第二話 ブラムヘン領辺境伯②

 ◆

 それから二人は馬車を降り町の中心市街地を見て回った。通りの商店を覗いてみたり、馬上大会を見たり。ルートヴィッヒのエスコートは実に完璧だ。初めて女性を連れて回る立ち居振る舞いには到底思えない。


(やっぱり相当遊んでるな、この男……)


 ルートヴィッヒの軽薄さに顔が渋くなるが、彼はロザリーに対し実に紳士的だ。気が付けば何だかんだと逢瀬おうせを楽しんでいる自分がいて、ロザリーはちょっと悔しくなる。

 一通り回ったところで、最近貴族たちの間で流行っているカフェというところに入った。東方から輸入された紅茶に、新大陸から持ち込まれた上白糖をたっぷり入れたロイヤルミルクティー。一口飲んだだけでこの世のものとは思えない上品な香りと甘さが口に広がった。


「いかがですか? お嬢さん」

「……美味しいです」


 ロザリーが仏頂面で素直に感想を言うとルートヴィッヒは満足そうに笑った。今は人目があるのか高貴な辺境伯に戻っていて、優雅な手つきでロザリーと同じく紅茶を口にしている。


(悔しいけどホントに様になるな、この男)


 きらびやかな店内の装飾も、ほのかに香る甘いケーキの香りも、今にも壊れてしまいそうな繊細な陶器のティーカップも、ロザリーにとっては何もかも気後れするものばかりだ。対して目の前の男は気後れどころか躊躇ためらう様子もなく優雅に紅茶をすする。本性はあんなのなのにその所作は美しく、元来の整った容姿と相まってそうしていると本当に完璧な辺境伯様だ。

 ふと辺りを見渡すと並み居る貴族が集うこの空間でも、彼らはルートヴィッヒの事を遠巻きに眺めている。そんな見てくれは完璧な彼の向かいでぎこちなく紅茶を飲むロザリー。


 なんだか恥ずかしくなってきた。


 ロザリーが難しい顔をしていたせいか、ふいにルートヴィッヒが眉間にしわを寄せた。


「どうした?」

「……、やっぱりおかしいと思って」

「……?」

「だってこういう所は本来フロレンツィア様が来るべきものだし」


 ロザリーはふっと息を吐いてティーカップを置いた。人目のあるうちは出来るだけフロレンツィアのふりをするけど、いつまでも継続は出来ない。


 ――だってロザリーは令嬢でも何でもない、ただの庶民の娘だ。


「あの、さっきの話なんだけど」


 ロザリーは居住まいを正すと真剣な表情でルートヴィッヒに向き直った。


「影武者の件、時期が来たら旦那様の方からお話があると思う。お嬢様の安全が保障されない限り、あの方を外に出すわけにはいかないから」

「なんだよ、改まって。……ああそうか、心配しなくてもお前からばらしたなんてエルメルト卿にチクらねぇよ」

「いや、勿論それもお願いしたい事なんだけど」


 ロザリーは膝の上でギュッと拳を握りしめた。


「つまり、それまではどうしたってお嬢様と会えないって事だ。しばらくは屋敷に来ても意味はない。そっちにも体裁があるだろうから絶対来るなとは言えないけど……」

「意味がないってどういう事だ?」


 すると何故かルートヴィッヒの声が一段と低くなった。なんだか怒っているみたいで、ロザリーは思わずギョッとする。


「だから――、今日みたいに屋敷に来てくれても、こうやって出かけるのはお嬢様でなくて私になっちゃうし、それじゃ意味が」

「俺は別にそれでいいけど」


 さらりと告げられたルートヴィッヒの言葉が理解できなくてロザリーはポカンと呆けた。数秒硬直した後、


「いやいや、いいわけないだろ」


 ロザリーは焦って首を振る。


「私は影武者なんだから、私にサービスしても意味ないだろ」

「なんで? 別にいいだろ、俺が誰にいい顔しようが俺の勝手だ」


 さすがのロザリーも絶句した。この男、色々おかしいと思っていたけれど、――やっぱり変だ。


「だからって私にいい顔されても困る」

「なんで?」

「だって私は――」


 その時、カフェの外から歓声が響いてきた。気が付けばカフェの前の広場に人だかりが出来ていて、その向こうに張りぼてのセットと派手な衣装を着た集団が見える。


「巡業劇か」


 今まさに大観衆の前で始まろうとしている芝居。吟遊詩人役の語り部がその口上を述べ始めた瞬間、ロザリーは頭を殴られたみたいな衝撃に襲われた。


『昔々、ロタールという地に勇敢な若者がおったそうな――』


 ロザリーはこの始まりをよく知っていた。だってロザリーは仲間の役者が何百回とそれを述べていたのを聞いていたから。


『正義の心を持ち、しきを裁き、弱きを助ける』


 一人の若い男の役者が壇上に現れた。客席から女性の黄色い声や口笛が飛ぶ。


『その者の名は――』


 男がゆっくりと腰の剣を抜き掲げる。そして高らかに、名を名乗るのだ。


「我の名はバイヘン=フィル=エーゲンハルト。我はこの剣に誓う。この国をおびやかす悪は、我がこの剣でうち滅ぼす」


 舞台上のバイヘン役の男とロザリーの台詞せりふがシンクロした。

 数年ぶりだというのにあの時と寸分すんぶん変わらぬまま淀みなくロザリーの口から零れ落ちる。ロザリーは一言一句覚えている。この後のバイヘンの動き方も他の役者との掛け合いのタイミングも、剣を振るう時の呼吸も。

 全て――全てだ。


「そういやさ、お前なんで役者辞めたんだ?」


 ふと劇を眺めながらルートヴィッヒが素朴な疑問を口にする。ずきりと、ロザリーの心臓がきしみをあげた。


「――辞めてない」

「でも劇団潰れて新しいとこにも入ってないんだろ?」

「潰れてない!」


 ロザリーは思わず声を張り上げて立ち上がった。カフェにいた客たちが一斉に怪訝な顔でこちらを向く。目の前のルートヴィッヒもまた目を見開いて固まっていて、ロザリーは我に返って急に恥ずかしくなった。


「……すみません、ちょっと外の空気吸ってきます」


 ロザリーは身体中に刺さる視線を振り払いカフェを飛び出し、闇雲に走り出した。

 とにかく誰も来ないところに。――あの劇が見えないところに。ただ一心不乱に走って、ロザリーは誰もいない建物の隙間の路地に滑り込み、薄暗い汚い路地の壁に手をついてあえいだ。

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