第14話

翌日早朝、シレンティウム第21軍団庁舎




 翌朝、執務室にシレンティウムの主立った者達が集合した。


 大きな紙筒を手にし、群島嶼の前袷服を身に着けた上に楕円長衣をまとう辺境護民官ハル・アキルシウス。


 銀色の分厚く古式ゆかしい帝国の鎧兜を身に付けた、死者達の司令官こと元第21軍団長ガイウス・アルトリウス。


 白く長い長衣をゆったりと着こなし、太陽神を象ったメダルを首から提げ、金色のベルトを締めている太陽神官エルレイシア。


 最新の軽い帝国風鎧を身に纏い、その上から楕円長衣を身に着けた北方辺境関所守備司令官デキムス・アダマンティウス。


 赤い貫頭衣に革ベルトを締め、楕円長衣にサンダル履きの治安担当官ルキウス・アエティウス。


 緑色主体の格子柄のズボンにブーツ、茶色の長い貫頭衣をベルトで締めた、シオネウス族代表ヘリオネル。


 青いズボンに茶色の長袖シャツ、さらにその上から半袖の上衣を合わせている、セミニア村代表レイシンク


 今のシレンティウムの構成を良く表すそれぞれ民族色豊かな装いである。




「さて、今日皆さんに朝早くから集まって貰ったのは他でもありません。今後の都市運営について方針を決めたいと思ったからです」




 全員が揃った事を見て取り、ハルが口を開いた。




『ふむ、なるほど……取り敢ず基礎固めに区切りを付けると言う事か?』


「はい、私がこの都市へ来てからもう5ヶ月近くなります。人も増えてきましたし、街区の整備も順調です。また、アダマンティウス司令官の帝国軍が来てくれたお陰で大々的な開発も今後可能となりました」




 アルトリウスの言を肯定するハルに、アダマンティウスが鎧を着用した胸を叩いて力強く請け負った。




「設計から建築まで、何でも言ってくれて構わない。西方帝国の土木建築技術の粋をご覧に入れよう」


「そこでまずはこの図面を見てもらえますか?」




 ハルはアダマンティウスの様子をにっこりと微笑んで見た後、手にしていた紙筒を広げた。 


 机の上にはシレンティウムを中心としたこの地域一帯の地図が広がる。




「今まで色々見て分かりましたが、シレンティウムの西と東はこのままでも順調に発展していくでしょう。平坦地ですし元々アルトリウス先任軍団長が拓いていたので、農業水路も圃場整備も行き届いています。また煉瓦造りの街道も残っています」




 ハルが示す先には水色で色付けられた水路が張り巡らされている事を示す線と、農地を示す黄色で色付けられた面が広がる。


 それに加えて街道を示す赤い色の線が、東はアルマール村まで延びているものと、途中で枝分かれして遙か東の東照を目指すものがある。


 また西の赤い線はオラン人地域を目指して伸びている。


 今のところシレンティウム東側はセミニア村の元村民を中心としたクリフォナム人主体の開発が行われており、人口は約500人程である。


 一方西側はシオネウスの族民を中心にオラン人主体の開発が進み、人口は約700人程であった。




「シレンティウムの東西は入植者を今まで通り集めて開発を進めていきます。族長さん達は引き続き移住者の募集を続けて下さい」




 ハルの言葉にヘリオネルとレイシンクの2人が頷く。




『問題はシレンティウムの南北であるな……ここは我も手を付けかねたのである』




 アルトリウスが透き通った指で地図の縦をなぞり、ハルはその言葉に頷いた。








 シレンティウムの北側は未だ手つかずの台地で、その先はクリフォナム人の中心地である大森林地帯へと続いており、南側は西南を中心に湿地帯と疎林が北辺大山脈まで広がっている。


シレンティウムの北の台地には小川が幾つか西南の湿地目指して流れ込んでおり、また南にある北辺大山脈からも小川が幾つか湿地帯へと流れ込んでいた。


 北側の小川は水道を築けば利用は可能であったが、水源を周囲の敵性蛮族から守る必要があり、また北から攻めて来るであろう蛮族によって籠城戦となった際は容易に破壊されてしまう可能性があった。


 南側の小川はシレンティウムに近い場所においては低すぎて水道が引けず、水道が引ける程標高差のある場所は遙か彼方の北辺大山脈まで行かないと存在しない。




水車や揚水機、吸水管を駆使した方法も考案されたが、魔獣の多数生息する湿地の上を通さねばならず、資材、資金、安全性の面で問題があった事からアルトリウスの時代には断念された。


 その湿地帯の水は澱んで腐敗しているだけで無く魔獣が多数潜み、夏には蚊や毒虫、寄生虫発生の温床と化すので水源としての利用に適さない。


 また湿地帯近辺は土壌が腐敗しており、これも早急に対策を考えなければならなかった。


 少し離れたアルマール村の北側にはエレール川と呼ばれる、最終的には大北海へ流れ込む大河の支流があるが、シレンティウムよりかなり低い場所を流れている為これまた水源としての利用は難しい。


 シレンティウムが水の精霊アクエリウスの力を借りなければならなかったのは、このような水源事情からであった。




「最終的には北辺大山脈の麓まで開発を進められれば良いですが、それは何年も先の話です。その時には水道も引けるでしょうが、差し当たってはこの湿地を何とかしないといけません」




 ハルが示すのは南にある茶色で塗られたシレンティウム南西の大湿地帯。




「今までシレンティウムから出た水はこの南側に広がる湿地へ流されていましたが、これを改めて北側にあるエレール川へアルマール村の北側を経由する水路を開削し、併せて湿地帯の水を流してしまいましょう。湿地が無くなれば夏場の蚊の問題や疫病発生の危険からも逃れる事が出来ますし、水質が改善すれば土壌の問題も解決です。アダマンティウス司令官、この計画は技術的に可能でしょうか?」




地図を見たアダマンティウスは、しばらく標高差や地形を考察していたようであったが徐に口を開く。




「実際に測量してみないと何とも言えないが、恐らく湿地からエレール川への排水路開削は高低差、地質共に問題ないでしょう。シレンティウムの水道も付け替えは簡単であると思います」


「では測量を実施した後に計画を策定して下さい」


「心得た、北方第一の水路を開削しよう」




 次にハルはシレンティウムの城壁に指を走らせる。




「それから都市の防備ですが、差し当たって壊れた城壁を補修すると共に城門を修理するのはもちろんですが、加えて堀を作りたいと思います」


「ほう、堀ですか……確かに高い城壁を造るより簡単ではあります。それでも手間暇は掛かりますし、底に敷く粘土や堀壁に使う石材もそれなりに必要ですが、資材の確保は如何か?それに導入する水はどこから持ってきますかな?」


「北の小川から水を導入して堀を作れませんか?」




アダマンティウスの質問にハルが水の剣について答え、次いでアルトリウスが地図の北西の部分を指さしながら口を開いた。




『資材については問題ないのである。シレンティウム北の台地の終わりに良い石取り場が2カ所ある。今は木に覆われていてはっきりせぬが、我が道を付けて居るからすぐにでも回復できるであろう』




 地図ではちょうど台地が途切れる辺りに向かって薄赤色の線が西門から引かれている。




『手前は大理石、その奥からは石灰岩が取れる。砂岩や泥岩は北辺大山脈まで行かねば手に入らんが、差し当たっての資材としては十分であろう』


「確かに大理石とセメントが手に入ればそれで十分です。硬い石が必要な時はまだ先でしょうし、その時は街道も整備されているはずですからな」




アダマンティウスが街道に言及してアルトリウスの回答に納得すると、それまで黙っていたエルレイシアが進み出た。




「その街道ですが……アルマールのアルキアンド族長から、村と都市を結ぶ街道を整備して欲しいと要望が来ています」




 エルレイシアはハルに1通の手紙を手渡す。


 ハルが読むと、そこには今まさにエルレイシアが伝えた事と同じ内容が記されており、最後にはアルキアンドの署名があった。


 表向きの理由としては村を経由してシレンティウムを訪れる者が増えた事が上げられているが、北方辺境関所への近道にもなる事とは無縁では無いだろう。


 帝国内での産品販売を重視しているアルマール村にとって、ここはシレンティウムを利用する事が得策と判断したに違いない。




「そうですね……街道はまず北方辺境関所とシレンティウム、シレンティウムとアルマール村の間に帝国風のしっかりした石造りの物を敷設しましょう」




 ハルが手紙を手にしたままアダマンティウスへ向き直ると、アダマンティウスも賛同意見を述べた。




「小官も賛成です。街道沿いには監視砦兼休憩所を作り、盗賊や兇賊、魔獣、真性蛮族に対する防備を固めねばなりませんな。しかし……」




 アダマンティウスはふと気が付いたようにハルへ質問する。




「これだけの大開発を行うとなれば私の指揮下の兵士達だけではとても手が足りないと思いますが、辺境護民官殿は人手についてはどうお考えか?」




 ハルはヘリオネルとレイシンクをちらりと見てからしばらく考え、そしてアダマンティウスの質問に答えた。




「これは少し前から考えていた事なのですが、帝国軍兵士を土工兼技術者として使うのでは無くて技師や現場監督としての役割を担って貰い、人手は移住希望者を募ろうと思っています」




 ヘリオネルやレイシンクからの聞き取りで、実は双方の民族ともに移住希望者が多い事を把握しているハル。


 オラン人は度重なる帝国の圧迫に耐えかねている事が主な理由で、村単位での逃散も珍しくは無い。


 そしてクリフォナム人は帝国を破った英雄王の下で、40年に渡り周辺民族に優位性を保ち続けた結果人口が増加し、彼らの技術で開発可能な土地がもうほとんどなくなりつつあった為である。


 双方の民族ともこのまま放置すれば周辺地域への大移動につながる危険性があったが、ここ数年は一部の例外を除いておおむね気候も安定しており、豊作が続いている事からその兆しは見られ無い。




シレンティウム周辺の開発が進んでいなかったのは、死霊都市と化していた事から開発が見送られたという以上に、湿地や帝国の遺構をクリフォナム人が利用する術を持たなかった事が大きな原因であった。


 しかし今やシレンティウムはハルの手によって解放され、またクリフォナムの技術では不可能だった開発は、帝国の技術を導入することで進めることができる。


 移住してくるかどうかは別として、ざっとであるが移住できる人口はクリフォナム人だけで10万を下らないだろう。


 それだけ余剰人口が発生しているのだ。


 ハルがゆっくりと言葉を発した。




「開拓作業や都市整備の労働に従事してくれた者には戸籍と市民権、それから土地を与えます。開拓期間における労働する人の食住は行政府持ち、最低賃金も払います」


「なるほど……では家族ぐるみで、しかも家畜などの資産持参で来た場合はどうする?」


「その場合は西と東の開拓地へ回します。そこで土地を与えますので自力で開拓をして貰う今までの方式に従って貰います」




 レイシンクが質問すると、ハルは西と東を指さしながら答えた。




「ふむ、募集はどのように行うのか?」


「レイシンクさんとヘリオネルさんの伝を使って、それぞれの部族で土地を持たない無産農民や移住地を探している人たちに声を掛けて貰っています。帝国にもこっそり募集を掛けますが、こちらは余り期待は出来ませんね」




 アダマンティウスの疑問にもよどみなく回答するハル。


 帝国人に限らずセトリア内海人と呼ばれる内海沿岸に住まう諸民族は、伝統的に山を越えた先のクリフォナム人やオラン人を蛮族と呼んで一段下に見ている。


 またセトリア内海沿岸に比べて気候の厳しい地域へ移住を希望するような物好きはそうたくさんはいないだろう。


 それに帝国は政情は不安定で国は乱れ始めているが、庶民の暮らしにそれ程影響がある訳では無く、積極的に移住しなければならない理由も無い。


 何らかの理由があって辺境へ逃れざるを得ない限り、このような場所へ来る帝国人はいないと見た方が良い。




「そちらは私が退役兵達に声を掛けてみますかな?数は多くありませんが兵士としての訓練を受けていますし、技術もあります。辺境の勤務が永いので、異民族に対する接し方も心得ていますから辺境の開発にはうってつけだと思うのですが……」




 アダマンティウスが帝国軍の退役兵達を移住させる事を提案する。




『それでは技師として招いた方が良かろう。農地を求めれば与えてやれば良いが、専属の開発技師として迎えた方が都市としては役に立つのである』




アダマンティウスの提案を補充したアルトリウス。


 アダマンティウスもその補充意見に頷いたのを見てから、アルトリウスはハルに向き直った。




『そうだハルヨシよ。これからの農作業にも必要不可欠な馬や牛は人の募集と共に調達する必要があろう』




 今度はアダマンティウスがアルトリウスの意見を補完した。




「馬については一時的に関所の馬匹を転用する事が可能だ。後は関所に居る馬喰や商人を使って仕入れるしかありませんが、資金は如何ほどおありか?」


「出所は内緒ですが資金についての問題はありませんので、必要数の確保をこっそりお願いします」




 アルトリウスがにやりと笑みを浮かべるのを見ながらハルが答えると、アダマンティウスは2人の遣り取りを見て何かを察してそれ以上は聞かずに承諾する。




「まだ帝国に気付かれる訳にはいかないという事ですな、承知した。早速手配しよう」














 その他には都市内の街路整備や水道補修、居住区の選定が行われるが、都市の基本である農業政策や基盤整備についてはおおむね話が終わった。


 あとは工芸区と商業区の問題である。


 これについては全く進んでいないと言っても過言では無いため、ハルの口調もつい愚痴っぽくなる。




「う~ん……職人には一応集住して貰って工業区らしくはなっていますが、職人の技量に差もありますし文化的な違いで作業や工程が異なるんですよねえ」


『せっかく大水車も復活させたのに、宝の持ち腐れであるな』




 アルトリウスが言ったのはシレンティウム各所に設けられた動力水車のことで、かつて鍛造や製粉、セメント工場で動力源として使用されていた水車を再現し、元の設置箇所へ設置したのである。


 中でもオランとクリフォナムの職人達の手を借りて復活させたシレンティウム北の大水車は、シレンティウムの名物にもなっている。








 ハルが目指すのは、シレンティウムを北方辺境随一の工芸と商業の都市にする事。


 辺境の資源をシレンティウムで商品化し、帝国や東照、果てはシルーハにも売る。


 そして3国の商品を仕入れてシレンティウムで中継交易を行うことが目標である。


 職人は今のところシオネウスとセミニアの職人がそれぞれ居るが、商人に至っては皆無で、商業区は近隣の族民が農産物や日常生活品を売り買いしているだけの青空市場状態である。


 青空市場はシレンティウム市民の台所となっており、また他の村との産物売買をシレンティウムへ来て行う人が増えている為これはこれで良いのだが、ハルの構想を実現するには力不足も甚だしい。




「行政官が必要なんじゃ無いか。太陽神官様に頼むってのはどうだ?」




 ルキウスがハルにそう声を掛けてエルレイシアを見る。




「ハル、私に出来る事なら言って下さい」


「エルレイシアには神殿運営と治療院をお願いしているし、これ以上の負担は余り掛けたくない」




 エルレイシアの行政能力は意外な形で発覚したが既に太陽神殿を運営し始めており、太陽神の恩恵を受けようと信者が集まり始めている。


 それに付随してエルレイシアに治療院の運営も依頼していたハルは、ルキウスの提案を断らざるを得なかった。


 ちなみに治療院はエルレイシアを筆頭として、シオネウス、セミニアの薬師3名で運営中である。




「う~ん、出来れば帝国人の官吏が良いんだけどなあ……知り合いなんて居ないし」


「俺にもそんな頭の良い友達はいない」




 帝都にいたとは言えたった5年ほどのことであり、ハルには知り合いそのものが少ない上に、同僚官吏は治安官で行政官とは少し趣が違う。


 ルキウスも下町出身で官吏になっているのは友達連中で自分だけといった有様である。




「1人心当たりがありますが、世に出てくれるかどうか……声を掛けてみますか?」


「どういう方ですか?」




 アダマンティウスが徐に切り出したので、ハルが先を促す。




「元帝国直轄州総督だったトゥリウス・シッティウスと言う者が居りまして、行政手腕は折り紙付ですが、貴族と衝突して中央官吏を辞めさせられてしまったという豪傑です。今は確かコロニア・リーメシアの町に隠遁しているはずです」


『ふふん、あほ貴族どもと衝突したというのか?なかなかに見所があるではないか。我としては是非とも招聘したいな』




アルトリウスは経歴を聞いただけで気に入った様子である。


 アダマンティウスは苦笑しながら師の様子を横目に見てからゆっくりと言葉を継いだ。




「かつて彼が若い頃に関所へ担当官吏として赴任していた事がありまして……確かに仕事は出来る男ですが、性格は非常にきついと思います。ただ、干されて既に5年以上経っていますので暇を持て余しておるでしょうから、招けば応じて来るかも知れませんなあ」




 今のところ帝国に気取られず、シレンティウムを発展させたいハルにとってはうってつけの人材と言えよう。


 帝国、特に貴族に恨みがあり、しかも現在は出仕していないので足が付く恐れも無い。




「アダマンティウスさんが言うなら相当有能なのでしょうね……分かりました、シレンティウムへ来て貰うようにお願いしましょう」




 ハルの決断によりシッティウスの招聘が決定した。


 帝国兵が到着して一時的に緊張状態になったシレンティウム市街はしかし、丸1日が経過し落ち着きを取り戻し始めた。


 アダマンティウスの率いてきた帝国兵や帝国人が、今まで辺境にやって来たような暴力的な性質を持たない事が次第に明らかになってきたからである。






 町の様子を見計らっていたアダマンティウスは、クリフォナムやオランの族民達が落ち着きを取り戻した時期を見計らって指揮下の兵士達を連れて早速測量へと向かった。


 ヘリオネルとレイシンクは移住希望者を募るべく手配の為既に自分達の街区へと戻っている。


 ルキウスは差し当たっての仕事は無いものの、治安維持に地理把握は必須だと出かけてしまったので、最後に残ったのはハルとエルレイシア、それにアルトリウスの3人。




 シッティウスへの手紙を書き終えたハルは、お茶でものみましょうと残っていた2人を誘って執務室の1つ上階のバルコニーへ移動した。


 さわさわとバルコニーの脇を流れる上水道の水音を聞きながら、ハルが自ら淹れたお茶を飲みつつエルレイシアが感慨深そうに言った。 




「……あの時何にも無かった廃棄都市がこうなるなんて思っても見ませんでした」




 バルコニーからは都市の大通りだけで無く街区の様子まで見渡す事が出来るが、ここに最初来たハルとエルレイシアが見た廃棄都市の面影は今やどこにも無い。


 大通りではまだ午前中ではあるものの周辺近隣の村々からオラン人、クリフォナム人らの族民が農産物や畜産物を持って集まり、青空市場を開いていた。


 山暮らしをしている者達が猟で獲った獣の肉や焼いた炭、それに採取した山菜や薬草を持ち込んでいたり、遠くハレミアの民が珍しい海獣の毛皮を売っていたりもする。


 帝国の行商人もちらほら見かけられ、こちらは帝国産の鍋や釜、刃物にたわしといった日常生活用品を売っていた。


 街区の方では槌音や木挽きの音が遠くに響き、真新しい家々の屋根が見える。


 遠くには切り開かれた森の合間に、作付けされた蕪や牧草の葉が小さな緑の列を作っているのが遠望できた。


 心地よい喧噪と人の生活感が今のシレンティウムには満ちあふれているのである。




「ここ最近は忙しくてそんな事を考えてる時間もありませんでしたが、賑やかになりましたよねえ」




 ハルも大通りの様子を眺めながら律儀にアルトリウスの前にも茶を淹れて置いた。


 以前淹れずに放置した所、こういうものは気分だから淹れるのである、と本人から怒られてしまった為である。




『ふむ、ハルヨシよ……成果は確実に上がっておる。誇って良い事であるぞ!』


「そうですね……このお茶も族民達が持ってきた物ですし、街の関わる範囲は大きく広がりました」




 ハルがお茶を自分の前に置く様子を満足げに眺めながらアルトリウスが言うと、エルレイシアも先に置かれたお茶の香りを楽しみながら言う。


 クリフォナムの南部に自生する山茶草と言う1年草の薬草で、滋養と鎮静の効果があるがクリフォナムでは煎じて飲用にする事が多い。


 東照の薫り高い茶とは趣が違うがハルは好んで飲用しており、またこれらが不自由なく手に入るようになったのは青空市場が出来た為である。


 ハルが自分のお茶を淹れながら席につくと苦笑しつつ口を開いた。




「左遷されて廃棄都市へ行けという追加命令書受け取った時はどうしようかと思いましたが……どうなるか分からないものです」


「そうですね。あの時は2人静かな暮らしが待っているものとばかり……あら?でもそれはそれで愉しそうですね。そんな生活も素敵かも知れません」




エルレイシアは一旦ハルの言葉を肯定しかけたが、少し思い直したように言いながらカップを置くとハルを見つめて言葉を継いだ。




「ハルもそう思いませんか?」


「……思いませんね」


「い、いじわるですぅ……2人きりだったなら、そんな憎まれ口きかせませんでしたのに……今頃きっと私とハルはっ……!」




ハルに取り付く島も無く即答されてむくれたエルレイシアは、ぶつぶつと小さくつぶやきながら恨みがましくハルを見るが、ハルはカップに口を付けたままついっと視線をそらした。


 それを見ていたアルトリウスは笑いを含みながらエルレイシアを励ます。




『まあまあ太陽神官殿。物は考えようであるぞ?我は“前途はあるが左遷された若者”に生き甲斐を思い出させたのである。現にこうして素晴らしい都市が出来上がりつつあるではないか!神官殿も夢も希望も無い暗い森の中の廃棄都市で、左遷されて腐った男の妻として何の刺激も無く一生暮らすよりも、大きな町の行政官として辣腕を振う有能で生き生きとした行政官の妻の方が良かろう?』




 アルトリウスの言葉に小首を傾げてハルを見ていたエルレイシア。


 両方を想像してみたのだろう。


 しばらくするとそれまでの暗い雰囲気がぱっと明るくなり、にっこりして答えた。




「それもそうですね!」


「そうですね!じゃあないですよ……先任!無責任な事を言わないで下さい!」


『町と太陽神官どの、どっちについてであるか?』


「うえっ?」




 一旦は凹んで大人しくなったものの、アルトリウスの言葉で立ち直ってしまったエルレイシアが椅子をいそいそとずらしてハルの真横へ移動する。


 それを見ながらハルが抗議の声を上げるが、アルトリウスに切り替えされて詰まってしまった。




「両方です!ね、ハルっ」




 ハルが答えかねていると椅子の移動を終えたエルレイシアが、先回りして答えながらハルの隣で身体を預け、うっとりと町の景色を眺める。




「ああ、ハル……見て下さい、町の眺めがとても素敵です……私たち2人っきりです」


「変な方向へ妄想すなっ!」


『あ~ここには我もおるんだがなあ……』




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