第8話
シレンティウム西城門前
オラン人の一部族、シオネウス族を束ねる族長ヘリオネルは大いに戸惑っていた。
「……どうして水が流れている?ここは廃棄都市シレンティウムではないのか?」
一族約500名を率いての逃避行。
さしあたっての中継地と定めてやってきたかつての北の都、廃棄されたはずの静寂の都市シレンティウムであったが、屯していたはずの魔獣や死霊はおらず、それどころか都市内には清浄な水が流れる明るい雰囲気を宿した都市遺跡になっていた。
ヘリオネルは30歳台半ばではあるが、その武力と胆力で族長に推された剛の者。
かつて腕試しでこの地を訪れた事があり、その時はこの様な良い雰囲気ではなかった。
もっとおどろおどろしい雰囲気を纏った場所だったはずだが、それがすっかり変わってしまっている。
改めて周囲を戦士達と共に調査するが帝国兵の亡霊や魔獣はやはりいない。
家財道具一切を荷馬車に乗せ、女や老人子供を含む一行であったことから真っ当な道は避け、無理な物資供出を要求してきた帝国軍の追跡をかわす為にあえて誰も寄り付かない静寂都市を目指し強行軍でここまで来たへリオネル達。
せめて一晩の宿を屋根のある落ち着いた場所でと思い静寂都市を選んだのだが、予期していなかった光景に戸惑いを隠せない。
後ろに続く荷馬車や歩きの一族たちも、聞いていた都市の様子と全く異なる光景に目を丸くしている。
「あなた……これは一体……」
「こ、これは太陽神の思し召しか……それとも悪魔の所行か……」
身重な妻の不安そうな、そして何かを期待するような声に言葉を返すヘリオネル。
「そうですね、正に太陽神様の思し召しですよ。シレンティウムへようこそ」
扉の無い城門から現れたのはクリフォナム人女性の太陽神官エルレイシア。
太陽神官の姿を見たことで、一瞬オラン人たちの緊張が緩んだ。
しかしその様子に安心したハルが続くと、一瞬緩みかけた緊張が再び高まる。
「くそ!!帝国人!先回りされていたかっ……!?」
「えっ?」
戸惑うハルを他所にヘリオネルは叫んで剣を抜くと、荷台に乗っていた息子にすぐさま後続に配していた戦士たちを呼びに行くよう言いつける。
「ええっ?ちょっと待ったっ!待ってください!」
慌てるハルを意に介さずヘリオネルは一気に間合いを詰めて斬りかかった。
「どこまでしつこいんだ!帝国の犬めっ!食らえ!」
「だあっ!!」
ハルは自分より頭2つ分は大きいヘリオネルの斬撃を正面から受け、とっさに刀を抜く事も叶わずに左前へ身をかわした。
更に自分の横へ振り落ろされた剣の勢いを殺さずそのまま自分の手で押してヘリオネルの剣に地面を掘らせると、その手の甲を拳で鋭く打つ。
痛みで握りの緩んだへリオネルの隙を突いてハルは親指を取り、外へと捻り込みながら足を引っ掛けた。
どすんと地響きがするぐらいの勢いで地面に叩きつけられたヘリオネルは揺れる頭と視界に我を忘れたが、その瞬間首筋に冷たい刃の感触を感じた。
見ると見事な波紋を描いた鋭い刀が突きつけられている。
「うっ、くそ……殺すなら殺せっ」
「「族長!!」」
鋭く言い放ったへリオネルに駆けつけた20人ぐらいの戦士たちが叫ぶ。
「落ち着いて話が出来ますか?」
エルレイシアがハルに取り押さえられているヘリオネルに問うと、ヘリオネルは自分を押さえ込んでいる帝国人と太陽神官が並び立っている事に不審の目を向けながらも、こくりと頷くのだった。
ハルは取り合えず長旅で心身ともに疲労しているシオネウス族を都市に招きいれ、都市の軍団基地跡へと誘導した。
一番広い場所で安全を確保できる場所がそこしかなかったからで、胸壁もあり兵舎等使用に耐える程しっかりと残っている建物も多い。
城門をくぐり、石畳できっちり舗装されている道路を列を作って軍団基地跡へ向かう人々。
その途中に清浄な水が流れる水道があり、立派な帝国風の建物が立ち並んでいる。
軍団基地跡へ行くまでの道のりで、シオネウスの老若男女は都市に魅了されていった。
旅装を解き、天幕を張って野営の準備を整える戦士たち。
他の者たちは老人、子供、女の順で建物へ収容すると、アルトリウスの執務室でハルとエルレイシアはヘリオネルと話し合いを始めることにした。
ここまでの道すがら、ハルとエルレイシアの関係やこの都市の統治権がハルにあることは、説明しにくいアルトリウスやアクエリウスの件を除いてヘリオネルに説明してある。
ヘリオネルも帝国化しつつあるオラン人の例に漏れず、法令や権限については理解しているし、この場所が最終目的地であったわけではない事からシレンティウムの都市内ではハルの威令に服する事を約束した。
「まずは礼を言う」
ヘリオネルはそう言いながらハルとエルレイシアに手を差し出し、かわるがわるしっかりと握り締めた。
「正直どうすればいいか分からなくて困っていたところだった。帝国の圧力と追っ手を避けてここまで来はしたものの、行く当ても無い。一時の宿とはいえ場所を提供して頂けて本当に感謝している」
「それは気になさらないで下さい。困っている人を助けるのはヤマト剣士として、それに何より人として当然の事です」
ハルが何の気負いも無くそう言うとヘリオネルは複雑な顔で頭をかいた。
「ううむ、帝国人……と言っても群島嶼の剣士殿か?兎も角帝国側に立つあなたからそのような言葉を聞くとおかしな感じがするが……今の私たちはその帝国に居候しているも同然だ。厚意は素直に受け取りたいと思う」
「ここは心配ありません、かつての古き良き帝国が息づく場所です」
「太陽神官殿がそこまでおっしゃられるとは、それにしても久しぶりですな」
エルレイシアの口添えにヘリオネルはようやく安心したように笑みを浮かべる。
実はエルレイシアとヘリオネルは顔見知りであったのだ。
大地の巡検の際にエルレイシアが立ち寄ったオラン人の村。
まだ若い戦士だったヘリオネルは、エルレイシアの顔を覚えていた。
「あの頃はまだ少女と言っても良いくらいに可愛らしいお嬢さんだったが、美しくなられました」
ヘリオネルの言葉に艶然と微笑むエルレイシア。
普段ハルやアルトリウスの前で見せるのとはまた別の顔がそこにはあった。
「それで……ここまで来た理由を教えていただけますか?」
ハルの言葉にヘリオネルの顔が厳しいものへと変わった。
「理由は、帝国のせいです」
へリオネルは再び厳しい顔つきになり、ハルを見据えると徐に部族上げての逃亡理由を語り始めるのだった。
数週間前、シオネウス村・へリオネルの家
「おい……貴様、これではぜんぜん足りないぞ!」
帝国兵の100人隊長、名前は確かボレウスとか言ったか……?
我々が1年間掛けて苦労して育て、ようやく収穫した麦を威圧して根こそぎ奪おうとしている。
ここ最近帝国の国境防衛隊の連中が、我々のようなオラン人集落に現れては貢納と称した略奪を働いている。
戦争状態にも無い相手に対してこの様な無法がまかり通ってよいものかと思うが、オランの民は既に王を失い、指導者を失って帝国に吸収されつつある亡国の民。
オラン人の歴史で国としてまとまりを持った事は1度も無いが、各部族から王を輩出して指導者となし、部族としてまとまりを持って帝国に反抗していた時期もあった。
しかしそれはもう昔の話、今は帝国の横暴に振り回される弱小周辺部族。
オランの民も帝国領内に住めば、一応帝国人として処遇される事から最近は帝国へと移り住む者たちも多いが、満足な土地も用意してもらえないまま貧民や奴隷と成り果てる場合がほとんどである。
それに移り住んだところでその目立つ容貌、金や銀の髪、青や緑の目といったオラン人の特徴や民族呼称が消える訳ではなかった。
流石に略奪や徴発などの様な無法なまねはされないだろうが、目に見えない様々な差別はあるし、帝国法で裁かれるとなると慣習や風習に合わない事も多く、それを熟知しないオランの民は不利益を被る事も多い。
それが嫌ならこの仕打ちに耐えるしかないのだ。
「そうは仰いましても、これ以上の貢納をすれば村は冬を越せません。何とぞ……」
「……そうか、では人減らしをしてやろう。15歳から25歳までの女をここへ集めろ、選別して帝国へ連行する!」
怒りを押し殺して発したへリオネルの言葉へ侮蔑の言葉を浴びせる帝国人。
「なっ!?」
「ふん、蛮族とはいえ貴様らの所の金髪碧眼の女たちは良い値で売れるからな。それで勘弁してやろう」
「そのようなめちゃくちゃを本気で仰っているのですか?」
ヘリオネルは更にこみ上げる怒りを押し殺してボレウス隊長に答えるが、帝国兵が本気だと言う事は分かっている。
先隣の村はそれで娘を10人差し出す羽目になったと言う。
顛末は言うまでも無い、帝都の娼窟行きだ。
冗談ではない、うちの村からそんな者を出してたまるものか!
「……では猶予を与える。10日後だ、10日後にまた来る。それまでに麦袋の数を増やしておくか、女を集めておくかしろ!」
ヘリオネルが無言でいるのを怒りではなく屈服したものと捉えて勘違いしたボレウスはそう言い捨て、率いてきた200名の帝国歩兵とともに駐屯地へと引き上げて行った。
200名の帝国兵、大軍である。
今部族の壮年の男をかき集めても100名には達しない、反抗することは不可能だ。
かつては1000人を数えたシオネウス族一の村も、もう500人に足る位の人口しか居ない。
残された時間と手段は限られている。
幸いにも今日出した麦を帝国兵は持ち去っていかなかった。
長老会は決を採るまでも無かった、全員一致で移住の決定。
しかし移住場所は決められていない、移住場所は限られている。
オラン人地域で居住可能な条件の土地は既に隙間無く部族の勢力圏が定まっている。
それ以外で帝国の力が及ばない場所といえば、クリフォナム人地域か若しくはその先のハレミア人地域、そして果ては東照帝国。
しかし東照帝国やハレミア人とは文化的差異が大きく、移住自体が上手くいったとしても軋轢が必ず生じるし、クリフォナム人とは古来より犬猿の仲である。
先の見通しは全く立たないが、それでもこのまま帝国の言いなりになってしまうよりはと皆が覚悟を決めた。
2晩を掛けて夜逃げの準備をしたシオネウスの一族は、取り合えず追っ手を巻く為に廃棄都市シレンティウムを目指してかつてアルトリウスが敷設した煉瓦造りの旧街道をひた走る。
帝国では忘れ去られてしまったが、シレンティウムを経由してシルーハや東照帝国へ達する抜け道の存在は、北方辺境に住み暮らす部族の中では常識とも言うべきものである。
草の下に隠れた街道はそれなりに使える頑丈なものであるが、40年の歳月で所々で割れてしまった煉瓦もあり、そのような穴に荷馬車が落ち込んでしまう事もあったが全員一致協力して一心にシレンティウム目指して走る。
そうしてへリオネル達シオネウス族は、何とか無事シレンティウムの西側城門前までたどり着いたのであった。
シレンティウム、第21軍団庁舎
「と言うわけでして、恥ずかしげも無く帝国から逃れ出てきた次第です」
「行く宛てはあるのですか?」
ヘリオネルの力ない言葉に気付いたハルが気遣わしげに問うと、ヘリオネルは疲れた様子で頭を振った。
「いえ、先ほども言ったとおり何処にも行く宛てはありません。エルレイシア殿にアルフォード王へとりなしをお願いしたいのですが……」
「?」
「恐らく無理でしょう。アルフォード王は良くも悪くもクリフォナム人優先主義者ですから、例えあなた方が王の支配を受け入れることを表明したとしても、オラン人に土地を分け与える事は無いでしょう」
「やはりそうですか……仕方ないですなあ……」
エルレイシアが申し訳なさそうに答えると、ヘリオネルも予想はしていたのか肩を落としながらも納得の言葉を口にした。
ハルは思案する風でしばらく黙っていたが、徐に部屋の奥の方を見て口を開いた。
「先任、どうですかね、500人受け入れられませんか?」
『問題は無かろうな。都市西方はもともとオラン人の居住区であったし、最盛期は3000人以上のオラン人が暮らしていたのである。今も基礎の遺構は残っておるゆえに、そのまま家を建てさせれば都市計画も進む。農地と都市の遺構に生えた木を伐り、住居の建築に宛て、再整備した土地をこの者らに与えれば良い。既に水はアクエリウスの力で届いているから問題ないであるしな。夜逃げと言うからには十分な食料も持参しておろう。再来年くらいまで辛抱すればこの地でも収穫が見込めよう、移住には全く問題無いであるぞ』
アルトリウスがハルの言葉に反応し、そう言いながら奥の部屋から現れた。
「あの方は……帝国人ですか?」
突如現れた鎧兜姿のアルトリウスに、僅かな不審感をのぞかせたヘリオネルが尋ねる。
「私の前任者であるアルトリウス司令官です。この都市を築いた方で、私が職を引き継ぐにあたって助言をして貰っています」
『ふっ、そう改めて言われると面映いであるなっ。だがもっと言って良いであるぞ』
ハルの紹介に鼻を高くしたアルトリウスが答える。
アルトリウスの言葉に眉を顰めたハルを他所に、紹介を受けたヘリオネルは驚愕で目を見開いた。
「て、帝国の鬼将軍!?まさかそんな馬鹿な!生きているはずが無いっ!!」
「はい、既に儚くおなりです。死霊となっても過去の栄光が忘れられず、都市を復興させようと目論んで暗躍されている方ですよ」
『し、神官殿、確かにその言葉に偽りは無いが真実でも無いのである……それではみもふたも無いではないか』
ヘリオネルの驚愕に応じたエルレイシアのあけすけな言葉にアルトリウスが抗議する。
「し、死霊か!?神官殿、この者を野放しにしていて良いのか!」
「私の術が全く効かないのです。幸い人を害する意志はなく、実際に害はありませんし、むしろ都市経営については助かっています」
エルレイシアの淡々とした説明に、ヘリオネルはようやく慌てて浮かせかけた腰を石の椅子へと落ち着ける。
そして大きくため息をつき、両手で顔を覆った。
「全く……予想外の事ばかりで」
『……ハルヨシよ、みだりに我が姿を現せばこうなる事は分かっていたであろう?我を呼ぶとはどういうつもりであるか』
「仕方ないですよ。この都市の事は先任に聞くのが一番なんですから」
『ふふん、まあそれについての判断はハルヨシが正しいのであるな』
最初は渋面で苦言を呈しながらも、ハルがそれに対する答えを口にした途端ころりと機嫌を直すアルトリウス。
「全く、驚かされる事ばかりで……」
額に手をやり、その会話を聞いていたヘリオネルは先ほどより一層疲れた顔でそうこぼすのだった。
しばらく移住について話し合った後、一応の合意に達したハルとへリオネル。
「……では我々をこの条件で都市へ受け入れてくれると?」
「ええ、ただし付帯条件が幾つかあります。まずは今後帝国の法令と統治の下に服すること、私の統治権をこの地において認めることなどです。その条件で良いならばということです」
「……法執行の平等と法の不知に対する寛容を認めて欲しい」
「当然ですね。私はここで人種民族を理由に物事を差別するつもりはありません」
「分かった」
ヘリオネルの口調は先程とは変わって幾分明るさが含まれている。
ハルはオラン人のシオネウス族をシレンティウムへ受け入れるに当たって、ヘリオネルと幾つかの暫定的な取り決めを行った結果
1 シオネウス族は、任期3年の代表者を1名選出できる
2 シオネウス族の習俗風習について、他に害を及ぼすもの以外は禁止しない
3 シオネウス族の居住地は都市西部とし、農地も同様とする
4 シオネウス族の商業者及び工芸者は、指定された街区に居住する
5 シオネウス族の農業について、基本的には帝国風の農法を導入する
6 都市経営に関わる人員(官吏)の採用については、行政府の募集に従う
7 法令はシレンティウム都市法を適用し、シオネウス族の族法は同族間のみ適用
8 水利、教育、医療、治安に関する費用と責任は行政府が持つ
9 税金は2年間完全免除、3年目以降は行政府と相談し決定
10 税は14歳以上に住民税(年間金貨1枚)と売上税(年間収入の1割)を課す
11 シレンティウムにおいて法令は全人種平等に課す
12 シオネウス族全員にシレンティウムの市民権を与え、準帝国市民として扱う
と言う事が決定した。
細部については、シレンティウムの都市法が出来次第という事になるが、ヘリオネルとしても行く先の無い部族をここまでの好条件で移住させてくれる場所は他にないと考え、提案を部族会議に諮ることにした。
提案だけを見れば部族の者たちが移住を拒否する事はまずありえないだろう。
何より帝国都市であるシレンティウムの市民権が与えられれば、帝国兵の横暴に対して行政府を通じて抗議することも出来るし、今までのように一方的に略奪される事は無くなる。
しかし長年帝国兵の横暴に苦しめられてきたヘリオネルは、ハルの事を完全に信用しきれずにいた。
「話が旨すぎる。何か裏があるのではないか……?」
ヘリオネルはそう独り言をつぶやきながら、軍団司令室のある建物から一族が宿泊している軍団基地へと向かった。
しばらくして一族の元へと帰ったヘリオネル。
その荷馬車の近くへ部族の主だった者達が集められ、部族会議が開催された。
もちろん議題はアキルシウス辺境護民官からの提案事項である。
「有難いし願っても無い条件だが、帝国の護民官が出したという所が気に食わない」
「しかし、それなら何故わざわざ我らを都市へ招いたのだ?相手はたった2人だろう?」
「それこそ裏があるからだろう!」
最初から長老の1人が不信感も露わに宣言するかのように言い切り、その直後から議論は紛糾した。
ヘリオネルも気に懸かっていた事であり、誰かが解決の糸口となるような意見を出しはしないかと期待したが、結局結論はでないまま議論が出尽くしてしまう。
「兄貴よ、どうする?」
戦士長である弟のベリウスが意見を求めて来るが、ヘリオネル自身も結論を出せずにいたために腕を組んでうなることしか出来ない。
「あなた……私も良いかしら?」
その時荷馬車に乗ったままのヘリオネルの妻、エティアが発言を求めた。
オラン人、クリフォナム人の間では、族長の妻も部族会議での発言権を持つため、エティアの発言はごく自然なものであることからヘリオネルは身重な妻の発言を許す。
「ねえ皆さん、ここは聞いていたような廃棄された帝国都市とは思えないほど清潔で、気持ちの良い所だわ。お水もおいしいし、太陽神官様はいらっしゃるし……だから私、ここに住めたら良いなと思うの、きっとお腹の子にも良いと思うわ」
大きなお腹をさすりながらエティアは発言を続ける。
「そのアキルシウスさんといったかしら?その人は帝国人なの?」
「……いや帝国人だが、おそらく群島嶼人だ。ヤマト剣士と言っていたからな」
妻の疑問に答えたへリオネルの言葉に、一族の者達がどよめく。
群島嶼人であれば、生粋の帝国人と違い北の民に差別感情は持っていないだろうし、ましてやその中でも武勇を謳われるヤマト剣士ともなれば、そう無茶もしないだろう。
「そう……じゃあどうして太陽神官様と一緒にいらっしゃるのかしら?」
「何でも、帝国人の盗賊からお救い差し上げたのだとか。太陽神官様から直接聞いたので嘘ではないと思うのだが……」
更に続いたエティアの質問に答えるヘリオネル、しかしその回答で場の雰囲気が完全に変わった。
「……帝国人の盗賊から太陽神官様を助けたのか?」
「そんな事が……なるほど、帝国人とは言っても流石はヤマトの剣士だな……」
口々に驚きの声を上げる長老たちだったが、太陽神官自身から聞いたという族長の話である、信用に値すると誰もが思っての発言である。
「そうですか、アキルシウスさんも何か事情がおありなのかしら?」
「うむ、彼は左遷されてきたのだと思う。辺境護民官などと言う官職がまだ残っているとは思えない。おそらくは閑職に回されたのだろう」
「何と、あの誇り高き事で有名なヤマトの剣士が……さぞかし難渋したであろうな」
エティアの再度の質問にヘリオネルが答えると、一族の長老がそう言葉を発し、大勢は決した。
群島嶼連合の剣士はその清廉さと強さで大陸中に名を知られている。
そしてその群島嶼が3年に渡る激しい抵抗もむなしく、帝国に屈した事は北方辺境まで聞こえていた。
その勇猛果敢な、それでいて敗戦を経験し、敗者の悲哀を実体験として知っている者ならば、普通の帝国人官吏よりも一族の対応に期待が持てる。
最後に決断を促すようにエティアが言った。
「太陽神官様が命を救われて、信頼もされている方です。帝国の官吏とはいえ群島嶼のヤマト剣士というのであれば、信頼してみても良いのではないでしょうか?帝国の追手も何処まで来ているか分かりませんし、何よりもうみんな疲れ果てて動けません。それにちらっとしか見ていないのですけども、アキルシウスさんの帯に太陽神官様の結符がありました。それだけでも信頼に値すると私は思いますが、皆さんはどうですか?」
うすうす気がついていたことを改めて言葉で説明され、頷き、納得するシオネウス族の長老達。
エティアの言葉で、彷徨うことを余儀なくされるはずだった一族の移住先が決定したのであった。
第21軍団庁舎
一族の中で結論が出てからしばらくして、ヘリオネルが長老と壮年の戦士長を伴いハル達の居る執務室に現れた。
「アキルシウス辺境護民官殿、我々アキルシウス殿の提案を受け入れてこの地に住まう事にした。ついては部族代表として私ヘリオネルが選出されたのでご報告を」
ヘリオネルは長老や戦士長と共にハルに頭を下げ、それからその2人をハルに紹介する。
「こっちが我が部族の生き字引である最長老ドレシネス、そしてこれが私の弟で戦士長を勤めるベリウスです」
ハルは2人の自己紹介を聞いて頷くと、早速質問をする。
「ドレシネス老、文字の読み書きは出来ますか?」
「もちろんですじゃ、西方共通文字は修めております」
「ではシオネウス族の戸籍を早急に作っていただきます。作成はこれを参考にしてもらって、執務はこの部屋でやって下さい」
ハルが取り出したのはアルトリウスの執務室で保管されていた帝国の戸籍原本。
「承知いたしました」
ドレシネスはハルから戸籍原本を受け取ると、少し離れたところに置かれている机へと向かい、早速戸籍原本を吟味し始める。
「ベリウス、配下の戦士は何名いる?」
「俺を含めて50名だ、そのうち女が4名」
「では臨時の兵士として全員を雇いますが、武器防具は持参できますか?」
「もちろんだ、オランの戦士だからな」
「ではさしあたって給金は金貨2枚で良いですか?」
「……破格だな、承知した」
片眉を上げて答えるベリウス。
次いでハルは隣で成り行きを見守っていたエルレイシアへと顔を向ける。
「エルレイシア、早速女性戦士4名を連れてアルマール村へ行って下さい。あなたがいれば他族の者を連れて行っても大丈夫でしょう」
「分かりました、妻は務めを果たします」
「……まあいいか。やって貰うのは我々の荷物の回収、500余名分の食料の買い付け、それから行商人の捜索です」
「定期的に行商人に来て貰えるように交渉すれば良いのですね?護衛はこちら持ちで構いませんか?」
自分がすべてを説明する前にエルレイシアがやるべき事を答えたので、ハルはちょっと驚いたような顔をした後笑顔になる。
「よろしくお願いします」
「いいえ、私たちは一心同体。それぐらいの事は言葉にせずとも分かります」
にっこり嬉しそうにハルへ微笑むエルレイシアを見て、更にはハルの腰に就いた結符を見たヘリオネルら3名はうんうんと納得したように頷きこそこそと話し合う。
「やはりか……」
「間違い御座いませんですじゃ」
「なるほど」
ハルは大判金貨5枚を買い付け費用の手付け金としてエルレイシアに渡すことにし、アルトリウスから解錠の手続きについて聞こうと顔を上げた所でヘリオネルらのいかにもな態度を訝った。
「ん?どうしたんですヘリオネル族長?」
「うおっほん……いえ、こちらの事ですからお気使い無く」
「まあ、それなら良いですが……では族長は居住地と農地の割り振り、それから残った人たちを使ってその用地の整地と建築をお願いします。但し農地の割り振りは1家族あたり4H、住居地は人数関係なく家族割りで行います。それから出来た素案を一度私に見せて下さい。それで私が良いと判断したら割り振りを正式に行っていきます」
「承知した、何時から始めれば宜しいか?」
「2、3日は休養してもらって良いですよ、疲れてもいるでしょうからね。はいこれ、西区の地図です、この枠の範囲を割り振ってください」
同じくアルトリウスの執務室から見つけた西街区の更に一部の地図をヘリオネルへ手渡すハル。
「分かった」
「ベリウス戦士長、残りの戦士を使って都市の巡邏をして下さい。盗賊や魔獣の類はまだうろうろしていますから。交代や配分は任せます、これがシレンティウムの概略地図です」
「手回しがいいな、了解した。任されよう」
一応の手配を済ませたハルは全員が始動し始めた事を確認し、ようやく一息をついてつぶやいた。
「これから大変だなあ……」
『とうぜんであろう?まあ期待しているのである』
つぶやきを聞きつけたアルトリウスに激励され、苦笑いを返すハルであった。
全員が執務室からいなくなり、ハル1人になったところでアルトリウスが徐に口を開いた。
『来たばかりの蛮族をあのように信頼してしまってよいのか?』
「大丈夫ですよ、エルレイシアの威力は絶大みたいです。太陽神官の権威がこんなに高いとは正直思っても見ませんでした。嬉しい誤算ですね」
『確かにな、エルレイシアを害する事はまず無いであろうが……ハルヨシよ、お主は分からんではないか?』
「あ~確かにそうですね、それは忘れていました」
『のんきだな』
自分の言葉に今気が付いたという様子のハルに呆れるアルトリウス。
しかし信頼しない者は信頼されないことを知っているアルトリウスは、ハルの態度に密かに満足げである。
そんなアルトリウスの思惑に気付かないままハルは言葉を継いだ。
「ま、でも大丈夫かなとは思いましたよ?彼らはすっかり弱っていましたしね。これ以上の諍いは避けたいんじゃないかと……だからこそこの都市の住人にしてしまおうと思ったんですけどね」
椅子に座り込んだままぼんやりというハルに、アルトリウスも同意した。
『うむ、まあそうだな。行く宛ても無く彷徨うよりは廃棄都市とはいえここで暮らすほうがよっぽど良かろう……心優しい辺境護民官殿はおるしな』
「そんな立派なものじゃあないですけれどもねえ……第一都市どころか、今自分が使っているもののほとんどは先任が残してくれたんです。自分では何もやっていませんし、ましてやエルレイシアがいなければ話し合い自体できたかどうか……本人には言えないですけれどもね」
『言ってやれば泣いて喜ぶと思うが?』
自嘲気味に言うハルをからかうアルトリウス。
ハルが僅かに苦笑し、アルトリウスも少し笑みを浮かべたが、すぐにその表情は一転し、真面目な顔でハルに語りかける。
『しかし、お主の言はちょっと違うな。確かに都市は我が残し、我らが整備し続けてきたものだが、それを利用して人を住まわせようとしたのはハルヨシよ、お主だけだ。我の夢が儚く破れ、都市が陥落してから40年間で数多の者がここを訪れたが、誰もその発想を抱かなかった』
「それは先任が自分を煽ったからでしょう?自分も最初は何もする気はありませんでしたよ」
『煽られようが誘導されようが、そこに自分の気持ちがなければ人は動かん。ハルヨシで無ければこうはならなかったであろう』
「それはそうかもしれませんが……」
苦笑のまま答えるハルであったが、アルトリウスは顔を崩さず真面目な表情のまま語りを続ける。
『エルレイシアの事とて同じであろう?彼女だけでは何も為せん。おぬしが主導して初めて彼女の権威が生きたのだ。お主はもう少し自信を持ってよいぞ?曲がりなりにも我が我の夢を託せると思ったのはハルヨシ、お主だけなのだからな』
アルトリウスの言葉にハルは唇を引き結んだ。
「……できる限りの事はやってみるつもりです」
『うむ、その意気である、頼むぞ辺境護民官殿!』
ハルの答えに満足したアルトリウスは、満面の笑みで腕を組んで言うのだった。
シレンティウム中央大通り、水道橋
『賑やかになってきたわね?』
『うむ』
さわさわと軽やかな音を立てて清水の流れる水道橋の上。
水道橋に腰掛けて自分の膝に肘を付き、その掌へ自分のあごを乗っけているアクエリウスの傍らには立ったまま腕組のアルトリウスがいる。
日は暮れ、2人の視線の先には都市へとたどり着いたオラン人たちが夕飯を煮炊きしている無数の焚き火があった。
一様にその顔は明るく、安住の地を与えられた安堵感で満ちている。
特に表情の無いアクエリウスとは対照的に、アルトリウスの顔には隠しきれない笑みがあった。
『……とても嬉しそうね?アルトリウス』
『ふふっ、当然である。我の眼に狂いは無かったのである』
アクエリウスの問いかけにアルトリウスは腕組を解き、手を腰にやりながら答える。
『2、3日後からはきりきり働いて貰うのであるが、まあ今晩くらいはゆっくり休むがよかろう。逃避行は体力だけで無く精神をも疲労させるものであるからな』
『ふ~ん、そうなんだ……ま、私は誰が来ても余り関係は無いわね。でも、あなたが楽しいのならそれでいいわ。そんなあなたを見ているのは私も楽しいし……』
アクエリウスは微笑みを浮かべつつアルトリウスの手を引いて自分の隣へ座らせると、ことりと頭をその肩に預けた。
しばらく水音だけが辺りを包むが、アクエリウスがぽつりと言葉を発する。
『人だった時のしがらみなんて捨てちゃえば良いのに……でも、そんな変わらないあなたが……大好き』
『それこそ面映い事である。ただ理解してくれる者が傍らにいてくれるというのは良いものであるな』
『うふふっ』
アルトリウスの回答に満足したのか、アクエリウスは含み笑いながら想い人に横から抱きついた。
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