第3話

静寂を二つ名に持つ廃棄都市に、時ならぬ闘気が満ちた。


 剣を激しく打ち合う音が響き渡り、2人の男がそれぞれ鋭い斬撃を放ち合った後に一旦間合いを取る。


 シレンティウムの闘技場跡。


 再度2つの人影が激しく打ち合い、そして離れる。




『ふむ、なかなかの腕前だな……しかしまだ甘い!それでは臣民を守る事などできんぞ!新任辺境護民官!!』


「くっ……とっくに引退しているくせに元気な!」


『何の!後輩を鍛える事は先達の勤め、我は現役時代に勤めを果たせなかった身であるからな!今度こそは勤めを十分に果たそうぞ!!』


「ちょっ……!?このっ!!」




 鋭い突きを受けて後ずさるハルを追撃するのは古風な鎧兜の男。


 深紅のマントを翻し、鎧兜の男は渦を巻くような鋭い突きを再び繰り出す。


 突きを刀でいなし、自分の懐へ引き込み体勢を崩そうとしたハルの意図に気付いた鎧兜の男は身体を止めて素早く剣を引く。


 鎧兜の男が引いた隙を突いて一足飛びに追うハル。


 ハルは全体重が乗った上段からの一撃を繰り出す。


 唸る刃が鎧兜の男の脳天に迫るが、男は剣を斜に構えてすさまじい膂力で斬撃を受け止めた。


 ぎりぎりと剣と刀がせめぎ合い火花を散らす鍔迫り合いとなる。




『おおっ!良いぞ、今のは良い!!あのまま釣られて突きを撃っておれば後首を叩かれて死んでおる所だったわ!』


「……もう死んでいるくせに何て勘の良さだっ!!さっさと逝けっ!!」


『栄えある前任者に対する口の利き方がなっておらんな、鍛え甲斐のある奴よ!我が礼儀作法からみっちり仕込んでやろうぞ!!』




 ハルは思い切り力任せに刀を押し上げて隙間をつくり、鎧兜の男に体当たりをかませて強引に離れると刀の切っ先を突きつけて叫ぶ。




「英雄アルトリウスが天に召されず彷徨っていると知ったら帝国中の子供が幻滅するぞ!」


『うわはははっ!我死んで護国の鬼とならん!子供達は泣いて喜ぶだろう!!!!』




長剣を目の前でかざして豪快にハルの言葉を笑い飛ばした英雄アルトリウス。


 足はぼやけてはっきりせず、背後の景色はその身体を通して見る事が出来る。


 しかも周囲には青い火の玉が3つ。


 アルトリウスの透けた身体に力が漲り、ハルは緊張しながら腕に力を込めた。




『それではゆくぞ!!』


「くっ!厄介なっ!!」




 アルトリウスの気合いに応じハルは刀を正眼に構えるのだった。












 これより1日前




ハルとエルレイシアがアルキアンドの待つアルマール村に到着したのは昼過ぎ。




 直ぐに村長兼族長であるアルキアンドが出迎え、その案内でアルキアンドの屋敷へと招かれた。


 ハルが1人では無くエルレイシアを伴って村に来た事に村人は一様に驚き、そして戸惑った。


 屋敷で食堂に通されたハルは、アルキアンドから一つの追加命令書を受け取った。




「なるほど、静寂の都」




 ハルはアルキアンドから自分宛に届いた帝国からの命令書を見てつぶやく。


 アルキアンドは依頼書とは別にハル宛ての追加命令書も預かっていた。


 手紙や配達物は帝国や周辺諸国を含めて伝達網が整備されており、かつて州が置かれていたアルマール族の領域でも未だその利便性から利用されている。


 帝国も自前の配達組織を持っているが、機密性の薄い外交文書や内務文書は西方郵便協会を使う事が多い。


 早馬や伝書鳥を含め、郵便従事員を使った郵便網はなかなかに上手く機能しており、アルキアンドの元へも郵便従事員が直接手渡しに来た。




 またこれとは別に配達に時間のかかる場所へは伝送石を使う。


 伝送石は分割が可能で、1つの伝送石に文書を写し込むと分割された伝送石に文書が伝送されるという不思議な特性を持つ。


 相互通信が可能で、またどんなに離れていてもこの特性は失われない。


 遠隔地への伝達には利便性を発する一方で機密性には欠ける。


 その機密性を一定に保つ為に国家組織とは分離した郵便協会が設立されたのである。


 郵便協会は伝送石伝達以外の配達や輸送にも携わっており、今回のように機密性はそれ程必要とされないが、他に知られては困るという程度の文書については直接専従員が配達する。


 その西方郵便協会によって届けられた追加命令書には、かつて帝国が北の備えとして設置したハルモニウムへの拠点設置と都市機能の復興を命じていた。




「静寂の都……シレンティウムですか?」


「今はそう呼ばれていると聞いたんですが」




 エルレイシアの問い掛けにハルは重いため息をつく。


 既に40年が経ったとはいえ帝国とクリフォナム人が激戦を繰り広げた古戦場である。 そしてかつては帝国の尖兵都市としての役割を果たしていた都市で、帝国人は全滅してしまって既に居ないが、多くのクリフォナム人が命を散らして帝国を押し返した象徴ともいえる都市を復活させるというのは如何なものか。


 これでは帝国がクリフォナム人を尊重していないという印象を与えかねない。


戦いがあったのは100年1千年前の話では無くたかだか40年前の事。


 戦いを憶えている者も多いだろうし現に戦いへ参加し存命している者も多いだろう。


 帝国とクリフォナム人は疎遠ではあるけれども、今の帝国に戦争を起こす意思はないのだから国境安定の為には隣人を余り刺激しない方が良いはずである。




「ううっ、これが左遷か……」




 改めて自分の置かれた立場を思うハルが文書を手にしたままがっくり肩を落とすと、エルレイシアがそっと寄り添ってハルの肩を抱いた。




「静寂の都市が私たちの新居なのですね、2人きりの生活……嬉しいです」




 心持ちうっとりとした表情のエルレイシア。


 鼻息も微妙に荒い。




「何時までついてくるつもりなんですか?」




 顔を上げて半眼で睨むハルの顔を不思議そうに見返したエルレイシアは、さらりと答えた。




「え?何を言っているのですか?ずっとですよ」


「……勘弁して下さい」








 ハルが視察と物資調達と称して村の見物に出かけてしまった隙を逃さず、アルキアンドはエルレイシアに対して心配そうに話しかける。




「神官様、どうして帝国人と旅路を共にされているのでしょうか?」


「途中賊徒に拐かされた私を助けてくれたのです。尤も私を拐かしたのも帝国人ではありましたけれども」


「まさか!?帝国人が蛮族と蔑む私たちの命を助けるような事を?しかも奴は官吏ですぞ?」




 巡検と言いつつ村々を回り貢納を要求してくる帝国兵や追従する官吏にほとほと嫌気が差しているアルキアンドは、エルレイシアの言葉を信じられずに反駁する。




「いえ事実です、私の荷を取り戻してくれたばかりか、結符を受けてくれました」




 椀で出された白湯を両手で持ち、優雅に喫していたエルレイシアはほんのり頬を赤く染めて言い足す。


 その様子にも軽く驚きつつアルキアンドは思わず声を大きくした。




「何と、神官様の結符を!?ではあの黄色い符は見間違いでは無かったのか!」


「はい」




 嬉しそうに答えるエルレイシア。




「しかし……王は憤られるでしょうな」


「これも運命です。後悔はしていません」




 アルキアンドの思案顔にエルレイシアは意に介した様子も無く答えた。












 アルキアンドの屋敷にてしばらく逗留する事となったハルとエルレイシアは、翌朝旅支度を調えて屋敷を出た。


 ハルは弓矢を背負い、刀を腰に差し、エルレイシアは樫の木の杖を持つ。


 またそれぞれの背中には2日分の食料や生活具の入った背嚢がある。




「とりあえず、赴任地に行ってどういう状態なのかを見極めたい」




 ハルはアルキアンドに淡々と告げて出発した。


 エルレイシアはもちろん道案内である。




 滅びた北の都ハルモニウム。




 今は静寂都市シレンティウムと呼ばれる廃棄都市はアルマールの村から西南に歩いて半日の割合近い場所にある。


 都市は落城こそしたものの廃墟の大部分はそのまま放棄されるに留まった。


 しかし現在きっちり残っているのは第21軍団が駐屯していた基地の一部と、行政区であった一角だけで盛時の10分の1以下の範囲でしか無い。


 その周囲は戦死者の死霊が屯し獰猛な魔物や獣が徘徊する危険地帯である事から、地元のアルマール族すら滅多な事では近寄らない。


 流石に日の高い内から死霊は現われなかったが、魔物や獣はちょくちょくハル達の進路に出現する。


 ハルは出来るだけ隠れたり進路を変えたりとやり過ごす方を選んだが、避けようのない時は弓と刀を使って排除する。




「死霊が出ないのであれば私は余りお役に立てませんね」




 そう言いつつもエルレイシアは頑丈な樫の杖で飛びかかる魔物を打ち据え、短い詠唱の後放った光線魔法で魔鳥を打ち落とす。




「……何でその腕前で盗賊に捕まったんだ?」


「油断していたのです、気が付いたら縛られていました」


「……そうですか」




 落ちた魔鳥を回収しつつハルは脱力して答えるのだった。










 予想外に早くシレンティウムに到着した2人は早速遺構の調査を始めるが、目新しいものは何も無かった。


 戦争で滅びたにしては破壊された跡や焼け焦げた跡も無く、綺麗な状態で保存されている建物に石畳の道路、排水溝には土砂が溜まってはいるものの溝そのものは破損が無い。


 また行政区を防備する為に築かれたと思われる内部城壁まで残っており、ハルは不思議な印象を受ける。




「私も以前来た事がありますが、やはり奇妙ですね……いつ見ても綺麗に保たれています」




 草木は生い茂ってはいるが道路に植えられていた街路樹が大きくなっただけであろう、無節操にあちこちから生え出しているような感じでは無い。


 ただ人が入った形跡は一切無く、たき火をしたり野営をしたと思しき痕跡は見つける事が出来なかったので、余計に不自然な感じがするのである。


 




 突然ハルは背後に人の気配を感じ、はっとして振り返った。


 エルレイシアもハルにでは無く、気配に驚き同じ方向に振り返る。




『おう、帝国人か……懐かしいな、40年以上ぶりである』




 銀色の鎧兜に身を固めた帝国軍上級将校の姿がそこにはあった。


 エルレイシアが必死にハルの袖を引くが、ハルは奇妙さよりも懐かしさが高じて笑顔を浮かべると名乗りを上げた。




「帝国北方辺境担当、辺境護民官ハル・アキルシウスです」


『ふむ……高位文官どのか、御丁寧に痛み入る。我は帝国北方守備軍司令官にして栄えある第21軍団軍団長のガイウス・アルトリウスである』




 その言葉にハルの笑顔は凍り付いた。


















「……嘘だろう?」


『嘘では無い。尤も未だ生があるとは言わぬであるよ。見ての通り我が身は既に此の世のものでは無い』




 思わず漏らしたハルの言葉に肩をすくめて応える亡霊。


 まだ日は高い。


 しかしハルの前には確かに古めかしい鎧兜をまとった男がおり、その姿はハルだけでなくエルレイシアの目にも映っている。


 エルレイシアは額に冷たい汗を流し、握りしめていたハルの袖を強く引く。




「ハル……あれは人ではありません。太陽光を浴びて平気で、しかもまともな意志を保っているというのは希有な例ですが死人の霊体です」


「本物ですか……」




 ハルの額にも冷たい汗が流れる。


 しかしその男は目の前の2人の様子が変わった事に余り頓着した様子も無く話を続ける。




『まあ信じられぬのも無理は無い、お主らがまだ生まれてもおらぬ時代に此の地を統べていた者であるが、有り体に言えば戦に敗れたのだ』


「その話は知っていますよ……敵も見事に戦った英雄アルトリウスを讃え、丁重に遺骸を清めて帝国に送り返して英雄は帝都の廟に祀られたとありますから」




 かろうじてハルがそう返すとアルトリウスは口を皮肉げにゆがめた。




『ふん、そのような世迷い事を言ったのは帝国のあほ貴族共だろう?平民である我がそのような厚遇を受ける訳が無いわ。我が身は既に身は朽ち果てたが墓所と棺は此の奥にある、見てみるか?』


「い、いや……」


『そうか?まあ良い……40年ぶりの客である。歓待しよう、こちらへ来るといい』




 踵を返すアルトリウス。


 ハルとエルレイシアは一瞬顔を見合わせるが、ハルがぐっと頷くとエルレイシアもこくりと頷き、アルトリウスの後を追った。












 軍団司令室と思われる建物に導かれたハルとエルレイシアはアルトリウスに勧められるまま石造りの椅子に座る。




『それで……辺境護民官を寄越したと言う事は帝国に此の州を復興させる決心が付いたと言う事であるかな?』


「いや、そう言う訳では……」




 アルトリウスは律儀に自分の執務机に回り込んで腰掛けると徐に切り出した。


 しかしハルはアルトリウスの問い掛けに口を濁す。


アルトリウスの顔が僅かな笑顔から怪訝なものへと変わる。




『うん?辺境護民官とはいえ後任を寄越したと言う事は……我はお役ご免であろう?』


「と、そういうことになるのでしたっけ」




 肌身離さず持ち歩いている命令書と追加命令書を取り出しながらハルが言う。


 西方帝国では役職が消滅したり非違行為があって解任される以外、後任者が命令書を持参して赴任地に到着し、引き継ぎを終了した時点で前任者は自然に役職を解かれる事になっている。


 引き継ぎ期間は赴任先や役職の特殊性に鑑みて期間は長短することがあるものの、原則は1週間である。 




『我も職務を引き継ぎたかったのだがなあ……我の責任とはいえ、既に属州は無くなったのに、皇帝陛下は解任して下さらないのだ』




 確かに英雄アルトリウスを讃え、消滅した北方守備軍司令官と第21軍団軍団長はそのままアルトリウスが任じられ続けている。


 毎年行われる高位官の任官式において英雄アルトリウスと東照帝国との戦いで勝利しながらも戦死したリキニウス将軍は、一番最初に名を読み上げられており、ハルはその事を思い出したのだ。




「律儀ですね」


『何を言うか、帝国軍人であれば職務を果たすのは当然の事だ……尤も我は中途でしくじってしまったのであるがな。職責を全うしたとは口が裂けても言えんが……後任者がこうして来たからには我もようやく任務から解除されると言う事だ!』




 アルトリウスは音も無く立ち上がるとすいっと人間ではあり得ない挙動でハルに迫る。


 ぎょっとして身を引くハルとエルレイシアを意に介せず、アルトリウスはぎらつく目でハルの手元を指さした。




『さあ引継書を渡して貰おう!命令書を持っているのだから当然持っているだろう?過不足無く引継が出来るよう都市は清潔に保って置いたぞ!』


「ひ、引継書は無い、俺の任務は誰からも引継を受けないからだ。」




アルトリウスの異常とも言える剣幕に若干引き気味に答えるハル。




『何?』


「自分は左遷されてここへ来たんですよっ!引き継がれるような任務や役職はありませんからっ」




 鋭く問い返すアルトリウスにハルがやけくそ気味に答える。




『さ、左遷だと!?』


「そうです」




 ハルが再び投げやりに答えると、アルトリウスが愕然とした様子で言葉を継いだ。




『な、何と言う事だ……このような重大極まりない地を放置し、あまつさえ左遷官吏を派遣するとはっ……帝国め!』




 鬼の形相となったアルトリウスの背後から鬼火が立ち上がり、周囲の床からは帝国兵の亡霊達がぼこりぼこりと立ち上がり始める。


 刃毀れした剣を抜き、破れた鎧兜を身にまとった暗い顔の兵士達が周囲を埋め尽くす。


 素早くハルは刀を抜くが、亡霊相手に効果があるかどうか迷い切り付ける事に躊躇した。




「地に彷徨う霊よ、安らかなる眠りを天にて得られん事を……清浄!」




シャアアアアア




 エルレイシアはとっさに杖を構えて浄化の呪文を唱える。


 たちまちどこからともなく太陽光が降り注ぎ、周囲を明るく、そして暖かく照らす。




『ほう……クリフォナムの太陽神官殿か?なかなか強力な術であるが我には効かん、帝国皇帝から毎年任官式に名を借り、呪いを新たにされ、此の地に縛られ続ける我にはな』




 アルトリウスは鬼火を伴いながらも悲しげに降り注ぐ太陽光に身を任すが、その姿は留まり続け、やがて太陽光が途切れる。


 現われた兵士達も全員が顔をゆがめ、悔しそうに下を向くばかりで襲って来るような様子は無い。




「まさか任官式にそのような呪が込められていたとは……」


『我も此の身になって初めて知ったのだ。東照国境のリキニウス殿もさぞかし悔やんでおろう、帝国に尽くしたが故に帝国の盾にされ続ける羽目になろうとはな』




 ハルが絶句したことに対して自嘲気味に答えるアルトリウス。


 その様子に先程までの鬼気迫る雰囲気は無い。




「……どうにかなりませんか?」


「私にこれ以上のことは……先程の清浄術は最大に力を入れたのですが」




 思わずエルレイシアへ尋ねるハルであったが、エルレイシアは疲れた様子で答えた。




「……すいません」


『御主が謝る事ではあるまい?まあ我も最初此処へ来た時は左遷であった、お仲間と言う事だ……うむ、では最後に一つ手合わせを頼もう、不甲斐ない先任者からの贈り物だ』


「いやあ、遠慮します」




 アルトリウスのにこやかな誘いににこやかに拒否の意を伝えるハル。


 しかしアルトリウスは諦めずに言葉を継ぐ。




『何を遠慮する事がある?構わんからこっちへ来い、闘技場があるのだ』


「いやあ……先任には適いませんから、遠慮します」


『……そう言われると意地でも試したくなるものでな、まあちと付き合え。手加減はしてやるのである』


「やりませんって」




 ハルの言葉でしばし黙って見つめ合う2人。


 エルレイシアが恐る恐る見ていると、アルトリウスのこめかみに青筋が立った。




『……おい貴様ら、辺境護民官殿を丁重に闘技場へお連れしろ』




 アルトリウスの命令で兵士達が無言でハルとエルレイシアを囲む。




「ハ、ハルっ」




 兵士達の隙の無い動きに怯えるエルレイシア。


 自分の術が効かない相手である事もあるのだろう、心細そうにハルへぴったりと寄り添った。


 周囲の様子を見て脱出する事は出来そうに無い事を悟ったハルは、あきらめのため息をついた。














『ここが我が闘技場だ!なかなか良いだろう。』




 アルトリウスらに連れられてきたのは、軍団基地の北端に位置する闘技場跡地。


 跡地というには些か清掃が行き届き過ぎているきらいはあるものの、人が使っていない以上は例え人であったモノが使っていたとしても跡地と言うほか無いだろう。




『貴官は闘気術を得ておるか?』


「ええ、あなたに効くかどうかは分かりませんが……」




 アルトリウスの問いに対してハルは自信なさげに答える。


 闘気術とは剣や拳に自分の闘気や戦意を込めて戦う術で、普段であれば剣の切れ味が増したり剣や拳が直接触れられないような存在にもダメージを与える事が出来る。


 達人といわれる練度に達して初めて得られる術であるが、ハルは故郷でも十本の指に入る程の剣士であり、格闘家である。


 当然会得はしているが死霊と戦った事はもちろん無い。




『やはりな、我の目に狂いは無かった。なに、会得しておるのであれば問題あるまい、我に触れる事が出来れば良いのだからな』


「そう言うあなたはどうなんです?」




 ハルが疑問を呈すると、アルトリウスはにっと口角を上げて笑う。




『愚問であろう、我を誰と心得る?我は英雄アルトリウスである!我が剣こそ白の聖剣、身は滅せども武力と刃は衰えておらん』
















 アルトリウスとハルは一瞬視線を絡み合わせた後、闘技場の床に赤煉瓦で示された開始線へと付く。


 心底愉しそうにアルトリウスがしめやかな冷気をまとう剣を抜き放って声を上げた。




『では、新任辺境護民官殿の歓迎を兼ねた剣闘試合を開催する!』




 ハルはため息をつくと、エルレイシアが亡霊兵士達に監視されながらも無事な様子を目に留め、すっと腰の刀を抜いた。




『帝国直轄領アルビオニウス州がカストルムの城主、ガイウス・アルトリウス!』 




 その様子を見て満足そうに頷いたアルトリウスはびしっと剣を立て、名乗りを上げる。




「……帝国新領ク州アキルシウス郷の地士、秋留晴義」




 次いでハルは刀を肩口に構え静かに名乗りを上げた。


 ハルの名乗りに片眉を上げるアルトリウス。




『ほう、群島嶼の剣士か?なかなか強力であるとの噂を聞いてはいたが、手合わせするのは初めてだな……しかし新領とは、群島嶼も遂に帝国に降されたか』


「不本意ながらな」




苦い物を口に含んだような顔で答えるハル。


 アルトリウスはその様子に何か感じる所があったのか、それまでの勢いある態度を改めて神妙に剣を構えた。




『では始めようかヤマトの剣士!』




アルトリウスが薄れた足で地を蹴り、ハルに躍りかかった。














 強力で押してくるアルトリウスをいなし、かわし、さばきつつ時折鋭く反撃を加えるハル。


 次第にその撃剣は舞のような華やかさを帯び始め、エルレイシアはもとより周囲を囲む亡霊兵士達も何時しかアルトリウスとハルの試合に見入ってしまう。




『うわははは!ここまでやるとは思わなかったぞ!!やるなヤマトの剣士よ!!』


「え、英雄から褒められると悪い気はしないですが……あっち」




 何度か目になる間合いを取った瞬間に言葉を交わす2人。




『ふんむっ!!!』


「くっ!」




ごきん




 互いの剣と刀を打ち合って離れた後、2人は自然と距離を取る。




『ふははは、試合はここまでにしよう。実に愉快な時間であった、礼を言うぞ!!』


「こちらこそ……ここまで必死に戦ったのは久しぶりでした」




 アルトリウスが涼しい顔で宣言するとハルは肩で息をしながら応える。


 互いに開始線まで戻り、一礼を交わして剣と刀を鞘に収めた。


 満足そうな笑みを浮かべる2人。


 ハルはどっかりと開始線にへたり込む。




「ハル!」




 試合が終わり、亡霊兵士達が包囲することを止めたためエルレイシアはハルの下に駆け寄った。




「ああ、エルレイシア大丈夫でしたか?」


「ええ、兵士さん達は私に指一本触れていません。」


「そう」




 確認はしていたが改めて無事を聞いて安堵の声を出すハル。




「ハルこそ大丈夫でしたか?怪我をしていませんか?」


「ああ大丈夫だ、随分手加減されていたみたいですしねえ?」




 ぺたぺたとハルの身体を触りまくるエルレイシアの頭を軽く撫で、嬉しそうに驚くエルレイシアを余所にアルトリウスを見るハル。


 アルトリウスは口角を少し上げてから言う。




『最初に言ったであろう、手加減はしてやると……それはそうと仲が良いな?』


「あ~そんな事は……」


「はい!」




 アルトリウスの言葉を否定しようとしたハルの言葉を遮り、へたり込んだハルに抱きつくエルレイシア。


 ハルはとっさにふりほどこうとするが力を使い果たしていて果たせない。


 アルトリウスは少し面白そうな顔をした後気を取り直して口を開いた。




『まあ武力についてはそう卑下したものでは無いのである。辺境護民官殿は我が戦った強者の中でも3番目の内に入るであろう』


「……光栄ですが、もうこれっきりにして欲しいものですね」




ハルの言葉にアルトリウスは頷く。




『うむ、心配せずとも良い……これで我が願いは成就されたのである』




 アルトリウスの厳かな声とと共に闘技場の周囲に静かな光が満ちる。




「こ、これは?どういう事ですか?」




 闘技場の周囲から満ち始めた光はやがて都市の遺跡全体を覆い尽くす。


 都市の様子を満足げに眺めるアルトリウス。




『なに……我が第21軍団の引き継ぎ式が終了したのである』


「!?」




 エルレイシアにかじりつかれたまま驚くハルにアルトリウスは視線を戻す。




『実は新任軍団長と前軍団長で手合わせを行うのが我が軍団伝統の引き継ぎ式なのだ、我も前任者より手荒い歓迎受けた、懐かしい思い出だ』




 それまでの意気揚々とした様子はなりを潜め、落ち着いた武人の姿がそこにあった。


 アルトリウスは視線を亡霊兵士達へと向ける。


 ハルとエルレイシアが視線に釣られて目を向けると、兵士達が都市中から続々と闘技場へ集まってきていた。




『悪いなハルヨシ、これで我を含めた第21軍団の御主の指揮下へ入った……そこで、だ、頼みがある』


「……頼みとは?」




薄々アルトリウスの意図に気が付いたハルであったが、しかしその頼みの内容を尋ねた。




『長年此の地に縛られていた兵士達を解放してやって欲しいのである』


「……なるほど」




ハルの予想通りの答えを口にするアルトリウス。




『都市を失陥させたのは我の責任であるが、我の拙い指揮に従い、最善を尽くして命を散らした兵士達に責任は無い。どうか故郷へと帰してやってくれぬであるか?兵士達が我に伴い呪を受けるのは理不尽極まりない所行だ、このとおりである』




 淡い光に包まれたアルトリウスは真摯な様子でハルに懇願して頭を下げる。




『頼む、聞き届けてくれ!』


 


 しばし整列を始めた兵士達の様子と頭を下げるアルトリウスをぼんやり眺めていたハルは、かじりついていたエルレイシアを優しく離して立ち上がった。


 ハルはエルレイシアに一旦下がるように示し、アルトリウスを頂点に整列を完了した亡霊兵士達の前に立つ。


 そしてしっかりとアルトリウスを見据えて命令を下した。




「アルトリウス前軍団長、人員報告を」


『……っ!!おう!帝国北方守備軍司令部及び直轄、帝国第21軍団総員834名!欠員なし!現在総員834名整列完了!!!』




 予感に身を震わせたアルトリウスが朗々たる声で人員報告を行う。




「軍団長代行職、ハル・アキルシウス辺境護民官の権限にて命を降します……40年間もの長きに渡る任務、みんなご苦労さまでした、第21軍団は本日をもって解隊、各兵士は速やかに復員せよ」




パアアアアア




 ハルの言葉に亡霊兵士達は一様に歓喜の表情を浮かべた。


 そしてその一瞬後、強い光を放ちながら次々と消える兵士達。




『ありがとう、最大限の感謝を送る……貴官の前途に幸多からんことを祈っている』

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