第13話 妹より安いことが大事

 オレがいなくなることが、母親の死と結びついたのか。

 妹の吐き出した思いはあまりにネガティブだった。


 どこか鈍い感情表現をする小槇だが、心の奥で色々と考え過ぎてしまっているのかもしれない。聞いていないようで聞いているし、見ていないようでちゃんと見ている。

 オレの後ろ暗い情動は察知できなくても、生じた行動のあれこれで避けようとしていたのはバレている。


 血縁だとかそうじゃないとか今更だし。

 オレが出て行こうが、うららが出て行こうが、小槇が出て行こうが、根底は変わらない。

 オレらとの関係が切れるはずなどないのに。


「……何があっても家族」

「さすがにこの歳でこんな恥ずかしいこと定期的に言わねえからな。それで納得してくれ。頼むから」

「恥ずかしいの?」

「わざわざ当たり前のことなんで言わないといけないんだよ勘弁しろよ」

「……そうなんだ」

 小槇の口元がふにゅと歪む。ちょっと嬉しそうなのが何だか腹が立つ。


「名前なんだけど……」

「ああ?」

「前みたいに、呼んでいい?」

「……好きにすれば」

「ん」


 いつからか、『しゅうちゃん』と小槇から呼ばれるようになっていた。

 だが、妹は元の呼び方の方がよかったらしい。


「しゅうにぃ


 満足そうに、幸せそうに、兄と呼ばれる。

 兄の入った呼び名が嫌で、内心「うっ」と思っているだけのつもりだったのに、完全に気が付かれていた。だが、小槇がそうしたいならもういい。勝手にすればいい。知らん。


「しゅう兄」

「……なんだよ?」

「ん、しゅう兄」

「あ?」

 普段眠そうにぼんやりしている小槇にしては、わかりやすくニコニコしていた。というかニヤニヤか? 用事があるなら早く言ってほしい。


「しゅう兄」

「だ、か、ら、なんだよ」

「…………呼びたかった、だけ」

「バカかお前は! 後何でベル押してんだ!?」

「あっら~、ラブラブですねえ」


 多岐川だった。どうしようもなく不毛な兄呼ばれタイムに颯爽と現れたのはクラスメイト多岐川だった。正直来てほしくなかった。

 従業員呼び出しボタンを押して、僅か1秒での到着である。早すぎんだろ。


「あ、早すぎんだろとか思ったな? 近くにいたときにフロア呼び出しのランプが見えただけですう勘違いしないでくださいぃ」

「こっわ」

 オレの思考を読んだかのように、素早くやって来た言い訳をされてちょと引く。


「それで、どうされました、お客様?」

「追加の、デザートを」

「お! 注文されるんですね」


 小槇が立てかけてあったメニューを再度取り出して、下の方を指差している。オレらが食したばかりのバレンタインラブラブカップル限定ハッピーハンバーグセット(悔しいことに覚えてしまった)と同じ面に小さな写真付きでデザートが載っていた。

 ミニチョコレートパフェか、ミニフォンダンショコラか、ミニチョコレートワッフルだ。

 食後に食べるプラスメニューなだけあって全部ミニだし、バレンタインセットなせいか全部チョコだ。

 オレの満腹度でいえば、まだまだ余裕で食べられる。


「しゅう兄も、食べるよね?」

「そうだな。……じゃあオレワッフル」

 パフェはうららのことを思い出すし、フォンダンショコラはなんか濃そうだ。ワッフルなら腹に優しいだろう。

「わたしは、フォンダンショコラ」

「フォンダンショコラは、生クリームかベリィソースの2種類からお選びいただけますが、どちらがよろしいですか?」

「ええ、と」

 上に乗せるものを聞かれただけなのに、何故か小槇はスマホを操作し出す。

「……ベリィソースでお願いします」

「かしこまりました!」


 飲み物はコーヒーと紅茶どちらにするか更に聞かれた後、多岐川は空いた皿を持ってさっさと仕事へと戻って行った。現れるのも消えるのも早い。


「スマホで何確認してたんだ?」

 小槇はスマホで何か確認した後、ベリィソースを頼んでいた。

 生クリームかベリィか。妹が苺系が好きだった記憶は特にない。調べてまで注文するぐらいなのだから、今日の運勢で苺がラッキーアイテムだ、食えと言われたとか。

 いや、ないな。



「前に、うららのバイト先のフォンダンショコラはベリィソースが美味しいらしいって、美砂が言ってたな、と思って確認した」

「美味しい……らしい?」

「美砂がイミスタでフォローしてる有名な人が食べてたって」

「へえ」

 詳しくないが、イミスタは動画や写真が上げられる女子に人気のSNSだったはずだ。陽寄りの生活をしている美砂なら、やっていても不思議はない。流行りとか気にするタイプだ。

 オレの知らないところで、小槇と美砂は仲良くしているようだ。


 暫くして、デザートは無事オレたちの席へと届いた。

 やっとというか、当然というか、持ってきてくれた店員は多岐川ではなかった。いらっしゃいませから注文まで、あいつが登場し過ぎなのが変だったのでそれはいい。

 問題は小槇だ。


「ほら、しゅう兄。あーん」


 フォンダンショコラの一部にベリィソースを纏わせて、目の前の妹は一口を突き出してくる。

「ん、口あけて」

「……小槇さん。それはちょと」

「昔は、よくした」

「昔はな!?」

「家族って言った」

「言ったけど!」


 小槇のスプーンを持つ手が少し震える。


「しゅう兄、いなくなっちゃうし。これで最後だから」

「いやだから別に永遠にいなくなるわけでも……」

「はやく」

 スプーンに付着したベリィソースの雫が少しずつ動いて、落ちそうになる。

 零れる、と慌てたオレは動いていた。思わず、ぱくりとフォンダンショコラを食べてしまう。正面には喜色満面の小槇。



「ん、いい子」



 くっっそ。この妹はほんとあれだな。

 悔しさと照れと加えてカオスな感情でとんでもない表情になりかけたオレは、通路側に顔を背けた。


 ――そこには、にやりとオレを見る多岐川の姿が。


『ラブラブですねえ』


 言葉を発してはいないが、口の動きでわかった。あの野郎見ていやがった。野郎じゃないけど。


 恥ずかしさですぐにでも帰りたくなったオレは、ワッフルを爆速で食べきり、小槇が食べ終わるのを待って伝票を引っ掴んだ。

 もう帰る。こんな店嫌だ。さっさと帰ろう。


「あら~、もうお帰りですか?」

 レジでにこやかに出迎えたのは、多岐川だった。結局最初から最後までほぼ多岐川だったな。この店どうなってんだ。他にも店員はあんなにいるのに。


「か、会計早くしてくれ」

「そういえばお客様、バレンタインラブラブカップル限定ハッピーハンバーグセットのお客様ですよね?」

 伝票を受け取りながら、多岐川は軽やかにレジを打っていく。


「もしよろしければ、プレゼントしたお写真を記念に飾っていきませんか? お写真を残していただいたお客様は会計から10%OFFさせていただきます!」

「飾る?」

「はいこちらに」


 多岐川が教えてくれたのは、入り口の窓際付近に設置されたコルクボードだった。

 女子高生や女性客やカップルたまにふざけた様子の男子高校生も、手でハートを作って笑顔な写真が貼られている。周りにはピンクや赤のハートやキラキラと金色に光る紙の飾りが添えられていた。


「……10%OFF?」

「はい、10%OFFです」

「……小槇ぃ!」

「ん? どうしたの」

「写真飾ってもらう、今すぐに!」

「……ええー、持ってかえ」

「あんな呪われたアイテムここに置いていけ! しかも10%OFFだぞ! 5%OFFじゃないんだぞ!」


 晴丘家の兄妹で食べ物を買った時は、基本折半もしくは食べた分を払うのがルールである。

 オレも小槇もバイトをしているし、今日の食事代もお互い何も言っていないがいつも通り割り勘だ。誘ったのは小槇だが彼女が全額払うわけではないし、兄という立場でオレが全額払うことはない。なので、レジに表示された金額よりオレが出すお金は少ないのだが、それが更に下がる機会を逃すわけにはいかない。10%OFFだぞ。5%OFFじゃなくて。


 出会ったばかりの同級生には、3階建ての家に住んでいるし親は裕福そうだしで金持ちキャラに見られることもあるが、オレが必死にバイトして昼飯代をケチったりしていると、金持ち貧乏アルバイターキャラが定着した。

 声を大にして言いたいが、お金があるからって湯水のように使えるわけではない。

 すぐなくなるぞ、金ってやつは。


「……しかたないな」

 少ししょんぼりした様子で小槇は写真を渡している。これでよし10%OFFだ。


「ブレないなー、晴丘は」

 半笑いで多岐川はきっちり会計を安くしてくれた。




 その時、オレはこの店舗がうららのバイト先であることをすっかり忘れていた。

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