第14話 妹がいないと楽

 平日の昼過ぎはあまり忙しくない。

 授業真っただ中の時間なので制服姿の若者はいないし、昼休みを利用してやってくる社会人も減る。子どもなんかゼロだ。

 こげ茶の1人用ソファで読書する年配のお客様や、営業の合間に立ち寄ったサラリーマン、スマホ片手にノートを広げている大学生。数少ない店内の人々はこんな感じだ。軽食とデザートの種類も少ないので、がっつりとした食事をしていく者はいない。

 コーヒーを楽しむ、深呼吸のように短い休憩をする、オレのバイト先はそんな場所だった。


 高校3年生の冬なんてやることが終われば、ほぼ暇なのでこうして今日もバイトしている。2月はオレが希望したよりもシフトを減らされていたが、それでも月曜の人員が足りなかったらしい。忙しくもない平日のこんな時間に入れられているのは珍しいが、正当な理由で外出できるので喜んで働いている。

 働いている、といっても注文も無いし暇なので、持ち帰り用の紙袋に底の台紙を詰めるという地味なストック作りをせっせとこなす。単純作業はある種の休憩時間みたいな所がある。

 昨日は小槇によって体力も気力も消費させられたので、オレにとってのバイト時間は完全に心身の休暇と化していた。はあー楽。ピークタイムでもないので更に楽だ。

 それに土日でもないし普通なら学校にいる時間に、街中にいるというのも何だか優越感がある。風邪で学校を休んだ小学生気分に近いというか。


 カチャ、と金属が押される音がして、凍てついた風が暖かな店内に吹き込んだ。

 入り口が見えるカウンターで作業していたからわかる。新しいお客様だ。


「いらしゃいませ」


 うるさくない程度の声量で歓迎する。

 急いで手を洗って消毒してから、オレはレジカウンターの注文場所へと立った。店長は裏で事務作業中だし、他のバイトは休憩中なので対応するのはオレしかいない。


「店内でお召し上がりですか?」

「……て、う、はぃ。店内で」


 暗くぼそぼそとした喋り方で答えたのは、多分若そうな男性だった。時間帯的に中学生や高校生ではないし、あまり社会人といった雰囲気でもない。前髪がやたらと長く俯いているせいで、身長は高そうなのに顔が良く見えない。上着からズボンまで全身黒ずくめで、闇というか陰というか存在が暗い。

 だが、お客様はお客様だし、どんな人物かは関係ないのでオレは接客を続けるのみだ。


「い、いちごのスムージー、を」

「いちごのスムージーをおひとつですね。他にご注文はございますか?」

「……な、ない」

 どもりながらも男性は注文を終えて、番号札片手に空いている席と向かった。隠れるように奥の方へ移動したので、前多岐川が座っていた席辺りに行ったのだろう。


 今までバイトをしていて様々なお客様に出会っているが、このコーヒーショップでは希少なタイプだ。だが特別なわけでもなくオレの記憶に残る様な接客体験ではないと、夕方以降も仕事を続けていたのだが。


「……店長、なんか今日の注文おかしくないですか?」

「お? どうしたどうしたー?」


 18時過ぎの帰り際。オレと入れ替わるように入ったスタッフに挨拶を済ませ、更衣室兼事務室にいた店長に声を掛けた。


「すっごい、いちごのスムージー出たんすけど」

「ああ~」

 店長は何やらうんうんと頷いている。

 彼女は納得しているようだが、オレには全然わからない。昼過ぎの暗黒からやって来たみたいな男性客を皮切りに、女子大生グループに、新入社員みたいなビジネスマンに、学校帰りの女子男子高校生とやたらといちごのスムージーを注文された。特に若くて女性のお客様に多かった気がする。

 一応ここはコーヒーメインのお店で、ジュース系やスムージーも置いてあるが普段はそこまで甘いドリンクは出ない。休日にジュース系の注文がちょっと多いかなと思うぐらいだ。しかも季節は冬だし、冷たい飲み物は大人には不人気だ。

 いちごのスムージーも発売から数週間経っているが、季節限定の珍しさにちょっと頼んでみるお客さんがいるぐらいで、やっぱりコーヒーが圧倒的に人気だった。


「SNSでね、有名なJKがいるらしいんだけど、数日前に彼女に紹介されたらしいよ」

「芸能人なんですか?」

「ううん。一般の子? 全国的とかじゃなくて、地元民。この辺りで有名な謎の女子」

「はあ」

 理解できていないオレに、店専用のタブレットを取り出した店長はカラフルなアイコンをタップして噂の人物のページを表示してくれる。


 個人を象徴するプロフィール画像は、犬の形をしたイルミネーションを撮影したものだった。その写真の下には、名前らしきアルファベッドと数字が並んでいる。


「エム、イージーアイ、いちさんろくはち?」

「それIDね。下の所名前あるでしょ? メギちゃんだよ」

 確かに、megi1368の下に一本線が引かれMEGIメギと少し大きめの文字がある。こっちが名前か。

 店長が画面を下に送ると、タイルのように並べられた鮮やかな写真が流れていく。

 イミスタだ。美砂がやっているSNSだと昨日小槇から聞いたっけ。そういえばオレの働いているこの店もアカウントを持っているはずだ。店長や大学生のバイトがたまにSNS用の写真を撮っている。


「ほら、これうちのスムージー」

「おー、おしゃれっすね。こうして見ると」

 その有名な女子高生が上げてくれている写真は、温かな色合いに加工されていた。背景の机的に店内で撮影されたものだ。県内に数店舗このコーヒーショップはあるので、その内のどこかだろう。写真が気に入った時に押されるハートマークの隣には、四桁の数字が並んでいる。個人のアカウントにしては見られている数が多い。人気の女子のようだ。


「うちに来てくれたお客さんの中にいたりしてね」

「世の中案外狭いですからね」


 フロアへと出ていく店長に別れを告げて、オレは裏口から外に出る。

 太陽が沈んで寒さが増した屋外は、室内との温度差が酷かった。しかも自転車に乗って冷たさを浴びながら帰らなければならない。寒い。辛い。店内に戻りたい。


 どう考えても、いちごのスムージーが飲みたいと思える温度ではなかった。





 ● ○ ● ○





「ただいま!」

「お、おかえりなさい」


 リビングダイニングキッチンに飛び込んで来た人物のあまりの剣幕に、晴丘 真白は思わず手元の作業を止めてしまう。なんとか返事を返したものの、どすどすと怒りを込めて歩く少女に困惑する。


「どうしたの、うららちゃん?」

「ちょっと聞いてよ真白ちゃん!」


 両手にスーパーの買い物袋を大量に下げた、制服姿の晴丘 うらら。

 真白の血の繋がらない家族である彼女は、どう見ても怒り狂っていた。


「あのね、土曜にバイト行ったときにポーチ忘れちゃって、学校の帰りに取りに寄ってたんだけどさあ、あいつが! ほんと、ない!マジない最悪!!」

「う、うん?」

「先輩が、入り口レジのところに預けてるって言ってたから、ちょっとおかしいなと思ったけど正面から入ったら、あのバカの写真が! 貼ってあって!」

「あのバカ?」

「3階に住んでる、あいつ!!!」

「えーと、柊桃さん?」

「はーーーー、意味わかんないんだけど。普通あんな恥ずかしい写真置いて帰る?!? レジにいた店長に笑われるし、写真剥がして帰ろうとしたら止められるし、ほんとない! 羞恥とか気遣いとか捨ててきたの? ありえないんだけど!!」

「……よくわかんないけど、やっぱりうららちゃんと柊桃さん仲が良いよね」

「どこが!?」


 叫び怒りをぶつけながらも、うららは買い物袋から商品を出しテキパキと片付けていく。元気な彼女の様子に安心した真白は、シンクの所で水道の取っ手を降ろした。蛇口のシャワーヘッドから細い水が流れ落ちていく。


「あ、お米洗っててくれたんだ。ありがとう」

 真白が何をしているのか気が付いたうららは、激情をすっと引っ込めると笑顔でお礼を言う。同じ歳の素直な少女の感情表現を、真白は純粋に好ましいと感じていた。


「うん。ごはん、もうなかったから」

「さっすが、気が利くよねー。真白ちゃん好き」

「お米研いだぐらいで?」

「お米研いだぐらいで!」


 真白の背後にある冷蔵庫に牛乳を入れた後、隣にやって来たうららは笑って言った。さっきまで怒っていたのが嘘のようだ。


 だが、兄に対する怒りが無くなったわけではないらしい。


「そういえば今晩のごはん何にしたの?」

 両親がない今、本日の夕食はうらら担当だ。

 彼女は食事を作るつもりはなく、スーパーでお惣菜を買ってきたようだった。シンクからテーブルのある側に回り込んで、真白は立ち止まった。

 明らかにメニューに偏りがある。


「えーと、ナスの天ぷらでしょ。麻婆茄子でしょ、ナスの甘酢あんかけと、ナスと豚肉の炒め物に……浅漬けも買ったっけ、もちろんナスの」

「うららちゃん……」


 ナスはうららの好物ではあるが、とある人物の苦手な食材だ。

 食べることはできるが、あのぐにゅっとした触感が苦手であまり食べたくないと聞いてから、真白は食事を作る際配慮している。好きなうららや食べられる家族には取り分けるが、彼には別の小鉢を付けることもあった。


「高校生にもなって好き嫌いしてるのが悪いのよ!」

 うらら自身にも苦手なものはあるのに、理不尽にも彼女は堂々と言い放った。


 明日の食事当番は、真白の義兄である柊桃だ。

 今晩の食事を受け明日の食事も荒れることを察した真白は秘かにため息をついた。

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