーに仏頂面ぶっちょうづらで呼びかけた。


「フロレンツィアに何かあればただで済まないと思え」


 口調はきついがエゴールは重度の妹想いで、その大切な妹をロザリーに託す事にも納得している。これは彼なりの激励だ。


「俺はあの辺境伯の事をまだ信用していない。もし不測の事態が起これば、――お前がフロレンツィアの盾になれ」

「分かっております」

「……頼む」


 ロザリーがしっかりと頷くと、エゴールも目を細めて頷いた。


「では参りましょう、お嬢様」


 使用人に扮した質素な服を着たロザリーとフロレンツィアは、三人に見送られルートヴィッヒの待つ馬車へと向かった。

 馬車は屋敷裏手の誰もいない住宅街の通りに何気なく停まっていた。荷物はすでに昨晩遅くに積み込んである、通りに誰もいない事を確認して馬車に乗りこむと馬車は流れるように駆け出した。


「道中問題はなかったか?」


 座席に座るとすでに乗っていたルートヴィッヒがこちらを安心させるように口角を上げた。


「ええ、後をつけられてもいません」

「それは結構。王都を出るまでは油断できないからな」


 ルートヴィッヒは鋭い目を馬車の外に向ける。張り詰めた空気の痛さを感じたのか、隣のフロレンツィアがロザリーの服を掴み縋りつく。

 ロザリーはフロレンツィアを安心させるように手を握りしめた。これから彼女には大変な想いをさせるのかもしれない。どうかせめてこの旅が安全に果たせるようロザリーは祈った。


「セントレアからブラムヘン領までは馬車で四日はかかる。長い旅だ、二人も気を張りすぎないように」

「……はい」


 対しルートヴィッヒは警戒しているとはいえ実に冷静だ。少し冷たすぎるようにも感じる。


(婚約者が怯えてるのに、もう少し優しくしてやればいいのに)


 ロザリーは一抹いちまつの不安を抱えながら、フロレンツィアの背を優しく撫でた。



 馬車は暗い中を静かに、そして迅速に駆け抜けていく。窓の外はうっすらと白み始め間もなく日の出を迎えようという頃、馬車は間もなく王都を出る南門に差し掛かろうとしていた。その時、

 ガンッと突き上げるような衝撃にロザリーは舌を噛みそうになって歯を食いしばった。


「きゃあ!」

「な、なんだ⁉」


 衝撃は断続的に馬車を襲う。隣に座るフロレンツィアを庇いつつ姿勢を低くすると、ルートヴィッヒは御者の小窓に向かって叫んだ。


「何があった⁉」

「旦那様! 我々に並走する者がいます! 攻撃を受けています!」


 再びドンッと馬車が大きく縦に揺れた。その衝撃の中で、ロザリーは外から僅かな男たちの罵倒の声を感知する。


「ちっ……、待ち伏せか……!」


 ルートヴィッヒが今日の夜明けとともに王都を発つために、それなりに情報操作はしていたはずだった。とはいえ近日彼が南部へ戻る事は周知の事実だし、その馬車に命を狙われているフロレンツィアを同乗させるだろうと推測するのも造作のない事。あとは数日王都の入り口を張っていれば、


(なんて今さら分析してる場合か!)


 ロザリーは騒がしい馬車の外を睨みつけると、縋りついているフロレンツィアの手をそっとはがした。


「ロ、ロザリー」

「お嬢様、体勢を低くしてどこかに捕まっていてください」

「貴女は⁉」


 ロザリーは立ち上がると全力失速している馬車のドアを思い切り蹴り開けた。突然、突風に近い冷たい空気が馬車の中に流れ込んできて、強い風音が耳を穿つ。


「辺境伯! 御者にこのまま走り続けるよう言ってください!」

「おい! 待て、お前は――!」

「お嬢様を頼みます!」


 ロザリーは馬車の淵に手をかけると逆上がりの要領で天井に上った。暗闇の中で疾走する馬車の上に上ると、強い風がロザリーの身体を煽った。馬車は町の外れを全力疾走している。間もなく門が見えてくる、あれを抜けてしまえば王都の外だ。


(……挟まれてる!)


 夜目だけで、ロザリーは瞬時に敵の位置を探った。ロザリーたちの馬車の後方左手には同じ速度でこちらを追いかけてくる二頭の黒い馬、そして右側にはこちらより少し小さめの馬車が並走している。最初の衝撃は恐らくこの馬車が体当たりをしてきたのだろう。


(騎馬が二人、馬車には三人)


 両側の人数を確認し、懐のナイフに手をかけた。が、


「――!」


 一瞬、馬の方からギラリと光る何かが見え、ロザリーは本能的に馬車にへばりついた。同時に襲い来る二発の銃声と頭上で空気が裂かれる感覚。間一髪で弾を避けたロザリーの鼻に焦げ臭い硝煙の匂いが届いた。


(騎手の方は両方とも銃を持ってる。長期戦はまずい、……ならっ)


 ロザリーは天井を転がるように移動し、馬車の後方にかけられていたロープを手に取ると迷わず身体を宙に投げ出す。勢いを調節し、走っている馬の一頭にめがけて躊躇なく躍りかかった。


「なっ!」


 至近距離に着た一瞬、馬上の男の顔が暗がりで浮かび上がった。次弾を装填していた男の驚愕の顔をロザリーは容赦なく蹴り上げる。

 悲鳴を上げて男は馬から転げ落ちると、代わりにロザリーがその鞍に降り立ち馬の手綱を思い切り引いた。


「てめえ!」


 もう一人の騎手が慌ててロザリーに銃口を向けた。装填は完了していたものの、動揺していた上に全力疾走する馬上ではうまく引き金を引く事も出来ないようで、その一瞬の隙をついて、ロザリーが肉薄し男の腕をナイフで切り裂いた。


「ぎゃあ!」


 ロザリーが相手の馬の腹を蹴り上げると、馬上の男は真っ逆さまに地面に落ち、倒れた馬の下敷きとなる。

 時を同じくして反対側の馬車の方から慌てた男たちの声が聞こえてきた。あとはあの馬車を何とかすれば、と、馬車からこちらを狙う銃口がこちらを狙っているのが見えて、ロザリーは血の気が引いた。


(くそっ! 向こうにも銃を持ってる奴がいたか!)


 慌てて馬の手綱を引き急停止しようとしたものの間に合わない。一発の銃声が轟き、ロザリーは思わず身を縮めた。が、


(――え?)


 銃口は自分に向けられていたはずなのに、衝撃は襲ってこなかった。代わりに馬車の方から潰れたような男の悲鳴が聞こえ、その手が持っていた銃が車外に放り出され遥か後方に流されていく。

 硝煙が上がっていたのは、ルートヴィッヒの馬車からだった。開いた扉から敵と同様の銃を構えるルートヴィッヒの姿が垣間見え、一瞬ロザリーと目が合った。


「――」


 言葉を発しなかったが、二人の間で何かが交わった。ロザリーはすぐに前方を向くと馬を駆け敵の馬車に並走する。肩にかけていたロープを解いて先端の輪を馬車の装飾の凸部分に投げてひっかけると同時に、もう片方の先端は道の水道管に放ってひっかけた。


「……っ止まれ!」


 猛烈な勢いで巻き上げられていくロープに自身が巻き込まれないようロザリーは思い切り手綱を引き寄せ馬を急停止させる。荒々しい所業でも、利口な馬はロザリーのいう事を聞いてくれた。次の瞬間前方でけたたましい音と共に敵の馬車が横転した。

 カラカラと車輪がから回る音と、馬の弱弱しい嘶きが夜明けの町に響く。何とか上手くいったと、ロザリーは馬上でほっと一息をつくと、


「ロザリー! そのまま町を出るぞ!」


 ルートヴィッヒが馬車から叫んだのでロザリーは我に返った。そのまま彼の馬車を追って、勢い殺さず眼前の門を潜り抜け、ロザリーたちは何とか王都を離れたのだった。

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