第3話 無血十字軍

 エルサレム王ジャン=ド=ブリエンヌの娘ヨランダを妻に迎え、義父にエルサレム王位を譲られた(譲らせた)フリードリヒは、聖地の支配について大義名分を得たのだが、それは同時に、もうこれ以上十字軍遠征を先送りに出来ないということでもあった。


 1223年に築かれたばかりのフォッジャの王宮、皇帝の執務室でペンを執る彼に、部屋に入ってきたチュートン騎士団総長ヘルマン=フォン=ザルツァが声を掛る。


「ご精が出ますな。十字軍遠征の計画案ですか?」


「いや、手紙だよ。スルタンへの、ね」


「手紙?」


 白いマントに黒い十字架の紋章、くすんだ茶色の髪に穏やかな容貌。フリードリヒよりも三十ほど年長の騎士団長は、年若い盟友の言葉に首をかしげた。


「エルサレム返還についての交渉ですか?」


 今回、力ずくではなく話し合いでもってエルサレム解放を成し遂げる、という方針自体は、すでにフリードリヒから聞かされているが……。


「まさか。いきなり本題に入ったりするわけないだろう。とりあえず今回は、鷹狩りについての蘊蓄うんちくを……」


「はあ……」


 不得要領な様子の騎士団長に、フリードリヒは得意気とくいげに言った。


「外交交渉も恋文と一緒さ。いきなり下心丸見えだと、女性も相手にしてはくれぬだろう?」


「いえその……私こう見えても聖職者ですので……」


 チュートン騎士団、正式名称は「ドイツ人の聖母マリア騎士修道会」。

 元々は聖地に巡礼するキリスト教信者を護衛し病院を設立する目的で結成された騎士団で、団員達は皆、高潔な騎士であると同時に敬虔な聖職者でもあるのだ。


 その総長たるヘルマンは、いうまでもなく団員達の模範そのものである。

 一方、フリードリヒはといえば、あちこちに愛人を囲い、多くの庶子をもうけているというとんでもない男で、本来、ヘルマンのような人物とは相容あいいれない――実際、このことは教皇およびその一派の顰蹙ひんしゅくを買う原因の一つともなっている――はずなのだが、不思議と二人は馬が合う。

 いや、ヘルマンが我が子のような、あるいは孫のような、フリードリヒに対し、庇護欲を掻き立てられているというべきであろうか。


 ヘルマン自身、時折自身の胸の内をかえりみて、何故なのだろうと首を傾げるのだが、いまだ答えは出ていない。


「で、用件は何かな?」


「はい、遠征に参加する騎士団員の名簿を作成しましたので、持ってまいりました」


「ありがとう。世話をかけるね」


「いえいえ、とんでもない」


 会話を交わしながらも、ペンを操る手は止めぬフリードリヒ。

 不躾ぶしつけとは思いながら、その手元をのぞき込み、ヘルマンは感嘆とも呆れともつかぬ呟きを、心の中で漏らした。


(本当にスルタン相手にアラビア語でふみを書いておられるのか、このお人は……)


 フリードリヒがシチリアの地でアラビア語も習得していることは知っていたが、さすがにこれほどとは思わなかったのだ。


 彼の知識欲はその性欲と同様、あるいはそれ以上に極めて旺盛で、この時期にはピサ出身の数学者レオナルド=フィボナッチやスコットランド出身の占星術師マイケル=スコットなど、高名な学者達を招聘しょうへいし、多忙な政務の合間を縫って、彼らの講義を受けている。


 ヘルマンなどにとっては、その姿は大変に微笑ましいのだが――、世の中にはそうは思わぬ人間も少なくない。

 特にその筆頭ともいうべき、教皇の皴顔しわがおを思い浮かべて、ヘルマンはひそかに溜息をつくのであった。


 しかし――この時期の教皇、ホノリウス三世は、宗教的信念にり固まった頑迷がんめいさはあるにせよ、まだしもの通じるだったのだと、後にフリードリヒ達はつくづく思い知らされることとなる。



 ホノリウス三世は1227年3月にこの世を去り、新たな教皇にグレゴリウス九世が就任すると、皇帝と教皇の間の溝はもはや埋めようもなく深まっていった。

 ヨランダと結婚した時に誓いを立てた十字軍遠征出立の期限が迫ったこともあって、ようやくに重い腰を上げたフリードリヒであったが、疫病の蔓延まんえんに見舞われてやむを得ず、イタリアから出立することなく引き返す。これに対し、グレゴリウスは仮病と決めつけ、フリードリヒを破門してしまったのだ。


 破門とは、簡単に言えばキリスト教信者としての権利の一切を剥奪はくだつされるということであり、周囲の人間が破門された人間に関わりあうことも原則として禁じられる。

 つまり、中世キリスト教世界においては社会的に死刑宣告を受けることに他ならない。


 グレゴリウスとしては、フリードリヒが地に伏土下座して詫びを入れたなら許してやらんでもない、くらいに考えていたのだが、もちろんフリードリヒはそんなことで恐れ入るような人間ではない。

 さすがに破門されたままでは色々と不都合なので、破門を解かせるよう交渉は行ったのだが……、そう、「解かせるよう」である。「お願いですから解いてください」と懇願するような真似など、フリードリヒがするはずもなかった。


 結局、交渉は頓挫とんざし、フリードリヒは破門された状態のまま、翌1228年6月イタリア南部――ちょうどブーツのヒールのあたり――の港ブリンディジから、中東へと出立しゅったつする。

 その陣容は、ガレー船40隻、それ以外の船舶70隻、騎士100人、歩兵3,000人。

 あまり多くの兵力を動員すれば本当に戦争になってしまうし、かといって少なすぎれば相手を交渉の席に着かせることもできない。フリードリヒとしては散々頭を悩ませた末の動員数である。


 なお、この人員の中には、ルチェーラに住まうイスラム教徒ムスリムの兵たちも多数含まれていた。

 当然、そのことは教皇らから問題視されたのだが、それに対するフリードリヒの返答は、「もし異教徒と戦闘になっても、キリスト教徒の血を流さずに済むでしょう?」という人を食ったものだった。


 聖地奪還への期待よりも、猜疑と反発に見送られての船出。

 フリードリヒの二人目の正妻ヨランダは、この年の4月、コンラートという男児を産み落とした直後に亡くなっており、その悲しみに浸るいとまもない出立であった。


 一行は途中キプロス島にいかりを下ろし、6週間ほど滞在してキプロス王国の内紛を解決。200人の騎士を提供させた。


 その間にも、フリードリヒはアイユーブ朝スルタン・アル=カーミルとの文通に余念がない。

 宮廷のサロンにつどう学者達から得た知識を惜しげもなく披露し、一方、スルタンから伝えられるイスラムの文明に瞳を輝かせる――。

 その姿は確かに、恋人とのふみのやり取りに頬を紅潮させる少年のようですな、と、いずれも聖職者であり女性とは無縁の二人、ベラルドとヘルマンはこっそり苦笑し合った。



 キプロスを発った一行は、9月7日、地中海東岸、現在のイスラエル北部の港町アッコンに上陸する。

 彼らを迎えたのは、スルタンの信望あつい寵臣、ファクルッディーン=イブン=アル=シャイフ率いる使節団。

 フリードリヒとほぼ同年代の彼は、通訳もなしにスルタンの勅使ちょくしと会話を交わし、スルタンの親書しんしょもすらすらと読んでみせる異国の王に度肝を抜かれ、すっかり心服してしまった。


 フリードリヒもファクルッディーンを気に入り、チェスを指しながら和平協定の条件について話し合った。

 そんなある日のこと。


「そうだ、ファクルッディーン殿。あなたをの騎士に任じて差し上げよう」


「はあ!?」


 スルタンの寵臣は、思わず不躾ぶしつけな声を上げてしまった。


「いえその……私にはすでに忠誠を誓ったお方がいらっしゃいますので……」


なあに、気にすることはないさ。あなたをスルタン殿の元から引き抜こうだとか、改宗させようだとかいうような話ではないのだ。ただ、余のつるぎを受け取ってくれればそれでいい」


 といった次第で、あまりのことにまともな逃げ口上も思い浮かばぬファクルッディーンは、あれよあれよという間にフリードリヒの騎士に叙任じょにんされてしまったのだった。


 本来であれば、騎士となった者はそのあるじに絶対の忠誠を捧げなければならないのだが、信ずる神も異なる上、れっきとした主もすでにいる彼が、異国の皇帝に忠誠を尽くせるはずもない。それでもこのような――言葉は悪いが茶番をやってのけたのは、フリードリヒの親愛のあかしであったろう。


 もっとも、この型破りにはすでに大先輩が存在していたのだが。


「というわけで、異教徒フランクの騎士にされてしまったのですが……」


 恐る恐る報告するファクルッディーンに、カーミルは苦笑いを浮かべながら言った。


「そうかそうか、そなたもか」


「は?」


「実はも、その昔、獅子心王カルブ=アル=アサドの騎士にされてしまったことがあるのだ。だからそなたも気にするな」


「は、はあ……」


 カーミル自身も、第三回十字軍を率いて彼の伯父サラディンと死闘を演じた英国王、獅子心王ライオンハートことリチャード一世に何故か気に入られ、騎士に叙任されたことがあるのだった。


異教徒フランクの中にも、変わり者というのはいるものよな」


 昔のことを思い出したのか、スルタンはしみじみとした表情でそう呟いた。



 そんな調子で、両者の関係は次第に親密の度を増していったのだが、肝心の交渉の進捗は必ずしも捗々はかばかしくなかった。

 十字軍遠征に出立する前、事前交渉の段階ではエルサレム譲渡に前向きだったカーミルを、翻意させるような状況の変化が生じていたからだ。


「で、やはりエルサレムアル=クドゥスを譲り渡すのはやめにしたから、贈り物だけ持って引き揚げてくれ、というわけには……いかぬよなぁ」


「それは……彼らにも立場というものがございましょうし……」


 イスラム教徒ムスリムにとっても聖地であるエルサレムをキリスト教徒に譲り渡す――国内の反発必至の奇策に、カーミルが前向きだったのは、一つにはシリアを領有する弟との対立が理由だった。


 ダマスカスの領主である実弟・アル=ムアッザルとは、本来は決して不仲ではなかったのだが、それぞれが支持勢力に担ぎ上げられて対立せざるを得ない状況に陥っていた。

 一触即発の状況を回避するため、両者の間にキリスト教徒による緩衝かんしょう地帯を設ける。それがカーミルの構想だったのだ。


 だがその弟は、十字軍来訪の前年末、1227年11月に急死していた。

 それでもなお、聖地を異教徒にくれてやるべきか……。カーミルの心には迷いがあり、そのあたりの事情も把握した上でえて懐に飛び込んできたフリードリヒに対する好意と困惑の間で、彼の心は揺れていた。

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