チャンネルどうしよっか

「……大丈夫か?」


 千夏は目をごしごしとこすり、笑った。しかし明らかにそれは、先ほどまでの自然な笑みではなかった。


「ごめんね、なんでもない。目にゴミが入ったかな……」

 だがそう言ってこする右目だけでなく、左目からも涙が出ている。


「うざいよね、急に泣かれたら……」

 そしてそのまま、千夏はテーブルに額を押し付けて、肩を震わせた。


「……炒飯なら冷めればレンジすればいいから」

 鼻をすすりながら、千夏が笑った。


「今言うことそれ?」

「……」

 そして何事もなかったかのように、ぴんと姿勢を正す。

「大丈夫。あったかいうちに食べます」


 ——幼馴染とはいえ、俺は千夏の全てを知っているわけじゃない。


 そして俺は、そうすることを遠慮している。千夏に踏み込まないようにしている。だから百万円が必要になった理由も……今涙をこぼした理由も、聞いていない。


「今いくら儲かってるんだっけ? チャンネル」

「……自分でちゃんと確認しろって言ってるだろ」

「ごめんて」

 肩をすくめる千夏。もういつもの調子が戻っていた。


「あと五十万くらい」

「半分か」

 だがあと半分稼ぐために、同じ期間が必要なわけではない。撮った動画は資産として、チャンネルに残り続けている。きっと、もっと早く稼ぐことができる。


 二ヶ月以内。千夏は最初さりげなく、そう言っていた。

 それはぎりぎり達成できるかもしれない。


「文化祭も動画にするんでしょう?」

「ああ」

「一緒にまわる?」

「……だな。文化祭の日は、一日中カップルを演じることになると思う」

「了解。よろしくね、偽彼氏」

「スプーンを人に突きつけるな」


 千夏はくすぐったそうに笑って、また美味そうに炒飯を食べた。



「一緒に登校しようよ」

 そして文化祭当日。


 部屋で支度を終えた俺が玄関へ降りていくと、千夏が土間に立っていた。俺よりもっと前に支度を終えていたと思ったのが。

 つまり俺のことを待っていたのだ。


「……いいけど」

「けど、なに?」

「どういう風の吹き回しだと思ってな。偽彼女が玄関で待っててくれるなんて」

 千夏は何も言わず、バシンと俺の背中をバッグで叩いた。


 外は文化祭日和の快晴。まだワイシャツは半袖だが、夏休み開けに比べると、朝は風が若干心地よくなってきている。


「なんか考え事してるの?」

 横を歩いている千夏が俺の目を覗き込んできた。

「いや……って、え⁉︎」


 返事をしようとして初めて、千夏が俺と腕を組んだことに気付く。

 撮影しているのかと思ったが、千夏は何も持っていない。

 何度も言うが、撮影していないときに、こんな積極的な千夏は今までなかった。


「ち、千夏……なんか近くない?」

 すると千夏は一瞬だけ真顔に戻ってから、また笑顔に戻った。


「だって今日は一日中、みんなの前でカップルでいるでしょ。こうやって朝からカップルだって思っとかないと、ボロが出ちゃうかもしれないから。ね、つーくん?」

 プロ意識からくるイチャイチャだった。


 たしかに今日は、初めて大勢の前で撮影する。ビジネスカップルだとバレないように気をつけなければならない。


 ……かといって、気合を入れるほどのこともないと思うが。

 最近は撮影以外の時間に喋ることも増えてきたから、この調子なら問題ないはずだ。


「この文化祭で、全体の再生回数も底上げできるといいな」

 そう言うと、千夏はこくんと頷いた。


「百万円貯まったら、チャンネルどうしよっか」

 そして急にクリティカルな質問が飛んできた。

 思わず言葉に詰まる。


「……千夏が決めればいいんじゃないか。千夏が言い出したことだろ」

「そう言われると思って、こうやって質問してるの」


 百万円を稼ぐために始めたのだから、稼げれば用済みだ。何の価値もない。それにこんな動画いつまでも残しておくのも……アレだ。


「……ま、来年から受験だし、夏休み前の生活に戻りたくないか?」

「……ふうん」

 予想外に微妙な返事だった。


 てっきり鼻で笑って、「だよね」などと言ってくると思ったのに。


「千夏だってちゃんと勉強しなきゃ、大学受かんないだろ」

 そう付け足すと、またバッグで背中を叩かれた。

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