第5話 自分自身を見る事
前回までの一連の流れにより、私は否応なしに、自分自身の人格形成を知り、それと同時に家族の実態を知る事になる。
これは、私にとっては、決して無傷とは言えないわけで、結果的に私は、両親からは、「愛されなかった」と言う真実にたどり着くからである。
ここでの「愛されなかった」とは、
真に子を思う母親からの無償の愛を示す。
母親から貰えたのは、表面的な愛情である事。父親からは、かけらもなくだ。
逆に、自分自身に問いたい。
「私は家族を愛せていたのか?」と。
愛せなかったとすれば、否は双方となる。
今、その母親もご霊界にいるわけだが。
彼女が1番供養してほしい弟からの供養は貰えない。なぜなら、弟は、そのような事を一切しないからで。
きっと、彼女は、私にして欲しいと思っているだろう。
そんな母親の気持ちすらも、私はそれも母親なんだと。彼女の姿なのだと、受け入れている。
この母親を受け入れる自分自身ですら、「自己犠牲」なのではないか。
そう考える。
なぜ、文句一つ出ないのか?
自分は、貴女の思い通りになる人形ではないと。
私は私の為になぜ、反論できずに、彼女をそれでも尚、養護するような気持ちを持つのか?
これが、「自己愛」が無いと言う事なのか。
この人格形成のまま、進み、他者から見た私自身。
残念な事に、他者から見てどうやら、私は、母親と同じ様な人種に捕まるようだ。
その1番初めに知ったのが、最初の結婚から離婚し、10年過ぎた頃だった。
結婚から、想像出来るであろう、姑との関係だ。
当時、私達は表面的には、良好とい言えただろう。お互いに二人で何かをしたり、家に泊まっても、仲良くと言えたかもしれない。
たが、それは、表面的なわけで。
私は当初から、誰でもそうであろうが、相手にある程度あわせるだろう。それは、姑も同じだ。
お互いに気遣いながら、良好な関係をと。
しかし、私は当初から、こんな疑念を持っていた。
嫁は私の他にもう一人。姑は、もう一人の嫁である彼女とは、少々違う感じを受けた。
人間が違うのだ、性格も違う。だから、自分の時ともう一人の嫁との態度の違いがあって当り前なのだが。
だが、私の疑念は、このようなことだ。
姑からしてみれば、私と言う者は、従える。
つまりは、自分が優位に立ち、ある程度は思うようにしてくれる相手。
もう一人の嫁には、自分が時に遠慮し、相手に譲らなければならない相手。
この感覚は、恐らく私ともう一人の彼女を見ての無意識なものだろう。
それを私は薄々感じていたのだ。
そして、離婚し、10年過ぎた頃に私のその疑念は当たるのである。
当時、私は酷い霊的な者に取り憑かれていた。それが、生霊だと祈祷してもらった住職から話された。
その生霊がまさに、姑だったのだ。
私は彼女の思いを聞き納得する。
正に彼女からは、私は自分の思い通りにしてくれる相手だと、思っていたからだ。
そうして、思い返してみる。
姑だけではなく、様々な人達を。
お付き合いした男性は勿論、職場、同僚など、そして、結婚する相手。
共通点があるのではないか。。。
皆、結果的に私に甘え、許してくれる。
怒らない。言えばやってくれる。
などなど。。。
これでは、まともな人間関係など築けないわけだ。
では、私の何を相手は見て、自分が優位に立ち、私が従ってくれると感じるのだろう。
付き合い、関われば解るだろうが、
初対面でも、それが、相手には無意識に伝わるのではないか?
第一印象。。。
私は人から、どのように、映り捕まるのだろうか。。。
次回は、まず、それについて見てみよう。。。
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