第二話 ブラムヘン領辺境伯⑤
◆
ロザリーが眠っている間に、カインとルートヴィッヒの間である程度の情報共有は済ませてあったらしい。
エルメルト家に届けられた脅迫状の件も、カインがロザリーを雇い、昨日と今日とフロレンツィアに代わってロザリーを表に出したことも、黙ってついて行ったフロレンツィアが不運にも刺客に狙われロザリーが負傷し、それをルートヴィッヒが助けてくれたことも。
「事情はどうあれ貴方を
応接間にはカインとエゴール、フロレンツィア。そしてルートヴィッヒとロザリーが揃っていた。カインがルートヴィッヒに対し深々と頭を下げると、エゴールが苦い顔をする。父が誰かに頭を下げる場面を見るのが複雑なのだろう。
「顔を上げてくださいエルメルト卿。お嬢さんを守るための苦渋の決断だったのでしょう、むしろ当事者でありながら知らなかった私にも非があります」
「しかしこれでは我々がベルクオーレン殿の顔に泥を塗ったのも同然で――」
「私は泥をかぶったなんて気は一切ありませんよ。この縁談は我々ベルクオーレン家にとっても必要不可欠なものです。事情はどうあれ表向きは順調に縁談が進んでいます。ロザリー殿のおかげでね」
ルートヴィッヒはロザリーに向かってにこやかに笑った。相変わらずうさん臭さがにじみ出ているとロザリーだけは思ったが、先ほど取り乱していた彼を見たばかりではなんだか邪険にすることも
「それに不可抗力とはいえ本物のフロレンツィア嬢にもお目通り叶いましたし、縁談を進める上では何の障害もないでしょう。そもそも、私の一存でこの話を切るという事も出来ませんから、ここはお互いさまという事で手を打ちませんか?」
「そう、だな……。では縁談の件は継続の方向で――」
ルートヴィッヒの人当たりの良さが
ふと、隣に座っていたフロレンツィアに目をやると、
「お嬢様、大丈夫ですか?」
あまりにも大人しすぎる主を心配しロザリーが声をかけた。ぼーっとここにあらずの様子で
「……っ、だ、大丈夫」
「そうですか……」
口ではそういうもののフロレンツィアは再び意識をどこかに飛ばしていた。その視線はどこかに釘付けになっていて、その視線の先を追うとカインと話を続けているルートヴィッヒが目に入った。
――あ、
ロザリーはそこでようやく思い至る。ロザリーの主であるフロレンツィアは実にロマンチストで面食いで、――結構
(……まあ、婚約者同士だし気に入ったのならいいのかな)
元々この縁談に乗り気ではなかったフロレンツィアだが、ルートヴィッヒの事を気に入れば彼女は積極的に彼と交流を取り出すだろう。どうせ自分の意思ではままならない縁談なのだから、相手を気に入って結婚するのならそれが幸せだ。――と、頭では理解できるのだが。
あの二面性のある男に素直にフロレンツィアを預けていいのだろうか。女扱いもこなれてそうだし、フロレンツィアを悲しませるような事にならないか。
(なんか、モヤモヤする……)
よくわからない胸のつっかえを抱えたままロザリーも押し黙ってしまうと、その横でカインたちは深刻な顔をして今後の事を話し始めた。
「では目下の問題はフロレンツィアを狙う刺客の事か……」
「それなのですが、先ほど彼女たちを襲った男の顔に覚えがあります」
話題はロザリーたちを襲撃した刺客の話に移っていたが、ルートヴィッヒが思わぬ発言をしたのでロザリーもそちらに意識を戻した。
「本当か⁉ ルートヴィッヒ殿」
「はい。名は知りませんが、確かリベルタ家の抱えている用心棒に図体がやたらにでかい異国の男がいたのを覚えています」
「リベルタ家……。セントレア商業ギルドの筆頭か」
エゴールが
「あの……リベルタ家っていうのは……?」
この中でよくわかっていないフロレンツィアとロザリーが顔を合わせ、恐る恐る尋ねる。するとルートヴィッヒが
「リベルタ家は海洋航海が活発になった時代に初めて東洋航路を開拓した商家です。爵位はありませんが東方の香辛料貿易の独占で財を成した豪商で、南方にも何度かリベルタ家の抱えの商人が行商に来たことがあります。香辛料以外にも手広く商売をしているようですが、近年新大陸側の交易が主力になり、他国の貿易会社が東方に新規参入した事もあって現当主の代になって目に見えて業績が落ち、すっかり落ち目になってしまったんです」
「だが近頃は業績も持ち直しているという噂もあったが」
エゴールが口をはさむとルートヴィッヒも肯定するように頷いた。
「どうやら優秀な後継者が現れたようで、その者がリベルタ家の事業に手を加えた事でリベルタ家の財政は回復に向かっているそうです。ですが、そのやり口はどうも不透明な点も多く、不当な手口を使って利益を上げているとの噂も流れています。それこそ国家の法に反するような……。リベルタ家にやたらと護衛や用心棒が増えたのも最近の事です。由緒ある名家故、周囲の同業者も深く切り込めないそうですが、もしリベルタ家が自身のテリトリーを守ろうとするのであれば、協定成立に反対するというのも頷けます」
つまり今回の縁談を邪魔するに十分な動機がある、という事だ。
「一つ提案なのですが」
するとルートヴィッヒはカインに向き直り、
「お嬢様をしばらく私の領地で
ルートヴィッヒの提案にロザリーたちは虚を突かれ固まる。
「セントレアはリベルタ家の庭も同然です。彼らがフロレンツィア嬢の命を狙っているというのなら、セントレアに身を隠す場所はない。この屋敷に引きこもったとしても、いつどんな手法を使って狙われるかわかりません」
「確かに、それはそうだ……」
「その点うちの領地であればリベルタ家はそう簡単に手出しする事は出来ないはずです。ベルクオーレン家の領地で無茶をすればどうなるか、あちらもよくわかっているはずだ」
カインは突然の提案に
「俺は反対だ」
意を唱えたのはエゴールだった。彼は
「貴方がそのリベルタ家と繋がりがないという確証がない。今回の縁談を無為にするメリットはベルクオーレン家にもある。今日の騒動だって、そもそも貴殿が妹を連れ出そうとしなければ起こりえなかった」
「それは……、結果的にそうなってしまったものは否定できません」
エゴールはルートヴィッヒが首謀者とつながっている線を疑っている。ロザリーはそのやり取りを
本音を言うとロザリーもルートヴィッヒに対しては疑念を抱いている。元の人格が粗暴なのもあるようだが、彼の時折垣間見せる
「フロレンツィアを亡き者にしエルメルト家に打撃を与えるのであれば、自分の領地に招いた方が事を済ませやすい。そうではないか?」
「……」
反論に渋るルートヴィッヒは押し黙ったままエゴールを睨み返した。
「そんな言い方はあんまりですわ! お兄様!」
高らかな声が一同の疑惑の念を吹き飛ばす。ロザリーの隣で立ち上がったフロレンツィアは腰に手を当てて堂々と宣言した。
「ルートヴィッヒ様は私とロザリーを助けてくださったのですよ。ロザリーが私を逃がしてくれて、私は無我夢中で助けを
フロレンツィアは自身の目利きに間違いはないと自信を持っているようで、いつになく真剣な様子にエゴールも驚いているようだ。
(私もこんなお嬢様初めて見た)
そしてフロレンツィアはロザリーにも同意を求める。
「貴女も助けてもらったのならわかるでしょう? ロザリー」
「フロレンツィア、強要するような言い方は止めなさい」
エゴールが一喝し、フロレンツィアは不服そうに唇をかむ。ロザリーは考えあぐねていたが、何か言わねばと口を開いた。
「……私も、辺境伯を疑う必要はないと思います」
そこにいた全員がロザリーに注目した。自然と出た言葉にロザリー自身もハッとしたが、言ってしまったものは仕方ないと、
「今回私が人気のないところに行ってしまったのは私の突発的な行動です。それにフロレンツィア様がこっそりついてくるというのも彼には想定しづらいはず。もし最初からフロレンツィア様を亡き者にしようとするのならば、路地裏で襲わせるよりも確実な方法はいくらでもあったはずです」
「確かに……、それはそうかもしれんが」
「態度はどうあれ、この方の行動原理は一貫しています。信用させて不意をつくというのも考えられますが……」
ロザリーはルートヴィッヒの方を見て断言した。
「この人は、多分そういう騙し討ちみたいな事はしないと思います」
ルートヴィッヒの目が大きく見開かれた。なんでそんなに驚くのだろうかとしばし考えて、
(……って、これ裏を返せばこの男の事滅茶苦茶信用しているって事じゃないか!)
今更自分がとんでもない事を言った事を悟り、顔から火が出るかと思うくらい熱くなった。信用しているとかそんなつもりはない。ただ、ルートヴィッヒは妙な奴だがそういう
「――わかった。ルートヴィッヒ殿、貴方の提案を受けよう」
沈黙を破ったのはカインで、エゴールが動揺のあまり立ち上がった。
「父上! よろしいのですか⁉」
「連中は白昼堂々と仕掛けてきた。この屋敷にいるのももう安全ではない。ならば一か八か、リベルタ家の手の届かない所に任せるというのも手だろう」
そう告げるカインの眉間には深い
「事は一刻を争う。
一度決めた事には揺るがない。カイン=エルメルト侯爵の意地がロザリーにも感じられる。
「明後日、私はブラムヘン領に戻ります。その際に隠密にお嬢様を同行させましょう」
「承知した。フロレンツィア、準備をしなさい」
「はい、お父様」
フロレンツィアは勢いよく頷いた。これでフロレンツィアが無事、ベルクオーレン家の有するブラムヘン領に辿り着けば、リベルタ家も
ロザリーはこの屋敷に残ってフロレンツィアの影武者に扮して過ごせば、敵に対するカモフラージュになるだろう。と、思っていたのだが、
「ロザリー、君もフロレンツィアに同行してくれるか?」
「――え?」
予想外の指示を出されてロザリーは面食らった。
「わ、私も南部に行くんですか?」
「当たり前じゃない、何言ってるの」
フロレンツィアはすでにそのつもりでロザリーの腕を引っ張る。
「向こうでのフロレンツィアのお世話係や護衛が必要になる。この数か月、フロレンツィアと共に過ごしていた君なら適任だ」
「しかし、このお屋敷の方は――」
「こちらで上手く誤魔化しておく。君は少しでも近くフロレンツィアの側についていてくれ」
思わぬ展開に
こっちを
(やっぱり肩持つんじゃなかった……)
後悔してももう遅い。それでもこの男の疑いが少し晴れた事に安堵している自分もいた。
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