第32話 妹と妹属性は出会った
焦げ茶色の木製のインテリアなどで統一された、大人向けの落ち着いた店内。中央辺りに配置されたテーブルにいたオレは、入り口や注文カウンターに背を向けて座っていた。
だから多岐川よりも反応が遅くなってしまう。
「……美砂」
「大当たり~。よくできました!」
オレの背後にいたのは晴丘家4番目妹の美砂だ。
しゅうぴ呼びされて当てられない方がおかしい。
「今日バイトじゃないからいないと思ってたんだけどなー」
美砂はテーブル横に回り込み、オレと多岐川を見下ろす。特に義兄の前に座る女子高校生に興味津々の様子だ。
「もしかしてデート中だった? この人しゅうぴの、か」
「初めまして。晴丘くんのクラスメイトの多岐川です」
にんまりとした笑みを浮かべる美砂に対して、多岐川は驚くほど冷静だった。こういう時、悪ノリとかしないタイプなのか。
小槇と行ったカフェでされた接客態度に近い。出会ったばかりの人間への丁寧な余所行きの態度だ。
「へぇ、クラスメイト」
一瞬美砂が真顔になって、直ぐにへらへらとした笑顔に戻る。
「そうだったんですか~。こんにちは多岐川さん、しゅうぴの妹の美砂です!」
「噂の妹さんですね。私たちの学校でも有名ですよ」
余計なことを多岐川が言い出した。
「え、そうなのしゅうぴ!? 知らない間にワタシ有名人!?」
「誇張して話すな多岐川。オレに妹がいるって話を同学年が知ってる程度だろ」
「なんだー。妹は美少女姉妹とか言われてんのかと思ったー」
不貞腐れたふりをして美砂がオレたちのテーブルから距離を取る。そこで、店の出入り口辺りから彼女の名前を呼ぶ声がした。いちごのスムージーの入った持ち帰り用カップを持って2人の女子が手招いている。前に美砂と一緒にいた友人らしき子たちだ。
「スムージーできたみたいだから、もう行くね!」
「それが目的だったのか」
「うん、話題になってたからねー。期間中に飲みたくてみんなと来たの」
オレがいたから声を掛けただけで、美砂に長居する気はなかったらしい。
だが友人たちに「店の外で待ってて!」と返事をして、妹は何故か多岐川へと近付いた。
「ねぇ、多岐川さん。ここのいちごのスムージー美味しいらしいんですよ飲んだことあります?」
突然店員でもないのに販促みたいなことをする美砂。あまり親しくない多岐川への話題提供のようだが雰囲気が妙だった。
何かを探るような疑うような、多岐川の奥を覗き込むように美砂はわざとしゃがんでいる。その不自然な態度に多岐川は少しだけ黙って、間を置いて口を開いた。
「……うん、知ってます。前飲んだから」
「ですよね!」
勢いよく立ち上がり、妹はスカートを直す。
美砂は多岐川の返答がわかっていたようだった。満足げにオレたちに手を振り「どうぞごゆっくり~」と別れの挨拶を済ませる。
謎の会話に困惑するオレを放置して、登場時と同じように美砂は唐突に去って行った。
妹が外へと出た後。店の壁に設置された大きな窓ガラスの向こう側で同じ歳の友人たちと合流し、美砂はいちごのスムージーを受け取っている。視界から美砂がいなくなる瞬間、わずかにこちらに目線が向けられたのは気のせいだろうか。
「元気な妹さんだね」
「……素直な感想助かるよ」
コーヒーを飲んで午後のひと時を再開した多岐川に合わせて、オレもマグカップを再度口へと運ぶ。
何だったんだあいつ。いまいちやりたかったことがはっきりしない。
「多岐川は、前に美砂と会ったことでもあるのか?」
「いやー、初対面のはずだよ?」
「だよなあ」
美砂からも多岐川からもそんな話は聞いたことがない。それにしては美砂の様子が変だったが、意味不明の妹の心情を少ない材料で量れなんて無謀な話だ。
特に4番目妹は得体の知れなさトップなのだから、ここについて考え出すと『もうやだ早く家出よ』という結論しかない。
「ところで晴丘くん、相談事に話を戻すけど」
ありがたいことに、フルーツタルトを食べながら多岐川が直前までの話題に戻してくれる。続きを聞こうとオレは頷いてマグカップをテーブルにゆっくり置いた。
「意外な一面を見てしまったその人と、関係を変えたいと思ってるの? 知ってしまった秘密を利用して親しくなりたいとか逆に関わりたくないとか」
「思ってない。できれば平穏無事でこのままでいたい」
「ほーう。なるほど」
店内に流れるジャズピアノが、多岐川の答えを待つようにのんびりと耳に届く。周りは知らない客が疎らに座っている程度だし、構ってきそうな店長は休みだし、厄介な相談を持ち込むのにこれ以上ないぐらいの場所と相手だ。
確かに多岐川には無理やり巻き込まれたが、良き回答が得られるなら文句はない。
できればオレはこの問題を帰宅する前に片付けたいからだ。
「このままでいたいのなら、見なかったことにして今まで通り接すればいい……けどそういうわけにはいかないから相談してきたんだね」
「多岐川さん! 察する能力がすごい!」
「いやぁ、わかんじゃん。何となく」
そうなんだよ、できればオレもそうしたいんだよ。
「たぶん、バレると思う。物理的にというか態度的にというか」
ラーメン屋を出る前、真白が座っていた席に黄緑色のハンカチが忘れられているのをオレは見てしまった。咄嗟に返してやろうと拾って数分経ってから、どうやってというアホな疑問が出てくる。
家で真白に会って落ちていたハンカチを渡せば確実に『何処で』という話題になる。何ならラーメン屋に置いて忘れたことを彼女は覚えている可能性が高い。
そうなればオレが他人の客のふりをして同じラーメン店にいたことが全て真白にバレてしまう。
そのままハンカチを放置しておけばあの明るい店長の人が落とし物として預かってくれていただろうに、後の祭りだ。
どうして反射みたいに持ってきたんだとオレは頭を抱える他ない。
「見なかったことにしたくても、オレが証拠を握ってんだよ……しかもずっと持ってるわけにもいかないし」
「凶器の処分に困ってる犯人みたいな言い草だね」
「近いかもしれない……」
「あらあー。大丈夫? いちご食べる?」
「……いらない」
テーブルに力なく突っ伏したオレの腕を、多岐川がちょんちょんと突く。
顔を上げれば、真面目な表情をした多岐川と視線が重なった。思っていたより近い距離で彼女の整った顔を見て、少し逃げたくなる。
「とりあえず、その証拠とやらはできるだけわからないように元に戻そうか。直接渡しちゃだめだよ」
「わからないように、か」
「相手に直接言わないことで、晴丘の思惑を察してくれるかもしれない」
多岐川は2皿分のスイーツをほぼ食べ終わっていた。最後に残っていたフルーツタルトのいちごにフォークを突き刺し、そこで動きを止める。
「もし相手もそのままでいたいなら、表面上いつも通り接してくるだろうから合わせればいい。だけど、相手の方が関係を変えたいのなら……行動するだろうね」
「……相手が行動したらオレはどうすればいいんだよ」
「諦めて」
シロップで輝く最後のいちごを食べて、多岐川はようやくフォークを手放した。ばっさりとした回答を投げられ、オレは未練がましく中身の少ないマグカップに触れる。
「諦めるしかないっすかね?」
「関係の維持は双方の努力が必要だからね。晴丘はやるだけやって、後はもう相手に任せるしかないよ」
「……はあ、わかった」
ある意味わかりきったことを多岐川に思い知らされた、とも言える。
コーヒーを飲み終わり多岐川と別れた後、オレは無事に自宅へと帰り着いた。
逡巡し迷いながらも脱衣所へとやって来ると、洗濯予定のタオルが入れられたカゴの前で立ち止まる。
そして、重なり合うタオルの下へそっと真白のハンカチを滑り込ませた。
これで忘れ物は持ち主の手元に戻る。
後は何事もなく日々が続くかどうか、それが問題だ。
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