必要なもの(1)
―彼女・天音咲さんのことを好きになったのは幼稚園の入園式だった。母親に手を引かれ、遠慮気味に歩いていた彼女の姿を今でも鮮明に思い出せる。満開の桜の下。僕は一目惚れをし、以来、今日までずっと彼女を好きでいる―
放課後の教室で、僕は自身の恋について初めて人に打ち明けた。
「えっと、それだけ?」
僕の話を聞いた海斗はポカンと口を開けている。グラウンドの方からカアン、と金属バットの心地いい音がした。
「そうだけど……」
僕はおずおずと、俯きながらそう言った。海斗の言いたいことはこの時点で理解できた。
「何かその、道中のエピソードとかはないのか?」
「……ない」
「俺たち今何歳だっけ?」
「……17です」
「だよな! 幼稚園の頃に好きになって、それ以降のエピソード何もなしかよ!」
「だって話しかけられないし……」
僕は身体を縮める。叱られているような気分だ。
「いや、それにしても10年以上あっただろ!」
勢いよくツッコミを入れてくる海斗は、高校に入って初めてできた友達だ。理由は席が隣同士だったからというだけで、僕とは似ても似つかない。性格は優しく顔も良い。勉強もスポーツも優秀で、当然モテる。中学の時から付き合っている彼女がいて、お互いにミスコンに選ばれる美男美女カップルで周囲からは羨望の眼差しを向けられている。地味な僕とは大違いの、学校の誰もが知っているアイドル的存在だ。僕らのグループでは『恋愛に関しては海斗に聞け』というのが常識となっていて、彼の元を訪れる男子は後を絶たない。そんな他者の恋愛も聞きまくってきた海斗が、僕の恋愛話に狼狽していた。
海斗は自身を落ち着かせるように、あるいは脳内を整理するようにこめかみの辺りを抑えた。
「あ、あれか? 幼稚園の頃に一目惚れして、だけど小中学校は別々になって、最近再会したとかそんな感じか?」
海斗は必死に、現状に納得できる理由を模索しているようだった。
「いや、小中もずっと一緒だけど」
「……そうか……。まあ、優太らしいっちゃらしいけどさ」
海斗は何かを諦めたように椅子にもたれた。
「でもあれだよ。中学二年の時同じクラスの同じ班になったんだ」
「ほお。それなら一回くらい話したりしたとかあったんじゃないか?」
その時は六人で一つの班だった。席替えでたまたま斜め後ろが天音さんになって、同じ班になった。しかし。
「一言も話さなかった」
「なんでだよ! 逆に難しいだろ!」
「いや……」
班での話し合いというのは多々あった。HRでも授業でも。その度に机をくっつけ話し合っていたのだが。
『天音さんはこの問題、どう思う?』と他の班員。
『うーん。④だと思う』と天音さん。
『優太は?』と班員が僕に意見を求める。これは、間接的にとはいえ天音さんと話しているのでは? と考える。……そうなるともうダメだった。
『……僕も④だと思う。って、天音さんに伝えて』
『僕も④だと思う、だって』
「他の班員を経由して話してたのか」
海斗は今度は額を抑えた。相談するにあたって、頭痛薬でも用意しておけばよかっただろうか。……自分で今思い出しても不自然極まりない。あの時少しでも話しておけば、と夜な夜な後悔するときがある。
「自分でも変なのは分かってるよ。でも、話しかけようとしても緊張して、どうしていいか分からないんだ」
「まあ、気持ちは分からないでもないけどさ……。それだけ好きってことかもしれないしな」
海斗の言葉で少し心が落ち着く。こういうところがモテる要因なのかもしれない、と思う。
「で、そんなシャイな優太が何の相談?」
「それは……」
言葉にするのも恥ずかしい。だけど、言わなければ伝わらない。
「その、こ、告白をしようと思って」
「おお! それはいいことだ。そんなに好きなら想いは伝えるべきだ」
海斗はようやく普通の展開が来た! とばかりにテンションを上げる。
「だ、だよね」
やめておけ、と言われなかったことにひとまずほっとする。
「でも、何で急に? ずっと好きだったけど言わなかったんだろ?」
「それは……」
数日前の下校中だった。天音さんのいるF組の男子が前を歩いていて、偶然彼女のことを話しているのを聞いてしまったのだ。
「天音さんマジで美人だよな」
「それな。でも告白とか全部断ってるらしいぜ」
「マジ? なんで」
「さあ。好きな人でもいるんじゃね」
……全身の血の気が引いていくのが分かった。そして同時に、彼女に想いを伝えないまま終わるなんて嫌だと思ったのだ。
「なるほどな。まあ、天音さんってすごい美人だからな」
「だ、だよね!」
昔から好きだった自分としては彼女の可愛さに周囲が気付くのは嬉しさもある。だけど。
「彼氏ができたら告白することすらできなくなるかもしれない」
「そうだな。するなら早めにした方がいい。……もう手遅れかもしれないけど」
からかう様な表情で海斗がそう言う。
「うっ……」
嫌な想像が脳内に溢れる。
『僕、天音さんのこと』
今まさに告白しようという時に『おーい、咲―』と男の声がする。そして現れるイケメン(脳内では海斗になっていた)。
『あ、ごめんね。彼氏と遊びに行くから。じゃあね』
そう言って彼女は海斗の腕に自らの腕を絡めて去って行く。その後ろ姿を見て僕は膝から崩れ落ちた。
「海斗! お前だったのか!」
僕は椅子から立ち上がり、海斗に怒りをぶつける。
「何がだよ!?」
海斗が驚いたように言って、今の悲劇は自分の妄想だったと我に返った。ごめん、何でもないと謝罪する。
「冗談言って悪かったよ。……で、とにかく告白をしたいと。それで俺に聞きたいことっていうのは? 告白の仕方?」
「そうなんだ。告白なんてしたことないから」
されたこともない。僕にとっては告白なんてフィクションの世界のもののように縁遠く感じる。
「うーん、それよく聞かれるんだけど告白にやり方なんてあるかな。ただ二人の時に気持ちを伝えればいいだけじゃないか?」
「……海斗はモテるからそうかもしれないけど」
「モテてもモテなくても変わらないよ。自分の想いを相手に伝える。それが告白だろ」
「想いを伝える、か」
自分の抱いている想いについて考えてみる。しかし、無難な言葉しか浮かんでこない。
「いいか、優太。告白っていうのは答え合わせなんだよ」
「どういうこと?」
海斗の言葉の意味が分からず首を傾げる。
「告白のやり方で結果はほとんど変わらない。それまでに付き合いたいと相手に思わせたかどうかでしか結果は変わらないってこと」
「うーん?」
分かったような分からないような。海斗は僕の様子を見て数秒思案した。
「例えば、だ。テストがあるだろ? テストで結果を出すのに重要なのはテスト前の過ごし方とテスト中の過ごし方。どっちだと思う?」
「それはテスト前だよね?」
「そう。テスト前に勉強しなかった箇所はいくらテスト中に頑張っても解けない。それと一緒なんだ。告白はテストで、その前がテスト前期間」
「ああ、なるほど」
海斗のようやく理解ができた。告白より、告白前にどれだけ関係を築けるかが重要ということだ。
「……でもそれだと」
これまで何もしてこなかった僕は。
「正直、厳しいと思う」
海斗は真剣な面持ちでそう言った。余命を告げる医師のようだった。
「だよね……」
それを聞かされると、さっきまであった決意もぐらつきそうになる。でも。
「でもいいんじゃないか?」
僕の思考を読んだかのように、海斗が言葉を繋ぐ。
「想いを伝えるだけでも大事だと思うぞ。それだけ長く想ってきたならなおさらだ。結果はどうであれ、ずっと好きでしたって気持ちを伝えれば、少なくとも伝えないまま終わるよりは後悔が少なくなると思う」
海斗の言葉は僕の気持ちを正確に代弁してくれた。さすが恋愛マスターだ。海斗がモテるのはこういう部分があるからこそなんだな、と改めて理解する。
「……ありがとう。おかげで勇気が出たよ。海斗に相談してよかった」
心からそう思う。どのみち振られるだろうことは分かっていたのだ。なら、素直にぶつかって砕けるのが一番後悔が少ないだろう。洒落た言葉なんて使わなくても、正直な想いさえ伝えられればそれで。
「いいよ。もし振られたら俺が一緒に飯でも行ってやるよ」
海斗は笑いながらそう言って、僕の肩を叩いた。
「高いところ行くからな」
僕が冗談で返すと、「今金あったかなあ」と財布を取り出した。
僕は笑ってから立ち上がった。彼女はまだ学校にいるだろうか。
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