第一話 サンヴェロッチェの花形役者⑤

 ◆

「でーきたっ!」


 姿見の前でフロレンツィアが嬉しそうに手を叩く。彼女の前に座らされたロザリーは、鏡に映る自分の姿を見て苦笑いを浮かべる他なかった。

 フロレンツィアが自身のクローゼットから取り出した袖と裾の膨らんだベビーブルーのドレスに身を包み、つやの無いパサついた小麦色の髪はハーフアップに編み上げられ光り輝く玉の髪飾りが揺れている。


「ほらー、可愛いでしょ。貴女綺麗な顔してるんだからこれくらいしないと勿体ないわよ」


 頬紅の入った頬はほんのりと赤みを増し血色はよく見えるが、表情はいつも通りで冴えない。本当にこういう衣装は似合わないな、とロザリーは改めて思った。


「あのですね、私劇団では男役だったんです。こういう衣装とメイクはあまり……。というか、私今は使用人なのでこんな格好じゃ仕事できませんよ」

「何よ、相変わらずノリが悪いんだから」


 フロレンツィアは子リスみたいに頬を膨らませてぷいっとそっぽを向いた。この様子では何を言ってもしばらくは解放されない。仕方なくロザリーはフロレンツィアの着せ替え人形としての役目を粛々しゅくしゅくとこなす方針に切り替えた。


「ね、ね。それで、昨日の事なんだけど」

「はい、なんでしょうか?」

「……どうだったの?」


 フロレンツィアが鬼気迫る表情でロザリーの顔を覗き込むので、ロザリーは昨晩刺客に襲われた事を同じく緊迫した表情で伝えた。


「はい、お嬢様を狙っていた刺客は私が撃退いたしました。しかし、力不足で逃してしまいましたので、また襲ってくる可能性は高いです。ですのでお嬢様は今しばらく――」

「ちっがーう! そっちじゃなくて!」


 質問の意図に沿っていなかったのかフロレンツィアが地団太を踏んだ。ロザリーは思わずポカンと抜けた表情になってしまって、


「そっちじゃない、とは……?」

「刺客の事はとっくにお父様に聞いたわよ。私が聞きたいのは、辺境伯様の事!」


 ――辺境伯。と聞いてまたしてもあの憎らしい顔が思い浮かんでロザリーは露骨に顔を歪めた。


「どんな人だった? お顔は? お優しい方だった?」


 フロレンツィアにとっては未来の夫になる男だ。気になるのは当然だろう。

 とはいえ昨日会った事をありのままに話す事ははばかられた。確かに容貌は悪くなかったが、本性は性悪で出会ったばかりの女にキスしてくるような奴だ。警戒すべき女の敵、はっきり言ってフロレンツィアには会わせたくない。――が、


(政略結婚だし、いくらこちらが拒否したところでなるようにしかならない、か)


 ロザリーは少し考え何とか賛辞をひねりだす。


「容姿は……大変優れていらしたと思います。背も高く体格もよくて、お顔も――まあいい方なんじゃないですか」

「ホントに⁉」


 嘘は言っていない。


「性格は……気品があって、エスコートも上手くて。でも子供心もおありで、時に冗談も言ったり」

「ユーモアに溢れた方なの⁉ 素敵……!」


 嘘は言っていない。――断じて。


「まあですが……、フロレンツィア様が夢中になれるお相手かどうかは――」

「……んー、そうね。まあ、実際会ってみないとわからないか」


 フロレンツィアは急にしぼんだ様子でソファに腰かけた。その表情はかんばしくない。


「やはり……、縁談は乗り気じゃないですか?」

「そうよ。前からずっと言ってるじゃない」


 フロレンツィアは今回の縁談を快く思っていない。でもそれはしょうがない事だと思う。国策のために見ず知らずの男に嫁がされるなんて、ロザリーならごめんだ。


「お相手は勿論気になるけど、やっぱりまだ納得してないの」

「お気持ちは、わかります」

「それに辺境伯って何よ! 私南部のど田舎に嫁がされるのなんて嫌よ!」

(あ、そっちが本音か)


 ロザリーはお嬢様らしい我儘に肩をがくりと落とした。セントレア生まれセントレア育ちのお嬢様には、確かに長閑のどかな南部の暮らしはあわないかもしれない。しかも後々公国として独立するなら簡単に里帰りも出来ないだろう。


「まあでも、顔がいいなら考えてあげない事もないかもっ」

「……顔で判断すると痛い目見ますよ」

「何よー、いいじゃない。どうせお父様の言いつけで好きに結婚できないんだからそれぐらい我儘言ったって――」

「お嬢様」


 ロザリーは立ち上がると静かにフロレンツィアの前に片膝を付いた。傷一つない柔らかな手を取って、


「お嬢様が不安に思う気持ちはよくわかります。ですが、そんな投げやりな言い方なさらないでください」

「……っ」

「旦那様も奥様も、エゴール様も貴女の事を大変に案じているのです。――勿論、私もお嬢様の幸せを切に願っております」


 経緯がどうあれ、あの最低男に嫁ぐことになるのはフロレンツィアだ。だからロザリーは何としても彼女の純真な心を守りたい。せめて自分を蔑ろにするような言い方は止めて欲しいのだ。


「じゃあ、ロザリーは私が辺境伯様の元に行っても一緒に来てくれる?」


 その問いにロザリーは言葉に詰まった。今ロザリーがここにいるのは、フロレンツィアを暗殺者の手から守るため。それはカインと約束した『サンヴェロッチェ』再建のためでもある。この任務が終わればロザリーは再び舞台に上がるために尽力を惜しまない。だからずっとフロレンツィアの側にいるわけにはいかない。しかし、


「……私の一存では難しいですが」


 この二か月、フロレンツィアという少女と生活を共にして、彼女に対する情が湧いているのも事実だ。劇団の件は無しにしても、フロレンツィアを悲しませるようなことはしたくない。だから、たとえ嘘でもロザリーはフロレンツィアを安心させるように優しく笑った。


「貴女が望むのでしたら、どこまでもお供いたしますよ」


 フロレンツィアの頬が僅かに朱に染まる。先ほどまでの強気な彼女はなりを潜め、少し気恥ずかしそうに目を反らす。


「貴女って……、そういうところがずるいわね。――さすが聖騎士」

「――? どういう事ですか?」

「何でもないっ」


 フロレンツィアは勢いよく立ち上がると正面玄関に面した窓の方に向かった。

 まだロザリーが首を傾げていると、外から馬の蹄の音が聴こえてきた。


「……あら、お客様かしら? こんな朝早くに」


 フロレンツィアが窓の外を眺めて呟いた。ロザリーも気になって窓を覗き込む。フロレンツィアの部屋から正門の方が一望できた。確かに屋敷へと続く正面玄関の通りに立派な馬車が停まっている。カインの来客だろうか、と二人でその様子を窺っていると、馬車から一人の男が姿を現した。


「――げっ……!」


 その男の顔を見た瞬間、ロザリーは引きつった声で呻いた。


「どうかした、ロザリー?」


 フロレンツィアの問いにも答えられずに顔面を蒼白にして固まる。


 ――なんであいつがここに。


 玄関先で使用人たちに笑顔で会釈している高貴な男。その面立ちは間違いなく昨晩ロザリーに悪夢を見せたルートヴィッヒ=ベルクオーレンに違いなかった。

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