第22話 妹からの頼みは引き受けるな
「これと……これと、うん、よし!」
せつろが買い物カゴに入れた商品をちらりと見て、オレはスマホの画面を確認した。
事前に、うららから買う物リストは送られている。幼い妹は自分の必要な物を把握しているだろうが、念のため買い忘れが無いかチェックするように、とのことだ。
面倒見のいい姉みたいなことしてるなあいつ。
「それで全部だな?」
「うん、もうだいじょうぶ、です」
「うっし、じゃあ次行くぞ」
もちろん買い物はせつろの分だけではない。
彼女たちは一緒に買い物をする約束をしていた。つまり、うららの分もある。
ラッピングの袋や箱が置かれたエリアから、オレたちは食品が固まっているゾーンに移動する。スマホに送られた買う物リストの『あたしのやつ』と打ち込まれた文字の下にある材料を順に追いながら、同じ物をカゴに突っ込んでいく。
生クリームとかバターとかクーベ何とかチョコとか。とにかくオレが普段買わない物ばかりだ。指示されたチョコがやたらと多いのは、せつろの分も含まれているからだろう。
これで最後の材料だ、とスマホ画面を下にスワイプした指が止まる。
「な、んだ、これ」
口に出すのが難しいドゥだのヴゥだの呪文みたいな横文字と『限定チョコムース※買えるだけ』の文字。
材料ばかりだった買う物リストに何で限定チョコムースという完成品が並んでんだ。
最近はお菓子作りに既存の商品も使ったりするのか。
というかその前の謎の呪文はなんだ。噛みそう。
「……せつろ、これわかるか?」
オレの様子を隣で不思議そうに見ていたせつろに、とりあえず聞いてみる。
「へ、えと……うドゥ?」
小学生でも読める片仮名だというのに、やっぱり声に出すのも難しいようだ。
「わかんないですけど、お店屋さん、ですかねえ?」
「だよなあ……どこのメーカーだこれ……」
コンビニやスーパーの甘い物に詳しくはないし、聞いたこともない。
仕方ない検索するか、とスマホの画面を操作しようとして。
「あっちじゃないですか?」
せつろが指差した方向は、先程抜けてきたばかりの魔のバレンタイン既製品チョコエリアだった。
確かに、難解な読み方の店名が多かった。
「あっちにも材料あるのか……? いやでも、そもそもチョコムースって」
「そうえばうららちゃんが、食べたいチョコムースあるって言ってたような……?」
「…………ちょっと待ってろ」
スマホを使いその場でうららにメッセージを送る。
返信はすぐに来たので、結果いつもの言葉の応酬になった。
『お前の買う物リストの最後なんだよ』
『は? チョコムースだけど?』
『バレンタインのお菓子作りの材料だけじゃないのかよ』
『買い物としか言ってなくない? 食べたいから買ってきて』
『は?』
『は?』
『何でお前の個人的なおやつまで買ってかないといけねえんだよ』
オレの文字に対する返信は、数十秒ほど時間が経ってから来た。長文で。
『ちゃんと望む通りにお願いして先にリストも送って了承したからお金受け取ったんですよねえ? まさか今更断るとか情けないことをおっしゃるつもりですか~? え~引き受けたお使いすらまともにできないんですか~?』
スマホ叩きつけてやろうかと思った。
機械が壊れるし床も傷つくからやらねえけど。
目の前にいないはずのうららの煽り顔が見える。
『たぶん人気だろうから売り切れてたら諦めるけど、あったら買えるだけよろしく』
『了解』
短い返事だが、オレはこの『了解』を入力するのに数秒の時間を要した。奥歯を噛み締めて怒りを飲み込む時間だ。おのれ。
確かに材料だけとは言っていないし、正当な取引をしてオレはここにいる。今更やりたくないと放棄すれば、うららに変なアドバンテージを与えかねない。
捻挫をしたうららがそうであったように、兄妹バトルは弱みを見せた方が負ける。
こういう時『オレは何と戦っているんだ』と冷静になってはいけない。
バカバカしくなるから。
「……せつろの言った通りあっちみたいだから、一回会計済ませてから戻るか」
「は、はい。あのお……大丈夫、ですか?」
「ああ、すっごく元気だ」
「……ええ、はい……?」
幼い少女をオレたちのバトルに巻き込むわけにはかない。何でもない風を装って、既に買い物カゴに入っている材料の支払いを終わらせた。
せつろと2人で魔のそのまま渡せるチョコエリアへと戻ってくる。
様々な店が場所を区切って、自慢のバレンタインチョコレートを陳列している。オレたちが先程までいた手作り材料エリアより装飾が派手で、視界に入れるだけでげんなりした。
このまま闇雲に突っ込んで店を探すのもよろしくない。
そう思って辺りを見渡すと、ちょうど近くにオレの身長ぐらいのデカい会場MAPパネルが立っていた。現在地には星のマークが描かれ、どの場所にどの店があるかわかりやすい。
難点があるとすれば、店名がシンプルな書体ではなく店ごとのロゴマークで印刷されていることか。英語やフランス語の店名がオシャレのつもりで文字が歪んでいるので、うららから送られた片仮名の店名と同じものがなかなか見つからない。
ふと、オレの身体に柔らかい感触が当たる。
せつろだった。
今まで微妙な距離で買い物を続けていたが、何かに遠慮するようにオレの側に身体を寄せている。疑問に思い、せつろの横へと視線を向けると少し距離を空けて男性が立っていた。
靴から始まり、ズボンからその上のジャケットまで全て黒い。しかも長めの黒髪と邪魔そうな前髪のせいで雰囲気はとことん闇の住人だった。華やかなバレンタイン売り場においては存在が浮いているというか沈んでいる。
記憶の端にざらりと何かが引っかかった。
この人、オレのバイト先に来てたお客さんじゃなかったっけ。
闇みたいな男性はデカい会場MAPパネルを熱心に見ていた。
その手には、濃い青と白のストライプ模様の高そうな紙袋が握られている。袋には黒と金でオシャレなロゴマークが入っており――。
「あった!」
思わず出たオレの声に驚いたのか、隣にいた男性は身体をびくりとさせると慌てて人ごみへと消えて行った。
すまないお客だった人。驚かせるつもりはなかったんだ。
紙袋に印字されていたのは、うららの買う物リストにあった難しい店名と一致する文字だった。楕円のロゴマークも覚えたし、後は会場MAPから同じものを探すだけだ。
苦戦していた店探しは、ロゴマークが判明したことであっさり解決した。
オレたちがやって来た最初のエスカレーター近くに店はある。
ありがとうよく知らないお客だった闇の人。
「せつろ、入り口の辺りに店あった。そこで買い物してうららのとこ戻るぞ」
「……う、うん」
「どうした、調子悪いか?」
「……ううん大丈夫、です」
人も多いし、疲れたんだろうか。
はっきり言ってくれないことにはオレも対処できないので困るんだが、せつろが正直に全部話してくれるとは思えない。
どうしようもないなら、さっさと買い物を終わらせて家に帰って休ませるべきだろう。
「何かあれば言えよ?」
一先ずせつろにはそう声を掛け、オレたちは非道なうららの買い物指令を終わらせるべく歩き出した。
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