第81話

「なっ?なんだこれはっ!おいっ冗談じゃ無いぞ!」


「落ち着いてください若、これは……おそらく重兵器からの一斉射撃で御座います」




 爆炎に包まれた前衛の歩兵達を見て、慌てふためくヴァンデウスをグラティアヌスがたしなめた。


 その間にも前衛から中段の歩兵達は火炎に巻き込まれ、爆発で吹飛ばされている。




「じ、重兵器だと?こ、こんなもの凄い威力があるのか?!」


「いえ、本来帝国で使用している火炎弾はここまで威力はありませんし、ましてや炎を伴って破裂する事など御座いません。これはおそらく辺境護民官軍の秘密兵器で御座いましょう」


「ひえっ、ひ、秘密兵器だとうっ!?」




 落ち着いたグラティアヌスの言葉の間にも、動揺を抑えきれないヴァンデウス。


 前衛では更に爆炎の閃光が次々に煌めき、地面を揺さぶる程の衝撃と轟音が轟いている。


 爆裂する炎を避けようと兵士達が右往左往するが、大軍であるのでそれほど移動も出来ない上に、まんべんなく降り注ぐ特殊火炎弾や爆裂弾に、折角逃げた先で炎や爆発に巻き込まれるのが関の山である。


 悲鳴と絶叫が爆発の間に響き渡り、焼け爛れた半身を晒して泣き喚く者や、手足を爆発で吹飛ばされて立ち上がることすら出来ず、うめき声をあげる者も居る。


 絶対の有利を確信していた無頼の集団は、炎と爆発の洗礼を浴びてその自信と確信を木っ端みじんに打ち砕かれ始めていた。




「ど、どうしたらいいんだ!?」


「どうもこうも御座いません。このまま進むだけで御座います」


「な、何?俺たちも射程に入ってしまうじゃないか!」




 グラティアヌスは怖気をふるっているヴァンデウスを気にする事無く、ごく平然と言い放つ。




「心配ありません、このような特別な物、弾数はそうあると思われません。我らは20万近い大軍、動揺せず数で押せば良いのです。いかな威力のある弾といえども我ら全員を吹き飛ばすほどの数も威力も御座いません」


「しっ、しかし俺たちに当たったらどうするんだ?」




 後衛に届き始めた爆発を気にしつつ尋ねるヴァンデウスに、グラティアヌスは辛抱強く説明した。




「大丈夫で御座います、あの弾は効果を見るに歩兵を薙ぎ払うための物。騎兵や散兵にはそれほど効果は御座いませんし、弾数が限られている以上そのような使い方も致しますまい。若、大丈夫です。動揺せずこのまま押し出せば兵数差で勝てます」


「そ、そうか?」




 爆発に身を竦ませながらも力強い家令の言葉に、ヴァンデウスはようやく落ち着きを取り戻した。




「では、このまま前進だ!」


「は、心得まして御座います」
















『ふむ、なかなか崩れんであるな』


「そうですね、やっぱり数が多すぎますね」




 アルトリウスがぴくりと片眉を上げて言うと、ハルも頷きながら応じた。


特殊火炎弾と爆裂弾が次々と炸裂し、少なくない兵士達を焼き、焦がし、吹飛ばし、絶命させ、再起不能にしているがルシーリウス軍は一向に歩みを止める気配が無い。


 ここの兵士達を見れば右往左往している者も居るし、何とか射程から外れようとあがいている者も居るが、軍としてみた場合全く同様が無いのだ。




「やっぱりグラティアヌスさんは一廉の指揮官でした」


『うむ、それは間違いなかろうが…ふふふ、まあ、やせ我慢が何時まで持つか試してみるのである』




眼下に据えられた重兵器の後ろに、山と積まれた特殊火炎弾と爆裂弾、更には未だ荷車に積んだままのそれらの予備弾を見てアルトリウスが不敵な笑みを浮かべる。




『まあ、人間時には我慢も必要であるが、し過ぎるとろくな結果にならんのである』


「経験譚ですか?」




 ハルの質問に、アルトリウスは少し言い難そうに答えた。




『まあ……そうであるな。我にも色々あったのだ』


「え?我慢したんですか?」


『ハルヨシめ……最近本当に可愛げがないのであるっ』




 ハルの言葉に、アルトリウスは憎々しげにつぶやくのだった。
















 ルシーリウス軍本陣






「お、おい、グラティアヌス!兵の間隔を広げたりしなくて良いのか?」




 周囲にちらほら爆裂弾や特殊火炎弾が落ち始め、その飛来音が気になって仕方無いヴァンデウスが悲鳴じみた声を上げる


 もちろん、最前線ではヴァンデウスの周囲とは比ぶべくも無い、容赦の無い爆炎が兵達を次々と飲み込んでいた。


 しかし爆炎が迫ろうともグラティアヌスは平然としており、ヴァンデウスに顔を向けてゆっくりと答えた。




「そんな事をすれば烏合の衆はたちまち逃げ散ってしまいます。我々が唯一敵より優位を保っていられるのはこの無頼共を含めた兵士の数で御座います。今でこそ左右と後方を古参私兵で囲んで逃げ道を塞いでおります故に我等に付き従っておりますが、これを外せばたちまち無頼共は逃げ出す事で御座いましょう。今はこちらの弓矢の射程まで我慢して突き進む他ありませぬ」


「そ、そうは言っても…お前、敵の射撃が止まないぞ?」




 どんっという重々しい爆発音と共に、近くにいた護衛騎兵の数騎が爆炎に飲まれ、ヴァンデウスは思わず首をすくめた。


 人馬がすさまじい絶叫をあげる。


 しかし、グラティアヌスはちらりとその様子を見ただけで視線を前に戻すと、普段と変わらない様子でヴァンデウスの質問に答えた。




「確かにこれは誤算では御座いましたが、今言った以外の戦法は我等に御座いませんので、今しばらく辛抱頂く他御座いません。我等の弓矢が届く距離にはまだ遠すぎますし、騎兵だけを突出させたところで後が続きませんと討ち破られてしまいます。歩兵と騎兵は連動して攻撃を行わねば、効果が半減してしまうので御座います」




前線に連続して特殊火炎弾の炎が吹き上がり、後衛にまで兵士達の絶叫が届く。


 その阿鼻叫喚の戦場に思わず顔が引きつるヴァンデウス。




「心配御座いません。我等は大軍、もうしばらくすれば辺境護民官は包囲殲滅される事必定で御座います」




 グラティアヌスの言葉に、ヴァンデウスは再びの爆炎に首をすくめながら頷く他無いのだった。














雨のように降り注ぐ特殊火炎弾と爆裂弾にもめげず、平然と前進を続けるルシーリウス軍は、ついに弓矢の射程にまで到達した。


 無頼の兵士達はそのまま前進を続ける一方、弓矢を装備したルシーリウス家子飼いの私兵達は直ぐさま弓射の準備へと入る。


 また、グラティアヌスの指令で両翼に配置されたルシーリウス家の騎兵が動き始めた。


 ここに到るまで既に1万以上の死傷者を特殊火炎弾の炎と爆裂弾の爆発によって出しているルシーリウス軍であるが、まだまだ軍全体にしてみれば余裕がある。




 ルシーリウス家の騎兵隊は左翼右翼それぞれ2万程度で、方翼だけで既にシレンティウム軍の騎兵総数を上回っており、順当に行けば盗賊上がりのにわか騎兵が混じっているとは言え包囲を為し、敵陣を蹂躙する事が出来るだろう。


 グラティアヌスは、いかな辺境護民官とは言え圧倒的な数による騎兵突撃を防ぐ術は無いだろうとみていた。


 槍兵を配備しているようであるが、両翼にごく少数。


 先程行われたシルーハとの戦いにおいても両翼に騎兵を配置する事が出来ず、片側からの騎兵により本陣の突破を狙うという奇策を取っている。




 前回はシルーハの騎兵に反対側の前線を突破されそうになりながらも、なんとか歩兵が粘って勝ちを拾ったようであるが、今回の兵数の差はそれを上回っており、また正面からかかる歩兵の圧力も惰弱な南方歩兵とは比ぶべくも無い。


 兵質においては大差ないだろうが何と言っても数が違うのだ。


 グラティアヌスは本陣を弓部隊の後に配置して止めると、弓射を指令する配下達を眺める。


 一斉に大量の矢がシレンティウム軍の前線へと射込まれ、また相手側から矢が飛来してきた。


 後は弓矢の応酬となるが、矢数では圧倒しているものの、時折シレンティウム側から飛来する重兵器の特殊火炎弾や爆裂弾、そして巨大弩弓の攻撃で射撃戦はようやく均衡が保たれ始めた。




 弓矢兵士達の損害は大きくなったが、耐えられないほどでは無い。


 兵数の差がそのまま出ているのだ。


 それに加えて味方からの射撃が始まったことによって、兵士達も一方的に撃たれる状態では無くなったので少し落ち着きを取り戻したようである。


 シレンティウム軍は前線の歩兵から弓部隊へと重兵器の攻撃をシフトさせており、ルシーリウス軍の弓攻撃の効果がそれなりに上がっている事がグラティアヌスには分かった。




「相手はこちらの弓矢を嫌がっておりますな」


「どうして分かるんだ?」




 自分の言葉に珍しく素直な口調で疑問を返したヴァンデウスへ、薄い笑みを含みつつグラティアヌスは丁寧に解説を加える。




「重兵器の攻撃がこちらの弓部隊へと移って御座います。それまで前線の歩兵を薙ぎ払っておりましたモノを効果の薄い散開している弓矢部隊に振り向けてきたと言う事は、こちらの弓矢攻撃が相手にそれなりに打撃を与えている証左で御座いましょう」


「……そうか」


「はい、そうで御座います若、間もなく騎兵が突撃を開始致します」




 ヴァンデウスがグラティアヌスの指さす方角を見ると、ルシーリウス軍の騎兵達が左右に勢揃いして突撃の準備を整えている様子が目に入った。


 対するシレンティウム側の騎兵は本陣へ固まっており、目立った動きは無い。


 それに伴い前線へようやくルシーリウス軍の歩兵が到達する。


 重兵器による猛烈な攻撃をあれほど受けていながら、死傷した兵士は2万程度で、態勢に影響は無かったことになる。




 シレンティウム軍は大楯を並べて堅陣を敷き防御の構えであるが、比べるまでも無いほどの兵数差にヴァンデウスの顔には笑みが戻った。


 やはりグラティアヌスの言ったとおり、数の差は圧倒的であったのである。




「最初の重兵器での射撃には些か驚きましたが、これで終わりで御座います」




 グラティアヌスは自信満々に言うのだった。


 












 シレンティウム軍






『さて、いよいよ衝突であるが…まさかこれ程簡単に乗ってくるとは思わなかったのである』




 アルトリウスがハルの肩でにんまりと笑みを浮かべた。


 その視線の先には、無精髭を生やしたルシーリウス軍の無頼歩兵達がいる。


 既にルシーリウス軍の騎兵は左右に展開しているようであるが、こちらもシレンティウム軍の仕掛けに気付いた様子は見受けられれず、単純に突撃を敢行しようとしているようだ。




「いくら威力のある重兵器であっても、これ程の大軍を全滅させる事は難しいですからね、まずまずの損害は与えられたと思います」


『うむ、敵側の死傷者は1万から2万と言ったところか。まあ、順当であるな』




 ハルの言葉にアルトリウスが肯定の言葉を返す。


 弓矢の応酬は相変らず激しく続いているが、こちらはやはり兵数の差がもろに出てしまっており、シレンティウム軍は劣勢であった。


 ただ、重兵器の狙いをを敵の弓兵に振り向け、また巨大弩弓を投入してなんとか五分五分に持ち込んでいるのだ。


 その重兵器兵達も無傷では無い。


 扱う重兵器事態が重量物でる事もあって、身に着けている鎧や兜は帝国風の質の良い物であるが盾を装備していない上に、重兵器の操作にかかりきりで矢を防ぐ事が出来ないのからだ。




 後方に配置されており、その前にいる弓兵達同士の撃合いが主体である事から重兵器隊に降り注ぐ矢はそれ程多くないとはいえ、矢は鋭く数も多い。


 それに矢が命中して割れる特殊火炎弾や爆裂弾もあり、危険極まりない上にそれらの片付けにも人割かねばならず、重兵器の発射速度は次第に落ちてきた。










「無理をするな!安全第一で攻撃しろっ」




 クイントゥスが重兵器を操る特殊工兵達に注意を喚起する。


 弾が破損した場所に火矢の一筋でも命中すれば大惨事、たちまち重兵器隊は誘爆に次ぐ誘爆で味方を巻き込み、シレンティウム軍は名実ともに壊滅するだろう。


間近に迫る敵にどんどん弾を浴びせたいが、実際はなかなか上手くいかず、連射の影響から幾つかの重投石機は破損した。


 それでも幸いな事に、ハレミア人と戦ったイネオン河畔の戦いの時とは違って弾は大量に用意されており、攻撃自体に影響は無い。




「破損した重兵器は後ろへ下げろ!今は修繕している暇は無い、弾と人員は別の機へ回せ、急ぐんだ!」




 クイントゥスは焦りを部下に気取られないよう平静を装いながら命令を下すのだった。
















ルシーリウス軍は帝国兵の装備は身に付けているものの、手投げ矢や投げ槍などの投擲兵器を持っていない。


 これは投擲兵器をにわか軍隊、しかも歩兵だけで10万以上の全員に装備させられないという物理的な理由と、まともな投射訓練を行っていない無頼兵士に投擲兵器を渡したところで、本番で肩を痛めるのがせいぜいで効果的な攻撃が見込めないという理由からであった。


 手槍と剣を持った無頼兵士達が上官の号令で前に出る。


 それを見てシレンティウム軍は大楯を構え直し、投擲兵器の柄を握りしめた。




「進めっ!!」


「放てっ!!」




 双方同時の号令でついに正面衝突が始まる。


 突撃するルシーリウス軍の無頼兵士達にシレンティウム軍の手投げ矢が降り注いだ。


 




 不意を突かれて一時的に混乱する無頼兵士達だったが、続々と後から続く無頼兵士達に押され、前線の無頼兵士達も進む他なくなり、ばたばたと手投げ矢でなぎ倒されながらもついにルシーリウス軍はシレンティウム軍の前線へと到達する。


 たちまち激しい盾同士の突合い、押し合いが始まった。


 双方質や大きさの同じ帝国風の盾であるが、身体が大きくて力のあるクリフォナム人の北方軍団兵に、小柄な帝国人で構成されている無頼兵士達は力一杯盾をぶつけるが、膂力や体格の差からびくともしない。




 それに訓練を受けていない無頼兵士達は戦い方が稚拙で、集団戦闘においては隙だらけ。


盾の縁を北方軍団兵の盾にぶつけようとした無頼兵士が後方から投じられた手投げ矢に顔面を撃ち抜かれ、盾ごと体当たりした無頼兵士はその直後に頭上から手槍を差し込まれて絶命し、更に剣を振りかぶって盾に叩き付けようとした無頼兵士は正面から剣を腹に突き込まれ、血を吐きながら前のめりに倒れた。


それでも後から後から湧いて出てくる無頼兵士達。


 倒しても倒しても後から後から、無頼兵士達が北方軍団兵の盾目がけて攻撃をしかけてくるので、北方軍団兵は順次最前線を交代し、戦線を維持する。




 最前線から交代した兵士達は後方で手投げ矢の補給を受け、装具を再点検して再び戦列へと戻る。


 北方軍団兵は兵数の差をまざまざと見せ付けられながらも挫けず盾を固く閉じ、隙を見つけては反撃する方法で戦線を維持するのだった。








 一方、両翼ではルシーリウス軍の騎兵が突撃を敢行しようとしていた。


 シレンティウム軍は騎兵の前面に大盾と中槍を装備した槍兵を配置しており、その布陣は薄い。


 ルシーリウス軍の騎兵は帝国風の重装騎兵では無く、シルーハ装備の軽装騎兵が主体である。


 何を隠そう彼らこそ東部諸州の治安を不安に陥れていた盗賊団であった。


 シルーハから提供された彼らはアスファリフの帝国侵攻軍に協力した後は帝都へ奔り、今度はルシーリウス軍に加わっていたのである。




 軽装とは言え革の鎧兜に身を包み、槍を手に騎乗突撃してくれば立派な突破力となる。


大軍である敵に合せて正面へ多数の北方軍団兵を配置しているシレンティウム軍からすれば、この薄い槍兵の戦列以外に彼らを食い止めるものは何も無いのだ。


 その騎兵達が指揮官の号令で一斉に喊声を上げながら突撃してきた。


 大盾をしっかり閉じ、槍を居並べた北方軍団兵が迎え撃つ姿勢を示す。


 そして、騎兵が緩やかな盛り土を越えた時点でその後方から弩の筒先が差し出された。




「撃てええっ!!」




 最前線に陣取ったテオシスが絶叫し、弩が風切り音も鋭く専用の短矢を連続して放つ。


 射程距離の目処にもられた盛り土である。


 直線で飛来する矢を避ける事も出来ず、ましてや革の鎧兜と軽装である事から狙い過たず、馬の筋肉さえも易々と撃ち抜く威力ある短矢に次々とルシーリウス軍の騎兵は打ち砕かれていった。




 馬体に短矢が当り、絶命した馬ごと倒れる盗賊騎兵。


 兜の上から頭を打ち砕かれて後ろへひっくり返る盗賊騎兵。


 別の者は胸に数本が同時に当たり、その衝撃で馬上から弾かれたように吹飛ぶ。


 咄嗟にかざした腕を撃ち抜き、目に短矢が刺さって絶叫する者。


 足に刺さった矢を気にしてうつむいたところ首筋を撃ち抜かれ、そのまま前のめりに落馬する者。


 たちまち騎兵達が混乱に陥り、打開しようと再突撃をし掛けるものの、直ぐさま短矢を補充した弩兵にその企みを打ち砕かれた。




 ルシーリウス軍騎兵達の足が止まり、馬首を返そうとする無頼騎兵や、あくまでも攻撃を続行しようとする騎兵達に短矢が容赦なく突き立ち、それによって前線はより一層混乱する。


 騎兵指揮官が懸命に立て直そうとするもののその側頭部に短矢を受けて絶命、落馬してしまったことで収拾が付かなくなってしまった。


多数の騎兵が右往左往する中、テオシスは故障の多い連射式弩を一旦下げて点検と矢の補充を行わせると同時に、兵達には手投げ矢を用意させる。




「弩は補充と点検実施!兵は手投げ矢を順次放て!」




 その号令で2列目以降の北方軍団兵が盾の後ろから手投げ矢を取り外して構え、次々に足の止まったルシーリウス軍の騎兵目がけて手投げ矢を投じ始めた。


 弩の攻撃が止んだ直後に降り注ぐ手投げ矢に為す術無くルシーリウス軍の騎兵達が打ち倒されてゆく。


 帝国風の鎧兜には些か分が悪いが、革の装備しか身に着けていない軽装騎兵であれば鎧兜の上からでも十分通用する手投げ矢は、乗っている馬諸共ルシーリウス軍の盗賊騎兵を撃ち抜いていった。




 反対側でも同じような光景が繰り広げられ、ルシーリウス軍の騎兵は潰走を始める。


 その背中に再度射程距離ぎりぎりまで連射式弩の短矢が射込まれ、更に数を減らした盗賊騎兵達は戦場から這々の体で逃げ出したのであった。 








 敵の騎兵が両翼とも弩の力によって撃退されるのを確認し、ハルはゆっくり南にあるセトリア内海を見つめた。


 青々とした海原は波も穏やかで、櫂船の航行に影響する者は何もなさそうである。




「そろそろ狼煙を上げておきますか…」


「良い頃合いです」


『うむ、これで敵の主力はこちらに引付ける事が出来たのであるから、我等の目的は半分が達成された事になるのである』




 ハルの言葉にアダマンティウスとアルトリウスが応じた。




「では、狼煙を上げるんだ」


「はっ!」




 早速伝令が後方へ派遣され、狼煙係にハルの命令が伝達される。


 しばらくすると本陣の後ろから濃い白色の煙が立ち上り始めた。


 微風の中、煙は散ること無く真っ直ぐ天へと昇ってゆく。


 その様子はシレンティウム軍のみならずルシーリウス軍からも見て取る事が出来た。


 そして、遠く離れた海上からも当然その煙はくっきり見える事だろう。














帝都沖合、帝国遊撃艦隊旗艦上






 帝都軍港が辛うじて見えるほどの沖合を航行中の帝国海軍は、後方にロングス第1軍団軍団長率いる帝国軍1万5千にユリアヌス軍1万2千を併せた2万7千の兵士を満載した輸送船団を帯同している。


 その艦隊から、うっすらと立ち上る筋が帝都の東方向に見え始めた。




「殿下、白色の狼煙が上がりました!」




 見張りの兵士が帆柱の上の見張り台から甲板上のユリアヌスへと大声で報告する。


 ユリアヌスが兵士の指さす大陸をしばらく眺めていると、ようやく白い筋が見え始めた。


 その筋は次第に太くなり、ゆっくりと天へと昇ってゆく。




「首尾よく進んでいるようだな、では回頭だ。目標は帝都軍港!」


「了解!右回頭始め!」




 艦長が号令を出し、手旗信号を艦隊の各艦船に送る。


 少し進んだ所で、艦隊は一斉に右、すなわち帝都軍港のある北方向へと回頭を始めた。


 それに少し遅れて後続の輸送艦隊も回頭を始める。


 デルフィウス提督が艦隊の回頭が終了したのを見届け、徐にユリアヌスへと語りかける。




「しかし、あの辺境護民官は何者ですか?このような策を思いつくとは、ただ者ではありません」


「さてね、ま、英雄の加護を持っているような感じではあるか……」


「はあ?」




 自分の答えに怪訝そうな顔と声で曖昧な返答を返すデルフィウスに、アルトリウスの正体と存在をただ一人知るユリアヌスは笑い声を上げた。










 辺境護民官が提案した策は、帝国正規軍とユリアヌスの傭兵軍、それに帝国海軍で帝都を海上から急襲するというもの。


 帝都軍港は普段、帝国海軍帝都艦隊が守り、また軍港や商港、漁港が合一した帝都の港を経て低い城壁で帝都の市街と区切られている。


 しかしながら軍港側の城壁は城壁とはいえ、陸地側の城壁とは比ぶべくも無い低く薄いしろものであるが、これは帝都が王国の都であった頃の城壁を改修せず、そのまま使用し続けているからであった。


 発展した市街と港湾設備に挟まれ、城壁を拡張する空濶地を失ってしまっていたことから改修出来無かったという理由が一番であるが、帝国成立後は海からの脅威に対しては艦隊を常駐させて対処していた上に、具体的な海側からの脅威にさらされる事が今まで皆無であったためでもある。




 また港と市街の間に城門等が設けられておらず、出入りは自由に出来る。


ハルは群島嶼から最初に帝都へ船で来た時に見て港の構造を知っており、またアルトリウスの時代からその構造が変わっていない事を確認した上で、この作戦を思いついたのである。


 帝都艦隊は既にユリアヌスの影響下にあり、そもそも派手な陸側の戦いに気を取られて裏側にあたる軍港の防備に思い至る者は居ないだろう。


 軍港に商港、果ては漁港までがある帝都の港は巨大で、軍港設備が無い場所であっても戦艦や輸送艦を横付けすることが出来るので、揚陸が容易である事も最初から分かっていた。


 






 ユリアヌスがコロニア・リーメシアでの作戦会議の時の事を思い出していると、いつの間にかもう帝都軍港は目の前にあった。


間もなく帝都へ入る事が出来る。


 念のため戦艦を先行させたが周囲に敵艦隊の存在は無く、また軍港では港湾労働者や商人達がユリアヌスの艦隊を見つけて騒いでいるようだが、迎撃の兵士達は出てきていない。


 普段通りの帝都であれば直ぐにでも通報が上がったのだろうが、ルシーリウスの牛耳ってしまった帝都では、間違いの通報などしよう者なら極刑に問われかねないし、第1普段通り道を歩いているだけでも私兵団に逮捕されるかも知れないのだ。




 そんな情勢下で敢えて港へ出てきている勇気ある労働者や商人達ではあるが、敵か味方か判別の付かないユリアヌスの艦艇に戸惑うばかりで行動を起こす事が出来ない。


 ユリアヌスは戦艦を下げ、兵士が多数乗っている輸送艦を先に港へ着岸させてゆく。


 船が接岸すると海軍兵が身軽に飛び降り桟橋を設置し、渡り板を下ろして下船の準備を手早く済ませた。


 設置された桟橋を使って次々と重装備の歩兵達や騎馬兵が輸送艦から下りる。


 船からも渡板が下ろされ、歩兵達が続々と船を下りてきた。


 抵抗は今のところないが、早急に城壁と港湾部の出入り口を押える必要があるので、準備が出来た部隊は直ぐに城壁へと向かう。




「よし、第1段階は成功だ。直ぐに部隊を整列させろ!」




 ロングスが他の将官達に囲まれて船から下りて来るなりそう命令した。


 帝都市民を支える大量の食糧や物資を荷揚げするため、帝都の港は埠頭や倉庫群も大きいので、2万や3万の兵士達が集合し整列するのには何不自由ない位の広さがあるのだ。


 








 しばらくして帝国軍、ユリアヌスの傭兵軍、海軍歩兵隊の総勢3万の軍が終結した。


 港の出入り口は押え、通報に出る者や攻めてくる者を牽制してはいるが、今のところそう言った者達は見受けられない。


続々と降り立ち、きっちりと整列し始めた兵士達を見ながら満足そうな笑みを浮かべ、ロングスは護衛兵に囲まれて下船してきたユリアヌスに敬礼を送る。




「順調だな、ロングス」


「はっ、間もなく整列が完了します。帝都の無頼共を直ぐに一掃して見せましょう!」


「ああ、頼む。我が傭兵団と海軍歩兵の指揮も預ける」




 ロングスの言葉に満足そうに返答したユリアヌスは、帝都での作戦をロングスに一任することを決める。


 港に居た人々も海軍や帝国軍の兵士達に混じって副皇帝のユリアヌスがいる事に気付いた。




「おい、罷免された副皇帝陛下だ……」


「辺境護民官と組んで反乱を起こしたって言ってたっけ?」


「どうせ貴族共の嘘に決まってる!」


「そうだ、これを見れば分かるじゃ無いか、副皇帝陛下が軍を率いて帝都へ乗り込んできたんだ、反乱を起こしたのは貴族共だろ?」


「ユリアヌス陛下が貴族を討伐しに来たんだ!」


「そうだな、違いない…これでようやく安心して暮らせる…」




 ユリアヌスが辺境護民官共々罷免された事は市民達も知っていたが、その罷免されたはずのユリアヌスが軍を率いて港からやって来た事に、市民達はその事情や政情を多少なりとも把握することが出来たのだ。


 それで無くともユリアヌスは帝都市民からは人気があったのだ。


 罷免や布告でユリアヌスの不利な情報が流される度に、市民達は貴族の態度や行動、私兵による略奪暴行の数々と相まってユリアヌスに期待するようになっていた。




 辺境護民官率いる蛮族の反乱軍を迎え撃つためにヴァンデウス率いる私兵集団15万余が帝都から離れ、ようやく帝都市民は一息付く事が出来たが、それでもまだ5万近い私兵が帝都中をうろうろしており、また闇の組合員が幅を利かせているとあって安らぎとはほど遠い生活を強いられ続けていたのである。


 そこに軍を率いて颯爽と現れたユリアヌス。


 早速ユリアヌスは集まってきた市民達に向かって呼びかけた。




「帝都市民諸君!私は副皇帝のユリアヌスだ!みなは貴族共から私が副皇帝を罷免されたと聞いているようだがそれは違う!貴族共は帝国を我が物にせんと私を排除しようとしたのだ。だがそんな事は出来ない!私はマグヌス陛下に任命された歴とした副皇帝である。今の元老院がルシーリウス卿を始めとする貴族派貴族に専断された元老院の決定など無効である。私は海軍や帝国軍の支持を受け、北の勝利者こと辺境護民官ハル・アキルシウスの助力を得てここに……帝都に戻ってきた!圧政は今日で終わり、明日からは貴族派貴族のいない正常な帝国と帝都を諸君に提供することを約束しよう!」




 港から帝都市民の歓声が上がる。


 皆がユリアヌスの演説を聴き、乱暴狼藉を働かない帝国正規軍の姿を見て安心し、長くは無いとは言え辛く押しつぶされた日々の終わりを予感したのであった。














 帝都南街区、港湾隣接商業地区






 規則正しい軍靴の音に、何事かと帝都の市民達が窓からそっと顔を覗かせる。


 シルーハの大軍が東部諸州へ雪崩れ込み、帝都から帝国正規軍が出陣した。


 そしてその穴を埋めると言う名目でヴァンデウスが野獣共を帝都に引き連れ、そしてそれらを放った。


 放たれた野獣は帝都中を荒らし回り、帝都は一瞬にして地獄と化した。


 その後辺境護民官が副皇帝ユリアヌスと組んで反乱を起こし、北から蛮族を引き連れて帝国東部諸州を荒らし回っているという触れ込みで、帝都からヴァンデウス率いる15万の野獣の群れが出陣した。




 今、門は全てが閉じられている。


 市民達は薄々何が起こっているのかを察してはいたが、正確な情報が入って来ない今の帝都でうかつな行動を起こす事も出来ず、じっと息を潜めていたのである。


 それがどうやら討ち破られようとしていた。


 港から聞こえてきた歓声に、帝都市民達は静かな期待を寄せつつその時を待っていた。


 そして、期待したとおりのものが今眼前を通り過ぎている。




 そこには見慣れた帝都守備を担う帝国第1軍団の軍旗を先頭に、規律正しい帝国正規軍の姿があった。


 無頼兵士達が帝都を占拠し日々理不尽な暴力と略奪に怯え続けていた市民達の目に、力強くはためく軍旗がしっかりと映り込む。


 しばらくは事態を把握出来ずに戸惑う市民達も大勢居たが、市民派貴族元老院議員の小クィンキナトゥスや軍団長のロングス、更には副皇帝になった奇人殿下ことユリアヌスが軍の中央にいるのを見つけてようやく今帝都に何が起ころうとしているのかを悟った。




 無頼兵士が屯していた治安官分所が帝国兵に急襲され、酔い潰れていた全員が血祭りに上げられ、大通りへ引きずり出されているのを見て確信を得た市民達は、次々に家から飛び出してきた。


 群衆は次第に脹れ上がり、歓声とユリアヌスを連呼する声が轟く。


 その声に押され、ユリアヌスは兵士達が指しだした盾の上に乗り、民衆へと呼びかけを行った。




「副皇帝のユリアヌスだ!市民の安全と権利は私が保障しよう、一旦家に戻りこれからの戦いに備えてくれっ、無頼共の屯している場所があるのなら近くの兵士に申し出るように。今日この日をもって圧政は終結した!市民諸君!平和と自由を奪還するために協力を惜しむ事無かれ!!」




ユリアヌスが市民達にそう呼びかけると、歓声が爆発した。


 小クィンキナトゥス卿が次いで前に進み出て熱弁を振るう。




「市民派貴族の同志達よ!帝国の危急の時にこそ我等の存在意義が、真価が問われるのだ!今こそ立ち上がれ!市民派と銘打った我等真の帝国貴族の役目を果たそうではないか!集え我が副皇帝陛下の元へっ、尽くせっ、帝国の正常化に我等が力の限りを!!」




 わっと市民や下野していた市民派貴族から更に大きな喊声と歓声が上がり、たちまちユリアヌスとクィンキナトゥスの名前が連呼される。


市民派貴族達は直ぐさま武装を整えてグナエウスの元へ集結し、市民達も積極的に帝国兵達を無頼兵士の屯する場所へと誘導し始めた。




 帝都市民達の反撃が始まったのだ。










「市民と市民派貴族の蜂起で形勢は逆転した、一気に貴族派貴族を追い落とすぞ!」




 ユリアヌスの言葉でロングスら軍団長と小クィンキナトゥスを始めとする帝都に暮していた主立った市民派貴族が頷く。


 ハルの放った陰者達からの情報で、無頼兵士達は軍の体を為さず、治安官吏分所や気に入った酒場、または宿屋で思い思いに過ごしている事が分かっていた。


 また、市民派貴族が元老院の控え室に未だ監禁されている事、貴族派貴族はルシーリウス卿の邸宅で会合を度々開いている事も報告されている。




帝都の城門は閉じられているものの、城壁や城門に詰めている無頼兵士達はごく僅か。


戦いは帝都から若干離れた場所において行われており、無頼兵士達は15万の大軍がよもや蛮族を寄せ集めただけの辺境護民官軍に負けるとは思っていない。




「これ程上手くいくとは思いませんでしたが、これぞ作戦勝ちというヤツでしょう!」


「認めたくは無いが……作戦の見事さについては異論無い」




 小クィンキナトゥス卿が興奮気味に言うと、ロングスも渋々ではあったが辺境護民官の作戦の妙を讃える。




「ふっ、今こそ帝都奪還の時!マグヌス陛下をお救いし、我等の正当性を内外に知らしめよう!」




 ユリアヌスの言葉に一同は深く頷き、それぞれの役目を果たすべく各部署へと散っていくのだった。














 屯所や酒場、宿屋で次々に血祭りに上げられる無頼兵士達。




 帝都の城壁を守っていたルシーリウス家の私兵達は、雪崩れ込んできた市民派貴族と市民達にあっけなく打ち殺されてしまう。


 市民の案内で無頼狩りは順調に進んでおり、この分で行けば帝都市街区の掃討はそれ程労せず終わるだろう。


 帝都の城壁は後方から敵が現れるなどとは夢にも思っていない無頼兵士達の大いなる油断のお陰でたちまちの内に占拠され、帝都の外郭や市民街区は市民達自身の手によって解放されるのも時間の問題となっていたのであった。








 また同時に闇の組合の力を削ぐべく、ユリアヌスは帝都の貧民街へ傭兵達を派遣する。


 ルシーリウスら貴族派貴族の知己と支援を受けて肥大化した闇の組合は、以前では考えられない程拠点にあからさまな構えを取っており、直ぐに所在が分かるのだ。


 傭兵達はその建物に容赦なく火を掛け、女子供の境無く闇の組合に属する者達を斬捨てる。


 貧民街はたちまち騒然となり、あちこちで怒号と悲鳴が飛び交う酷い様相となったのだった。


 全く攻められる事を想定していなかった無頼兵士と闇の組合員達は、たちまちユリアヌス軍に追い詰められ、突き殺され、斬り倒されてゆく。




 5万もの無頼兵士達は、こうして軍としてのまとまりを一度も持てないまま、碌に抵抗出来ずにユリアヌス側の組織立った攻勢にその命を散らしていったのである。


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