恋人ってドキドキするけど……

 その日、千夏は遅くに帰ってきた。


「ただいま」


 俺はリビングで広告収入を確認しているところだった。収入の合計は現在五十万円だから、百万円まであと半分。


 ……ただいま? 千夏は今まで自分から、ただいまなんて言ったことはない。


「夜ご飯は?」

「……千夏が帰ってきてから作ろうと思って」

「そう。なんでもいいよ」

 そう言って千夏は洗面所へ向かった。


 どうやら機嫌がいいらしい。


 戻ってきた千夏は、ダイニングテーブルに座り、キッチンで料理する俺へ自分から話し始めた。

「やっぱりウエディングドレスはテンション上がった」

「今日だったのか」

「うん」

 俺は二週間前に冬川と「スノーウエディング」へ行った。千夏は俺のせいでそれをすっぽかしたわけだが、代わりは今日だったようだ。


「あーちゃんってやっぱりお嬢様だね。店員さんからお嬢様って呼ばれてた」

「小林さんか」

「そう! あーちゃんと仲良さそうだった」

 そういう千夏は、本当に冬川と仲がいいのだろうか?

 冬川が中傷コメントの犯人かもしれないわかった後、俺は冬川にまだそれを聞けないでいた。


「今日、冬川になんか言われたか?」

「? なにを?」

「……いや、なんでもない」

 よく考えれば、冬川があからさまに千夏をなじるとも思えない。

 冬川は千夏と仲良くしながら、内心は千夏を嫌っているのだろうか。


「翼。フライパン焦げてない?」

「ん? ああ、悪い」

 考えても仕方ない。千夏も心当たりがないなら、やはり冬川に直接聞くしかなさそうだ。

 ……気は進まないが。


 俺は炒飯を二皿に盛り付け、テーブルに運んだ。

「翼も炒飯作れるんだ」

「俺のほうが上手い」

「どうだか」

 ウスターソースをかけ、スプーンですくう。


「いつだっけ? 私が炒飯作るドッキリしたの」

「……半月くらい前じゃないか?」

 もうそんなに経ったのか。ということは俺もそれだけ編集したということ。我ながら高校生なのによく働いている。


 千夏は一口目を食べ、すぐに二口目を口に運ぶ。


「……美味しいんじゃない?」

「なんで疑問系なんだ。美味しいだろ」

 千夏は曖昧な笑みを浮かべる。最近は、撮影以外でも笑うことが増えていた。


「そういえば友ちゃんは?」

「大学の友達と飲んでる。大学生ってほんといい加減な存在だよな」

「私も早くなりたい」

「俺も」

 とりとめのない話。


「……なんかさ」

「ん?」

「恋人ってドキドキするけど、夫婦ってきっとドキドキしてないんだよね」

 むせた。突然何を言い出すのかと思えば。


「……なにむせてんの」

 心配そうに顔を覗き込む千夏を手で制し、水を飲んで気持ちを落ち着ける。

「まあ、そうかもな」


「……なんかね、いっつも翼とご飯食べるとき」

「……」


 そこで千夏は一度言葉を切った。喉まで出掛かっているが、それを言おうか迷っているような。


「……?」

「ご飯食べるときね……変な意味じゃないよ? 変な意味じゃないんだけど……夫婦みたいだなって」


「……え?」

 本来なら、それは俺にとってもっと大事な言葉になったと思う。だがそのとき俺は、そう言われた自分の気持ちに目を向けるどころではなかった。


 千夏がそれを言いながら、涙をこぼしていたから。

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