第8話 妹の彼氏にはなりたくない

 高校2年生の一番上妹、晴丘 小槇。

 彼女と出会ったのは、小学生の時だった。優し気で儚い印象だった新しい母親と、その後ろに隠れる年下の女の子。探る様な眼差しの少女に、安心してもらおうと微笑みかけたのを覚えている。

 家族が増えるなら仲良くしようと、オレとうららはお互い心に決めていた。

 兄妹でいるのなら、仲良くしたい。寂しい思いなんてさせたくない。


『オレ、しゅうと。で、こっちが』

『うらら。あたしのほうが年下だから、あなたがお姉ちゃんね! よろしく』

『……こまき、です。よろしく』

 元気いっぱいに差し出したうららの手を、恐る恐る小槇は握り返した。そんなオレらの様子を両親が嬉しそうに眺めている。そんな初対面だった。




 時は流れ、妹が増え、オレは何故かオレンジを基調とした女子が好きそうな可愛らしい装飾塗れのデザート中心のカフェの前に立たされている。


「小槇がオレと来たかったのって、まさかこの店なのか……」

「ん。そう。帰っちゃだめだよ」


 妹と風呂場イベントをこなした翌日。場所を知らされず、とにかく付いて来いと時間だけ言われ小槇と共にやって来たのがここだった。お昼には早い11時頃なのに店の前には数人の少女たちが並んでいる。

 オレが働いているコーヒーショップは仕事の合間に立ち寄る社会人が主な客層で、学生も来るには来るがあまり多くない。小槇に連れられて来たこの店は、外に設置されたメニューボードを見ればコーヒーなどの飲み物にも力を入れていることはわかるが、雰囲気はオレのバイト先とかけ離れていた。店先は生地が焼ける甘い匂いがするし、外壁はオレンジとチョコレート色の甘い飾りしかないし、取り囲むのは甘い服装の女子しかいない。


 店名を見て、店内を動き回る店員の服装を見て、オレはとある結論にたどり着いた。


「……まさかここ、うららのバイト先か?」

 薄いオレンジの可愛らしいシャツと、やたらとハートの飾りが多いチョコレート色のエプロン。家の洗濯干し場でたまに吊られているやつだ。印象的な服は窓の外に視線を向ければ記憶には良く残る。それに一緒に住んでいれば、店名までは知らなくてもカフェでうららがバイトしていると知っていた。さらにうららの通う高校からも、この店は近い。


「やっぱりオレ帰」

「うららは今日お休み。だから帰っちゃだめだよ」

 小槇にしっかり袖を掴まれ、逃走を阻止される。


「昨日、一緒にお出かけしてくれるって、約束した」

「……しましたね」

 とにかく脱衣所から出て行ってほしい一心で昨日のオレは頷いている。間違いはない。

 あまり表情の変わらない小槇の顔に僅かに影が差す。不安を押し殺すような、昔よく見た幼い彼女の面影が重なった。


「あー、帰らない。帰らないから」

「ん、よかった」

 ほっとしたように小槇からの拘束が緩む。

 彼女の安心した様子に何故だかオレの方が安堵していた。


 小槇とこうして長時間共に過ごすのは久しぶりだ。まず一対一で出かけることがない。ここ数年は生活の上で必要な会話をして、たまに変な質問をされて、近いんだか遠いんだかよくわからない距離感を維持している。

 兄妹仲良くしようと、純粋に隣にいたのは遥か昔だ。子どもだったから遠慮なく接していたが、まあ歳を取ればお互い色々思うことはあるだろう。結果、ご覧の有様だ。


 表情に出にくいことに加え、ほとんど感情を口にしないので、年々小槇のわけのわからなさは増している。

 だからたまに、気持ちが見えた時は謎の安心を覚えるのだが、何でオレが気を遣わなくちゃいけないんだよという空しい怒りも覚える。

 いや、でも別にうららの態度に比べれば全然ましだ。めんどくさいと叫びたくはなるが、喧嘩をする程ではない。


 女子だらけの待機列で肩身の狭い思いをしながら黙っていると、予想よりも早くウェイティングリストに書かれた名前を呼ばれた。

「一緒に飯食うだけでいいんだな?」

「ん。だから帰っちゃだめだよ」

 小槇のお願いは簡単だ。一緒に外出して食事してほしい、何を食べるかは自分が決める、ただそれだけ。


「もうここまで来て帰らねえよ。……家でも一緒に飯食えるのにわざわざ外なのは意味わからんけど」

「……外がよかったから」

「いらっしゃいませこんにちは!」


 店内に入り、席まで案内してくれるらしい店員の傍までやってきて、オレは「帰らない」と言ったばかりの言葉を撤回したくなった。


「晴丘、です」

「2名でお待ちの晴丘様ですね! ご案内させていただきます!」

 名乗る小槇に、笑顔で返す店員、硬直するオレ。

 カフェ特有の制服に身を包み立っていたのは、どう見てもクラスメイトの多岐川だった。


「た、た、たき」

「どうなさいました? 昨日の客様の言葉を真似るなら『なんだよ、ストーカーかよ』とご質問した方がよろしいですか?」

「すみません、偶然です。かなりマジで偶然に来ました」

「あらあ、そうなんですねー」

「すみません。今すぐ帰りま」

「しゅうちゃん、ここまで来て帰らないってさっき言った」

「こちらへどうぞー」


 普段なら使わないであろう敬語で、にこにことメニューを持って歩き出す多岐川。

 濃いめの茶色いリボンで髪の一部を纏め、可愛いの度合いが高い店の制服を彼女は完璧に着こなしている。学校とは違う昨日の私服とも違う雰囲気に、良く分からない戸惑いが生まれる。

 そんなオレを現実に引き戻したのは小槇だった。多岐川に付いて行く小槇に服を掴まれ、オレも重い足を引きずりながら店内を突き進む。


 外観のイメージと変わらない、可愛いと甘そうに溢れた店内でどう考えてもオレは思いっきり浮いていた。たぶん、きっと気のせいだが、座ってデザートを食べている女性たちにちらりと見られてはくすりと笑われる。おそらく、気のせいに違いないが。


 奥の方にあるソファア席に案内され、通常メニューと季節限定メニューを目の前に綺麗に並べられる。

 普段の気安い多岐川と違って、わりとしっかりした接客態度だった。途中までは。


「お水はセルフサービスで、店内中央のドリンクコーナーにございます。ご注文がお決まりでしたら、テーブルのベルでお呼びください」

「ありがとう、ございます」

 お礼を言って、小槇はもう季節限定メニューを開いている。

「バレンタイン限定の、ん……えっとハンバーグ」

「お食事メニューの方ですね」

 多岐川は「失礼します」と一言断ると、小槇の手にあるメニュー表を閉じて裏面へとひっくり返した。デザートではなくピザやパスタなどの写真が並んでいる。

 今回食べたいものは小槇自身が決めたいとあらかじめ伝えられていたので、対面に座るオレは見守るだけだ。一応付き合いは長い妹なので、オレの好き嫌いは把握されている。嫌がらせで変な物を頼むタイプではないので、特に不安はなかったのだが。


「この、バレンタインラブラブカップル限定ハッピーハンバーグセットください」

「待て待て待て」

「まあ! カップル限定メニューですね素敵です!」

「おいおいおいおい」


 とんでもないものを頼みだした小槇に、笑顔を崩さない多岐川。


「違いますカップルじゃないです」

「こらこらダメですよお客様。男同士でも女同士でも年齢差があっても、2人で来店されて、カップルということにすれば誰でも食べられる自由なメニューなんですから、言い切ってもらわないと」

「それただの2人用セットでいいだろ!?」

「この人兄だけど彼氏だった気もする、問題ない?」

「小槇!!」

「問題ないですよお客様! お似合いですー」

「多岐川!!」

「はいはい、いいから晴丘早くポーズして」


 エプロンのポケットからオレンジ色のカメラを取り出して、多岐川はこちらにレンズを向ける。


「は!?」

「しゅうちゃん、右手出して」

「え」

「ハイタッチする感じで手開いて、軽く指曲げて」

「え」

「ん。できた」

「はい、ありがとうござますー。ラブラブぅカップルー!」


 小槇は左手でオレと同じ形を作り、オレの手と引っ付ける。瞬間にバカみたいな掛け声と共にカメラのシャッターを押す音がした。オレの理解が及ばないまま、事態だけが勝手に過ぎていく。


「お写真は、お料理と一緒にお待ちしますね!」


 見事な接客用笑顔で、多岐川は店の厨房らしき場所へと帰ってしまう。


「一体どういうことだ……」

 オレの質問に答えてくれたのは、全く動じていない妹だった。



「このセットね、2人の手でハートマーク作らないと、注文できないの」

「何だその地獄みたいなメニュー」

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