第27話 妹と初めてのバレンタイン

 妹がいたとしてもバレンタインチョコが貰えるとは限らない。

 もし貰えたとしても、その個数をバレンタインの成果として数えるのは果たして正しいのか。世の兄たちはかなり深刻な悩みを抱えていると言っていい。


 オレはほとんど経験がないのでわからないが、母親からのチョコを指して『自分は今年1個は貰えたし』と主張しているのに近い。家族からの義理をモテとして計算してはいけないというやつだな。

 姉からチョコレートを賜るという栄誉にあずかることができた世界の弟たちは、五体投地して泣きながら幸福に浸って食べればいいと思う。そもそも姉が存在することが幸せ過ぎる奇跡なわけだし。


 オレには女神様みたいなお姉さんはいないので、家族からチョコレートを貰うなんて展開になるとしたら妹しかいない。

 欲しいという気持ちは缶のコーンスープの最後に残ったコーン一粒程も無いが、オレの気持ちを知ってか知らずか妹たちからはここ数年貰ったことがなかった。


 一番目妹小槇は、基本的にバレンタインは何もしない。むしろチョコレートを貰う日だと認識している節がある。うららもしくはクラスの友人からゲットしたチョコをバレンタインは食べて、ホワイトデーにお返しを買って贈っている。お前はそこそこモテる男子か。


 二番目妹うららは、バレンタイン前日夜はキッチンを占領する。小学生の頃はオレも綺麗にラッピングされた手作りチョコを貰ったことはあるが今はない。昨晩もキッチンを立ち入り禁止にして何やらごそごそと作っていたようだ。友達だけではなくバイト先のメンバーや先輩にも渡しているらしいから社交的チョコだろう。


 三四五番目妹たちは正直言って不明が多い。真白・美砂・せつろと出会ったのは1年以上前だが、共に暮らし始めたのは新学期直前だった。昨年の2月14日はまだ別々の家だったので当日に会っていない。だから妹チョコレート問題など発生しようがなかった。


 今朝、登校するためにいつもより早く起床したオレは、キッチンで強く甘めのチョコレートの匂いと遭遇している。まだ登校せずに残っていた小槇曰く、夜はうららがバレンタインの作業をするので朝は真白が調理器具を使うと2人で決めたらしい。

 両親が旅行に行ってから朝食は各々好き勝手食べていたが、早朝から真白がキッチンを使用していたからか味噌汁白米玉子焼き漬物という完璧和食が用意されていた。拒否する理由など無いので、オレは旨い朝食をしっかり食って学校に来た。


 だから、真白がチョコレートを手作りしていることは知っている。


 晴丘家で高校生なのはオレを含めて4人で、うららは1人だけ別の高校だ。

 つまり校内で妹に会うとすれば2択になるわけだが。


「突然呼び出しちゃってごめんなさい、しゅうに……先輩」

「何やってんだ小槇」


 照れている後輩風の喋りをしているのは、欠片も表情が動かない一番目妹の小槇だった。ちなみに声も平坦なもので、言い間違いを訂正する時でさえ平常だ。というか訂正する必要ねえし、先輩呼びの方がどう考えてもおかしい。


「ん……ほら今日バレンタインだし」

「意味がわからん」


 というかオレに妹が5人いることは、非常に愉快な事実として同学年には周知されている。小槇や真白の顔もクラスメイトは覚えているはずだ。

 だというのにオレの妹が呼んでいるではなく、後輩の可愛い女の子が呼んでいると偽ったのは中々酷い。くそう、だからにやけた顔で伝言してきたのか。


 ばっと勢いよく振り向くと、教室のドアや窓からこちらを観察していたクラスメイトたちの頭が一斉に引っ込んだ。

 唇を噛み締めて悔しがっている眼鏡の友人は別の誰かが無理やり室内に戻している。

 こつら完全にオレらを娯楽にする気だな。


「しゅ……先輩。実はわたし、先輩に大切な話があるんです」

「何でしょうか」


 謎の後輩風の演技を続ける棒読み小槇に、オレはもう投げやりに答えるしかなかった。

 早く終わらせてからあげ食って卒業式の練習行って帰りたい。


「先輩が他の女の人にもいっぱい好かれているのはわかってます」

「そんな事実は無いですけど」

「それでも……!」

「聞けよ」


 晴丘小槇は止まらない。

 小槇は時々手の平をちらちらと確認している。もしかして台詞書いてんのか?


「これわたしの気持ちです。受け取ってください」


 状況と人物さえ違えば、まるで告白みたいな言葉だった。


 小槇は軽く頭を下げて小さなコンビニのレジ袋を突き出してくる。思わず受け取った袋の中身は、100円台で買えるチョコレート菓子だった。普段は箱とかで売っているが、コンビニ用に少量になってるやつだ。


「え?」


 どうしろと?


「……じゃあ用事も終わったし、わたし教室戻るね」


 オレの困惑を受け止めることなく、踵を返して去ろうとする小槇を慌てて呼び止めた。


「待って、待ってください小槇さん! せめて説明をしろ! して!」

「ん、もういいよ? しゅう兄」

「お前は良くてもオレは良くない!」


 3年生の教室が並ぶ3階の廊下、階段近くで妹は立ち止まる。オレも彼女を追って少しだけクラスから離れる。さっきから痛みなど感じないはずの視線が背中に感じられて痛い。


 換気のために開けられた階段上の窓から清涼な空気が流れ込み、オレは呼吸によって精神に冷ややかさを幾分か取り込んだ。

 小槇相手は冷静になった方がいい。突飛なことをしまくるから。


 ぽやーとした表情のまま、小槇はゆっくりと理由を語り出した。


「高校生になって誰にもバレンタイン渡したことないなって思って」

「うん」

「このままだと人生の『バレンタインで男の子にチョコを渡して告白する(高校生編)』の実績が永遠に解除されないまま終わっちゃうし、トロフィー貰えないなって」

「ゲームの話してる?」

「ううん、人生の話してる」


 人生の話の割には、ゲーム中の行動みたいな感覚だな。


「ネトゲのギルメンにも若い時はしっかり青春しといた方がいいよってアドバイスされたから……実行した」

「何でオレなんだよ。他にも男子はいるし来年もあるだろ」

「ちゃんと受け取ってくれるのしゅう兄しか思い浮かばなかったから」


 とにかくチョコを渡すという行為がしたかったらしい。人生経験のために。

 変な意味が込められていないのは、渡されたチョコで何となく察した。


「……そりゃ受け取るぐらいはするけど」

 妹から差し出されたお菓子ぐらい素直に受け取る。もちろんうらら以外の妹だったらの話だ。実妹は危険だ。この間のチョコムースは無言の礼として食ったが、そうじゃなければ何を要求されるかわからない。


 ふと距離を詰められていた小槇に、左腕の袖をちょいと軽く引かれる。

 くせ毛のふわりとした長い髪が僅かな風で揺れていた。見上げてくる瞳は午前中の柔らかい日差しのおかげでいつも以上にきらめいていた。


「それに、初めてはしゅう兄がよかったから」

「チョコ渡す実績解除で意味深な言い方をするな」

「ほんとだよ」

「わかった、わかったから……ほら教室戻るんだろ」


 理由は聞いた。だから小槇を自分の教室へ戻らせようと左腕を引く。離れていくオレの手を少し名残惜しそうに見つめながら小槇は頷いた。


「しゅう兄は? 高校でこうやって女の子に呼び出されてチョコ渡されたこと、ある?」

 純粋に疑問に思ったから聞いた、小槇の質問はただそれだけだ。


「……ないけど」

「じゃあわたしが初めてだったんだ」


 階段を下りようと身体を反対に向けた小槇は、少し立ち止まる。


「しゅう兄の初めてもらっちゃったね」


 ふふっと柔らかく妹は微笑む。彼女にしては珍しい笑みだった。



 オレはその場で大きくため息を吐くと、くるりと逆を向き教室へと戻る。

 疲れた。小槇だけではなくオレの実績も色々と解除された。疲れた。


 俯いていた顔を少し上げると、わくわくと何かを期待するクラスメイトたちと目が合う。複数人がドアや窓から顔を覗かせ、オレはクラスの仲の良さをこの時は呪った。


「クソが!」

「おい美少女妹さんから何貰ったんだよー?」

「やったなチョコ1個だぞ!? チョコだよな? 手に持ってんのチョコだよな?」

「……うるせえ!」


 罵倒してきた眼鏡を小突き他の友人たちにもデコピンを喰らわせてやる。笑われ質問され羨まれながら、オレは席に戻って鞄にコンビニのビニール袋チョコ入りを片付けた。


 ちょっと用事があって菓子を渡されただけと周りには説明しておいたが、数日前家に招いてくれた奇跡の姉持ちで先程MEGIちゃんをやたらと推してきた友人が「もしかして妹から告白されたのか!?」と言ったせいで眼鏡が暴れて大変だった。

 すっかり冷めてしまったからあげの残りを食べながら、現実を知らない友人の口撃を受け流す。

 そうやって過ごしていれば教室に担任が戻って来て、卒業式の打ち合わせを終えて、連絡事項を伝えられる。帰宅できるようになったのは思ったよりも早かった。




 部室に寄るからだとか、教習あるからだとか、それぞれ用事がある友人たちとあっさり別れオレはひとり昇降口へと歩く。校舎と校舎の間の渡り廊下にある階段を下りれば、白い下駄箱の並ぶ生徒たち専用の出入り口だ。


 1年や2年はまだ授業が残っている時間帯なので、昇降口には帰ろうとする3年がまばらにいる。

 オレは自分の靴箱前までやって来ると、鍵を開けようとダイヤル式南京錠に手を伸ばした。


「はーるーおーかーくん!」

「うおっ!」


 直後、オレの手元に影が落ち肩を軽く叩かれる。

 ばっと顔を上げて横を見れば、クラスメイトの多岐川がにんまりと何かを企む笑みをして立っていた。

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