第二話 ブラムヘン領辺境伯④

 ◆

 それはまだロザリーが父や仲間と共に劇団『サンヴェロッチェ』の巡業を行っていた頃の事。


「父さん! 見てみて!」


 ロザリーは他の団員に稽古をつけている父を呼んだ。周りの仲間も「何だ何だ」とロザリーに注目する。

 ロザリーはたった今習得したばかりの華麗な宙返りを披露した。手も使わずあしのバネだけで鮮やかに回って見せると、周囲の仲間たちも「おお」と歓声を上げロザリーに拍手を送る。


「すげぇな、ロザリー」

「相変わらず猿みたいな動きしやがって」

「猿みたいは余計だ」


 抗議しつつもロザリーは練習していた技をやっと習得できた事が嬉しかったし、仲間から褒められるのも気分が良かった。だが一番嬉しいのは自慢げにロザリーの頭を撫でる父の満面の笑みだ。


「ははっ、お前は本当に何でもすぐ覚えちまうんだよな」

「うん、いつか父さんみたいに殺陣たても上手くなって舞台で主役をやるんだ!」


 それが幼い頃のロザリーの夢。今はまだ小さいし演技も下手だから端役はやくしか回してもらえないけど、いつか舞台の中心に立てる存在になるんだとずっと意気込んでいた。

 すると父はいつも大きく頷いて、でも困ったように笑った。


「おめえならいつか主役張れるよ。まあもうちょいたっぱがないとな」

「わかってるよ。今に父さんみたいにでかく強くなってやる」

「……いや、俺みたいには無理だな」


 父は気まずそうに目を反らす。


「お前は女だからな」


 ロザリーは一瞬何を言われたのかわからなくてキョトンとして、それからなんだかモヤモヤした嫌な気持ちになった。


「性別なんて関係ないだろ」

「……まあ確かに女でもでけぇ奴はいるし強い奴はいる。けどなぁ、お前がそうなれるかどうかはちっと微妙だな」

「そんな事ない! やってみなきゃわからないだろ!」


 ロザリーはムキになって反論した。でも父は怒りもせず、やはり困ったようにロザリーを見下ろす。


「人間ってのはな、どうしても生まれ持ったもんってのがあるんだ。お前の気持ちもわかるがな」

「何だよそれ……」

「でも可能性はゼロじゃねぇよ。お前が本気で頑張れば俺みたいなのも軽々吹っ飛ばせるようになるだろうさ。――だけどな」


 父はかがんでロザリーと目線を合わせた。不機嫌な顔をしたロザリーの頭を優しく撫でる。


「俺が心配してんのは……、それでお前が無茶して危ない橋渡らねぇかって事だ」

「危ない橋って何?」

「……」


 父は黙り込んだ。いつの頃からか父は時々ロザリーを見て辛そうな顔をするようになった。何かを押し殺すように、苦悶くもんの火に身を焼かれるような顔をして、そして力なく笑うのだ。


「お前はお前らしくいればいいって事だ。無理する必要はない、お前なりに成長していけばいい」

「……わけわかんない」


 その言葉の意味は当時のロザリーには理解できず、あの時はしばらく父に反抗して三日間ぐらい口を聞かなかった。けれどその後、また宙返りの練習をしているとあやまって頭から転倒して気絶して、父にものすごく心配されて、それからものすごく怒られたのを覚えている。



 ――父さん。私、無茶なことしてるのかな。



 なれもしない令嬢の影武者なんてやって、命を狙われている令嬢を守るため危険な連中と張り合って。

 役者として役に立とうとして、『サンヴェロッチェ』を潰すまいと躍起になって。

 今ロザリーががむしゃらになってやろうとしている事が父の言う危ない橋を渡る事なら、今のロザリーの姿を見てきっと父はあの時にみたいに怒るんだろうな、と思った。





 寝覚めは悪かった。喉が熱くて息が出来なくて、なのに身体の先から冷えていくみたいな心地がした。


「ん……、ここどこ?」


 夕暮れ時なのか西日が強いけれど、すぐにエルメルト家にあるロザリーの自室だとわかった。ベッドに横たわっているが、いつの間にここに帰ってきたのかよく思い出せない。


(確か暗殺者の男とやり合って殺されそうになって、それで――)


 それからどうしただろうかと、ぼやけた頭で必死に思い出していると、


「気が付いたか?」


 近くで声がした。その声の主を探してうごめくと、右手を誰かが握っているのに気づいた。優しく包んでくれる温かさに強張こわばっていた身体がほぐれる。ああ、そういえば前にも練習中に頭を打って気絶して血相変えた父がずっと手を握って付き添ってくれたのだ。


「――父さん」


 あの時と同じ温かさに安らかな笑みを浮かべていると、


「父さん……って、寝ぼけるにしてももうちょっと色気のある事言えねぇのかよ」


 呆れた声がしてロザリーはハッと我に返った。その声と手の主を視界にいれた瞬間、幸せだったひと時が一瞬にして凍り付いた。


「辺境伯⁉」


 ベッド脇の椅子に腰かけてこちらを見下ろしていたのはルートヴィッヒ=ベルクオーレンだ。幻でも見ているのかと目を何度かしばたかせたが、残念な事にその姿は一向に消えない。


「な、なんでお前がここにいるんだ⁉」


 ロザリーは手を振り払って飛び起きたが、喉がずきりと痛んで思わずせき込む。


「おい、急に起き上がるな。まだ万全じゃねえんだから」

「……」


 喉が痛い、首には包帯が巻かれていて、ズキズキと鈍い痛みを発している。声が上手く出せない代わりに目の前の男を困惑の目で見つめた。


「呼吸困難で酸欠になってたみたいだけど、命に別状はないってさ」

「……そう」

「あと首のあざ、しばらく残るかもって」


 あの大男に力いっぱい締め上げられて無事で済んだのは奇跡だろう。あの時の事を思い出すと身体が強張るが、


「そういえば、あの時あんたが助けに来てくれたんだよな」


 気を失う直前にルートヴィッヒがあの男の間に割って入ったのを思い出す。するとルートヴィッヒは口を歪めて悔しそうにうなった。


「……すまなかった」

「え?」

「お前を一人にしたのは俺の失態だ。もう少し早く駆けつけていればあんな事には――」

「い、いや。お前が気にする事じゃないだろ」


 彼らが狙っていたのはフロレンツィアだ。そしてフロレンツィアに扮していたロザリーがそれを庇った。こういう時のためにロザリーが身代わりになっていたのだから。


「――そうだ! お嬢様は⁉ 無事なのか⁉」


 何とかフロレンツィアをあの路地から逃がしたがその後の事がわからない。フロレンツィアに何事もなかったのかとルートヴィッヒに問いただすと、ルートヴィッヒは安心しろと首を縦に振った。


「フロレンツィア嬢が俺を呼びに来たんだよ。彼女も保護されて無事だ。さっきまでお前に付き添ってたが、侯爵に呼び出されて出て行った」

「そっか……よかった」

「……何が良かっただよ」


 ロザリーはホッとして脱力したが、ルートヴィッヒの表情は思わしくない。先ほどからずっと苦渋に顔を歪め続け、苦しそうに息を吐く。


「なんでそんな思いつめた顔をしてるんだ。結果的に全員無事なら良かったじゃないか」

「良くねえんだよ」


 ルートヴィッヒは舌打ちすると突然ロザリーの身体を抱き寄せた。まだ万全でないロザリーは抵抗する間もなく、あっさりとルートヴィッヒの腕に拘束される。


「ちょっと! いきなり何するんだ⁉」


 焦って胸を押し返そうとするが、ルートヴィッヒの身体が僅かに震えているのを感じて手を止める。


「……?」


 ルートヴィッヒはまるで少年の様に怯え震えていて、さすがのロザリーも邪険に出来ない。


(何なんだ……、もう)


 抵抗を諦めて、ロザリーはルートヴィッヒに大人しくされるがままになってやった。

 本当にわからない。育ちのいい好青年のふりをして、素は粗暴で女たらしでこちらをからかう事ばかり言ってきて、それなのに時々獣みたいな目をして、かと思えばこんな子供みたいに怯えて縋りつく。

 この人の本性がどこにあるのか、ロザリーには全く理解できない。それが何だか寂しくて、悔しい。


 黙ったまま大人しくしていると、扉がノックされてロザリーは慌ててルートヴィッヒから離れた。どうぞ、と入室を促すと戸口から現れたのは険しい顔をしたエゴールだった。


「目が覚めたか、ロザリー」

「エゴール様、どうしてここに?」


 ロザリーの部屋は使用人の自室が並んでいる棟にありエルメルトの人間は滅多に足を踏み入れない。遠慮のないフロレンツィアはともかく、エゴールがここに顔を出す事は初めてだった。


「父上から話がある。動けるようなら応接間に来い。――辺境伯殿も」


 エゴールは少し戸惑った様子でルートヴィッヒの方にも目を向けた。ロザリーが小さく頷くとエゴールはそそくさと退散する。


「旦那様から話って、何だろう?」

「まあ影武者の事が俺にばれたからそれ関連じゃないか?」

「――あ」


 そこでロザリーはようやくそれに思い至った。


(そうか、私がフロレンツィアの偽物だって事が明るみになったって事は――)


 そうしたらどうなる? もうこの人の前でフロレンツィアを演じる必要が無くなるわけで。でも刺客は未だに捕まっていないし、そもそもその件もこの人に知られたとなると――。


「考えても仕方ないだろ。とにかく行くぞ」


 ルートヴィッヒが混乱するロザリーをうながし背中を押した。とにかく今はカインの話を聞いてみなければ。

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