第二話 ブラムヘン領辺境伯①

 ◆

 正門の様子を覗き見していたら案の定、フロレンツィアの部屋の扉が乱暴に開いた。


「ロザリーはいるか」


 乱入してきたのはエゴールだった。ロザリーの姿を確認するなりただでさえけわしい目つきを一層鋭くしこちらに近づいてくる。


「ちょっとお兄様! ノックぐらいして下さいといつも言っているでしょう!」

「すまんなフロレンツィア、だが火急の要件なのだ」


 実の妹のフロレンツィアに対しては少々甘いエゴールだが、今はそんな余裕もなく切羽詰まった顔をしている。彼はロザリーに向き直ると、


「なんだ、お前もう変装していたのか。用意がいいな、一緒に来てもらうぞ」


 感心した様に頷くとロザリーの腕を掴んで部屋を出ようとする。


「ちょっとお兄様! なんでロザリーを連れて行くの⁉」

「ルートヴィッヒ=ベルクオーレン辺境伯がお見えになっている。今、父上と話をされているところだ。昨日の今日だから縁談に関わる話だろう」

「じゃあ私が行くわよ」

「ならん」


 食い下がるフロレンツィアをエゴールは一蹴した。


「脅迫の件に片が付くまで、お前を外に出せんと言っただろう」

「家にまで来てるんだからいいじゃない。今ならまだ昨日のは偽物でしたーって言っても許してもらえるわよ」

「何を楽観的な事を言ってるんだ」


 兄妹の言い争いを横で聞いているロザリーは内心恐怖でおかしくなりそうだった。

 何故なら当のルートヴィッヒは、昨日のフロレンツィアがすでに偽物だと知っているのだから。


「とにかくお前はここで大人しくしていろ。部屋から出るんじゃないぞ」

「何よー! お兄様の意地悪!」


 喚くフロレンツィアを部屋に残し、ロザリーはエゴールに腕を掴まれ連行された。


(どうしよう……、死ぬほど行きたくない……!)


 この先にあの悪魔のような男がいるのかと思うと、ロザリーは正気を保っていられなかった。




 応接間の前でエゴールがコンコンと扉をノックすると、室内からカインの入室の許可が下りた。


「失礼します。妹のフロレンツィアを連れてまいりました」


 早く入れとエゴールにそそのかされ、ロザリーは顔を伏せたまま静かに入室する。

 ソファに向かい合って座っていたのはカインと、朗らかな笑みを浮かべていたルートヴィッヒ=ベルクオーレンだ。

 ルートヴィッヒはロザリーの顔を見るとパッと顔を輝かせた。歓喜に満ちる陽だまりの様な微笑びしょう。だが、すでにこの男の本性を知っているロザリーにとっては狂気に満ちた顔にしか見えない。


「よ、ようこそいらっしゃいました。ルートヴィッヒ様」

「やあフロレンツィア嬢。突然お邪魔して申し訳ない。昨日の今日で、疲れているのではないかとも思ったのだけれど……」

「いえ、私は構いませんわ」

「そうか、少しでも早く君に会いたかったんだ」


 こちらを労わる猫なで声にロザリーはぞっと悪寒が走る。引きつりかけた笑みを何とか誤魔化して、ロザリーは最大級の愛想笑いを浮かべた。


「フロレンツィア。ルートヴィッヒ殿はお前の事が大変気に入ったそうだ。婚約の件も是非前向きに進めたいと、わざわざ足を運んでくださったんだ」

「それは……光栄です」


 心臓がバクバクと高鳴る。無論ときめいているわけではなくて恐怖と焦燥ゆえだ。ロザリーは内心冷や汗が止まらない。目の前でニコニコと笑みを浮かべるこの得体のしれない男の視線が怖くて堪らなかった。


「エルメルト卿。もしお許しを頂けるのでしたらお嬢様と街を回りたいと思っているのです。今は叔父上の屋敷に滞在しているのですが、久しぶりの王都ですし、よければお嬢様に案内を頼みたいのですが」

「二人で出かけるのか?」


 ルートヴィッヒの申し出にカインは難色を示した。本物のフロレンツィアは命を狙われているためここ数か月屋敷を出ていない。昨日刺客に狙われた手前、外に出すのは危険極まりないだろう。

 ――だが、この流れでいけばルートヴィッヒと共に同行するのは間違いなくロザリーだ。


「誓って婚前のお嬢様に不誠実な真似は致しません」

「……ルートヴィッヒ殿がそうおっしゃるのであれば。どうぞ娘をよろしく頼みます」


 一瞬、カインの懇願の視線がロザリーに向けられたのを見逃さなかった。


『どうかよろしく頼む』


 そう暗に告げられてロザリーは必死に強張った笑みを浮かべた。


 ◆

 結局ロザリーがルートヴィッヒと二人で街に出る事になってしまった。出発の際、自室の窓からこちらを恨めし気に盗み見るフロレンツィアがちらりと見え、いたたまれなさに気づかぬふりをして馬車に乗り込んだ。ロザリーの方だっていっその事変わってほしいとどれだけ思ったか。

 ベルクオーレン家の馬車は内装も実に破格だった。黒い革張りの箱にビロードのふかふかのソファ。走行中でもほとんど揺れを感じない、なんとも優雅な移動だ。

 だがそこに座るロザリーはいたたまれなさ過ぎて身体を委縮させたまま俯いていた。


 車内にしばし重い沈黙が流れている。向かいに座る男の視線が痛い。顔を上げれば腹の立つ顔でこっちを見ているはずなので絶対に顔をあげたくない。


「……」

「……それで、お前このまま俺と結婚する気なのか?」

「は⁉」


 ロザリーが驚愕して思わず顔を上げると、案の定憎たらしい嘲笑ちょうしょうを浮かべているルートヴィッヒの顔が目に入り頭に血が上った。先刻までカインたちの前で被っていた猫が取り払われて、すっかり素のルートヴィッヒに戻っている。


「んなわけないだろ! 私は影武者だ!」

「それにしちゃ随分気合入った格好してるじゃん」

「これは……お嬢様が無理やりやったんだ!」


 フロレンツィアのドレスを借りて、髪も綺麗に結いあげて、確かにこれではデートに行く気満々の格好だ。だが、断じてこの男の示唆するような思いはない、これは不可抗力という奴だ。


「昨日の件、旦那様はまだ公表するのを控えてるんだ。だからお前にも話せないし、フロレンツィア様と合わせるわけにはいかない。お前だってわかってるだろ?」

「……まあ、俺が刺客と無関係だって証拠もないしな。事をでかくして相手方を刺激するのも得策じゃねえし」

「わかってるならからかうような事を言うのは止めてくれ」


 だがルートヴィッヒは「はいはい」と適当な返事を返すのでロザリーの顔は益々ますます険しくなる。他者の前ではあんなに誠実そうな態度を取るのに、今は何を言っても飄々ひょうひょうと返されそうでなんだか納得がいかない。


「そう言えば、お前のとこは大丈夫なのか?」

「大丈夫って何が?」

「お嬢様が婚約の件で狙われてるって言うなら、そっちにもそういうの来るんじゃないかと思って……」


 敵の狙いは協定を台無しにする事だとカインが言っていた。その一番手っ取り早い手法として、一番か弱い令嬢のフロレンツィアを亡き者にし婚約を消滅させる、というのが敵の策ならルートヴィッヒの方を狙って来てもおかしくない。


「俺の方は大丈夫だろ。さすがに辺境伯に手を出すと厄介事になるって向こうさんもわかってるだろうし」

「そういうものなのか……」


 貴族内の詳しい事情はロザリーにはわからないが、どうにもに落ちない。ロザリーが浮かない顔をしていると、ルートヴィッヒは何故か突然ロザリーの隣にやってきてロザリーの腰を引き寄せた。


「⁉ な、なんだ⁉」

「んー、いや心配してくれてるんだな、と思ってさ」


 ルートヴィッヒは酷く上機嫌でロザリーに顔を近づける。


(近い……!)


 上等な絹地のジャケットから微かに香水の香りが漂ってくらくらする。昨夜も突然距離を詰められて唇を奪われて、本当にこの男は油断ならない。


「不誠実な事はしないんじゃなかったのか?」

「健全なスキンシップだろう、このくらい。俺たち婚約者同士だろ?」

「だから私は影武者だって言ってるだろ!」


 ロザリーは腰に回された手の甲を思い切りつねると、彼が痛みで怯んだ瞬間に身体を捻って拘束から抜け出した。勢いよく立ち上がったものの、ここが馬車の中である事を失念していたため、思い切り頭を天井に強打した。

 痛みにうめいて涙目になるロザリーを見て、一拍遅れてルートヴィッヒが大笑いし始めた。


「ほら……っ、お前やっぱ面白いわ」

「……」


 ロザリーがその不遜極まりない男を恨めし気に睨んでいると、ルートヴィッヒはロザリーに手を伸ばし、


「償ってくれるって言ったんだしな」

「あれはそういう意味で言ったんじゃない」

「細かい事は気にすんな。せっかくの縁だし仲良くしようぜ、ロザリー」


 じんじんと痛みを発する患部を撫でてくれる。その手つきが妙に優しくてロザリーは一瞬動揺してしまった。

 本当に軽薄な男だ。そういう奴だから多分昨日あんな軽々しくロザリーの唇を奪ったのだ。


(こいつ真面目に考えて相当やばい奴なんじゃないか?)


 協定の話とか刺客の話とか、あらゆる問題を脇に置いて考えてもこの不誠実な男とフロレンツィアを結婚させるのはまずいのではないかとロザリーは悶々もんもんと考える。と、ふと違和感に気づいて、


「……あれ、そういえば私お前に名前名乗ったっけ?」


 フロレンツィアとして挨拶はしたけれどロザリーとは名乗った覚えがない。昨日事情を話した時もロザリーの名は出さなかった。


(そういえば昨日も去り際に私の名前呼んでた)


 するとルートヴィッヒの手が不自然に止まり、露骨に目を反らす。が、ロザリーはふいにその理由に思い至った。


「あ、そっか。お前も私の芝居見てくれた事があるのか?」

「――え?」

「旦那様も私の芝居見て声かけたって言ってたしそうかなと思ったんだけど、違うのか?」


『サンヴェロッチェ』は王都だけでなく南部の領地でも何度か巡業をした事があるから、ルートヴィッヒもどこかの機会にロザリーを見た事があっても不思議ではない。すると、


「――ああ、そうだな。そう、……そうだよ」


 ルートヴィッヒはどこか虚ろな目をして言葉を濁した。その瞬間、ロザリーの脳裏に一瞬だけ見知らぬ光景がフラッシュバックする。鮮明ではないが、どこか酷く暗くて寂寞せきばくとした光景が。

 しかしそれも一瞬の事で、僅かな頭痛と共にその映像は掻き消える。


(一体何だったのだろう?)


 奥歯に物が挟まったような違和感にさいなまれつつも、ロザリーは大人しく馬車に揺られることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る