第12話
招請決定から2週間後、西方帝国・北方辺境関所
ここは西方帝国の北方辺境を司る関所。
門扉や建物は大半が木造ではあるが、帝国らしいがっしりした造りに石造りかと見紛わんばかりの装飾や塗装が施されており、北方蛮族に威圧感を与える役目を十二分に果たしている。
この関所は帝国軍国境警備隊東北管区に属し、帝国の最北でクリフォナム人と対峙する最前線であるが、今、この帝国北方辺境関所では1つの騒ぎが起こっていた。
「だから、何度も言ってるだろう!友達が廃棄都市のシレンティウムってとこにいるんだよ!」
「駄目だ、廃棄都市は死霊や魔獣が昼日中から徘徊する危険な場所だ。元治安省官吏とは言え今は一介の帝国市民をそんな危険な場所へやるわけにいかない」
関所北側、クリフォナムの民が住み暮す地域への入り口となっている門の内側で、がっちり鎧兜に身を固めた兵士と押し問答をしている若い男は、ルキウス・アエティウス元治安省官吏。
今は灰色の制服では無く、緑色の貫頭衣に厚手の上着を重ねて着ており、足下も革の長靴でしっかりと固め、腰には長剣を差している。
後には荷物を積んだ馬を連れており、どこからどう見ても道行く旅人の姿であった。
もうかなりの時間を押し問答で費やしていたので、ルキウスは面倒くさくなって嘘をついた、とにかくこの門を通れれば良いのだ。
「じゃあ、行かないから通してくれ」
「本当か?」
「な……なんだよ」
兵士がそう言いつつルキウスの目をのぞき込むので、ルキウスは思わず目をそらした。
勝ち誇った兵士の声がルキウスの耳に届く。
「駄目だな。お前はウソを付いている……廃棄都市へ行く気だろう?」
「い、いいじゃないか!お前はクリフォナムの村へ行く旅人を通したってそこの帳簿へ書いておきゃ良いんだよ!細かいこと言うなっての!!」
「ふざけるな!俺は腐っても帝国兵士、そんな不正はしない!」
「……その台詞を帝都の腐ってる官吏共に聞かせてやりたいぜっ……ってそうじゃない!固い事言うな!そんな流行らない事言ってるのはここだけだぞ!」
兵士がさらりと発した気持ちの良い言葉にルキウスは一瞬聞き惚れるが、すぐ我に返って文句を重ねる。
しかしその兵士は首を左右に振ってとりつく島も無い。
「他は知らん、おれは仕事をきっちりする。ここで不正は許さんから帰れ」
「……職場の同僚にはこういう奴いないと困るけど、余所で居ると面倒なだけだな……しかもっ!そこまで言われると腹立つなっ、帝都からわざわざ来たんだ!イイから通してくれよ!」
「ダメだ」
そんな調子で兵士と押し問答をしていると、ルキウスは後から肩に手を置かれた。
振り返ると立派な体格だが60歳に達しようかという、兵士と同じように鎧兜で身を固めた帝国軍将官が立っている。
兜から覗く髪も口元の立派な髭も真っ白で、黒い目は柔和であるがその輝きは強い。
ルキウスが何かを言う前に、ルキウスと押し問答していた兵士がその将官に向かって慌てて敬礼をする姿が視界に入った。
「申し訳ありません司令官、この旅人が無理難題を……」
「ああ、話は聞こえていたよ……君、すまんな。兵士をそれ以上責めないでやってくれんか?帝国人の北方への越境は基本的に認められていないのだよ。とりあえず話は私が聞こう」
兵士が鯱張って報告しようとするのを制し、将官がルキウスに話しかける。
「失礼ですが、あなたは?」
「デキムス・アダマンティウスだ。この北方辺境関所の守備司令官を務めているのだよ。せっかく遠くからここまで来たのだ、要望は出来るだけかなえるようにしよう」
アダマンティウスの先導で、ルキウスは見晴らしの良い兵士食堂へと案内される。
見張り所を転用したと思われる兵士食堂には、勤務を終えた当直の兵士達が食事をしている以外は閑散としており、アダマンティウス自らが粉茶を木杯へ淹れてルキウスに差し出した。
「すごいなこの光景は……」
「ここからはクリフォナムの大森林地帯が一望だ……尤も、この森の中には見える範囲だけで100万人以上のクリフォナムの民が住み暮しているのがね」
ルキウスが木杯を受け取りながら発した言葉に、アダマンティウスも視線を外にやりながら寂しそうにふっと微笑んだ。
アダマンティウスが守備司令官を務めるこの北方辺境関所は、帝国と北方辺境を分ける北辺大山脈と、東照やシルーハとの境になる東部大山塊が合わさる峠に設けられた関所である。
帝国側である南とクリフォナム側である北にそれぞれ門があり、門と門の間はちょっとした町のようになっている。
かつてクリフォナ・スペリオール州の帝国側玄関口として整備され、元にあった小さな砦を改修し、拡張して整備された関所。
今は帝国北方辺境の砦として機能しており、帝国人の越境を監視し、蛮族の商人や傭兵の越境審査をして入国証明を発行する場所でもある。
戦争状態にこそ無いものの、いわば帝国北方国境の最前線であり、国境防衛隊としては規模が大きく兵士は常時2000名が詰めていた。
また、施設維持の為に帝国の雑貨商人や鍛冶職人、衣料職人、医師、薬師、大工、石工、風呂職人、武具職人、馬喰などがおり、関所とは言え人数だけを見れば小さな町程度の規模がある。
それに西方郵便協会の支部もあり、クリフォナム人やオラン人で家族が帝国内で働いている者達はここから手紙を発送する事も出来るのだ。
直接手紙を出しに来る者もいれば、村単位で手紙をまとめて出しに来る者、商売に出かける者へ頼む者もいるが、いつも通り郵便協会前には人が集まっている。
空いた席へ着いたアダマンティウスが、徐に尋ねた。
「それで、君はどこへ行こうというのかね?」
「ああ、友達が廃棄都市ってトコへ行ったらしいんで、会いに行こうかと思ってね」
そう言った後で受け取った木杯を傾け、驚くルキウス。
「なんだこれは、東照の茶じゃないか……久しぶりに飲んだな」
砦の他は足の踏み場も無い程の峻険な山岳であり、人が通れる場所はないので生産をしている訳では無いだろう。
おそらく東照から持ち込まれた物に違いない。
ルキウスの驚きに軽く笑みを浮かべるとその疑問に答えるアダマンティウス。
「予想のとおりだよ。東照から購入した茶葉だ」
「……交易路があるんだな?」
その質問を微笑みではぐらかし、アダマンティウスは逆にルキウスへ質問を発した。
「その友人とは何者かな?先程も言ったとおり、基本的に帝国人の越境は認められていないのだ。この関所をすり抜けていったとは考えられないのだがね?」
「あいつは辺境護民官になっているから、恐らくここを通っていったんじゃないか?名前はハル・アキルシウスだ」
ルキウスの口から出た役職とその名前に軽く目を見張るデキムス。
しかしルキウスは茶に気を取られてデキムスの様子が変わった事に気が付かなかった。
ただ例え気が付いたとしてもそれは今まで他人の扱いであったものが、身内を見るそれに変わったので問題となるような事ではないが。
居住まいを正したデキムスが質問を重ねる。
「ほほう、あの辺境護民官殿のご友人か?……ふむ、それで彼がどうして廃棄都市にいると知ったのかね?」
「うん?ああ、それは村の産物を売りに来てたクリフォナム人のオヤジが教えてくれたんだよ。アルマールって村のオヤジらしいが、食料と馬糧をか買った時に色々話をしてね。その時に廃棄都市へ赴任した官吏が居るってのを聞いたんだ」
旅路で必要な食料や生活用品を探していたルキウスは、たまたまアルマールから産品を売りに来ていた男達と出会った。
行商に来ていた彼らから旅に必要な物を購入し、その際に交わした雑談の中でハルの噂話を聞いたのである。
「なるほど……さすがは元治安官吏と言った所か、話を聞くのが上手いのだな?」
「まあね」
デキムスはルキウスの説明に納得したように頷くと、自分で淹れた粉茶をぐいっと一気に飲み干し、椅子からゆっくり立ち上がってからルキウスへ言った。
「君はここでゆっくりしていくと良い。そういう事情があるなら3日か4日待ってくれれば越境の許可を出そう……その期間は兵士の宿舎に泊まれるよう手配をしておくが、どうかな?」
「向こうへ行けるのなら問題ない、待つ事にするよ。宿舎はいらない」
手を上げて答えるルキウスに、デキムスは頷いて言った。
「では、私はここで失礼する。何か用があれば勤務中の兵士に声を掛けてくれ」
北方辺境関所、司令官執務室
ルキウスと分かれたデキムスは1人執務室で黙考する。
もうあの戦争から既に40年がたった。
あの頃壮健だった自分の身体は衰えを隠しきれず、今や引退を待つばかり。
師とも言うべき人を見殺しにしてしまったあの後の人生は何と味気なかった事か、そしてそれも間もなく終わろうとしている。
おそらく引退すれば子供達のいるアルビオニウス州、アルトリウス軍団長の故郷でもある田舎へ引っ込む事になるだろう。
そうすれば老いぼれ1人でこの地を訪れる事など出来はしない。
ましてや西方帝国は表面的にはともかく、斜陽の時を迎えようとしている。
これから帝国内の政治情勢や社会情勢はますます悪くなるだろう。
40年に永き時間を北方辺境の間際で、師の墓守をしながら過ごしていても見えてくるものは数多くある。
留めようのない腐敗に階級闘争、軍閥の台頭、貴族の派閥争い。
ここは幸い北の最辺境。
耳を塞ぎ、鼻をつまみ、目を覆いたくなるような帝都の腐臭もここまではまだ届いてはいないが、それも時間の問題であろう。
自分の意志でやってくる壮健な多くの若者達を教え、鍛えることに没頭できた事は自分に一定の満足を与え、慰めにはなった。
しかしながらアダマンティウスの時間は40年前のあの時、ハルモニウムが陥落し、アルトリウス軍団長が討ち取られた時から止まってしまっている。
左遷とは言え若い官吏が辺境護民官が赴任してきた時も驚いたが、今またその者と志を同じくする者があの廃棄都市へ向かうという。
辺境護民官が色々と動いている事は伝わってきている。
クリフォナム人の商売人や村人、オラン人の逃亡者、紙を買い込んでいった珍妙な東照の商人。
そしてその辺境護民官の傍らにはクリフォナムの太陽神官と鬼将軍が居るという。
これは天の采配か、それともこの老いぼれに対する最後の罠か……
自分の手元に届いた辺境護民官からの招請書をもう一度開き、その文面に連ねられているかつて帝国軍で流行った固い文語調の文章を見て苦笑を漏らした。
いかにもアダマンティウスの師らしい臭わせ方である。
「いずれにせよ、最後に師へ挨拶ぐらいはしたいものだね」
自分の気持ちを締め括り、つぶやいてみると、デキムス・アダマンティウスは自分の止まっていた時間が動き出すのを感じたのだった。
4日後、北方辺境関所北門前
爽やかな晴れ空が広がる西方帝国の最北端国境に、完全武装の西方帝国兵500名が輜重隊を連れて勢揃いしていた。
「おい、何であんたが一緒に来るんだ……司令官だろう、大丈夫なのか?」
「ここの関所の兵は西方帝国の精鋭の中の精鋭だよルキウス君。近衛兵と戦ったとしてもひけは取らないだろう。私がいないぐらいでどうにかなる程柔では無いよ」
上機嫌でルキウスと馬を並べるデキムス・アダマンティウスはそう言うと振り返って砦に居残る兵士達へ手を振った。
砦から敬礼と号令が返されるのを満足そうに見たデキムス。
その様子を見ていたルキウスが呆れたように口を開く。
「……全く、物好きなじいさんだな~第一辺境護民官の時には護衛を付けなかったくせに俺に付けるというのはどうなんだ?」
「ああ、その辺境護民官から出動と協力の要請があったのだよ。まあ私としても今更と言う事もあって心苦しいが、この招請書が私の背中を押してくれたのだ」
アダマンティウスが一通の封書を鎧の下から取り出してルキウスに示す。
「ほ~あのハルがね……」
「つい先日のことではあるがね。辺境護民官殿がこの関所を訪ったあの時は私が臆病だったのだよ。40年の時は怖ろしいなルキウス君、自分でも気付かないうちに保身の精神を随まで身に着けてしまっていたようだ。と、それから……」
「ん?」
一旦言葉を切った事に不審を感じて身を寄せたルキウスへ、アダマンティウスは声で不意打ちを浴びせた。
「私はまだじいさんでは無いっ!現役だっ!」
「お、おおっ!?」
自分の大声に驚いて馬上でのけぞるルキウスを見て、デキムスは大笑するのだった。
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