必要なもの(2)(終)
「恋の相談? また告白されたこと?」
絵里は「また」の部分を強調する。
「ちがうって。私が断ったの知ってるでしょ?」
「知ってるけどさ。勿体ないなあ。バスケ部の秋元先輩でしょ? 私だったら喜んでOKするのに」
絵里は納得いかない、という風に唇を尖らせる。
「だってあの人のこと何も知らないし……。絵里はあの人と知り合いなの?」
「いや別に。でもイケメンだし、バスケ部のエースでしょ? 皆の憧れだよ!」
「……この前赤羽君のことも『皆の憧れ』って言ってなかった?」
赤羽君、というのは同じ二年の赤羽海斗君。彼のことはある事情があって、知っていた。
「皆の憧れはいっぱいいるの! 咲はそういうことに興味なさすぎ! せっかくモテるのに、ほんと勿体ない」
「別にモテたくてモテてない。それに……いくらモテても好きな人に好かれなきゃ意味ないし」
「……それ、他の女子の前で言わない方がいいよ?」
「分かってるよ。絵里の前でしか言いません」
私はやや拗ねたように言った。ちゃんと相手は選んでいるつもりだ。
「嬉しいような嬉しくないような……」
絵里はにへら、と何とも形容しがたい笑みを浮かべた。
絵里とは二年になってから仲良くなった。良くも悪くも物事をはっきり言う性格だけど、素が優しいので悪い面が発揮されることはほとんどない。物静かな私とは対照的に友達が多く、誰とでもこんな風に砕けた話し方をする。
「で、恋の相談とは何なのさ。あの人のこと?」
絵里の顔はニヤニヤしていて、何だか面白半分という感じだ。だけど絵里は思ったことをはっきり言ってくれる。だから……。
「その、告白、しようと思って……」
言いながら、自分の顔が火照っていくのが分かった。そして熱で溶けていくように、言葉尻はどんどん小さくなってしまう。
「え? 嘘!」
絵里は驚いたような声をあげた。それも当然だ。
「だって、好きな人とは全然話したこともないって言ってたのに」
そう。私は好きな人と、全然話したことがないのだ。以前から絵里にそのことを相談していたのだが、絵里は「ガンガン行こうよ!」と何だかドラクエの作戦みたいなことを言ってくる。行けたら苦労しない、と言っていたのだが。
「何でまた急に!? いつの間に進展してたの?」
「いや、何も進展してないよ。……でも、このまま終わるのも嫌だなって」
「終わる? ああ、そっか」
先ほど先生が話していたからか、絵里は私の言葉の意味を理解したようだった。
高校二年の春が終わろうとしている。もうそろそろ、受験に向けて本格的に動き出さなければいけない時期なのだ。そのことを先ほどのHRで先生も言っていた。
「大学は別々だろうからねえ」
絵里は椅子にもたれて天井を見つめる。その表情には憂いがあって、これから始まる大変な日々を思ってのことだろうと察しがついた。
「うん……。運よく高校は一緒になれたけど、さすがに大学は」
「そうだよね。もしかしたら県外に行くかもしれないし、そうなったらもう二度と会えないなんてことも」
「やめて! それ以上は」
絵里の言葉を手で制した。想像しただけで涙が出そうになる。
「ごめんごめん。……幼稚園からずっと好きなんだっけ?」
「うん。一目惚れしてからずっと」
「すごいなあ。全く話したことないのによくそんなに長く想っていられるね」
「だって……。その、す、好きだし」
好き、という言葉を出すのも未だに恥ずかしい。絵里は私の照れている様を「かわい~」とからかってくる。けれど、告白するとなったらこれを本人に向けて言わなければならないのだ。
「とにかく! 彼に告白しようと思うんだけど、どうすればいいと思う?」
「どうって?」
絵里は首を傾げる。
「どうすれば上手くいくかな、と思って」
「どうすれば、か……。難しい質問だね」
「だよね……」
話したこともない人からの告白。それを承諾させようなんて至難の業だ。人によっては気味悪がる可能性もある。……私がそう思ったように。
「でも幼馴染なんだよね? 何か関わったこととかあるんじゃないの?」
「あるにはあるけど……」
私の、彼とのエピソードは二つある。
一つ目は小学校六年生の時だ。家庭科の授業でお茶を淹れるものがあった。そして他のクラスメイトに飲んでもらうことになり、運よく彼が私のお茶を飲んだのだ。私は彼の表情の変遷を見ていたが、満足そうな表情をしていたと思う。
二つ目は中学校三年生の時。野球部である彼の中学最後の大会を見に行った。彼は普段の大人しそうな印象からは考えられないような俊敏な動きをしていて、私は彼の一挙手一投足に夢中になっていた。彼のポジションにボールが飛ぶたびに、彼の打順が回ってくる度に私は心の中で必死に声援を飛ばした。彼はヒットを二本打ったが、チームは負けてしまった。
以上が私と彼のエピソードだ。
「それって、相手は何も知らないんじゃ……」
「……うん」
その通りだった。どちらも私の一人よがり、一方通行のエピソードだ。
「で、でもあれだよ! 中学二年の時に席が斜めになったよ! 一回も話せなかったけど……」
その時は他の班員に通訳のように間を取り持ってもらっていた。私のそれを面白いと思ってくれたのか、彼も同じようにしていたことを思い出す。
「咲って思ってた以上にシャイなのね」
絵里にそう言われ何も言い返せなかった。
「そんなんで告白なんてできるの? なんか話しただけで失神しそうだけど」
「たしかに……」
これまで話すことすらできなかったのだ。急に告白しようと思って、できるものではないように思えてくる。
「やっぱりやめた方がいいのかな」
一度そう考えると、諦める理由はいくらでも見つかった。きっと彼も、話したこともない私から告白されても困るだけだろう。何なら気持ち悪がられて……。
「うわあ! 泣くな泣くな!!」
絵里の声で、自分の目から涙が零れていることに気が付いた。私より先に、絵里がハンカチを取り出して涙を拭ってくれる。
「……告白した方がいいよ、そんなに好きならさ。上手くいくかどうかじゃなくて、折り合いをつけるためにも」
絵里の優しい声が私の不安を優しく取り払っていくのが分かった。小さく首肯して、私は立ち上がった。
「今から行ってくる」
「え!? 今から?」
絵里は驚く。確かに急かもしれない。けど、この気持ちが残っているうちに行かないと。また私はウジウジと悩んでしまうだろうから。
「ありがとね、絵里」
私はそう言って教室を出た。絵里の声援が聞こえて、後ろ手で答えた。
……教室を出たのはいいけど彼は今どこにいるのだろう。私は彼の連絡先すら知らない。でも、足を止めることはできなかった。止めてしまったら、また歩き出すには勇気が必要だから。とりあえず彼の教室に行ってみよう。いなかったら下駄箱に。彼がまだ学校にいるかどうか、それを確認してから部室に行って……。
廊下の先から、私と同じように走ってくる人影を見つけた。……私の心臓はぎゅっと跳ね上がる。……窓から入り込む逆光でシルエットすら覚束ないけど、すぐに分かった。
ニメートルほどの距離を置いて私たちは立ち止まった。目を合わせることができず、私はずっと俯いている。……これは、今までの私たちの距離だ。でも、踏み込まないと。言わないと。こんな機会二度とないかもしれないんだ。私はゆっくりと、深呼吸をしてから顔を上げる。途中、彼も、私と同じように拳を握っているのが見えた。そして彼と目が合う。緊張で体が強張るけど、目は逸らさない。見つめ合うだけで、嬉しさがこみ上げてくる。……もっと踏み込まないと。もっと先に。ずっと好きだった彼と。
「「あの」」
私と彼は、一歩ずつ踏み出した。私たちは十余年の時を経て、お互いに踏み込んだ。
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