冬川、襲来
人が少ないところは静か。当たり前のことだ。
同じ校舎内でも、先ほどの教室とは雲泥の差。俺はホッとため息をついて、長い机の端の席に座ると、持ってきた教科書を開いた。
すると、同じ机の対角線上に座っていたやつが、声をかけてきた。
「おめでとう、金城くん」
制服は乱すことなくきっちり着こなし、セーラー服のリボンもシワひとつない。陽の光を浴びて艶めく黒髪をふわりと後ろに流し、凛とした目が俺を見据えていた。
冬川灯。いつもこの時間に図書室を使う、俺以外の唯一の人間である。
「……おめでとう? 何のことだ?」
「かねちーチャンネル」
「!」
いやせっかく教室から出たのに、お前も言ってくるのかよ。
……が、ここで取り乱しては冬川の思う壺だ。俺は冷静に続けた。
「……まさか、冬川にも祝われるとはな」
「俗っぽい話には基本興味がないけれど、他人の幸せを祝うほどの心の広さは持ち合わせてるつもりよ」
「……」
「なにかしら」
「だってお前、『恋愛なんて下等生物がすることよ』とか言いそうじゃん。恋バナできるんだな」
「人と話を合わせることは人間社会で必要なスキル。それを理解していないから金城くん、友達が少ないんじゃない?」
「うるさい。理解してるお前だって、大して友達いないくせに」
「私は戦略的に友人を削っているだけ。馴れ合いの時間は人生に必要ないから」
「……」
これが冬川の通常運転である。いつも余裕があるように薄く笑っていて、それは愛想がいいようにも見えるし、人を小馬鹿にしているようにも見える。
大半の善良な同級生には前者に見えているらしいが、俺はもちろん後者だ。
「ちゃんとチャンネル登録してくれたか?」
「ええ。これからもどんどん活躍して、どんどん勉強時間をなくして、金城くんの成績が急降下することを願ってるわ」
「それが言いたかったのかよ。学年二位さん」
薄笑いを浮かべる冬川に、ピキ、と筋が一本立った。
ちなみに、テスト学年総合一位はこの俺である。
「彼女ができたやつに次のテストでも負けたら、独り身はさぞ悔しいだろうな」
「次は必ず私が一位になるから、その可能性を考える必要はないわ。それに私が男女交際をしないのは、あくまで時間の無駄だから。あなたと違ってやることがたくさんあるの」
「さすが冬川グループのお嬢様はモノが違うな」
「ようやく気付いたのね。これからは敬意を持って接してくれる?」
まさにああいえばこういう。態度にはそれこそ冬のような冷たさがある。
だが、今日に限ってこれは序章に過ぎなかった。
「それにしても、金城くんがカップルチャンネルをやるなんて、意外だわ」
ぎくりとする。
「……千夏がやりたいって言い出したんだよ」
真野に対する言い訳と同じ手口。しかし。
「本当かしら?」
冬川は薄い笑みを浮かべている。
「笹木さんと友達というわけではないけれど、彼氏ができたくらいでそんなことをする人じゃないということくらい、私でもわかるわ」
さらっと友達認定されてないぞ、千夏。
「それとも、恋はそれほどまでに人を愚かにするのかしら」
愚かときたか。
俺はやっていたことを思い返し……
やはり愚かだと思い直した。
「けれど、ふとある可能性が思い浮かんだのよ」
「可能性?」
冬川は薄笑いを浮かべたまま言った。
「——ビジネスカップル」
ビンゴ!
「七海高校はバイトが禁止されているでしょう? 例えばお金が必要になった金城くんが、手っ取り早く稼ぐために、笹木さんをピエロに仕立て上げた……そんな妄想をしてしまったのよ」
冬川は俺がそんなことをする人間だと思っているらしい。
「それになんだか二人がぎこちない気がしたの。例えば『彼女にこちょこちょしてみた』の後半に——」
「具体的な話はしなくていい!」
「そう? 分かりやすく説明したかったのだけれど」
言いながら相変わらずの薄笑い。
こいつはやっぱり性格が悪い。
「どうやら二年生の盛り上がりを見るに、あなたたちがビジネスカップルだとは、皆気づいていないようね」
「……」
「金城くんに友達がいないから、皆金城くんが本当はどんな人か気づいていないのかしら」
「ひどい理由だな!」
しかもあながち間違いじゃない気もするから悲しい。
「安心して。誰かに真実を話すようなことはしないから」
「……」
もうここまで来ると、ビジネスカップルだと認めないのもばかばかしかった。
「……絶対バラすなよ」
「ええ」
「というか、冬川にもバラすような友達いないもんな」
ピキピキ、とこめかみに筋が二本立った。
「……私より友達が少ない金城くんに一つ忠告しておくけれど」
ガタリ、と冬川は立ち上がり、薄笑いはそのままに俺を睨みつけてくる。
「お世話になっている人くらいには、きちんと本当のことを話した方がいいわよ」
嫌味を言われるかと思ったら、意外と真っ当なアドバイスだった。
「……ご忠告どうも」
「これで友達を失ったと言って、私に泣きつかれても困るから」
しかし最後は、やっぱり嫌味なやつであった。
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