第80話

3週間後、コロニア・リーメシア、市長室




 普段は広く感じる市長室であるが、今日この時に限って言えば些か狭いと言わざるを得ないなと、コロニア・リーメシア市長のパーンサは自室でもある市長室を見回す。


 ポゥトルス・リーメスからやって来た副皇帝ユリアヌス。


 帝国第1軍団軍団長カイウス・ロングス。


 帝国第4軍団軍団長ノニウス・トレボニウス。


 帝国第10軍団軍団長プブリウス・セリキウス


 帝国海軍遊撃艦隊司令官アウルス・デルフィウス。


 北方辺境からやって来た辺境護民官ハル・アキルシウス。


 コロニア・メリディエト市長にして、第22軍団軍団長デキムス・アダマンティウス。


 第21軍団軍団長代行ルーダ。


 第23軍団軍団長ベリウス。


 第24軍団軍団長シール。


 第25軍団軍団長テオシス。


第26軍団軍団長デリク。


 シレンティウム特殊工兵隊長クイントゥス・ウェルス。


 そして、コロニア・リーメシア市長の自分、セクストゥス・パーンサが勢揃いしているのである。






 シルーハ撤退直後、ユリアヌスの廃帝とハルの辺境護民官解任がマグヌス帝の勅命により帝都で宣言されたがいずれも一笑に付される。


 ハルから離れる者は1人として無く、またユリアヌスに従っている者達も引き続き忠誠を誓ったのだ。


 その一方、シルーハ王はマグヌスの意向を支持し同時に講和の呼びかけを行った。


 軍が壊滅してしまったシルーハ側からすれば帝国との講和意外にこの戦争を収める方法が無いのである。


 彼らからすれば直接対決して敗れた辺境護民官や、ティオン市を占拠し艦隊を壊滅させられた海軍が大きな位置を占めるユリアヌス派よりも、渡りを付けていた貴族派貴族との交渉の方がやりやすいと考えたのだが、これが逆にシルーハと貴族派貴族の関係に信憑性を与えてしまう。






 ユリアヌスは一時的にここコロニア・リーメシアを副皇帝府となし、各地の軍団長や総督達に参集を呼びかけた。


 南方大陸での大敗やシルーハの侵攻と共に帝都の異変は既に帝国中に知れ渡っており、ユリアヌスの宣言で帝国の臣民達は帝国に内乱が起こったと激しく動揺する。


 しかしながらこれはユリアヌス側からすれば予想の範囲内の反応であり、むしろ積極的に情報を流したのはユリアヌスであったのだ。


 南方大陸派遣軍臨時総司令官のカトゥルスから、ユリアヌスの指揮下に入る旨の返事が送られて来ているが、これは海軍を掌握したユリアヌスに従わなければ兵や物資の補充が受けられない事と無縁では無い。


 カトゥルス個人は清廉な軍司令官であり、帝都の異変を知ってユリアヌスに従うつもりであったが、他の司令官達や将官達はそうで無い者もいる。




 無論、仲間割れを出来る情勢に無い事も大きいが、カトゥルスは補給を握っている者に従うという理由で軍閥に近い他の司令官や将官達を説得して南方大陸派遣軍をまとめたのであった。


 その他の軍団長や総督達、それに国境守備隊長達は大半が中立を保っている。


 ある者は、ユリアヌスが正式に皇位を継承すれば従う旨を通知してきており、ある者はあからさまにユリアヌスの呼びかけを無視した。


 一方、南方戦線から離脱したヒルティウスは帝国領西方の諸都市や属州を傘下に収めたまま不気味な沈黙を守っている。


 ユリアヌス側の働きかけにも、ルシーリウス側の働きかけにも応じていないのだ。


 いずれにせよ、ユリアヌス側にとって力を貸してくれる者は少なく、現状では自身で立て直した帝国海軍とハルだけがユリアヌスの軍事的な実力である。




私費を投じて雇った1万2千とハル率いるシレンティウム軍が4万余り、それに第1軍団長であるロングス率いる帝国軍3個軍団の残兵1万2千。


 対する貴族派貴族は私兵を続々と帝都へ招き入れ、既に20万近い兵数となっていた。


しかし権力に近い所に居た者達ほど私兵達の無秩序振りを承知しており、これを破りさえすれば彼らはユリアヌスに従うだろう。


 


 一方一足早くロングスはアダマンティウスの説得に応じ、取り敢えずはユリアヌスに従う事を表明したのであるが、これは帝都から引き離された事やシルーハの動きから貴族派貴族が権力奪取のために自分達が出しにした事を知ったからである。


 もちろん、アダマンティウスも積極的にその証拠を示して説得した事もあった。


 また、精強な辺境護民官軍が東部諸州を解放してその傘下に収めており、これに従わなければ食糧や武器の補給を受けられず、行き場も無いというやむを得ない理由もある。


 帝都に戻ったところで任務不達成を理由に兵を奪われ、解任されるのが関の山である事はロングスや他の軍団長も十分承知しており、彼らは味方すれば敗戦は不問に付すというアダマンティウスを通じたユリアヌスの誘いに乗ったのだった。




 帝都の様子は逃れ出てくる市民や、良識ある貴族から漏れ聞こえてきている。


 更には使者として帝都へ派遣した第3軍団千人隊長カミルスから詳細な報告がなされた。


 早馬を乗り継ぎ、急ぎ戻ったカミルスであったが、急な呼び出しにも嫌な顔一つせず、直ぐに市長室へとやってくる。




「帝都はどうだった?」




 市長室へ着くなり帝都の様子をユリアヌスから尋ねられたカミルスは、よどみなく言葉を紡いだ。




「帝都は最早まともな治安が維持されておりません、私兵と称する無頼共に乱暴狼藉の限りを尽くされておりました。元老院はどうやらルシーリウス卿の主導で貴族派貴族によって掌握された模様です。私が皇帝陛下に報告をと申し上げても取り次ぎをせず、元老院議場で報告をさせられた挙げ句に何の沙汰もなしに返されてしまう始末です。ちなみにその時議場にいた元老院議員は全てが貴族派貴族でした。私の見知っている軍司令官級の議員や官吏出身の議員は1人もおりませんでした」




 カミルスの報告にある者は息を呑み、またある者はため息をつく。


 事態は想像した以上に悪化しており、最早一刻の猶予も無い。


 下手をすれば皇帝や反貴族の元老員議員は既に害されている可能性すらあった。


 ハルはカミルスに質問を重ねた。




「我々が探りを入れてきたと勘ぐってはいませんでしたか?その他に変わった様子は見ていませんか?」


「報告の意図に気付いた様子はありませんでしたが他の事は何とも。何せ報告が終わるなり議場を出されましたので、帝都は酷い有様でしたが事細かにものを見ている時間はありませんでした。うかうかしていると私も私兵の尋問を受けたかも知れません」




 カミルスは肩をすくめてハルの質問に答えた。


 しばらくの沈黙の後にユリアヌスが徐に口を開く。




「いずれにせよ帝都は解放しなければいけないか……」


「そうは言いましても殿下、今のままでは帝都に籠城されでもしては我々に勝ち目がありません。兵糧攻めをしかけても相手の方が兵力の多い状況では包囲は不完全なものとならざるを得ませんし、第一帝都市民に負担が大きすぎます」


「うむ、解放したは良いが餓死寸前の帝都市民から怨嗟の目を向けられても困るか……」




 ユリアヌスの言葉にロングスが困ったような口調で応え、更にはアダマンティウスが顎髭をしごきながら補足した。


 ロングスの言うとおり、兵糧攻めを敢行した場合一番割を食うのは帝都市民であり、また20万の軍を半分程度の軍で閉じ込めるには無理がある。


 ユリアヌス側としては敵を野戦に引きずり出したいところであった。


 思案し始めたユリアヌスら帝国側の首脳に、クイントゥスが声を掛ける。




「……無駄にプライドだけは高い連中です、挑発すれば出てくるのではありませんか?」


「そうだな、帝都の元老院宛に議事停止の布告を出そう。それから帝都市民向けに現在の帝都の惨状を基にした檄を飛ばす」




 議事停止とは元老院が機能不全に陥ったと判断した皇帝や副皇帝が布告する非常事態宣言であり、元老院の同意があって初めて布告出来るのであるが、ユリアヌスはこれを一方的に布告して挑発しようというのである。


 元老院に拠って立つことを宣言しているルシーリウス卿にとって苛立つ布告となろう。


 ユリアヌスが顔を上げて答えると、ハルがその後を引き継いだ。




「市民への対策や広報はシレンティウムの工作員にやらせます。帝都に忍び込んで噂をかき立て、貴族派貴族の臆病振りと不甲斐なさを広めましょう」




 ハルの言う工作員とはもちろん陰者達の事である。


 ハルは軍に必ず数名の陰者を同行させているが、アダマンティウスが率いてきた軍の陰者と併せて10名程度の陰者がいる。


 これを使って諜報活動と併せて妨害工作や流言飛語を仕掛けようと言うのだ。




「それから、貴族派貴族の私兵軍と正面からぶつかるのはシレンティウム軍に任せて貰いたいんですが、どうでしょうか?」


「それは肯んじ得ない!」




 ハルの言葉が終わるやいなや、ロングスが声を荒げた。




「いかに内戦と雖も正面を受持つのは我等帝国正規軍に任せて貰いたい!」


「私たちも一応は帝国の正規軍ではあるのですが……」


「何っ!?」




 ハルが困ったように返すと、帝国軍の軍団長達がいきり立った。




「まあ、待たないか。辺境護民官殿には何か策があるのであろう?反対するのはそれを披露して貰ってからでも遅くはあるまい?」




 今は辺境護民官の配下であるが、帝国軍最古参の将官でもあるアダマンティウスの取りなしで、一応ロングスらは納得して浮かし掛けた腰を下ろす。




「では……」




 徐に切り出したハルの作戦に一同は耳を傾けたのだった。


間もなく内戦が始まろうとしていた。












 帝都東部平原






 帝都からほど近い平原に、貴族派貴族がかき集めた私兵達の内、実に15万の私兵が集結していた。


 これ以外にも帝都には押さえとして5万ほどの私兵が居り、また闇の組合員達も帝都で貴族派貴族に対する反抗勢力や市民達の動向を監視している。


 その布陣した私兵の中央後方に、ヴァンデウスは陣取り、得意げな顔で周囲と対抗する辺境護民官軍を眺める。


 ハル率いるシレンティウム軍は約4万。


 北方軍団兵を基本として左右に騎兵を配置し、さらに今回は後方に巨大な投石機オナガーや巨大弩弓バリスタを配置しているのが見て取れた。


 帝都に対する攻城戦準備であろうが、野戦に取り回しや機動力の無い重兵器を持ち込むのはあまり意味のある行動とは言えない。


 戦術に疎いヴァンデウスであってもそれぐらいのことは分かる。




「おいおい、何だ、俺は無視かよ…もう帝都攻めの準備か?」




 配下の私兵達が配置箇所に向かってばらばらと向かうのを見ながらヴァンデウスは重兵器を遠望し、愚痴った。




「そうは言いましても、あの曲者辺境護民官ですぞ、若」


「くくくっ、いくら曲者の辺境護民官といえどもこの大軍に為す術はないだろう!」




 ヴァンデウスがそう笑声混じりの声を上げると、傍らに居た厳つい中年の帝国人将官が苦虫を噛み潰したような顔で再度たしなめる。




「若、そうは言いましても辺境護民官は常に寡兵で敵対する大軍を破ってまいったのですぞ!決して油断してはなりません。あの重兵器にもなにやら意味があるかもしれません」


「あん?じゃあ何に使うのか言ってみろよ」


「……それは、と、ともかく油断してはなりません!」




 自分の言葉に言い淀んだ中年将官に、ヴァンデウスは再び得意げな顔で言った。




「いい加減その上からの物の言い方を改めてはどうなんだ、グラティアヌス?俺はガキじゃねえ、帝国軍総司令官様だぞ!?」




 せっかくの忠告を聞き入れることなく、うるさそうな様子で手を顔の前で左右に振りながらヴァンデウスは答える。


 しかし、その中年男は表情を厳しい物に変え、再度ヴァンデウスに向かって言い放った。




「立派な総司令官の地位もこの戦に敗れてしまえば無くなるのです、ここで諌言致さずそのような憂き目に主筋の人間を合わせたとあっては先祖に顔向けできません。ですから言わせていただきますぞ、若!油断召されるな!」


「うるさいやつだ……まあいい、どっちにしろお前が指揮を執るんだからな、勝手にしろ!全く、お前はいつも口うるさい上にやっかいなやつだ」


「我が一族がルシーリウス家にお仕えして早200年、我々は決して手を抜きませぬ!」


「……まあたそれかよ~止めろよなこんなトコでよ。面倒くさいったらありゃしねえっ。元帝国軍の軍団長様にゃ敵わねえよ!」




 渋い顔のまま言葉を継ぐ中年男、グラティアヌスにさすがのヴァンデウスも根負けしたような顔で答える。


 するとグラティアヌスは真顔で言葉を継いだ。




「軍団長とは言いましてもルシーリウス家にお仕えする前にしたことで御座います。そもそも我が兄が死なねばこのような過分な地位にある事も無かったでしょう」


「はは、お前、帝国の軍団長よりウチの私兵団長の方が良いってのか?」


「当然で御座いましょう。我が家はルシーリウス家の家令を務めるのが本筋で御座いますから」




 ヴァンデウスの呆れたような言葉にも、グラティアヌスは極めてまじめに答える。




「あ~分かった分かった」


「では、そろそろ交渉に向かいませんと」


「……めんどくせえなあ」




 グラティアヌスに促され、ヴァンデウスは頭を振りながら馬を進めるのだった。












帝都東部平原、シレンティウム軍本陣






「重兵器の配置完了しました」


「お疲れ様、後は敵がこっちへ掛かってきてくれるだけだな」




 クイントゥスの報告にハルは笑顔で応じる。




「……しかし、まさかまともな野戦で重兵器を主体に戦うとは考えもしなかったか」




 後方の重兵器群を眺めてアダマンティウスが感心したような、それでいて呆れたような声を出すと、すかさずハルの肩からアルトリウスが声を飛ばした。




『ふむ、アダマンティウスよ、おぬしもまだまだ甘いであるな。劣勢の軍においては別の物で補う、これは戦術の基本である!』


「はっ、御教示恐縮です」




 すでに老境にあるアダマンティウスが、小さな青年風のアルトリウスに対してしゃちほこばった礼を返すのを、何とも言えない顔で見るクリフォナムの軍団長達。


 その事情は重々承知はしているが、実際に見れば何とも滑稽な光景に口元が緩んでしまうのを止められないのだ。


 実際重兵器を運んできたのはアダマンティウスであるのだが、40年越しで行われる師弟の掛け合いにハルも思わず口元がほころぶ。




コロニア・リーメシアでハルが披露した作戦はアルトリウスとハルの合作によるもの。


 スイリウスの発明品を生かし、敵を味方の布陣した場所へと引き込むのだ。


 そのためにも相手にこちらが寡兵であると侮らせなければならない。


 帝国軍やユリアヌスの傭兵達との合同軍を拒んだのは、指揮系統の輻輳したり、文化習俗の違いから兵士間に軋轢が生じるという理由以外に、作戦上の都合もあったからである。




『さて……私兵とは言えどもその兵数は侮れんのである。指揮する者次第ではあるが、おそらく正面切って攻め立ててくるであろう。こちらに策があろうが無かろうが、この平原で大軍を生かして戦うにはそれが一番簡単で合理的、かつ勝率が高い。小細工はこのような大軍の場合かえって混乱や作戦の齟齬を生じるものである』


「なるほど……」




 肩に乗ったアルトリウスの講釈に聞き入り相づちを打つハル。


 アルトリウスはその様子を満足げに見ながら言葉を継いだ。




『うむ、しかしそれは並の指揮官が相手であった場合である。我らを相手取るにはそれでは足らん、帝都のあほ貴族どもにそれを思い知らせてやろうぞ!』


「分かりました……では、まず交渉といきましょう」


『うむ、まあ、意味は無いであろうがな。あほの顔を拝んでやるのである』




 ハルがそう言いながら馬を敵陣と自陣の中間地点を目指して進め始めると、アルトリウスは頷きながらそう付け足すのだった。










 両陣営中間地帯






ハルが中間地点に到達すると先に到着していたヴァンデウスガうんざりしたような声で言う。




「……なんだ、辺境護民官って、お前のことかよ」


「それはこちらの台詞ですね、こんなところで何をしているんですか?逮捕されたはずでは無かったんですか?」


「うるせえよ、お前のおかげでこっちは大変だったんだ!」




 ハルが返した言葉に、ヴァンデウスが怒声に近い声を放つ。


 ハルに殴り倒された時の傷は癒えたが、あの時の屈辱と恐怖は未だヴァンデウスを縛っているのだ。


 一緒に居た無頼達は再起不能なけがを負わされてしまった。




「え、何が……?」




 その剣幕に驚いたハルが思わずそう言葉を返すが、引きつった笑みで口を開いた。




「お前、確か俺を逮捕して尋問するつもりだったんだってな?そんな事出来るとでも思ってたのか?」


「……」


「お前が北へ去ってから、俺の親父がお前の捜査を違法として訴えた。そんでお前のやった事は全部無かった事になったって訳だ」




 最初は黙ったまま聞いているつもりだったハルであったが、さすがに違法と言われれば反論せざるを得ない。




「それは、あなたの違法行為を……」


「だ・か・ら!お前は馬鹿か!お前のやった事は違法なんだよ!俺がやった事は正しいの、わっかんねえかなあ!?」




 ハルの言葉を遮り、ヴァンデウスが嘲るように言う。




「!!」


「というわけだ、やっと分かったか?じゃあ死ね!」




 腰から乱暴に剣を抜き放ったヴァンデウスがそう言うと、それまで傍らで控えて口を差し挟まずにいたグラティアヌスが馬ごと前へ出てハルとヴァンデウスの間へと割って入った。




「いけませぬ、若!この場は交渉ごとの場、決して互いに危害を加えてはなりません」


「うるさいっ、今ここでこいつを殺せば全部終わりだろっ!」




 苛立たしげに回り込んでハルへ斬りかかろうとするヴァンデウスを馬で巧みに制し、グラティアヌスは重々しく説得の言葉を紡ぐ。




「……作法を軽んじてはいけません。これは戦場作法、戦場における最低限の作法で御座います」




 しばらく剣を抜いたまま忌々しげにハルをグラティアヌス越しに見ていたヴァンデウスは不満げに鼻を鳴らし、ようやく、しぶしぶではあるが剣を鞘へと収めた。




「……ふん、お前!うちの家令に感謝するんだな!」




 ヴァンデウスが馬首を返して自陣へと引き上げ始め、距離が少し離れると、付き従っていたグラティアヌスは目礼をハルへと送る。




「それがしはグラティアヌス、我が主家ルシーリウス家に仕えまする家令私兵団長で御座います。お見知りおきください」


「辺境護民官ハル・アキルシウスです」




 ハルがすっと腰の刀からさりげなく手を離すと、グラティアヌスの目が細まった。




「主の無礼を家令が謝罪するというのも筋が通りませんが、失礼致しました。剣をお引きくださり……ありがとう御座います」


「何か交渉内容やその条件はありますか?」


「特に何も御座いませんな。貴公が降伏して下されば戦いは回避出来ますが……」


「交渉も何もないではありませんか」


「……全くですな、では戦場にて!」




 グラティアヌスが馬首を返し、ヴァンデウスの後を追ってその場を離れると、アルトリウスがこそっと現れた。




『あの若造となんぞ因縁でもあるのであるか?』


「私の左遷の原因を作った人ですよ、プリミアを馬では跳ね殺しそうになったとんでも無いやつです」




 ハルの忌々しげな言葉に、アルトリウスは頷きながら納得の表情で口を開く。




『おう、あれが……なるほど、家令はともかく、本人はあほである』


「あほでしょう?まあ、軍の指揮はあのグラティアヌスさんがやるのでしょうから、油断は出来ませんが……」


『それだけ分かっておれば言うことはないのである。しかし、あほであるが感謝せねばならんであるな!』


「え?感謝?」




 アルトリウスの意外な言葉にハルは驚きの返事をする。


 戸惑いの色を隠せないハルを、いたずらっぽい笑みを浮かべたアルトリウスが見つめた。




『当然である!あのあほが居らねばハルヨシは北に来る事が無かったのであろう?ま、その過程には不幸もあったやもしれぬが、今の我らであればその事も不幸であったと断じ切る事は出来まい?』


「あ~まあ、そうかもしれません……」




 馬に揺られ、ぽりぽりと頬を掻きながらハルがいろいろと思い出しながらも笑みを浮かべる。


 思えば遠くまで来た。


 群島嶼の敗戦と故郷の荒廃、落ち込む暇も無く出稼ぎに出た帝都での生活に一応の安らぎを感じ始めていた矢先の左遷、そしてシレンティウムでの毎日。


 そして出会いがあった。




「……まあ、そうですね」


『いささか独占欲が強くはあるが……綺麗で尽くす嫁のことを考えているのであるか?』


「そうですね」




 からかうように言ったアルトリウスだったが、ハルが素直に返事をした事に少し不満そうな声で言葉を継いだ。




『ハルヨシよ、最近照れが無くなったな……面白くないのである』












 帝都東部平原






 それぞれの指揮官達が特段の変化無く自陣へと引き上げてきた事を見て取った両軍の兵士達は、いよいよ開戦が近づいたと気持ちを引き締める。


 尤も、無頼集団が多いルシーリウス軍はまた違った思いを抱いていた。




「おう、やっと開戦か!停戦になっちまいやしねえかとヒヤヒヤしたぜ」


「違いねえ!停戦なんぞくそ面白くも無えや、北方辺境の蛮族のお姉ちゃん達を思う存分いたぶりてえからなあ」


「金髪ていやあ、下の毛も金色らしいぜ!」


「ここで勝てばシレンティウムとか言う、蛮族の街の財宝と女共は好きにできんだろ?」


「ああ、間違いねえよそれは、親分が言ってたからな!」


「わはははやる気も出るってもんだぜ!」


「シレンティウムといやあ、ここ最近じゃ一番金の集まってる街だからなあ…今から楽しみだぜ」


「帝都の女はやり尽くしたからな、もう飽きちまった」


「おれは奴隷が良いな、クリフォナムの頑丈な奴隷共なら高値で売れるだろ」


「帝都は金も食いもんも良かったが、もう獲れるもんはねえし、飯にも飽きたしなあ」




 最前線に置かれた事など露程も気にしていない無頼達は、お仕着せの鎧兜と剣を装備し、さながら帝国兵のようではあったが、その中身は全くの別物であるのだ。


 ルシーリウス卿が金と免罪を餌にかき集めた無頼達は欲望を隠そうともせずに戦列を組む同僚達と下劣極まりない話を延々と繰り返す。


 後列に連なるルシーリウス家に昔から仕える古参の私兵達は、無頼には違いないものの一応の訓練を受けたり、帝国軍の退役兵が主となっている。




 急遽集められたどうしようも無い連中や他の貴族から応援に寄越された私兵よりは若干ましではあるが、それでも勝利後に期待する物は変わらない。


 全員が自分たちの勝利を疑わず、そして勝利後の褒美や対価に思いを馳せていた。




 配下達のかしましい、卑猥で下劣な話し声に頬を緩めつつ、ヴァンデウスが無頼達と同じ欲望を夢想していると、固い中年男の声が耳に届いた。




「若、宜しいですか?」


「おう、いいぞ」




 そのグラティアヌスの言葉にヴァンデウスは夢想を破られたが、その夢想を現実の物にしてくれる男の言葉である、無碍にすること無く鷹揚に頷く。


 主人の承諾を受け、グラティアヌスは胸一杯に息を吸い込むと大音声を発した。




「では、正攻法でゆきますぞ……前進!!」




 グラティアヌスの号令で、ルシーリウス軍がシレンティウム軍目指して前進し始めた。














「敵が動きました!」




 前線からの伝令に、ハルは無言で頷く。




「準備はすでに整っています、いつでも射撃可能です」


「敵はまっすぐ向かってまいりますな、おそらく小細工せず、正攻法で正面からぶつかるつもりでしょう」




 クイントゥスがハルに告げると、アダマンティウスが補足の報告を行う。


しばらく敵であるルシーリウス軍の前進を見ていたハルは、おもむろに口を開いた。




「戦闘準備、重兵器隊は特殊火炎弾、爆裂弾を装填した後指示を待て、射撃方法は予てからの研究通りにすること、その後はクイントゥスに一任する。敵軍の布陣は厚い、故に敵軍の半ばまでが射程に入り次第一斉射撃を行う」


「了解!」




 クイントゥスはハルの命令を聞き、返事を残して指揮する重兵器隊の布陣場所へと戻る。


 その間にもルシーリウス軍がずんずんと迫る。


 そして、その最前列が射程内へと入ってきた。




『さて、もう間もなくであるな、準備は良いかハルヨシよ?』


「いつでも!」


『うむ、では頃合いであろう……』


「そうですね、射撃開始!」




 ハルの号令で伝令兵が勢い良く大きな青い旗を上げた。


 その青い旗を見たクイントゥスが率いてきた重兵器の前端を確認し、その全てに白い装填完了を示す小旗が翻っている事を認めてから前を見る。


 一応の西方陣形を組んだルシーリウス軍は、寄せ集めとは思えないきっちりとした行進を続けており、その射程が敵陣の中段あたりまで達していることが確認出来た。




「よし、全機射撃開始!」


「射撃開始!」


「射撃開始ぃっ!撃て撃てっ!!」




 クイントゥスの号令により伝令が走り、将官達が声を張り上げる。


限界いっぱいまで引き絞られた重投石機の拗り発条を留めていた鎹が、工兵達のハンマーで次々と打ち落とされ、貯められたすさまじい力が装填された特殊火炎弾を打ち出した。


 鉄で補強された腕木がきしみながら同じく鉄で補強された支木にぶつかり、轟音を立てて重投石機が跳ね上がる。


 工兵達は慣れた様子で衝撃によってずれた重投石機を元の位置へと引き戻し、新しい弾を装填するべく発条を梃子で巻き始める。


工兵達は1機に対し4人がかりで汗だくになりながら発条を巻き上げていく。


 そして再び力が貯まり、特殊火炎弾を装填し終えた工兵達の耳に、爆音が低く、地響きのように伝わってきた。




「お?命中だ!」




 クイントゥスが言うまでも無く、敵陣には綺麗な横一線を描いて炎が立ち上っており、それはすぐに真っ黒な煙を伴って周囲を炎で包む。


 射程距離が伸びた事で、弾の到達までに時間が掛かるようになり、これまでであれば2斉射目に入る前に着弾の効果が分かったが、今は2回目の射撃準備が整ったくらいまで時間が掛かるのだ。


 その分発条の巻き上げに時間が掛かるようにはなってしまったが、そこは兵士を増強して補った。


 そして更に、順番に炸裂する特殊火炎弾は以前にハレミア人を打ち破ったときの物よりも威力が増している。


 燃料を入れる壺の形状を工夫し、より多くの燃料を詰められるようにしたためだ。


 スイリウスにより随所に改良が施され、威力、使い勝手共に向上著しい重兵器。 


 2斉射目が放たれ、次々と炎を吹き上げる中、クイントゥスは声を張り上げた。




「頃合いは良し……爆裂弾装填!」




 クイントゥスの号令でそれまで素焼きの瓶に蜜蝋で封をした特殊火炎弾に変わって、今度は丸い素焼きの瓶で出来た弾が用意され、腕木の先の発射皿へと装填されてゆく。


 黄色い旗が各重投石機の前端に掲げられた事を確認したクイントゥスは絶叫した。




「撃てええええっ!」




 再び轟音とともに腕木が支木に衝突し、丸い瓶が空高く飛び出す。


 勢い良く飛び出した丸い弾は、どんどん小さくなってゆく。


 最後には丸い粒のようになった弾が地面に到着すると同時に割れて砕け散り、中に詰まっていた粉とおぼしき物を周囲へとぶちまけるのが辛うじて見えた。


 その瞬間、どすんという今までに無い重みを伴ったすさまじい爆発音が轟き、キノコ型の爆炎がルシーリウス軍のあちこちに立ち上がった。




 思わず遠くに居るシレンティウム軍の兵士達がのけぞってしまうほどの爆発と閃光は、わずかに遅れて届いた衝撃波とともに最前列で盾を構える兵士達を揺さぶる。


 衝撃と爆発、閃光はルシーリウス軍の兵士達の悲鳴や絶叫、怒号とともに断続的に続き、その恐ろしげな光景に味方である北方軍団兵たちも生唾を飲んだ。


 炎に巻かれた兵士達は一瞬で真っ黒に炭化し、爆発に巻き込まれた兵士達は絶叫と共に体の一部を吹き飛ばされつつ宙を飛ぶ。




 真っ黒に焦げた物体がばらばらと周囲に降り注ぎ、飛び散った火の粉を振り払おうとして失敗した兵士たちが悲鳴を上げ、爆発の衝撃で頭を揺さぶられたり、耳をやられたりした兵士達が倒れ伏していた。


 未だ相手との距離があり余裕があるにも関わらず、ルシーリウス軍の兵士は重兵器隊の連射とその攻撃のもの凄さにすっかり意気を削がれてしまう。


 しかし、大軍の利点かはたまた弱点か、後退命令も停止命令も未だ出ず、無頼とは言えこの大軍の中にあっては勝手に逃げ出すことも出来ず、多くの兵士達は前へと進む他無いのだった。














「ス、スイリウスさん……ぶっ飛ばしすぎだっ」


『あの発明女史、いささか頭がぶっ飛んでいるのであろう……』




 後衛となる本陣で、次々と発射される爆裂弾がルシーリウス軍の前衛から中段にかけてまんべんなく炸裂する様子を見ていたハルとアルトリウスが冷や汗をかく。


 スイリウスが発明した爆裂弾は東照から伝わった花火に使われている火箭薬を改良した爆裂薬を使用したものであるが、弾単体での爆発力は持っていない。


 少しでも火に曝してしまうと爆発したり、燃えてしまったりする為繊細な取り扱いが必要で、そのことからスイリウスと工兵隊の面々は何度かの実験における失敗を経て爆裂弾単体での使用を断念し、事前に特殊火炎弾などで敵陣に火の気がある状態で使用する事にしたのであった。




 この花火を伝えたのは、何を隠そう薬事院教授の鈴春茗。


 学習所や薬事院を訪れる、主に子供達に披露した飛行花火の噂を聞きつけたスイリウスがその製造方法と使用方法を教わったという経緯があった。


 東照において武器という分野であれば、火箭薬は文字通り火箭として使用されている。


 しかしこれはあくまでも火箭を飛ばす燃料としての使用であり、火箭薬そのものが持つ爆発力を兵器にしようという発想は、その制御の難しさや運搬手段の欠如から誰も持たなかった。


 それをスイリウスは火箭薬の持つ推進力の大元であるところの爆発力に注目し、この爆裂弾を完成させたのである。




「花火が爆裂弾に変わってしまうと言うのは……ほんとうに物って使い方次第ですね」


『うむ、全くである』




 爆発と火炎に巻かれ、世にも恐ろしい地獄さながらの様相を呈しているルシーリウス軍の前衛の様子を、ハルとアルトリウスは引きつった顔で眺めるのだった。

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