第21話 妹で心が洗われる時もある

 小学5年生の五番目妹、晴丘 せつろ。

 当たり前のことだが、彼女は我が家で一番小さい。加えてふんわりとしたショートカットと黒く大きな瞳が合わさることにより、どこか小動物のような愛くるしさがある。

 オレの前ではも専らぶるぶる震えているので、可愛いというより警戒している小動物感が強い。


 思い返せば、初対面からせつろは友好的ではなかった。

 顔合わせの日。姉の真白の後ろにせつろはぴったりと張り付いて、ほとんど喋っていない。人見知りかと納得しようとしたが、親父や小槇とは早くに打ち解けていた。うららとは初めのうちは微妙そうだったが、今ではこうやって買い物を約束する仲だ。真白がうららと同学年で親しくなるのが爆速だったのも多分ある。


 結局、変な隔たりを抱えたままオレとせつろは今日まで過ごしてきた。

 だから2人だけで買い物に行くなんてことは、考えもしなかったのだが。


「わあ、かわいい!」


 うららのバイト先の近くにある、デカいショッピングモール3階。エスカレーターが昇りきった瞬間目の前に広がるフロアにせつろは喜びの声を上げた。

 催事場を広々使ったバレンタイン一色の世界だ。赤やピンクのハート型のギラギラした飾りや風船で彩られ、多くの人々で賑わっている。ほぼ女性。同性が見当たらない。


「……うわあ」

 楽しそうな雰囲気は結構だが、あまりの人口密度の高さに精神がガリガリ削られる。

 オレ、今からここ行くのか? 本気で?

 漏れ出た悲鳴を何とか抑え込む。楽しそうなせつろに水を差してもあれだ。


 オレよりも前の位置にいたせつろが、エスカレーターから降りてぱたぱたと駆け出した。ショーケースに並ぶ個性豊かなチョコレートの数々にもう夢中だ。薄茶色のダッフルコートを着た少女の姿が人ごみに紛れそうになる。


「おい、せつろ!」

「ひゃッ」

「……迷子になるから、勝手に走って行くな」

「あ、……はい、すみません。……ごめんなさい」


 ヒヤリとして呼びかければ、途端に嬉しそうな様子は消失して萎れた。しおしおせつろの完成だ。オレと会話を続けると少女はよくこの状態になる。

 いやそんな顔をさせたいわけじゃないんだけどな。どうにも上手くいかない。他に妹たちがいたらオレへの罵倒が飛んできただろう。(主にうららから)


「謝らなくていいから。……えーと、この奥だっけ? 製品じゃなくて材料買うんだよな?」

「は、はい。そうです」

「買うものちゃんと覚えてるか?」

「メモ、ちゃんと、あります」


 せつろはコートのポケットから折りたたんだメモ用紙を取り出す。空やら星やら淡い色合いの絵が書いてあるメモには、購入予定の物が箇条書きされていた。


 目当ての物を手に入れるため、オレたちは会場MAPを参考にバレンタイン売り場の奥を目指す。

 3階魔の催事場の入り口付近は、こちらの目的からすればトラップだ。既に完成された見目麗しいチョコレートが、海外の有名パティシエ監修とか今年限定フレーバーだとかがモンスターのごとく誘ってくるが用はない。


 目的地はお菓子を手作りする人たちに向けて設営された、製菓コーナー。


 珍しい型とか珍しい食べれる飾りとか、普通のスーパーでは売っていないような物があるらしい。オレはせつろを常に視界に入れながら、チョコに群がる客たちを絶妙な感じで避けていく。ずーとやっていると、ゲームでシンボルエンカウントを延々と避けて秘された宝箱のある場所まで走っている気分だ。待ってるのは即装備可能の完成品じゃなくて材料だけど。


 そうゲーム的に考えても、ここは現実。

 探索して減るのは画面上のHPバーではなくオレの体力だ。


 うららに頼まれてしまったが、この話を聞いた時から「スマホで注文しろよ」と、はっきり言って思っていた。

 周辺のスーパーで買えないようなものなら、ネットで検索すればすぐに見つかるだろうし。わざわざ大勢の人間に揉まれて疲れるような思いまでして、こんなイベント会場まで買いに来なくてもいいだろ。リアルの体力が減るし、しんどいし。


 だが無事に売り場に到着して、せつろのはしゃぎようを見れば少し気は変わった。


「うわあ、すごい! きれい……どれがいいかな、どれにしよう」

 弾んだ声で、目の前のピンクや水色のカラフルな砂糖菓子を比べて迷っている。


「かわいいね、すっごくかわいい!」


 姉たち無しのオレしか傍にいない買い物なのに、せつろは珍しい表情をしている。横顔でもわかるほど目はキラキラと輝き、口角はずっと上がりっぱなしだ。楽しいという感情が溢れ出していた。


「どうしよう、迷うな。どれもみんなかわいい……あ、あっちのもいい」

「……そうだよな。実際手に取って見るのも、たまにはいいよな」

「びゃっ!」

 せつろの横にしゃがみ込んで話しかけたオレに、彼女は身体をびくりと反応させる。興奮しすぎてオレの存在を忘れていたようだ。

「あ、あう、その」

「どっちもかわいいよな。どれにするんだ?」

「え、と。迷って、ます」

「必要なら全部買ったらどうだ? うららから金は預かってるし」

 余った分はお礼と言っていたぐらいだから、多めに入っているだろうし。


「それは、ダメです。うららちゃんにも自分のおこづかいで、デコレーション用のお菓子とクッキーの型とラッピングは買うって言ってあるから……」


 せつろは何時になく真剣な表情だった。

 オレを真っすぐ見つめて、軽く瞬きをする。


「わたしから、おねえちゃんたちにいつもありがとうってお礼したいから」


 はっきりとした彼女の意思表示だった。


「へえ、偉いな。自分からそういうことしようとして」

「あ、ありがとう、ございます? で、でも全部は無理でお金たりなくて……チョコとかほかの材料とかは、家にある物とかうららちゃんが用意してくれて……だからえらくはない、と思う、です」

 だんだんと声が小さくなるせつろ。自信なげに指先を触れ合わせている。


 いや小学生の小遣いを自分のため以外に使うってかなり偉いと思うけどな。オレ小学生の時にほぼやったことねえし。

 目の前の商品棚に並ぶお菓子の型や飾りの類は合わせるとまあまあの値段はする。せつろはきっと、真面目にお小遣いを貯めたんだろう。じゃないと子どもにはすぐ買えない金額だ。


「プレゼントしようっていう気持ちが偉いなって思ったんだよ。お小遣いもこのために貯めたんだろ?」

 子どもの純粋な好意には心が洗われる気がする。うららにめんどくさいことを頼まれ、早急に人ごみから撤退したいと荒んでいたがちょっと癒された。


「2人共、喜んでくれるといいな」

「……はい!」


 せつろからオレに向けられたのは、出会ってから一番の満面の笑みだった。

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