第7話 妹よ風呂イベントを起こすな

 バイトを終え、多岐川と美砂によって疲労させられて帰った晩。

 夕食の担当は小槇でメニューは謎の野菜炒めだった。学校の用事があるからと適当な理由を付け(実際はソシャゲの季節イベント)、部屋に引っ込んでひとりで食べる。食器は深夜にでも片付ければいい。

 小槇には、一緒に食べないのかと珍しく何度も確認された。あんまり顔を出さないのも感じが悪いので真白たちや新しい母に配慮して時々食卓を囲むが、昨日食べたのだしもういいだろう。一番気を遣っている現在の母親もいないし、少しは在り方を緩めたくもなる。


 日によって変わる風呂の順だが、本日はオレが最後だった。家事をしていた真白に頼まれたらしく一番下の妹せつろがおどおどしながら呼びに来た。特に怖がらせた記憶は今までないのだが、一対一になると幼い彼女は緊張した様子でいつも俯いている。

 こんな風だから、オレは自然と距離をとることになる。だって、下手に踏み込んで泣かれたら、他の妹たち(特にうらら)に何を言われるかわからない。敵意をわかりやすく見せない、真白と美砂姉妹からの心象もさらに悪くなるしかない。


 よくやってるよな、と改めてオレは鏡の中のオレを見つめて頷いた。

 偉い、偉いぞオレ。現実の甘味の無い女子たちとの同居によく耐えてる。本当に偉い。適当に自分を労わって、自身の地味な顔を見続けるようなキツい趣味もないので大きな鏡のついた洗面台から移動し、近くのチェストの上に着替えを乗せる。

 誰もいない脱衣所は、オレの部屋と同じく肩の力を抜きやすい場所だった。後は風呂に入って湯でも浴びれば、妹による疲れを忘れ幾分か癒しは得られる。


 いつものように服を脱いで専用のカゴに投げ込み、暖房の利いた部屋で全裸になる。

 この時のオレはひとりっきりという視界の事実に満足し、周囲への警戒を怠っていた。


 本当に相当に油断しまくっていた。

 当たり前なのだが、この家には妹が住んでいる。つまり戦場なのだから、隙を見せて生き残れるはずがない。



「しゅうちゃん」

「がああ、ぁあああ!?」



 風呂場のドアとは反対の、廊下と通じている脱衣所の引き戸が静かに開いた。

 そこに立っていたのは――晴丘 小槇。一番上の血の繋がっていない妹だ。


 オレは奇声を発しながら、着替え近くに掛けてあったバスタオルを引っ掴んで下半身を隠した。なんで。ちょっと待ってくれ。


「ば、だ、はあ!?」

「大丈夫? しゅうちゃん?」

「んなわけないだろ!? 早く閉めろよ!」

「ああ、ん。寒いよね」


 納得したように小槇は一歩踏み出し脱衣所のドアを閉める。

 ――彼女自身はオレと同じ空間に滞在したまま、だ。風呂場前のあまり広くないスペースで一歳年下の妹とふたりっきりで対面する。いやいやいや、おかしいだろ。


「何で入って来るんだよ!? 正気か? え、もしかしてオレ使用中のやつ出してなかった!?」

「……いると思ったから」

「知ってて入ったのぉ!?」

 動揺から声が裏返るし、言動も変になる。

「小槇がオレの立場なら嫌だろ!? 人にされたら嫌なことはしちゃいけませんって教わったよな!?」

「ん、んー。わたしは別に。しゅうちゃんに見られても嫌じゃないけど」

「嫌がれよお!!!」


 無表情で小首を傾げる小槇には何も響いていないらしい。羞恥心はないのか、とツッコみたくなるほど彼女は淡々としている。庭先の小鳥をぼんやり眺めているような穏やかさだ。突然台風の中にぶっ込まれた心境のオレとは全く違う。

 慌てふためき叫ぶのが馬鹿らしくなってくるし、騒ぎすぎて誰かがやって来ても困る。追加で妹が増えた様を想像し、オレは血の気が引いた。


「……それで、どうしたんですか小槇さん。早く出てってくれ」

「ん。用事あるの。聞いてほしい」

「よりによって今……? 早く出てってくれ」

「明日もバイト、あるの?」

「ないけどそれ今聞くことじゃなよな……? 早く出てってくれ」

「……じゃあ、一緒にお出かけして」

「わかったから早く出てってくれ」

「ほんと?」


 小槇の聞き返しに、ようやく意味を咀嚼する。

 問題の箇所にタオルを当てたまま、オレは彼女から少しでも離れようとじりじりと後退していた。叫んだ後は視線も床に落とし、とにかく面倒ごとよ過ぎ去れと雑に小槇に返事をしていたのは不味かったかもしれない。


 彼女からのお願いを詳しく聞く前に承諾してしまった。


「うれしい」

「お、おい!」


 せっかく空けた距離があっさり小槇によって詰められる。

 タオルを掴んでいるオレの腕に彼女の細い指が添えられる。するりと撫でるように力を入れられて思わず顔を上げると、上目遣いの小槇としっかり視線が合った。

『もっと色んなところ見てほしいな――例えば、妹さんとか』

 脳裏に過ったのは、多岐川の呪いの言葉だった。


 どこか眠そうなとろんとした瞳。腰近くまで伸びた髪はくせ毛でふわふわとしていて、掴み処の無い小槇のイメージと調和している。

 彼女はオレよりも先に風呂を終わらせているため、リラックスモードと言えるパステルカラーのもこもこした部屋着を着用している。愛らしい雰囲気から、小槇が選んだというよりうららの趣味を激しく感じた。小槇はあまり服装に頓着しないタイプなので、ダボっとした大きめのサイズの服を男物や女物を気にせず着ていることが多い。だからこれは、うららから言われて選んだかプレゼントされた物なのだろう。いや、というか問題はそこじゃない。


「しゅうちゃん」


 小槇が身体を寄せるせいで、嫌でも押し上げられた胸元が目に入る。パーカータイプの上着は、少しファスナーが下げられ豊満な谷間がくっきり見えた。

 最悪だ。今更だが、前々から知っていて考えないようにしていたが。

 小槇は妹五人衆の中で一番胸がでかい。今それ思い出したくなかった。


 これ以上、オレは逃げられない。

 近寄る妹に触れて引き離すこともできない。というか全裸のオレが行動して事態が悪化する可能性もある。勘弁してくれ。


 オレが変な汗をかきそうになる寸前で、すっと小槇は身を引いた。


「そっか。お風呂、途中……」

「ようやくお気付きになられましたか……早く出てってくれ……」

「ん、わかった」

「……びっくりするほど急に聞き分けがいい……」


 言いたいことを言って、やりたいことをやって、満足したらしい小槇はあっさりと脱衣所から立ち去った。ドアを閉める直前に「詳しいことはスマホに送るね」とだけ告げられる。




 その昔、友人たちとの会話が蘇る。


『あれだろ~、裸の義妹と風呂場でばったりイベントとかあるんだろ~』

『お兄ちゃんのバカ! ヘンタイ! 早く出てって! とか罵られるんだろ~』

『くっそうらやましい滅びろよ』


 あるわけねえよ、と軽く殴り合いの喧嘩になりかけた。夢を見てもいいことはないし、そういった関係に発展することを妄想するのは――胃がねじ切れそうなので止めるとして。


「……確かに風呂場でばったりイベント……?」


 ようやくそれらしいものを体験したが、裸なのはオレだったし、出てってと繰り返したのもオレだった。思っていたのと違う。


 感想としては、あれだ。


「もう二度と体験したくねえ……」

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