第12話 妹に知られたくない話
「……ッ」
「お、おい小槇?」
まずい。よくわからんが、小槇の癪に障ったらしい。
オレは、こんな場所でどんなスイッチを押してしまったのか不明のまま、妹が泣く姿を見なければならないのかと、覚悟する。
ただ目玉焼きをうっかり置いてしまっただけだろ。何なら好きだろ、お前。
無理やり飯に誘われてどうしてオレばっかり、と悪態をつきたくなった時だった。
「……ありがと」
気のせいか。
一瞬潤んだように錯覚した小槇の瞳は、優し気に細められていた。
嬉しそう、だ。
「いただき、ます」
「あ、うん。……いただきます」
食事前の挨拶をする小槇につい習って、オレも口にしてしまう。高級コース料理とうわけでもないので、順番など関係なくオレも小槇もハンバーグにまず手を付ける。
2枚重なったようになっている目玉焼きに妹がナイフを入れると、とろりと黄身が皿に広がる。小さく食べやすいサイズにハンバーグを切って、ソースと玉子を絡めて彼女は口に運んでいる。小槇の食事シーンをじっくり観察しても腹は膨れないので、オレもハート形のハンバーグを切り分けて食べた。
肉の旨味とソースの甘さが口の中にじんわり広がる。
手作りとはまた違う、店の味だ。家庭っぽさより商品感の強い風味に、昔ファミリーレストランで食べたハンバーグを思い出す。別の店のはずなのに、味が近い。
香りのせいなのか、まだ小槇の母親が生きていた頃の食事風景が頭に浮かんだ。
美味しかったし、楽しかった。妹たちは今よりめんどくさくなかったし、オレも窮屈さを感じる生活を送っていなかった。
「おいしい、ね」
「そだな」
小槇の味の感想にも、素直に同意する。よかった。
結局何でもなかったし、目的のハンバーグは一番上妹の好みに合ったらしい。
特におしゃべりが多いわけでもないオレたちは、静かにバレンタインの限定セットを味わった。スープもパンも悪くない。冬の店先で待たされ、冷えていた身体には室内の暖房だけでは足りない。温かい食事のおかげで、ようやく落ち着きを取り戻せる。
「しゅうちゃん。今日は付き合ってくれて、ありがとう」
「……どういたしまして。もう、あんな誘い方するなよ」
皿が空になるタイミングで、小槇にぽつりとお礼をつぶやかれた。終わってしまったからもういいが、今回の出来事は取っ掛かりから波乱がありすぎた。
「あんな誘い方?」
「いきなり風呂場に押しかけて来たことだよ……」
「あそこなら、逃げられないと思ったから」
「逃げるって……もっと普通の場所でいいだろ」
「…………逃げるくせに」
小声だったが、彼女の声はしっかりオレに届いた。
失礼な。いくら妹とはいえ、通常通りの会話ならさすがに応じる。
たぶん、おそらく逃げないはずだ。
「また、誘ったら、ごはん一緒に食べてくれる?」
「うー、んまあ、その時暇、……だったら?」
「今度はうららも一緒に」
「それは嫌」
というか、そもそも少人数しかもオレがいる状況でうららが飯の誘いに来るとは思えない。母親か父親がいて新しい妹たちも複数いて何とか話さない状況で、オレたちは同じ卓を囲めているのだ。小槇とうららとオレ? 無理無理、昔ならともかく今は無理。
「不満そうにしてもダメだからな」
むうとあからさまに不機嫌な顔をした小槇だが、受け入れるつもりはない。
「しゅうちゃんは、」
何かを聞こうとして、彼女は一度唇を閉じた。思考を巡らせる間が開く。幼い頃からだが、小槇と話すときは割と忍耐が必要だ。
「わたしたちと、いるの嫌? ……だから、大学も遠くに行くの?」
「兄妹でずっとべったりしてるのも変だろ。それに大学進学だってオレ以外にも地元出る奴はいっぱいいるし」
さすがに「そうです妹めんどくさいから出ていきます」と小槇の前ではっきりとは言い辛い。言葉にしてしまうことで拗れる問題もある。
「……もう、大学行ったら帰ってこない?」
「はあ? そりゃ県外だし、なかなか帰っては来れないだろうけど」
入ってみないと不明だが、長期休暇の時じゃないともちろん実家には戻れないだろう。正直友人たちに会う予定でもなければ、あまり地元に戻りたいとも思わない。休みに帰るということは、学校に行っている妹たちも休みだろうし、家で過ごせば心休まらない日々が続いてしまう。
「……家族と離れて寂しくない?」
「あーちょとだけ?」
「ほんとに? 毎日毎日会えなくなるのに?」
「あのな、ガキじゃないんだからさ。何も一生会えなくなるわけじゃないんだぞ」
子どもみたいな聞きようだった。まあ落ち着けと言いたい。
離れた所で、この世が終わるわけじゃないんだし。
「わたしは……わたしは、すごく……のに」
細い砕けそうな、声だった。
「小槇」
「わたしのこと、……もういらない?」
「なんだよ、それ」
高校を卒業したら県外に進学する兄に掛けるには、重すぎる質問だった。
どうしてそうなる。
「中学ぐらいから、なんか、変だった。そんなに遊んでくれなくなったし、話しかけてもすぐにどこか行くし、い、嫌そうな顔よく、するし……」
とても苦しそうなのに、止められない様子だった。小槇にしては、長く長く喋ってる。
彼女がここまで自分の気持ちを話しているのを聞くのは、初めてかもしれない。
「ほんとうの、兄妹じゃないから? もう飽きちゃった? 妹はもういいなら、恋人でもいいし奥さんでもいいから、しゅうちゃんの何かでいさせて。家族でいられないのは、耐えられない。だから、だから……」
「はあ!?」
絶望してますもうダメですみたいな顔で訴えてくる小槇に絶句する。
家出るだけで大げさすぎる。
だが、思いだした。忘れてはいなかったけど、日常では心の隅に置いていた。
ああそうか。小槇は一度死ぬほど寂しい思いをしたんだった。
「別に一人暮らしするからって、家族じゃなくなるわけないだろ」
「だって」
「泣きそうな顔すんな。ちょっと勉強しに行くだけだ」
「呼んでも返事するの嫌そうだったし、わたしといるとすぐどっか行こうとするし……」
「たまたまだ! そんな365日ご機嫌でいるわけじゃないんだから、ちょっと機嫌悪い時だってあるだろ! それにほら、今日は一緒に飯食いに来てるし!」
「目も合わせてくんない……」
「はい、合わせた、今合わせました! 元気出せ」
半ばやけくそに小槇の言葉を否定する。
確かに妹と関わるのは年々めんどくさくなっているが、絶望の底に叩き落したいわけではない。鬼畜じゃないんだから。
それに、これは小槇には言えないことだが。
遠ざかったのは、家族だからというのもある。
自覚したのは小槇が中学生になった頃だろうか。
小学生時代が過ぎ去って、オレも小槇たちもずいぶんと成長した。特に女子の成長期の方が早い。あまり差の無かった体格も差ができてくる。
ある日、午後から雨が降り出して、急いで帰宅したオレは玄関先でずぶ濡れの小槇と出くわした。夏服の薄いシャツが彼女の素肌に張り付き、うっすらと下着が透けている。傘を忘れたことをお揃いだねと嬉しそうに言う小槇に、オレは変な気分になったことを覚えている。
まずい。これは大分まずい。一瞬だが妹相手にドキッとしてしまった。
意識してしまうとダメだ。血が繋がっていないという事実にも苦しめられる。
オレは、小槇にずっと家族でいると約束した。
もし、そんな風にちょっとでも見てしまったことがバレたら、呆れられるんじゃないだろうか。
がっかりされるかもしれない。気持ち悪いと思われるかもしれない。
だから絶対、これ以上、変な感情を抱いてはいけない。
家族でいる、兄でいる、だからこそ離れたい。近くにはいたくない。
と、そんな昔を記憶の深海に沈めているのだ。
今妹たちのめんどくささに苦しみながらも何とか生活できているのは、微妙に距離があるからだ。文句はあるのにある種の満足感はある。まあ嫌だから家出たいんだけど。
だが、約束を忘れてはない。
「心配するな。これから先何があっても家族だって言っただろ」
ああ、本当に。どうしようもないな、家族って。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。