第34話 妹と密着はしたくない
慣れた自宅の2階リビングにて。オレは4人ぐらい余裕で座れそうなソファに腰掛け、だらだらとスマホで時間を潰していた。
帰宅してからずっと心の端から浸食する焦りに苦しめられている。
オレは真白のあまり見られたくないであろう秘密に立ち会ってしまった。
しかもその証拠をオレには関与できないタイミングで回収される場所に残している。
「はあー、帰りたい」
既に帰っているはずなのに安楽に暮らせる空間へ行きたいという矛盾。
部屋にいた方が窮屈な気がして、オレは比較的開放的なリビングルームでだらけている。妹たちは部屋にいるか外出しているかなので、しばらく安泰だ。
もっと夜になれば食事当番のせつろが来るだろうし、そうすれば誰か他の妹とかち合ってしんどい展開になることもないだろ。
2人っきりになりたくないナンバーワン妹はいつもならうらら一択だが、今日はちょっと事情が違う。
真白だ。
あの大人しそうな少女がどんなテンションでやってくるのかが未知で、読めない。普段通りの彼女でいてくれるなら、妹たちに接する優しい対応でスルーしてくれる予感もする。何だかんだで、晴丘家5姉妹の中で精神年齢は一番高いだろうしな。
手放してしまったハンカチの行方に捕らわれながら、意味もなくSNSのイミスタを開きラーメンの写真を漁っている。
そもそもこんなことになったのも、イミスタが原因だ。
オレと相互フォローの関係になった友人がお気に入りのハートを押していたラーメンがあまりにも美味そうだったのでついその店に行ってしまったのだ。常連しか入れないような雰囲気だったが、知り合いに紹介されると心理的なハードルはかなり低くなる。
確かに旨かった。文句なく旨かった。
生じたイベントが大問題だっただけだ。
イミスタの友人のページからそのラーメンの投稿に飛ぶ。ハートマークはそこまで多くないこの写真をなぜ友人はお気に入りにしたのか、答えはすぐにわかった。
「やっぱMEGIかあ」
この写真をお気に入りにしました、のメンバー一覧の中に最近よく聞く名前を発見する。
謎の女子高校生(自称)のMEGIちゃんだ。
彼女はオレの近辺で有名なだけあって地元愛がすごいらしい。近所の新店や美味しそうなデザート類にしっかりお気に入りを付けている。店のアカウントか個人のアカウントかは区別していないようで、多種多様な可愛い雑貨と食品がMEGIちゃんのお気に入り一覧に並んでいた。
芸能人というわけではないが有名人なのに分け隔てなく個人のアカウントの投稿までチェックしてフットワーク軽く足跡を残していくところが好かれている理由かもしれない。
イミスタのホーム画面に戻ってくると、いつもと違う様子に指先が止まる。通知ボタンに『2』と表示されていたのだ。誰かがオレの何かに反応したのか。
『MEGIさんがあなたにいいねをしました!』
『MEGIさんがあなたをフォローしました!』
あまりの急展開に唖然とする。
オレが昼過ぎのラーメン店で割引のために撮影した餃子の写真にハートマークが2つ増えている。提供してくれた店のアカウントとまさかのMEGIちゃんだ。
いやフットワーク軽いなとは思ったけど、こんなあっさりやってくるのか。
しかも特に面白い投稿などしていないオレのアカウントをフォローまでしている。
「え、何で……?」
オレの問いに返答するように、キッチンにある電気ポットから楽しいメロディが流れた。温かい飲み物でも飲むか、と先程水をセットしておいたのだ。
とりあえず甘いドリンクでも用意しよう。
混乱する気持ちを脇にやり、オレはスマホを近くのローテーブルに置いて立ち上がった。後ろにあるキッチンエリアに行こうと移動しかけて、ソファの横で立ち止まる。
廊下側のドアが開いていく。誰かがこのリビングダイニングキッチンに入って来ようとしていた。
嫌な予感は的中した。
肘の辺りまで伸びた美しい黒髪、派手さはなく上品に整った顔。深窓の令嬢という言葉がぴったりの丸い襟のブラウスと薄青のスカートを着用した少女。
オレにとっての3番目妹、晴丘真白が廊下に黙って立っていた。
そうだ、彼女と言えばこのお嬢様風の恰好だ。数時間前に見たキャップ姿のボーイッシュなスタイルと全く違う。
真白は切迫していると言わんばかりの表情で、ゆっくりと部屋へと入って来る。
「お、おかえり」
オレは平静を装って声を掛けた。まだ状況が判断できない。
帰宅した真白がキッチンに用事があっただけかもしれないし、オレに用があるとは限らないし。別の案件に頭を悩ませ、怖い顔をしているだけの可能性もある。
もしハンカチを見つけていたとしても、さっと流してやんわり系真白でいくつもりかも。
気まずくなる未来を否定したくて、それ以外を考え続ける。目を逸らしながらじりじりと動かした視線の先に、オレは逃げられない証拠を突き付けられた。
真白の右手に見覚えしかない黄緑色が握られている。
「……このハンカチ、柊桃さんが拾ってくれたんですか?」
暖房の利いた部屋にひやりとした声が響く。丁寧な口調の質問なのに、どこまでも冷たく排除するような声音だった。
「……ん、うーん、違」
「あのラーメン店にいましたよね」
これは逃げられないやつだ。
何事もなく日常を続けるために知らないふりをしようとしたオレを遮って追い打ちをかける。つまり真白は、オレとの関係をどうにかしようとしている。
多岐川に相談した時の『諦めて』という冷酷な一言が思い出された。
マジかこうなるのか。
「黙っててください!」
オレの微妙な態度で察したようだ。
必死な表情で、オレに詰め寄る真白。
両方のふくらはぎに軽く何かが当たる感覚がして振り返る。確認した先にあったのはソファアの横にある小さな肘掛け部分だ。無意識の内にオレは後退していたらしい。
「わかったから、落ち着け!」
「お願いですから!」
自身の要求を通すことに精一杯で、真白にこちらの声は届いていなかった。
ぐいぐいと距離は縮み、持ち上げていたオレの腕を掴んでくる。それに抵抗しようと反対の手で真白の手首を抑えて、変な組手みたいになった。
何やってんだオレたち。
「柊桃さんっ」
懇願するようにオレの名を呼んで、3番目妹は一歩近付く。
「……っう、わ」
「ひ、あッ」
できるだけ真白から離れようと上半身を後ろに反っていたせいかバランスが崩れた。
足が浮き、ソファアと接するふくらはぎ部分が支点となって、背後に綺麗に倒れていく。何故だかその瞬間をオレはスローモーションのように体感していた。ちょっと命の危機を感じたからかもしれない。いや、だってこのままだと頭が――。
ぼす、と身体を包み込む安堵。次いで勢いよく重みが伸し掛かる。
あーー、よかった。
一瞬焦りで吹っ飛んでいたが、後ろにあるのは硬いフローリングの床ではなく縦長のソファだ。ちょうどいい具合にオレの身体はデカいソファに受け止められている。お昼寝が余裕でできるサイズであることに感謝するしかない。
思考が冷静になれば、一緒に倒れてしまった真白が問題だ。
直前まで謎に腕を掴み合っていたせいで、巻き込む形で倒れてしまった。位置的にオレがクッションになったから怪我はしていないと思う。
「お、い大丈夫か?」
オレの上半身と下半身に柔らかく温かい肢体が密着している。体勢を立て直そうと真白はオレの耳の横辺りに手をついて顔を上げた。
「あ、あのっ」
驚くほどの至近距離で真白と目が合ってしまう。
彼女の艶やかな黒髪がオレの首と鎖骨の周囲に触れ、僅かな動きで肌を撫でた。真白は困ったように眉を下げ瞳は潤んでいる。
「……し、柊桃さ、ん」
先程よりも敏感に年下の少女と接している箇所を意識してしまう。
顔を真っ赤にした真白に押し倒されているという事実に、オレはようやく気が付いた。
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