第7話

同時期、シレンティウム・元第21軍団庁舎




 シレンティウムでの始めての朝。


 ハルは自分の腕に抱きついて眠っているエルレイシアにうんざりした顔を向けながら躊躇無く腕を取り戻し、近くで剣を杖代わりにして座っているアルトリウスに顔を向ける。




『お早うであるな、美女と同衾してよく眠れたか?』


「自分の毛布に彼女が入ってくるのを止めて下さいよ」


『うん?それは野暮と言うものだろう……我は生涯独身であったが、それぐらいの機微は弁えているのである』




 笑みを浮かべながらのアルトリウスの言葉に、額へ手をやり呻くハル。


 アルトリウスが不寝番をかってくれたので安心して眠る事が出来ると思い、つい深寝入りしてしまったようだ。


 武人にあるまじき事であるが、エルレイシアが毛布の中へ潜り込んできた事に気が付かなかった。


 うう~んと悩ましげな声とともに寝返りを打つエルレイシアは、再びハルの手を取ろうとするもののハルはするりと手を上げてその魔手から逃れる。




「けちです」


「起きているのならさっさと用意してください。今日は遺構の調査をしますから」


「雰囲気無いですねえ……でも分かりました」












 食料は2日分しか持ってきていないことから、明日にはアルマール村へと引き返さなければならない。


 都市の遺構調査は今日中に済ませておきたいと考えたハルは、簡単な朝食を済ませた後、寝ぼける振りをして再度しなだれかかるエルレイシアに流されまいと、懸命にアルトリウスから都市の設備について聞き取りながら調査を進める。


 アルトリウスは無理をせずとも都市は逃げないと、ハルを説得しようとし、エルレイシアを煽ったりもしたが、ハルの求めに対しては出し渋りせずに応じた。




『おお、一つ忘れておった、この都市の水道についてなのであるが……』




 水道溝はあちこち破損したりしているものの、基本的には40年前の帝国技術の粋を凝らした設備が生きており、後は水を滞りなく水源から導入するだけであることが判明している。




『我らができうる限りの整備をしていたであるからな』




 アルトリウスが誇らしげに言ったとおり、亡霊達によってシレンティウムの都市機能は水道に限らず往時から変わりなく維持されている。


 しかし水源についてはハルも疑問に思っていた。


シレンティウムの近隣に小川はあるものの、水源となる大きな川や池は存在せず、都市内の井戸の数も多く無い。


 南西方向に豊富な水のある湿地があるものの、湿地の水は飲料には適さない上に魔獣が多数潜んでおり導入も不可能である。




 シレンティウムについてからの飲み水は、軍団基地跡地にあった非常用の井戸から得ており、水道の遺構に水の陰は無い。


 井戸はあくまで非常用であることから他に水源があるとは思っていたものの、ハル達に特定は出来なかったのであった。


 そんなハルの疑問に答えるべく、アルトリウスがハルを先導しながら語りかける。




『都市の中心部に豊富な水量を確保できる泉があるのだ。そこから都市へと水を引いていたのであるが、実は少々厄介でな……』


「泉ですか?幾ら水量豊富でも、泉程度でこの都市中の水が賄えたんですか?」


『あ~まあ、ハルヨシの疑問はもっともであるが、まあ、小さいとか、しょぼいとかは本人の目の前では言わないように頼むのである』


「「?」」




 アルトリウスの歯切れの悪い言葉に、怪訝な顔を見合わせるハルとエルレイシア。


 しばらく歩いた行政区画の中心部にある広場の枯れた噴水前で、先導していたアルトリウスは歩みを止めた。


 そして腰の剣を抜いてその噴水にかざすと、剣から白い光が溢れ、泉を覆った。


 しばらくしてその光が収まると、アルトリウスは今までのキビキビとした動きが嘘のような鈍い動きで腰に剣を戻してから深呼吸し、徐に口を開く。




『しばらくぶりであるな、アクエリウス、元気であったか?』


『な~にが元気であったか?よ、アルトリウス!この裏切り者!』




 アルトリウスが枯れた噴水に呼びかけると同時に、噴水から水と共に薄い青色の美しい女が飛び出してきてアルトリウスに食って掛かった。


 その姿は透き通っており、耳の後ろや手足、背中には魚のような鰭が付いている。


 驚くハルを他所にエルレイシアはその姿に思い当たる節があったのか、驚きつつも成り行きを見守っている。


 ハルとエルレイシアの様子をちらりと見て、少しばつが悪そうな顔で女に話しかけるアルトリウス。


 一方の女は怒りが収まらないと言った風情である。




『あ~すまんな、40年ぶりか?』


『きーっ!その空かした顔が許せないわ!こっちはずっと待ってたのにっ!!』


『う、うむ……重ねてすまん。まだ成した約束は果たせそうにないのであるが……』


『なっ……?て、あなた?死んじゃってるじゃない!?どういうことっ?』


『うむ、まあ……な、あの後死んでしまったのであるな、これが……すまんである』


『なによ!なによっ!それだったらさっさと約束を果たしてくれても良かったじゃないのっ!こっちはずっと待ってたんだからっ』


『いやあ……帝国皇帝から毎年呪いを掛けられておってな、契約が果たせる状態に無かったのである』


『……それで?今はどうして約束が果たせないの?そっちに居る神官や凄腕剣士と関係あるのかしら?』


『うむ、剣士は我の後継者である。我はこの者と顧問契約を結んだのでな、それが完遂されるまではお主の意に沿えん』


『~っ、裏切り者おおおお!!!』


『ぬおっ?』




一方的に言い立てる女に対して弁解に終始するアルトリウス。


 最後は女が怒り狂ってアルトリウスに飛びかかり修羅場となる。


その2人?の争いに対して手を出し兼ね、ハルとエルレイシアは互いに顔を見合わせるのだった。










『ごめんなさい。取り乱して悪かったわ……私はアクエリウス、この地で流水と泉を司っている精霊よ』




 アルトリウスを一旦外し、ハルとエルレイシアの2人で宥め賺してようやく機嫌を直した女、水の精霊アクエリウスは、離れた所で視線を外しているアルトリウスをきっと睨み付けた後に再び口を開いた。




『で、あそこの裏切り者とあなたたちはどういう関係?』


「あ~実は……」




 ハルがアルトリウスを見ながら口を開くのを興味深そうに見るアクエリウスに、エルレイシアは咄嗟にその視線を遮る。




『なにか用かしら?太陽神官』


「いえ……」














「……と言うわけです」


『ふ~ん、アルトリウスも苦労はしたのね・・・』




 アルトリウスの死んだ経緯やハルとの関係についての説明に一応納得をしたアクエリウスは、ようやく怒りと興奮状態から完全に覚めて冷静に返事をする。


 自分の説明が通用した事で安堵するハルの横から、ちらりとアルトリウスを見るアクエリウスであったがその視線にもう怒りの色はない。




「アクエリウス様はどうしてここにいらっしゃるのですか?」




 エルレイシアの疑問にアクエリウスは小さくため息を付いてから話し始める。




『まあ、特別な理由は無いのよ。ここにあった小さな湧水が私の前身、ここに都市を作るときにアルトリウスが私と魂の契約してくれたの。で、私がその代償として都市の水を供給していたってわけなんだけど……』


「魂の契約ですか?どのような?」


『もちろん、アルトリウスと私の婚姻よ!私の親とも言うべき、水神アクアス様の仲人でね!』


「えっ、結婚ですか?」


『そう、一目ぼれだったの……』




 そういいながら恥らうアクエリウス。




「一目ぼれですか」




 思い当たる事のあるエルレイシアは顔を紅潮させてハルとアルトリウスを見た。


 ぎくっと身を震わせる男2人。












 魂の契約とは文字通り魂を代償とした契約。


 死後の魂を自由にする権利を相手に与える契約の事である。


 魂をどう使うかによってもその意味合いが大きく変わってくるが、アルトリウスがアクエリウスと結んだのは大水神アクアスを仲介とした婚姻契約。




 アクエリウスは、当初出来たばかりの泉に宿る、名もなき水の精霊であった。


そして100年の時が過ぎ、ここに辺境護民官として赴任して来たアルトリウスに一目ぼれをする。


 毎夜のごとく姿を現してはアルトリウスの天幕に木の葉で作った器に自分の分身たる水を汲み、その枕元へ運んでいたのであったがそれを帝国兵に見つかって取り押えられてしまう。


 取調べを受けた時に自分の素性を話し、一目惚れである事を話して隷属契約でも構わないから自分を傍に置いて貰いたいと訴えた。


 しかしアルトリウスは豪快にも魂の契約を結ぶ事を条件に水の安定供給を願い、アクエリウスもこれを受け入れた。




 アルトリウスからアクエリウスという男性名を敢えて授かり、アルトリウスの強い魂の力を得たアクエリウスは大精霊となり、ハルモニウムへ水を供給することになった。


 クリフォナム大反乱終結直前に満身創痍のアルトリウスを命がけで癒そうとしたが果たせず、逆にアルトリウスから噴水の中へ封じられてしまったアクエリウス。


 今日この時までひたすらアルトリウスの無事を願い、開封されるのを待ち続けていたのである。




「40年も待ち続けたのですか……純愛ですね」




 うっとりしていったエルレイシアに対し、同じようにうっとりしながらもアクエリウスは少し恨みの籠もった声を発した。




『そう!なのにあの男、自分が死んでから40年も私を封じたままにするなんて……まあ、理由はあったんだから仕方ないとは思うのよ?でも一言ぐらいあったって良いじゃない。契る約束をした女が同じ所で待ち続けているのに……その上また何だか別の厄介な契約を剣士と結んだって言い出すし……何時になったら私と添い遂げてくれるのよ~』




 最後は酷い男に引っ掛かった女の嘆き節が炸裂した。




「ハルはそんな酷い事しないですよね?」


「け、結婚前提の話はやめてください。自分にその覚悟はまだありません」




 エルレイシアの言葉に思わずそう返したハルに、2人の目が光った。




『何れは覚悟するって事?』


「ですね?」


「うう……」




 女性2人に言質を取られてしまったハルであった。












 女2人が思い人の煮え切らなさ振りを嘆き合っている隙を突いてこそこそと話し合う男2人。




「何が生涯独身ですか……きっちりとやる事はやってるじゃないですかっ」




 ハルの揶揄するような言葉に顔をしかめるアルトリウス。




『うぬ、これだからこの手は使いたくなかったのであるが……この辺りで安定的に水を供給するすべが他にない。故に恥を忍んでやつめに頼もうと思ったのである』


「それで、アクエリウスさんは協力してくれるんですか?」


『まあ任せておけ』


「それこそあまり酷い事はしないで下さいよ?」




 アルトリウスの悪い顔に、少し心配になったハルは釘を刺した。








 話がついた所で、アルトリウスはアクエリウスにすっと近づく。




『で、モノは相談だアクエリウス』


『……何よ』




 不信感全開でアルトリウスを見るアクエリウスに、アルトリウスは爽やかな笑顔で語りかける。




『かつてのように我らはここに都市を起こそうと思っているのであるが、それについてまた水を供給してもらいたい。ただし、今度はこの都市がこのハル・アキルシウスの思想に沿い続ける限りである』


『……約束』


『うむ?』


『約束はどうしたの?あなたが契ってくれるっていう私との約束は?それさえ果たしてくれれば、私はこの地にあなたと共にあり続けるわ』




 目を潤ませるアクエリウスに少したじろぐアルトリウス。




『……ここに都市が出来て永続的な繁栄が成し遂げられれば我は引退なのである。故にそれも可能であろうぞ』


『本当?前みたいに騙まし討ちしない?』


『おお、あの時は我には他に術が無かったのだ。あのまま都市を踏みにじられていればお主も無事では済まず、心身を汚されていただろうしな。それは我としても忍びなかったのである。だからこうして開封し、改めてお願いをしに来たのだ』


『……じゃあ、今して?』


『我らは実体が無いのだぞ?指輪も結符も意味を成さん。どのようにして婚姻するのだ?』




 アクエリウスのお願いに憮然と答えるアルトリウス。




『契るのが嫌じゃないのね?心変わりしたわけじゃないのね?』


『うむ、術さえあらば構わん。』




 そんな方法は無いと高を括っているアルトリウスが余裕で答えると、アクエリウスは、心底うれしそうな笑みを浮かべた。




『大丈夫、太陽神官はいるし、立会人もいるわ』




 幸せそうな笑みを浮かべたままアクエリウスは、エルレイシアとハルを示して言うと、キラキラ輝く目でアルトリウスを見つめる。


 そこでようやくアルトリウスが眉をひそめた。




『……まさか!?』


『えいっ』




 アクエリウスが飛び込むようにしてアルトリウスの唇を奪った瞬間、青い光が閃光のように走った。




「古の契約が成就された事を確認しました、これで晴れて御2人は夫婦ですよ」




 エルレイシアが厳かに言うと、アルトリウスが額に手をやって嘆く。




『……やられたわ、我も見切り時か』




 アルトリウスのマントと兜の房の色が赤から青色に変わり、アルトリウスの左薬指とアクエリウスの左薬指に赤い指輪が填められている。




『うふ、でもこれからここの水は私に任せてね!飲み水の浄水と供給、下水の浄化だけじゃなく、聖水や薬水も大丈夫よ~アルトリウスの魂の力があるから!』




 そう言いながらうれしそうにアルトリウスの腕を取るアクエリウス。


 その姿を唖然と眺めるハル。




「……アルトリウスさん?」


『抜かったわ、まあ、これで水の件は解決である』


「いや、そうじゃなくてですね……あの」


『もう見知った親類もおらんであるからな。精霊を嫁にしたとて目くじら立てるものはおるまいよ』




 そっぽを向いて話すアルトリウスに、手を延ばそうとしたハルの腕を横から取る者がいる。




「次は私たちですね?」


「……そうくると思ったんですが、そうは行きませんから!」














『じゃあ、いくわよ!それっ』




 アクエリウスの力によって噴水から水が溢れ出し、水道設備で都市の隅々まで行き渡る様子を見ながら、ハルやエルレイシアは感嘆の声を上げ、アルトリウスとアクエリウスは満足げに微笑んでいる。


 アクエリウスが導いた地下水脈は見る見るうちに都市の上水を潤し、下水に堆積した土砂を押し流してゆく。


 また下水に巣食っていた魔物や獣たちが水に追われて都市外へと逃げだし、ある物は大水に押し流されて水死し、そのまま死体は都市外へ排出された。




 あっという間にシレンティウムは静寂の都市から、水音の満ちる清浄な水流都市へと変貌を遂げたのである。


 水道が破れている箇所では道路に水が落ち、一時的な虹と水溜りを作っているが、その水も道路脇の側溝へと吸い込まれてゆく。




『都市で使用された水はすべて水道から灌漑設備を通じて農業用水へ回されるようになっているのだけれども、灌漑設備はどうなっているの?都市からの水の導入は一応私が調査したところ問題なさそうだけど……』




 都市機能が生きている全域に水を張り巡らせた事を告げてからアクエリウスが尋ねる。




「灌漑設備自体は生きていますが、肝心の農地はまだ何も準備していませんから……」


『うむ、40年放置されていたのであるからな。整備はまだこれからだ……と、ハルヨシよ、表に人が来ておるぞ。これは……うむ、オラン人の集団であるな』


「オラン人ですか?この様な場所に?」




 エルレイシアが不思議そうに首をかしげる。


 以前はオラン人とクリフォナム人の係争地であったこの辺りも、クリフォナム人の大反乱以後は完全にクリフォナム人の土地と化しており、オラン人の居住区は随分と後退している。




 また西方帝国の侵攻や横暴に耐えかねて降伏し、帝国内へ流出するように移住するオラン人が増えており、北方辺境でのオラン人人口は減少の一途でとても植民者集団を送り出すような情勢に無い。


 ましてやアルフォード英雄王が健在であるクリフォナム人地域に侵入するなどは、今の勢力関係からは考えられない事であった。




 そういった事情や情勢は昨晩アルトリウスやエルレイシアから教えられてハルも分かっている。




「ひょっとしたら何か事情があるのかもしれません。まずは話を聞いてみなくては……でもよく分かりましたね先任」


『うむ、先任か……ふっ久しぶりであるな、その呼び方は』




 ハルの先任との呼びかけにアルトリウスが嬉しそうに笑みを浮かべる。




「あれ、ダメでしたか?」


『いや、構わんである。久しぶりで少し懐かしかっただけである……それからなぜ分かったかであるが、我が築いた都市であるから当然であるな。この都市直近に近づくものはねずみとて我に分かる。まあ便利な警鐘代わりと考えて貰って良いであるぞ』




 ハルの問いに対しアルトリウスが得意げに答えた。


 エルレイシアはハルの言葉に少し考えた後に言う。




「……私も行きます。オランの民も太陽神様への信仰は同じですからお役に立てると思いますよ」


「そうですね……お願いします」




 エルレイシアの言葉にハルが応じた。


『我らは遠慮して置こうか。無用の混乱を招き兼ねんしな……ちなみにオラン人どもはお主らが入って来たのとは逆側におる。それに些か心身ともに憔悴しているようだ。注意してやると良いぞ』


『私もこれからは基本的に人前には姿を現さないわ。用がある時はいつでも良いわ、呼んでくれるかしら』




 アルトリウスはそう言い執務室へと姿を消し、アクエリウスは噴水へと手を振りながら消える。


 その姿を見送ったハルは傍らのエルレイシアに声を掛けた。




「では行きましょうか」


「はい」


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