第三話 南部へ①

 ◆

 ロザリーたちが刺客の奇襲に遭った翌日。


「ロザリー、ちょっと買い出しに行ってきてくれないか?」


 顔見知りでない使用人に声をかけられ、ロザリーは町へ買い出しに出かけていた。明日の早朝、フロレンツィアはお忍びで南部へとおもむくが、この件を知っているのは屋敷でも一部の人間のみで、大半の使用人はいつも通り仕事をこなしている。昨日ロザリーが襲われた件も極秘になっているため、体調が万全でないにも関わらずロザリーはいつも通り業務をこなしていた。


 昨日とは違い男物の使用人服に身を包んで、足早に貴族ご用達の高級商店街を渡り歩く。


(やっぱりこの格好の方が落ち着く)


 裾の長いドレスもヒールの高いパンプスも身を拘束されているみたいで窮屈きゅうくつだった。自分はこの姿の方が身のたけに合っていると実感しながら、用立てられたものを買っていく。

 機械的に必要なものを買いそろえたところで屋敷に戻ろうとすると、ふと商店街から続く坂の向こうに広がる一面の海にかれた。

 セントレアの西の玄関口セントレア港。この広大な大西洋の向こうには話でしか聞いた事の無い新大陸が広がっているという。港に近付くと波止場はとばには一隻のガリオン船と五隻のジャンク船が止まっており、沖仲仕ステベドアたちが休む間もなく荷物を運搬している。

 数か月前までロザリーもこの港で沖仲仕として働いていた。ロザリーが暮らしていた下町がこの近くで、そこに暮らす若者の大半がこの港で沖仲仕として日雇い労働をしているのだ。

 まだそんな昔の事ではないはずなのに懐かしい、と感慨にふけっていると、


「あれ、ロザリーじゃないか?」


 妙に明るい青年の声がロザリーの肩に掛けられ振り返った。質素な麻のシャツとズボンを着て、額に汗をにじませた一人の若い沖仲仕がジッとこちらを見ているのに気づく。


「……ハンゼ?」

「ああ、久しぶりだな! ロザリー!」


 ロザリーと同年の青年、ハンゼはロザリーの顔を見るなり嬉しそうに駆け寄ってきた。彼はここで働いていた時一番仲が良かった同僚であり、友だ。ロザリーも思わぬ旧友の登場に驚きと嬉しさで目を見開く。


「ハンゼ、久しぶり。元気そうだな」

「おうよ! 今日はどうしたんだ? ……その恰好、確か貴族様の邸宅の使用人になったんだっけ? へぇ、かっこいいな」


 ハンゼはロザリーの使用人の服装を物珍しそうに眺める。その落ち着きのない動作に相変わらずだな、となんだか安堵を覚えてしまった。


「用事のついでに港の近くを通ったから寄ったんだ。相変わらずここは大変そうだな」

「ははっ、まあな。――そうだ、俺今から休憩入るからちょっと向こうで話そうぜ」


 ハンゼは船着き場の近くの展望公園を指してにこりと笑った。


 海の一望できる展望公園には昼時のためか、随分と賑わっている。ロザリーたちは空いているベンチを見つけると腰を下ろした。


「――で、使用人の仕事上手くいってるのか?」


 早速ハンゼが興味津々で聞いてくる。正確に言うとロザリーはフロレンツィアの影武者なので使用人ではないのだが、その辺の事情はハンゼにも詳しく言えていない。我儘わがままなお嬢様に振り回されるし、昨日は刺客に殺されかけたし、捉えどころのない婚約者にも振り回されるし、決して上手くいっているとは言えないのが本当のところだ。


「うん、まあ……」


 ロザリーが苦い顔で言葉を濁すと察しのいいハンゼは苦笑する。


「でも給金いいんだろ? 住み込みなら衣食住も保証されてるし、良い事じゃないか」


 確かに、少ない給金で命の危険もある沖仲仕の仕事に比べれば待遇も破格だ。ロザリーは普段屋敷の掃除や庭の手入れをし、時折屋敷の令嬢にちょっかいをかけられながら、彼女の世話をしているのだと語った。


「ハンゼの方は? ここはあまり変わらないように見えるけど」


 船着き場は相変わらずひっきりなしに船が往来している。毎日何トンもの積み荷を扱うこの港では沖仲仕たちの手はいくらあっても足りないくらいだ。

 ハンゼも家族のために毎日朝から晩まで働いて必死に生活費を稼いでいる。そんなハンゼの表情はあまりかんばしくなく、うなり声をあげて眉をひそめた。


「稼ぎの方は相変わらずなんだけど……」

「なんだけど、何だ? 何か問題があるのか?」


 ロザリーは首を傾げた。ハンゼは周囲に誰もいない事を確認すると、こっそりとロザリーに耳打ちする。


「なあロザリー、お前リベルタ商会って知ってるか?」


 ロザリーは思わず叫びそうになって慌てて悲鳴を飲み込んだ。リベルタ。昨日カインたちとの話の中に上がった名だ。タイムリーな話題に思わず前のめりになる。


「名前は、聞いたことあるけど……そのリベルタがどうかしたのか?」

「うん。実はさ、最近そのリベルタ商会の船がよく往来するようになったんだけど、その船のほとんどが俺たちしたが立ち入り禁止になってるんだ」

「立ち入り禁止? そんな事あるのか?」

「王家や貴族の個人船なら前からあったけど、商船がそんな制限かけるのは今までなかったよ。だから俺たちの間でもちょっと話題になっててさ。……噂によると、何かやばいものを密輸しているって」


 やばいもの、と声を押し殺して告げるハンゼ。ロザリーは自然と喉が鳴った。


「あと、ここ最近王都のあちこちで暴力沙汰事件が増えてるんだ。温厚だった人間が急にやつれて、かと思えばある日突然暴れだして、そういうのがもう何十件も。下町は元々そういう事件も珍しくなかったけど、中心街の方でも起こってるって異常だろ?」

「それって……」

「ああ、なんかやばいクスリが蔓延まんえんしてるんじゃないかって」

「麻薬って事か?」


 ハンゼは慎重に頷いた。


「それが港でさっき言ったリベルタの船が往来し始めてからの事なんだ。だから俺たち積み荷番の間では周知の噂になってる。リベルタ商会が東洋からこの町に麻薬を密輸してばらまいてるんじゃないかって」

「でも、あくまでも噂だろ?」


 そう言いつつもロザリーの脳裏に昨日のルートヴィッヒの説明が頭をよぎった。


『何か不当な商売に手を染めている可能性も――』


 もしハンゼの話が本当だとしたら、昨日の話にも信ぴょう性が出てくる。


「それだけじゃない。そのクスリを売りさばいているのが『ジャックドー』って噂もある」

「ジャックドー?」


 聞きなれない言葉にロザリーは首を傾げる。


「ああそうか、ロザリーは下町に一年ほどしかいなかったから知らないんだっけ? ジャックドーってのは十二年くらい前に下町の東部――俺たちよりもさらに貧しいものが集う貧民区で犯罪を繰り返していたギャングだよ。俺も小さかった頃の事だしあんまり覚えてないけど、一時期王都中のごろつき連中は皆『ジャックドー』の傘下にあったってくらい大きな組織でさ。盗みに金品強奪、ごろつきの喧嘩もひっきりなしに起こってたんだと。迂闊うかつに街を歩いて奴らに絡まれでもしたら大事おおごとだって、その頃は町を歩くだけでも皆びくびくしてたって」

「へぇ、そんな奴らがいたのか」


 考えるだけでも恐ろしい。ロザリーは何だか寒気がしてぶるりと身を震わせた。


「でもある日治安の低下を憂いた貴族が、軍隊を派遣して貧民区を制圧したんだ。そのボスや構成員が軒並のきなみ牢に入れられてそれ以来名前は上がってこなかったんだけど……」

「その『ジャックドー』って奴らがまた復活したって事か?」

「表立って活動している奴はいないみたいだけどな。だがここにきて名前が挙がるって事は無関係じゃないだろうって皆言ってる」


 ジャックドー。なんだか嫌な感じのする響きだ。不意に訪れる不快感と恐怖にロザリーは胸騒ぎがした。


「なんか暗い話になって悪いな。まあ今のところ実害はないよ。俺も今まで通り元気に働けてるし、――そうそう、親父も最近調子がいいんだ」

「えっ、そうなのか?」


 ハンゼの父は昔相当な酒浸びたりで、仕事もろくにせず昼間から酒を飲んではあちこちで問題を起こして暴れていたそうだが、ロザリーと会った時はすでに身体を壊し、寝たきり状態になっていた。ハンゼも昔は暴力的な父親に苦労させられていたものの、今も離れずに献身的に介護を続けている。金を稼ぐのもその父親の治療費のためだというから頭が上がらない。


「よかったな、ハンゼ」


 ロザリーは素直に嬉しかった。ロザリーはロザリーで死んだ父と劇団の事があるし、二人の中で父親の話は一種のタブーになっていたけれど、ハンゼが明るい顔をしてればそれで十分だと思う。


「あ、ごめん。引き留めちゃったな。使いの途中だったんだろ? 俺ももう戻らないと」


 ロザリーの手荷物を見たハンゼが慌てて立ち上がった。確かにもういい加減屋敷に戻らなければ怒られそうだ。名残惜なごりおしいが、久々に親友に会えた事は嬉しかった。


「時間が合うならまた遊びに来いよ。と言っても、貴族の屋敷の使用人にそんな暇ないか」

「うーん、そうかもな。明日から遠出することになるし、しばらくは会えないかも」

「遠出? どこかに行くのか?」

「主人の付き添いで少しな」


 あまり詳しい事は言えないと言葉を濁すと、ハンゼもそうかと相槌あいづちを打った。


「じゃあまたな、ロザリー」

「ああ、ハンゼも元気で」


 最後まで力いっぱい手を振るハンゼの背を見送って、ロザリーもエルメルトの屋敷に戻る事にした。

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