冬川の意見
休日明けの月曜日、俺はいつも通り、朝のホームルーム前に図書室へ向かった。
いつもの長机に座り、勉強道具を広げる。
そして同じ机には、いつも通り冬川がいる。
「文化祭の準備はどうだ?」
何気なく聞いてみた。
七海高校の文化祭と後夜祭、総称「七海祭」が、あと一週間後に迫っている。冬川は文化祭実行委員であると同時に、いろいろと関わる冬川グループの娘でもあるので、何かと忙しいんじゃないだろうか。
「どう、とは何を聞いているの? 進捗のこと? それとも完成度のこと?」
「……いや、気軽に質問しただけです」
「話が長くなるかもしれないけれど、時間はある?」
「……『順調よ』とかテキトーな答えでいいんだよ、挨拶みたいなもんなんだから」
「なら素直に『おはよう』でいいんじゃないかしら。それなら私に思考する負荷をかけないで済むし」
「……お前は軽快な会話のキャッチボールができないのか? いつでもドッジボールか?」
「金城くんにはね」
相変わらず、冬川は冬川だった。
変わったことといえば、「スノーブライダル」に行って以降、時々冬川が髪型を変えるようになったこと、それから図書室で座る席が俺に近くなったことくらい。
「金城くんこそ、カップルチャンネルは『どう』?」
「……順調だよ」
登録者数は予定通りに伸び続けている。広告収入も、これまでで四十万円くらい貯まった。
「まあ、悩みがないこともないけどな」
「?」
「コメント欄に、時々中傷コメントが来るんだよ」
「……」
「冬川はSNSとかやってなさそうだからわからんかもしれないけど、ネットに書かれる悪口ってのは、想像以上に悪質なんだよ。せめて千夏に気付かれないように消したいんだけどな」
「……対処法はいくつかあるんじゃないかしら」
冬川は、ノートにシャーペンを走らせながら続けた。
「まず、コメントの通報」
「……それができれば話は早かったんだが、通報申請しても運営に却下されたんだ」
逆にいえば、明らかにひどい中傷というわけではないのだ。しかし、だからといって放置しておくのも寝覚めが悪い。
「なら、コメント欄の封鎖」
「それも考えたんだが……」
しかし動画は視聴者とともに作り上げるものだ。コメントがなければチャンネルが盛り上がらない場合もあるし、コメントを読むのが好きな人もいる。
だからこれは最終手段にしたい。
「じゃあ、中傷しづらいような企画にしたらどうかしら?」
それもある。中傷コメント主は、過激なイチャイチャに刺激されることが多いのだ。
だが、良くも悪くも伸びるのはイチャイチャ動画である。俺たちはそれで売ってきたわけで、最速で百万円稼ぐには大きな軌道修正も難しい。
「……それも無理なら、裁判ね」
「まあ、たかが高校生にそんなことはできないよな」
だからあとは、中傷主を特定して、直接やめさせるしかない。
しかしもちろん、それも難しい。
「この『いちご』っていうアカウントが一番曲者なんだよな。全部の動画に中傷コメントしてる。せめてこいつだけでも俺はやめさせたい」
俺はそれを見せようとしたが、冬川は興味がないとばかりにこちらへ目を向けなかった。
「そもそも、そういうことも理解して動画投稿するべきよ」
「……そう言われたら、その通りなんだけどな」
「もう相手にしなければ? 自分が知らなければ、それは存在しないのと同じだから」
「まあそれもその通りで……」
「きっとコメントしている人だって、暇潰しくらいにしか思っていないのよ」
本当に、そうなんだと思う。
きっとどこか遠くの出来事について、ただ感想を述べただけだ。人は自分より一定以上離れた人まで思いやることは難しい。
でも、だからって泣き寝入りするのか?
「冬川の言うことは正しいんだが、それが全員に当てはまるなら、病むザッパーなんて出てこない」
ザッピング界隈に疎い俺でも、そうした投稿者がいることくらいはニュースで知っている。
「……それに、千夏には嫌な思いをしてほしくない」
それでも冬川は聞こえなかったように、問題集を解き続けていた。
「……悪いな、冬川と関係ない話して」
「ええ」
「……冬川、なんか疲れてるのか」
「……どうして?」
「いや、なんとなく」
俺の顔を見ようともしない。
「文化祭の準備とか、やっぱり大変か?」
「金城くんも、動画編集で忙しいでしょう?」
その言い方にも、なぜか棘が感じられた。
「……ま、手伝えることがあったら言ってくれ」
「金城くんは優しいのね」
「……」
なんだかそれも皮肉に聞こえてしまう。
「いや、まあ冬川が困ってたら、助けたいっていうだけで」
「あのときもそんなこと言ってたわね」
冬川が参考書をパタンと閉じた。
「あのとき?」
「私がこの図書室で、一人で泣いていたとき」
冬川が一人で? 泣いていた……?
「そんなことあったか?」
「……」
「あ、ひょっとして俺が冬川と会ったときか?」
言われて思い出した。そもそもどうして、俺が冬川と知り合ったのか。それは俺が朝、図書室で泣いていた冬川に声をかけたからだ。
「おい、冬川? 急にどうしたんだよ」
冬川は、俺を無視して参考書をバッグに詰め、立ち上がった。
「ごめんなさい、今日が日直なのを忘れていたわ」
そして結局俺の顔を見ずに、図書室を出ていった。
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