第35話 妹に押し倒されたら
休日の夕食前の時間帯に、オレは想像もしたことのない事態に陥っていた。
血は繋がっていないとはいえ、家族である妹に何故だか押し倒されている。
もちろん事故だ。誰かの思惑が絡んで着地した構図ではないが、押し倒しは押し倒し。2歳差の恋人同士ではない男女でやる行為ではないし、もちろん妹とやる姿勢でもない。
しかし急な出来事は、オレと真白の思考力を確実に麻痺させていた。
下手に行動できない、妙な沈黙が続く。
数センチ先にある真白の顔とただただ見つめ合うという、謎展開だ。
1年前に家族になった少女ということで意識外に追いやろうとしていた真実が、時間差でオレを襲う。
黒髪の大人しそうな美少女と言っても過言ではない容姿。
つまり魅力的な異性に接近されているという事実だ。
真白は困惑し照れたように頬を赤くし、ぷっくりとした唇を開きかけ止める。程よい重さの身体はぴったりと密着し、じわじわとオレの理性を蝕んでくる。これはひどい。
もう色々と当たっている。何処が何処にとは言わないが、当たっているし当たっている。
「……真白」
「は、はい」
直前の会話内容まで吹っ飛んで、固まるオレたち。それを何とかしたくて、というか何とかしないとヤバいという感想しかないので、上にいる真白から少し顔を背けた。
「離れてもらっていいか……?」
「すっすみません!」
あわあわと狼狽えながらも3番目妹は移動しようとして、ぴたりと停止する。
『お寿司とかフライドチキンとかピザとか色々あるけどー』
『せつろピザ食べたい!』
『いいね~最高じゃん』
リビングダイニングキッチンに続くドア向こうの廊下から、聞き覚えのある少女たちの声がする。
美砂とせつろだ。せつろはともかく、友人たちと遊んでいたので遅くなるだろうと思っていたのに美砂はもう帰宅したのか。
妹たちの話声は近く、すぐにでもこの部屋に入って来るだろう。
え、不味すぎないそれ。
「……柊桃さん少し身体を上にずらしてください!」
「え!? はい」
早く真白から距離を取らなければという考えと、彼女からの指示が脳内で衝突する。
結果、体重を少し浮かせた真白に誘導され、頭の上部分にまだあった空間へとオレは全身を動かした。ソファからはみ出していた足も綺麗に収まり、正面に回り込まなければ誰かが寝ていることに気が付けないだろう。
再びオレに抱き着くように真白は身体を寄せる。さらに自身の唇に人差し指を当てて見せた。
「……っしーですよ」
子どもに言い聞かせるような仕種で、頬を赤らめながらも懸命に囁く。その表情はどう見ても焦っている。
これ混乱しすぎて勢いでやってないか真白。
だが聞くことも逃げることもできず、寝そべったまま運命の瞬間はきた。
いつの間にか閉まっていたらしいドア。それを開ける慈悲など欠片もないガチャという音が響く。
「もー電気つけっぱじゃーん。ねーちゃんに怒られるのにー」
不服げな美砂の声と共に、床を擦るスリッパの音がふたつ。何も知らない4番目妹と5番目妹が入って来ている。
ソファの背もたれのおかげでオレたちの姿は彼女たちには見えないし、こちらからも確認はできない。
「……っ」
喋るまいと真白はしっかりと口を結び、緊張したようにじっとしている。真白に触れているオレの身体も緊張も含んだ色々で強張っていた。
心音がすごくうるさい気がする。
ちょっと助けてくれ近い。女子がアホ程近い。
でも落ち着け妹だぞ、これは妹だ。妹であって、焦る必要はなくないか?
ないよな?
そもそも何でこんなことになってるんだっけ。
オレの心境はもうむちゃくちゃだ。
「ぴーざピザピザ。どれにする?」
「えっとね、ウインナーのったやつ」
「せつも好きだねえ~。ワタシも好きだけど」
ドアを開けてすぐの右横壁にはインターフォンが設置されていて、その下のラックには家庭用の電話と宅配ピザなどのチラシが置いてある。
きっとその辺りで、こっちの事情など知りもしない美砂とせつろは暢気に今晩の夕食を選んでいるんだろう。
楽しそうでいいなと、オレは半ば現実逃避するしかなかった。
「他には食べたいのあるー?」
「うーんとねぇ、まる、マルゲリータ?」
「あー、ねーちゃん喜びそう」
「だよね、やっぱり」
自分の話題をされたからか、真白の身体がびくりと震える。
少し離れていた膝下辺りが擦れるように触れ合う。ぞわりとした何とも言えない感覚に、真剣に素数を数えるべきか検討したくなった。
いや絶対落ち着けないけど。
「じゃあ半分それにして、あと言ってた明太もち?」
「てりやきチキン!」
「はーい、それもね」
順調にメニューが決まる中、早く電話して出て行ってくれと祈ることしかできない。
ピザはいいよな、うまいよな、それはわかる。
美砂たちの声に集中していないと、別のことに意識が持っていかれそうだ。
「そういえばウインナーの乗ってるピザさー、昨日ポストに入ってた広告の方が種類多かったかも」
「え、ほんと!?」
「あっちも見る?」
「見るー!」
「下に置いたままだったっけ。取りにいこっか」
「はーい!」
短い沈黙と、フローリングを歩くぱたぱたという足音。
人が遠ざかってく気配。無音になる空間。
やっと静かにしていなければならない、という縛りから解放されそうで自然と気が緩む。目の前の真白も安心したように、瞼を閉じ呼吸を整えていた。
良かった。勘違いされかねないシチュエーションを兄妹でしているところを目撃されて修羅場になるなんて未来はなかったんだ。
昨日新しいピザ広告を入れてくれた人ありがとう!
――しかし、訪れた未来はそこまで優しくなかった。
もっとしっかり音を聞いていれば、1人分の足音しかなかったことから予測できたのに。
警戒を緩めたオレたちを嘲笑うかのように、上からすっと影が射す。
オレンジに近い天井の照明を背にして、こちらを覗き込む妹の顔
「……それでぇ2人は何でリビングで、いやらしいことしてんのー?」
軽い口調と薄い笑みを浮かべてとんでもないことを聞いてきたのは、立ち去ったはずの美砂だった。
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