第20話 妹にわからせる

 お互い謝罪などせず、妹に殴られたら同じだけ殴り返した翌日。

 相変わらずの学校へ行かない平日を、オレは家電や日用品をスマホで眺めながら自室で過ごしていた。

 だってほら、もうすぐ一人暮らしだし。家から持って行ける物は持って行くけど、どうしても買わないといけないものは安く済ませたいし。頻繁に買わない雑貨なんかは適当な値段すら知らない。

 家具サイトに掲載されている写真を、ぼーとしながらフリックする。

 突如、画面が切り替わった。


「うおッ!」


 ベッドで寝そべってスマホを触っていたせいで、危うく顔面に落としそうになった。布団に埋もれくぐもった着信音が鳴っている。一瞬見えた画面の相手を思うと、地獄からの怒声にも聞こえた。


 うららだ。


 スマホを拾い上げ、再度確認した電話の相手はうららだ。何度確認しても、何度二度見してもうららだ。気分がかなり盛り下がる。


 オレは迷わず着信を切った。


 数秒後、憤りを訴えるようにまたコール音が鳴り出す。


 先程よりも素早く、オレは着信を切る。

 もう一度電話が鳴る。切る。鳴る。切る。鳴る。


『いいかげんにしなさいよ!!』


 どう聞いても怒っている声で、うららの叫びがオレの部屋に響き渡った。5度目の着信で嫌々応答すればこれだ。


「間違い電話かと思って。ほらタップミスとか」

『間違いで5度もかけるか! ほんと信じらんないんだけど!!』

「うるせえな。それで何だよ」

 オレたちは電話で仲良くお話する兄妹仲ではない。


『…………頼みが、ある』


 苦渋をろ過して煮詰めました、みたいな絞り出した声だった。すっげえ嫌そう。


「はあ? 頼み?」

『バイト中に足捻っちゃって、今日せつろちゃんとの買い物行くの難しそうだから、代わりに行って』


 すぐには飲み込めない命令だった。


『こまちゃんは、用事あるらしいし……、真白ちゃんと美砂ちゃんに頼めるわけないし……あんたしか、いなくて』

「ほう」

『小学校で時間つぶしたせつろちゃんがそろそろ店来るだろうから、あんたも早く来て』

「ほう」

『で、お菓子の材料とか買った後、またこの店に戻って来て。あたしとせつろちゃんとで何事もなかったかのように帰宅してみせるから』

「ほう」

『…………さっきからずっとやってる休日午前のハトの鳴きまね相槌不快なんだけど』

「んなもんしてるわけねえだろ、バーカ!」

『じゃあさっさと来なさいよ、バーカ!』


 オレは軽く息を吸って、心を落ち着ける。

 うららは自分の立場がわかっていないようだ。


「で?」

『は?』

「お前の要求はわかったけど、じゃあもっと言い方あるだろ?」

『え、言い方って……』

「オレは卒業前の貴重な休みを、新生活に向けて準備しながら過ごしていたわけだが、そんな、オレの、無駄にしたくない、忙しすぎる時間を、どうしてほしいって?」

『ぐっ!』

「よっぽどの頼まれ方じゃないと、動く気しねーなー。オレも用事あるしなー」

『ぐぬぬぬっ』


 ぐぬぬっていう奴マジでいるんだ。

 悔しげなうららのうめき声が、スマホのスピーカー越しに響く。


 うららの言いたいことはわかった。とりあえず内容はな。

 だが、はっきり言ってオレには全く関係ない。うららとせつろで勝手に企画したことだ。昨日2人がすれ違ったのをフォローしたのは、多岐川が家まで来て巻き込まれてあそこで落ち込みまくったせつろがいたからだ。うららの高圧的な態度が無かったのが大きい。

 その件について礼も言われていないのに、次の日にこっちの事情ガン無視で要求だけ突き付けてきたのだ。あまりにもひどい。イワシの怒りが続いているせいだろうが、そもそも理不尽にナスで殴り掛かってきたのはあいつだ。


 オレはかなり苛立っていたが、それでも丁寧にうららとの会話に応じてやった。

 内容も内容だしな。

 後は対応次第で動いてやらなくもない。


「で?」

 半笑いで催促する。


「オレに、どうしてほしいって?」

『う、ぐっ』

 それしか言えねえのかこいつ。


『……お忙しい所大変恐縮ですが、代わりに買い物に行っていただけないでしょうか』

「ほーう」

『……お礼もさせていただきますので、何卒よろしくお願いし、ます』

 電話越しでもわかる、うららの屈辱的な顔。

 久しぶりに聞く実妹の遜った態度に、オレは割と満足した。これぐらいにしておいてやるか。寛大な兄に大いに感謝するがいい。


「じゃあ今からそっち行ってやるけど、態度に気を付けろよな」

『おのれ!』

「何か言ったか?」

『何でもないわよ!!』


 うららからの着信を切り、立ち上がったオレは軽く伸びをする。

 さて、出かける予定もなかったが用事ができてしまった。財布とスマホを持ち、家から必要な物を探して余っていたビニール袋に突っ込む。


 こうしてオレは、期間をほとんど空けることなくオレンジ色とチョコレート色が悪魔的な融合をした羞恥ピンチの店へと再び赴くこととなった。




「いつも晴丘うららがお世話になっております。うららの兄です」


 オレはバイト中の完全接客用外面の笑みで、可愛らしい店内の可愛らしい店員さんにこっそり声を掛ける。裏口もわからないので、正面からお邪魔して忙しくなさそうな店員さんを捕まえた。

 事情は知っていたらしく、オレが詳しく説明する前に「どうぞ!」と笑顔でバックヤードへと案内してくれた。うららと違って感じのいい店員さんで安心する。あと多岐川がいなくてよかった。


 通された事務所兼更衣室。そこでは学校の制服姿のうららが不満げに待っていた。

 PC前にあるキャスター付きの椅子でふんぞり返っている。実際は捻ったらしい足首を氷と水の入った透明な袋で冷やしているので屈み気味なのだが、うららの存在がふんぞり返っている。

 隣には眉をへにゃりと曲げたせつろが、小さなパイプ椅子の上で小さく座っていた。

 在り方が対照的な2人だ。ありがたいことに他のスタッフの姿はない。


「せつろちゃんにはもう事情説明してあるから、行ってきて。場所とか買う物とかはスマホに送ったからわかるでしょ。店長にもオッケーもらったしあたしはここで待ってるから、よろしく」

「よろしく?」

「……ぐ、っ……こちら買い物用のお金です。余った分はお礼として受け取ってください。……よろしくお願い致します、う……」

「よかろう」

「おのれ!!」


 腕を組んで見下ろしてやれば、うららは悔しそうに薄いオレンジ色の封筒を差し出してきた。中の現金がうっすらと透けて見える。

 まあいいだろう。寛大な兄に咽び泣けばいい。


「じゃあ、これ」

 お金を受け取り、オレも渡す物があったことを思い出す。家の救急箱から引っ張り出してきたやつだ。手に持っていたビニール袋をうららに押し付けた。


「……湿布?」

「手当してんのかわかんなかったし、今みたいに氷で冷やしながら帰るのは無理だろ」

 鎮痛作用のあるやつだ。家に帰るまで電車があるとはいえ多少は歩かないといけないし、無いよりはいいだろう。


「しばらくは氷で冷やしてろよ」

「……わかってるわよ」

 うららの声の鋭さが若干弱くなる。怪我してるんだから、態度も口調も大人しくしてほしい。自然と腹立つ度も下がるしな。


「……せつろ、行くか」

「あ、は、はぃ。よろしく、おねがいします」

 5番目妹は慌てて立ち上がり、ぎこちない動作で頭を下げる。

「うららちゃん、いってくるね」

「うん、気を付けてね。何かあればこいつがスマホ持ってるから、それで連絡して」

 オレを軽く指差し、うららは安心させるように笑みを浮かべて手を振った。

 オレには絶対しない顔だ。


 嬉しそうにせつろも手を振り返して、オレが入って来たのとは逆の位置にある鉄のドアから出て行こうとする。おそらく裏口で外に繋がっているのだろう。


「……お願いね」

「……おう」


 せつろを追おうとしたオレに向けられたうららの頼み。

 その声は普段に比べると随分と柔らかい気がした。

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