第13話

アダマンティウスの関所出発から15日後昼、シレンティウム西側農場




 オラン人と一緒に畑へ出て蕪の間引きの手伝いをしているハルの元に、アルトリウスが姿を現した。




『ハルヨシよ、帝国兵が西の方から接近中である……数はおよそ200だな』


「帝国の関所は南ですね……アダマンティウス司令官とは別の部隊でしょうか?」


『おそらくは……余り良い感じはしないのである』




 ハルの言葉に神妙な顔で答えるアルトリウス。


 ハルは手を止め、間引いた蕪の苗をかごに入れて近くの用水路まで行って蕪の苗を水洗いする。


 今日はこれで汁物の具に彩りが出るだろう。


 ハルがかごを近くに居たオラン人の農夫に美味そうだよと言いながら手渡し、腰に付けた手布で手を拭きながら執務室へと歩き始めるとアルトリウスが接近中の軍について解説を加えた。




『ここから最も近い国境防衛隊は遙か彼方のオラン人居住地域にしかおらんである。そこまでは北辺大山脈という天然の壁がある故にな……であるから用心せよ。いずれにせよ何らかの目的があって出張って来たと見て間違いなかろうが、目的は良いものとは限らないのである』


「そうですね。問題はその目的が何かというところですか……」


『うむ、万が一に備えよう。素行の悪い奴らだと面倒なことになる。原因は何であれ、せっかく集まり始めた市民に怪我でもされて我らの評判が落ちても困るのであるな』




 帝国軍の素性を気にするアルトリウス。


 帝国軍による乱暴狼藉で自分達シレンティウム行政府の評判が落ちれば、増えてきた移住者や物売りが減ってしまうだけでなく、その暴力によってたまった不満が行政府に向き、帝国軍が目的を達して都市を離れた後、シレンティウムで暴動が起きるかも知れない。




「分かりました、すぐにみんなを行政区の方へ避難させましょう。ろくでもない連中のろくでもない理由なら危ないですからね」


『うむ、良い判断であるな。あそこなら城壁もしっかり残っている……ふっふっふ、しかしハルヨシよ……帝国兵から市民とは言え蛮族を守るとはよく言ったものであるなあ?本来のハルヨシの業務は帝国の威信を高め、蛮族を征服することであろう?』




 急ぎ足のハルに追いすがりながらアルトリウスがからかうと、ハルはにやっと口角を上げて答える。




「何を言いますか……威信は“高める”のでは無く“高まる”んですよ?そしてそれは国の行動だけが実現可能な手段です。私は帝国の威信を賭けて市民を守りますよ」


『わははは、左遷されて腐っておった奴がよく言うようになったわ!それでこそ我が見込んだ後任よ!』




 ハルの余裕ある答えにアルトリウスは心底おかしそうに笑った。
















 ハルが戸外の全員を都市の行政区へ避難させ終わった頃、帝国軍国境防衛隊北管区の百人隊長ボレウス・カデウスは、シレンティウムの西の城門前で大いに戸惑っていた。




「こんな所に帝国の都市があるとは来ていないぞ……一体何だこの都市は?」


「分かりませんが……一応地図上においてはクリフォナ・スペリオール州の州都、ハルモニウムと記されています」




 律儀な様子でボレウスの何時も冷静な副官クイントゥスが質問に答える。




「ハルモニウムだと?……ああ、あれか。英雄アルトリウスの物語の伝説の北の都」


「そうです、しかし既に40年前に廃棄された都市のはずです。このように整備されたとは聞いていません」




 いつも通り冷静に見える副官の額から一条の汗が落ちた所を見ると、相当に驚いているようだ。


 廃棄都市とは思えない都市の光景に圧倒され、帝国軍国境防衛隊シオネウス砦の兵士達は息を呑んでいた。


帝国の技術が使用されている事は分かるが、随所に帝国とはひと味違う工夫が為されている。


 都市中に張り巡らされた水道橋は豊かで清浄な水を隅々まで行き渡らせ、最後は城壁跡の北側で大きな滝となって堀に落ち込んでいる。




 そして堀に1度貯められた水は、小さな幾重もの水路で周囲の土地を潤していた。


 部隊が進んできた西側は森の一部が切り開かれて農地が整備され始めており、根菜や牧草らしい作物が規則正しく並べて植えられている。


 兵士の1人が試しに近くの溝を流れる水をすくって口に含むが、喉を転がるような清水にその兵士はそのまま思わず飲み下してしまった。


 よく見ると今は人が居ないようであるが随所に生活の痕跡が見受けられる。


 馬車の轍、人の足跡、草を刈った後、真新しい切り株、そしてたき火の後。




「思わぬ獲物が転がっていたな。しみったれた蛮族のシオネウスなど放って置いてもお釣りが来るぞ」




 無防備な都市を前に、略奪した後の戦利品を皮算用して思わず舌なめずりをするボレウス。


 廃棄されていた都市だ、見た感じ住人も多くて1000人程度だろう。


 戦士がいるとしてもせいぜい100人、ひょっとするともっと少ないかも知れないが、帝国の重装歩兵の攻撃で正面から当たれば怖い事は無い、他愛無く蹴散らす事が出来る。




 城壁はしっかり残っているようだが、城門には扉も無く防備の役には立たない。


 防御塔も残っているようであるが、人が居る様子がないので気にする事はなさそうである。


 どうせ住んでいるのは蛮族ども、それにここは帝国の法典の威力も届かない辺境の地である。


 戴ける物を戴き尽くし、使えそうな女や子供は掠った後は焼き払って更地にしてしまおう。


 愚かにも貢納を拒んで逃げたシオネウスの村と同じように跡形も無く。


 そうすれば帝国の市民が居ようが、行政官が居ようが関係ない。


 全ては辺境の闇が覆い隠してくれる。




「……しかし隊長、これだけの都市です。行政官や辺境護民官が居る可能性が高いと思われますが……」


「ああ、そんな者はここに居ないぞ?ここは廃棄された都市だからな……少なくとも俺は知らないし聞いていない」




クイントゥスが忠告するがボレウスは聞き入れないどころか、詭弁を弄して帝国の都市からの略奪という贖いがたい悪行を正当化しようとした。




「しかしそれは……法令に背くことになります」




 しかし、クイントゥスの発した反駁の言葉はボレウスの神経を逆なでする結果となる。




「そういえば貴様……この前も俺の指揮命令に逆らっていたな?」


「ご忠言申し上げるのが副官の仕事ですので……逆らったと言われればそれまでですが」




 シオネウスの村を焼き払った時に反対意見を堂々と述べた副官は、今度も特に何を感じさせるでも無くボレウスの粘つく視線の中そう言った。




「では、一部を聞き入れてやろう……戦利品は一切やらんが、攻撃に参加したくない者は手を上げろ!ここで待機させてやる!」




 50人ほどの兵士達が手を上げ、これにはボレウスとクイントゥスの両方が驚いた。


 ボレウスは予想外の多さに、そしてクイントゥスはそんな者が存在した事に、である。




「……ちっ、くそが……まあいい、貴様らはここで輜重を守っていろ。臆病で向上心の無い貴様らには食料のお守りがお似合いだ!」


「了解しました」




 ボレウスは早速居残る準備を始めたクイントゥス達に捨て台詞を残し、残りの150名の兵士を率いて都市へと進撃を開始した。












『……ハルヨシよ、残念ながら交渉の余地はなさそうであるな。帝国兵が戦闘態勢で進んでくるであるぞ』




 盾を並べ、剣を突き出した帝国軍部隊が進んでくるのを見て取ったアルトリウスがハルに警告する。




「そんなっ……!?ここには帝国の辺境護民官殿が居るというのにですか?」




 アルトリウスの決定的とも言える言葉に対して、帝国兵からさんざん痛め付けられてきた経験を持つヘリオネルは早くも恐慌状態で、悲鳴とも取れる声を上げる。


 ここ行政区の西にある軍団基地の壁際には、オラン人戦士50名とクリフォナム人の戦士10名、それからハル、アルトリウス、ベリウス、ヘリオネルが完全武装して隠れている。


 エルレイシアとレイシンクは行政区の元太陽神殿へオラン、クリフォナムの族民を区別する事無く避難させ、現在はその場を取り仕切っている。


 全員が緊張に顔をこわばらせている中、ハルとアルトリウスは落ち着いて言葉を交わす。




「これは困りました……正面からの戦闘になってしまいますね。ちなみに先任、どこの部隊か分かりますか?」


『いや分からん。砦の場所は変わってないであろうが、流石に40年経っておるからな。隊旗も掲げておらぬし、見ただけでは分からんである』




 アルトリウスとハルは、行政区の壁の陰から東の城門を慎重にくぐり抜け始めた帝国兵の部隊を眺める。


 ヘリオネルが2人に続いて覗くと、見覚えのある顔が兵士の指揮を執っている事に気が付いてあっと声を上げた。


 怪訝な顔で振り返るハルとアルトリウスに、ヘリオネルは気まずそうに説明する。




「……あれは東オランの砦に駐屯している帝国軍国境警備隊のボレウス隊長です……恐らく貢納を拒んで村ごと逃亡した我々を追ってきたのだと思います」




 ヘリオネルの言葉にげんなりするハル。




「……帝国軍って暇なんですか?」


『知らん、我に聞くのでは無いわ。聞くのであればあの百人隊長に聞け』




ハルがヘリオネルの説明を聞いてアルトリウスに質問すると、アルトリウスは心外だと言わんばかりにそう吐き捨てた。




「いや今は流石に無理ですから……先任だけなんですよ?帝国軍にいた事があるのは」


『40年前の昔ならばいざ知らず、今の帝国軍がどのような思惑で動くかなど我には分からんのである。第一あんな少数で辺境を行き来しておっては我の現役時代では自殺行為だ。それにも増して百人隊長ごときに管轄外への部隊指揮権を与える事などまずあり得んことなのであるぞ』




ハルの重ねての質問にアルトリウスは憮然と答える。


 それに対してヘリオネルが恐る恐る言葉を発した。




「その……村に来た時若い女を差し出せと、そう言っていましたが……まさか?」


「スケベ心で?こんな所まで!?」


『馬鹿な!腐っても栄えある大帝国軍ぞ!?』




 素っ頓狂な声を上げたハルにアルトリウスが怒声を上げたものの、ヘリオネルが冷静に言った。




「いえ、あれは腐ってる帝国軍です」


『……うぬっ』




何故か言い負かされた形になってしまい悔しそうに黙るアルトリウス。


 気まずい沈黙が辺りを占める。




「ま、まあそれは置いといて……どうしますか?この都市は辺境護民官の統治下にある事を宣言しておきましょうか?」


『一応……後事の為に布告はしておいた方が良かろうが、効果は期待はせん方が良いだろうな』




 自分の驚きの言葉がアルトリウスを結果として言い負かす原因になってしまったハルが、慌ててとりなすように言うとアルトリウスは幾分立ち直って答えた。


「そうですか、では……」










 ハルが名乗りを上げるべく下準備を行っている時、重装歩兵隊に漸進隊形を取らせ、その中央で指揮を執るボレウスは都市の美しさに魅了されていた。


 所々真新しい補修跡はあるものの芸術性と機能性を兼ね備えた都市の作り、水道橋のアーチの見事さに目を奪われる。


 恐らく彫刻や建造自体は帝国の技術で為された物であろうが、植物や自然を模しているデザインや配置はまごうかたなき辺境の蕃地に住まう北方蛮族の物。


 しかしそれがまた神話や人々の功績に基づいた、神々や人物像主体の帝国内の都市とは違った趣を見せているのである。


 ボレウスは帝都で勤務した事もあるが、あの凄みを感じさせる殷賑振りとはまたひと味違った優しさを感じさせる都市のたたずまい。




「ふん……流石英雄が愛し、守った街だな。美しい」


「はっ、廃棄都市とは思えません!」




 ボレウスの慨嘆に臨時の副官に任じた先任兵士が答える。


 そうして周囲を見回しながら部隊が西の城門をくぐった時、大通りの前方に1人の男が現れた。


 帝国風の鎧を身に着け帝国人が身に着ける楕円長衣をその上からまとった姿で、浅黒い肌に黒い髪。


 手には群島嶼風の大弓を持ち、同じく群島嶼の剣士が装備する箙を背負っている。


 この北方辺境では見かけないセトリア内海人の特徴を強く持つ人物の登場に、ボレウスはとっさに部隊へ停止を命じた。




「部隊停止!防御態勢!」




 ボレウスが命じると若干乱れは生じたものの、部隊は城門をくぐり抜けた所で停止する。




「……何者だ?見たところ群島嶼人のようだが……帝国の服装をしているな?」


「副官が仰っていたように行政官では無いでしょうか?……それですと少しまずくはありませんか?」


「馬鹿言え!こんな辺鄙な所に帝国の行政が及んでいるものかっ!そんな事を気にするんじゃ無い!」




 早くも及び腰になった兵士達の雰囲気を感じ取り、慌ててボレウスは先任兵士の言葉を否定するが、既に都市の略奪を明言してしまっているだけにもし本当にこの都市が帝国の行政管轄にあった場合は、味方に対する略奪の罪や都市騒擾罪で処断されかねない。


 居残った副官の冷笑が見えるようである。


ボレウスが冷や汗をかいていると、その人物が宣言するような口調で話し始めた。




「帝国辺境護民官並びにシレンティウム市最高行政官ハル・アキルシウスが部隊隊長に問い糾す!部隊の目的を宣せず都市の城門をくぐる事は帝国法により禁断されているはず!この都市は私の権限において治められし帝国行政管轄下の都市である!その非を悔い、速やかに部隊共々武装解除の上投降せよ!!」


「くっ、くそっ!何でこんな所に辺境護民官がいやがるっ!」


「た……隊長、どういたしますか?」




 はっきり帝国の管轄下にある都市であることと自分達が罪を犯した事を宣告されて動揺するボレウス隊の兵士達。


 その動揺が現れたのか、固めていた盾や剣を無様に揺らす。


 これで配下の兵士達にまでこの都市が帝国の支配下にあり、自分達が罪を犯そうとしている事がはっきり伝わってしまった。


ボレウスに残された道は投降か、若しくは暴力的な方法で全てを無かった事にしてしまうか、である。




「……辺境護民官さえ殺せば!後はどうとでもなる、やるしか無い!全員戦闘態勢!」




 そしてボレウスは暴力に訴えることにした。


 足音を鳴らし構えていた盾を脇に剣を燦めかせるボレウス隊の帝国兵士達。




「よ、よろしいのですか?」




 驚いて尋ねてきた先任兵士を睨んで黙らせると、ボレウスは自分も剣を抜く。




「敵は前方の辺境護民官!あいつを必ず殺せっ!突撃開始っっ!!」


「「うおう!」」




 ボレウスの号令を受けた帝国兵士達は、ハルめがけて一斉に突撃を開始した。














『ば……馬鹿な!仮にも帝国軍の百人隊長ともあろう者が、高位文官である辺境護民官を敵だなどと叫ぶとはっ!?……呆れてものが言えんである』




 ハルの傍らで唖然とするアルトリウス。


 辺境護民官は帝国皇帝の勅任官。


 ハル個人の氏名を標的にするならまだしも、官職を標的にするとは皇帝に対する挑戦であり、また明らかな国家反逆罪である。




『隊列はばらばら、盾壁には隙間だらけ……酷いものである。その上最早良識も失われてしまったのであるか……時とは残酷なものであるなあ』


「先任っ、ぼやいている場合ではありません!」




帝国兵士が自分目がけて突撃してくるのを見て慌てたハルは、黄昏れているアルトリウスへそう叫ぶと配下の戦士達に指示を飛ばす。




「最初の手はず通り左右交互に弓射開始!足止めは任せる!」




 伝令代わりの戦士は無言で頷くと、都市の大通り左右に隠れた戦士へハルの命令を伝えるべく走った。




「足さえ止まれば……何とかする!」
















ハル目がけて走る帝国兵達の視界左右に、ちらりと動くものが入る。


 その瞬間鋭い羽音と共に矢が飛来した。


 突撃していた数名の帝国兵が身体を貫かれて倒れ伏す。




「矢だ!右方向!防御態勢急げ!」




 残っている建物の屋根や木の上から次々と唸るような音を立てて飛来する矢。


 ボレウスが慌てて兵士達を呼び集めるが、今度は左方向から矢が飛来し、集まろうと背を向けた兵がうなじや背中に矢を受けてばたばたと倒れた。




「くそ、潜んでやがったか!」




 敵は1人だとあり得ない勘違いをし、てんでばらばらに突撃をしてしまった為ボレウス隊は防御態勢を取るまでに時間が掛かってしまう。


 その間にさらに数名の兵士が絶命した。


 ようやく防御態勢を整えて周囲の様子を見ると、間断なく飛んでは来るが飛来する矢数は多くはない。


 少なくとも自分達よりはかなりの小勢である。


 しかし徴税か略奪で終わると考えていたボレウスは、出来るだけ輜重で使う荷車のスペースを確保しようとかさばる弓矢は持ってきていない。


 ボレウス隊に反撃する術は無く、一方的に射られるだけの展開となった。


 更に立て壁の隙間を突かれて矢を射込まれ、数名がうめき声と共に倒れる。




「くそうっ!!こういう事ならきっちり装備を整えてくるべきだった……くそ!」




 今になって悔やむボレウス。


 固められた盾の隙間から前を見ると、正面に居る辺境護民官が悠然と大弓を構えている様子が目に入った。




「馬鹿かあいつは?所詮は素人文官……盾壁を真正面から弓矢でどうするつもりだ?」




 せせら笑うボレウスを余所に辺境護民官は狙いを定めているのか、しばらく構えたままでいた後無造作に矢を放った。


 ぱしっと軽い音が大弓から発せられる。


 そして息を吹きかけたような短い音の後、黒い烏羽の矢羽根を付けた矢を右目に受けた最前列の兵士が崩れ落ちた。




「なっ!?」




 驚くボレウスの目の前でさらにもう一閃。


今度は慌てて倒れた兵士の穴を埋めようとしていた兵士がもんどりうって倒れる。


 今度は左目に烏の矢羽根が付いた矢が突き立っており、その屍骸を見た横の兵士が恐怖に顔をゆがめて絶叫した。




「た……盾通しだ!群島嶼の盾通しだぞ!!」


「盾通しだと……!」




 驚くボレウスは、戦場の怪談を思い出した。


 数年前の群島嶼攻略戦で帝国軍をさんざん苦しめたヤマト剣士は必ず正面に現れ、黒い矢羽根を付けた矢を使って歴戦の帝国兵が作る盾壁をいとも簡単に崩したという。


 兵士が倒れ、盾の壁に穴が空いた場所からボレウスが呆然としながら辺境護民官を見ると、辺境護民官の大弓から再び、しかし今度は自分目がけて矢が放たれたのが分かった。












『……何が盾通しか、あれだけ盾と盾の間に隙間が空いておれば誰でも矢を通せるわ。かつては盾の隙間は心の隙間と厳しく調練しておったのであるが……全く帝国兵の練度低下は目を覆いたくなるばかりであるなあ』




ボレウスの左目にハルの矢が突き立ち、ものも言わずに仰向けにひっくり返るのを見てアルトリウスはため息をついた。




「お陰でこちらは助かりました……指揮官さえ討ち取れば兵士は抵抗を止めるでしょうからね」




 ハルが帝国兵士を見据えたまま構えを解かずに言うとアルトリウスは頷いた。


『うむ、その為に最初に相手の非を鳴らしてこちらの正当性を謳ったのであるからな。これであの百人隊長を討った事も問題にはなるまい』




 ボレウスが倒れた事で帝国兵達は一気に戦意を喪失し、その死骸を回収もせず盾を構えて後退し始めている。


 そして、西の城門まで下がると隊長や戦友の死体を残したまま、盾や剣を放り投げて一斉に背を向けて逃げ始めた。


 大通りに潜んで矢を放っていた、オラン人やクリフォナム人の戦士達から歓声が上がる。




『やれやれ……本当に情けないであるな。盾や剣を投げ捨てて逃げ去るとは……本来なら敵前逃亡で死刑であるぞ?……だがそのせいで助かったかと思うと、何とも複雑な気分であるな』




再び深いため息をつきながらアルトリウスが言った。














帝国兵が一斉に逃走へ移ったまさにその時、デキムス・アダマンティウスはシレンティウムに到着していた。


 そして喚声や怒声が響いていることから、その郊外において戦闘が行われている事に気付いて即座に反応する。




「……ルキウス君、君は輜重を連れてシレンティウムへ向かってくれ。私は戦闘が行われている東の門へ向かおう」




 アダマンティウスの依頼に顔をこわばらせて応じたルキウスが頷く。




「ああ、分かった。じいさんも気を付けてくれ」


「ふっ、じいさんではないよ。君こそ気を付けるが良い……部隊戦闘準備!」




アダマンティウスの気張った号令に配下の兵士達は素早く盾のカバーを取り外し、投槍をの穂先を確認しつつ弓の弦を張る。


 そして最後に剣の状態を確かめ、各十人隊長から報告を受けた百人隊長5名がデキムスの下に駆け寄った。




「全隊戦闘準備完了致しました」


「よろしい……では警戒しつつ漸進する。目標はシレンティウム西門!!敵は不明だが心せよ!」


「「応!」」












 シレンティウム西農場付近




ボレウス隊の副官クイントゥスは深いため息をついた。


 逃げ帰ってきた兵士達を留めて再編成を行おうとするが、そもそも隊長の尻馬に乗って良い目を見ようというろくでもない連中ばかりであるので、敗走した今戦意など無い。


 予想外の抵抗に遭っておまけに隊長は戦死、損害は戦死負傷併せて40名前後と言う所であるものの、もう部隊としては機能しないだろう。


 このまま帰還する事も考えたが、流石に敗残兵のままで、しかも盾や剣を投げ捨てて戦闘の出来ない帝国兵を無事砦まで帰らせる自信は無い。


 幾ら帝国の意に服しているとは言え、不満を持っているオランやクリフォナムの民になぶり殺されるのがオチだろう。


それでなくてもボレウス隊は無茶苦茶な略奪や徴発で近隣部族から大いに恨みを買っているのだ。


 途中で襲われる可能性の方が高い。




「降伏しか無い」




 折しもいずれから現われたのか別の帝国軍部隊が城門より進んできている。


 戦闘振りやボレウスの言動を聞き取ったクイントゥスは、このままでは自分達も反逆罪で処断されかねないと判断した。




「粉袋でも何でも使って良いから白旗を揚げろ」




 副官は近くに居た兵士に命じて、徴発用の袋を裂かせて降伏の証である白旗の代わりに揚げさせたのだった。












 シレンティウム第21軍団駐屯地




 ボレウス隊全員を拘束したデキムス・アダマンティウスとその配下の兵士達は、一旦軍団基地跡までボレウス隊を連行してから武装解除を行う。




「挨拶が遅れて申し訳ない。デキムス・アダマンティウス北方辺境関所司令官です」


「辺境護民官のハル・アキルシウスです。どうぞ宜しくお願いします」




西方帝国風の胸に拳を当てる敬礼を送りながらアダマンティウスが挨拶すると、ハルは背筋を伸ばしたままお辞儀をして答礼する。


 そして万感の思いのこもった目でハルの脇に控えるアルトリウスへ顔を向けた。


 しばし無言でお互いの顔を見合った2人は、苦笑とも微笑とも言える笑みを浮かべてから視線を外した。


 アダマンティウスはアルトリウスから視線を外すとハルに質問する。




「辺境護民官殿から要請された治安維持及び担当区域内の軍権掌握の件は了解を致しました。謹んで拝命いたします、期間は当分……で宜しいですか?」


「はい、お願いします」


「招請書は確かに受け取りました。この書状のお陰でボレウス隊の接収が滞りなく進められます」




 ボレウス隊はアダマンティウスの配下では無く隣接する国境防衛隊北管区の所属である為、本来であれば担当区の無い帝国域外においてアダマンティウスが処分や拘束を行うことはできない。


 しかし辺境護民官であるハルの委任があれば、辺境護民官が担当する地域内での軍権は委任状を持つ指揮官に委ねられる。


 委任状の発布日はハルがこの招請状を書いた日になっているので、当然ながらボレウスがシレンティウムを襲撃する前になっている。


 この事からアダマンティウスは滞りなく権限を行使できたのであった。




「兵士達の処置はどうされますか?」




 ハルの質問に武装解除されているボレウス隊の兵士達を横目で見るアダマンティウスは、しばらく顎に手を当てて思案してから徐に口を開いた。




「首謀者の隊長ボレウスは都市騒擾罪で辺境護民官殿が処断しておりますからな。参加した兵士は全員一旦兵籍を剥奪した上で私が再訓練を施しましょう。居残った副官クイントゥス・ウェルス以下50名の兵士達は見所もありますのでシレンティウム直属の兵と致しましょう……これで如何ですか?」


「分かりました、異論ありません。残された砦は?」


「シオネウスの砦は管理する対象のシオネウス族が移住してしまいましたから、不要な砦として後ほど破却します。居残りの兵士達も隊長が死んでも居ますし、我が隊で接収しましょう。解体した砦の資材はこちらへ運ばせますか?」


「そうですね……砦の資材は私たちが引き取ります。砦の破却依頼書を私が担当の国境防衛隊に出しますが宜しいですか?」


「お願いします。国境防衛隊北管区司令官のマルケルスは話の分かる人間ですが、それがあると協議が楽になりますから助かります」




 ハルはアダマンティウスの提案を承認しボレウス隊の処遇が決定した。




「シオネウスの村はどうなりましたか?」




 後に居るヘリオネルをおもんばかりながらハルが質問すると、アダマンティウスは残念そうに答えた。




「……こちらで確認したわけではありませんが、兵士達の証言によれば残念ながらボレウス隊の手で見せしめの為焼き払われた上に塩を撒かれてしまっているようです。最早再建は不可能でしょう……」




敵地を破壊し尽くした跡に塩を撒くのは帝国風の呪いのかけ方である。


 呪われた土地は極端に地力が下がり、また塩の影響で土地は不毛となる為再建は難しい。




「そうですか……仕方ありません。シオネウス族の人たちには申し訳ないですが、もうここで暮らして貰うほかありませんね」


「もちろんです……一度捨てた故郷とはいえ、未練が無いと言えば嘘になりますが、ここを新しい故郷と思い定めていますから、大丈夫です」




ハルが後を振り向いて言うと、ヘリオネルは寂しそうに、そして残念そうに言った。


 ハルとアダマンティウスはいたたまれない様子でヘリオネルを見ていたが、ヘリオネルは僅かに歩微笑むと戦士達を率いて族民立ちの誘導に当たるべく太陽神殿へと向かった。


 アダマンティウスは小さく黙礼を贈り、ハルに向き直ると言葉を発した。




「ではボレウス隊の移送手配をしてまいります。関所からもう500名の兵を呼び寄せますが、宜しいですか?」


「お願いします。それまでは軍団基地の地下牢へ収容しておきましょう」


「心得ました」




 ハルの答えにアダマンティウスは再度敬礼を送り、踵を返して兵士達を指揮するべくボレウス隊の武装解除場所へと向かった。












アダマンティウスの向かった先では、アルトリウスが腕組みをして満足そうに自分の弟子の部下達の仕事振りを眺めていた。


 そしてアダマンティウスが近づくと振り返ってにやりと口角を上げる。




『久しいでな……元気であったかアダマンティウスよ?まあ、なんと言おうか、程良く老けたな!自らを律し、部下の訓練にも手を抜いておらんようであるな?良く威令が行き届いておる、流石である』


「はい、厳しい訓練は明日への希望と心得ております。その教えのお陰で生きながらえて恥を晒しておりますが……アルトリウス将軍もお元気……でよろしかったですかな?」


『わはははは、確かに!我が身はお主があの時見たとおり既に無い故に、元気とは言い難いが、まあ、表現するとすれば元気の部類に入ろう。新しい弟子も出来た事であるしな、愉しくやっているのである』




アダマンティウスの言葉に朗らかな様子で笑うアルトリウス。


 その姿を見て在りし日の事を思い出したアダマンティウスは不意に落涙した。


 自分達の厳しく寡黙な司令官が、初めて見せる悲しみと悔悟の涙に驚く部下の兵士達。


 アダマンティウスは兵士達が静かに息を呑むのを余所に涙声で言葉を継ぐ。




「そうでしたか、それは……っ、何より……ですが、いや……そうですか……くっ」


『ふん……どうした?沈着冷静な少壮将官アダマンティウスらしくないではないか』


「はは……少壮と言うには些か年を取りすぎました」




 優しく言うアルトリウスに、アダマンティウスの涙腺は留まる事知らず涙を作り出す。


 40年前のあの時以来の涙。


 師の首を掲げて開城を迫るアルフォード王率いるクリフォナムの連合軍を前に、それを取り戻す事すら能わず、もう2度と会えぬと思い悔し涙を流して以来の涙は熱く、濃く、頬に染みた。


 ぐいと涙を拭い、顔を上げて師を見るアダマンティウス。




「いえ……すいません、老いるとどうも感傷的になっていけませんな。こうやってお目にかかれたことで、自分が如何に人生を無駄にしてきたかを悟り悔やんでいた所です……思えば永く、そして無駄な40年でした」


『いや、それは違うな……あの時お主が私情を殺し、関所を固守してくれたからこそアルフォードも帝国侵入を断念したのである。それに我は生きてはおらぬとは言え、今またこうしてお主と会う事も適った。お主がおってくれたからこそ新たに始まる事もあるのだ。決して無駄などでは無い』




 声を絞り出すようにして言うアダマンティウスに、アルトリウスは笑みを崩さず、そして優しく答える。




「あ、有り難うございます……しかしこの身は最早老いぼれました。然程もお役に立てませんでしょう。それがまた口惜しくてなりません」


『おお?何の何の!これから身と才を粉にし、経験を挽き臼と成して懸命に働いて貰うから安心せよ!枯れた身体とてまだまだ使い用はあろう?』


「ははは……全くアルトリウス将軍には適いませんな、十分に心得ていますとも」




自分の言葉におどけたように答えたアルトリウスへ、アダマンティウスはようやく微笑んでそう言うことが出来たのだった。








「ハル!お怪我はありませんか?」




アダマンティウスと別れたハルの元へ、太陽神殿からエルレイシアが駆けつけてきた。




「ええ、大丈夫ですよ。そちらは大丈夫でしたか?」


「はい、何事も無く皆さん落ち着いて避難と待機をしてくれましたので……今はみんな農場へ戻ったり家へ帰ったりしています。本当にお怪我はありませんか?」




 にこやかに答えるハルへエルレイシアはそのまま間近まで駆け寄り、両手でぺたぺたととハルの頭や顔、身体を触る。




「あ、あの、あんまり触らないで欲しいのですが……?」


「ああっ、駄目ですっ!怪我が無いかどうかをしっかり確かめませんと……」


「いや、無いです、無いですからっ!」




 大弓を持ったままのハルが自分を触る手に辟易して一歩下がろうとすると、エルレイシアはハルが鎧の上から身に着けている楕円長衣の裾口を掴んで固定し、その中へ手を差し入れようとする。


その手付きに焦って逃れようとしたハルの視界に懐かしい顔が映った。




「おいハル、嫁さんもらったんだって?一緒に悪所通いしてた仲だってのに、お前だけ先にズルいぜ、全く。こんな美人捕まえるとはなあ……お前もなかなかやる」


「あ……ルキウスじゃないか!」


「おう、久しぶりだな!」 




 にやにやとハルとエルレイシアがじゃれ合っている様子を眺めるルキウスに、ハルの顔が輝く。


 その顔を見て不満げに頬を膨らませるエルレイシア。




「むう……納得いきませんっ。私と会った時より嬉しそうですぅ……」


「あ~」


「悪いな、これが男の友情って奴だ」




げんなりした様子のハルと、満面の笑顔で答えるルキウス。




「ま、積もる話もある。嫁さん、悪いがちょっと旦那を借りるがいいかい?」


「仕方ありません……夫のお友達を無碍には出来ませんからね」


「夫じゃ無いでしょう……」




 ぼやくハルから渋々手を離すエルレイシアに、悪いね、と言い置いてルキウスはハルの肩に手を回し、少し離れた場所まで移動した。










「ルキウス、何だって突然こんな所に?」




 肩に手を回されたまま尋ねるハル。




「ここシレンティウムって言うんだってな?良い所じゃないか。俺もこっちへ引っ越そうと思ってんだよ」




 ハルの疑問にまずそう答えてからルキウスはその肩から手を離し、シレンティウムへ来るに至った経緯をハルに話して聞かせた。






「……そうか、あの娘順調に回復しているみたいで何よりだ」


「まあな、ちょくちょく見舞いに行ってたがお前に深く感謝してたぜ?」




 ハルの安堵の言葉に朗らかに笑うルキウス。


 しかしハルの顔は再び暗くなる。




「ルキウスにも迷惑を掛けてしまったな」


「ああ……まあ~俺の事は良いんだ。俺が好きでやった事だしな。それよりこっちこそ悪かった……お前の左遷に同意したのに、あのどら息子に良いようにやられちまって何の成果も上げられなかった。みんなも同じ気持ちだと思う」




 ハルの言葉に首を左右に振り、神妙な表情で謝罪を返すルキウス。




「いや、仕方ない……とは思いたくないが、どうしようも無かった事だからなあ……でも悔しいな」


「ああ」




 本当に悔しそうに唇をかみしめる2人。


 貴族の横暴はますます酷くなるだろう。


 一度は掣肘を加えたが、この結果を見た貴族達の傍若無人振りはいっそう激しくなるに間違いなく、それを押し止める力を官吏達は今回の件で失ってしまった。


 帝都の市民を思うと気持ちの暗くなってしまうハルとルキウスであった。






「それよりルキウス、クビになってこれからどうするんだ?働き口は?」


「ああ、そのことだが……実は計画があってだなあ」


「計画って?」


「う~ん、他でもない。ハル、俺を雇わないか?」




 再度のハルの疑問に、少々ばつが悪そうにルキウスが答えた。




「えっ?」


「見たところ街はなかなか……と言ってもなんか蛮族ばっかだけど、賑わい始めてるし、どうにも手が足りていないようだからな、力になれる事もあるだろう?」




 何故、と問いたげなハルに慌てて言いつくろうルキウス。


 しかしハルは少し首を捻った後に意地悪く言葉を返す。




「う~ん、どうだか……ルキウスだったら北方辺境でも自由にやっていけるんじゃ無いか?別に無理して雇われなくても……」


「お、おいっ!何てこと言うんだハルっ!こんな所までお前を追い掛けて来てやったって言うのに!お前と俺は友達だろ?」




 さらに焦って言い募るルキウスを見ながらハルは首の角度を深める。




「でもなあ、ルキウスに出来る仕事って……?」


「治安省官吏の経験は伊達じゃ無いぞ」




 胸を張るルキウスに、ハルは斜め向きの視線を送る。




「でも、なあ~別に今は……」


「た、頼むよ~雇ってくれよっ!無論贅沢は言わない!……本当のところを言うとお前を頼ってきたんだからっ。なっ?なっ?この通りっ!!」


「分かったよ……仕方ないな」




 最後は手を合わせて泣き落としに掛かるルキウスを見かねて首を縦に振るハル。


 確かに人手は足りない。


 また都市警備の経験があるルキウスは、今後の都市運営において重要な位置を占めるであろう治安維持にうってつけの人材とも言える。




「やったっ!恩に着るぜ!きっちり仕事はするから安心してくれ!」


「そうじゃなきゃだめだろ……相変わらずだな」




 喜び勇んで飛び上がるルキウスにハルが苦笑しながら言う。


 お調子者の所がある元同僚は、少しも変わっていないようだ。


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