第2話

翌朝、森の木々を通して差す朝日と小鳥の鳴き声で目を覚ましたエルレイシアは、ハルの膝を枕にしたまま眠っていた事に気がついた。


 ハルはうつらうつらと胡座のまま船を漕いでいる。


 ハルは組み立てられた長弓を脇に挟み込むようにして自分の身体へ立て掛け、そしてその近くに5本程の矢が地に突き立てられていた。


 獣や夜盗の襲撃に備えたのだろうが、エルレイシアは何時ハルが弓矢を出したのか記憶に無い。


 ぼんやりと寝起きの頭でそんな事を考えながら、エルレイシアはハルの膝に頭を載せたまま、じーっとその居眠る顔を見上げる。


 しばらくそうしてから少しあきれたように、そして愚痴るように言葉を小さく紡ぐ。




「……なかなかの男前ですねえ」




 彫りが深く、顔の凹凸がはっきりしている大陸に住まう諸族に比べれば、ハルの顔立ちは全体的に彫りが浅く、穏やかな印象を与えるが、筋の通った鼻梁に形の良い眉、引き結ばれた唇は凛々しさを感じさせる。


 その性格と力を表すような少年の純粋さと男の精悍さを併せ持ったハルの顔付きに見とれるエルレイシアは、昨日の盗賊とハルの一戦を思い出す。


 木陰から飛来した5条の矢に足を貫かれてひっくり返る仲間に激しく動揺した盗賊達の真ん中に飛び込んだハルは、流れるような体捌きで剣を振い残る5名の盗賊を切り伏せた。


 盗賊達に武器を一度たりとも振わせる事なく、数回の刃鳴りが聞こえた後立っているのは剣を静かに鞘へと収めるハルのみ。


 盗賊達は息こそあるものの抵抗を一切封じられ地に伏した。


 猿ぐつわをかまされてたき火の側に転がされていたエルレイシアは、別の盗賊が自分という獲物を横取りに来たのだと観念したが、ハルの出した第一声に安堵のため息を吐く。




「……うわっ!大丈夫ですか!?」




 縄を解かれて解放されたエルレイシアは帝国の辺境護民官を名乗るハルに保護を求め、折から道案内を探していたハルがこれを受け入れたので、同行することにしたのである。










 もう少しハルの顔を正面から見てやろうと身体を動かしたエルレイシアに、ハルが気付いて目を覚ます。




「ああ、起きましたか?」


「はい……あん、そんなあ」


「……妙な声を出さないで下さいよ」




 ハルはエルレイシアの肩を優しくも強引に押して起き上がらせると、すぱっと毛布をはぎ取って自分も立ち上がった。


 無理矢理起こされてあまつさえ毛布を取り上げられたエルレイシアが抗議の声を上げるが、ハルは意に介さず突き立ててあった矢を矢筒に戻し、弓の弦を外す。




「今日の昼までには村に着きたいので、馬に乗って良いですから急ぎましょう」


「同行しても良いのですね?」


「……不本意ですが仕方ないです。まずは拠点を確保しなければいけないですから」




 エルレイシアの言葉に渋々頷き、ハルは荷物を手早くまとめ、それを自分で背負ってエルレイシアをひょいと軽く抱き上げる。




「ではお勤めをお願いします」


「えっ?」




 思いがけなく抱き上げられ、あまつさえ昨夜あれほど拒んでいたとは思えない言葉に期待感と動揺でハルを見つめるエルレイシア。


 しかし、熱っぽく見つめるエルレイシアの視線をいぶかしげに流すと、ハルは若干空いた馬の背にエルレイシアを乗せた。




「……何ですか~!」


「え?何です?」


「酷いです、期待させておいて……」


「道案内で何を期待するって言うんですか?」




 微妙に噛み合わない会話。


 ハルはエルレイシアの抗議に疲れた声で答えて馬の口取りをするべく綱を手にし、森の小径を進み始めた。










 同時期、アルマール村




 アルマール族の族長であるアルキアンドは、帝国から発出された1枚の文書を前に思案する。


 ここは村の中心に所在するアルマール族長であるアルキアンドの屋敷。


その中でもとりわけ広い食堂に村の主立った者達が勢揃いしていた。




「辺境護民官だと?なぜ今になってこんなモノが派遣されてくるのだ……」




 長老と思しき人物がつぶやく。




「かれこれ40年以上もそんな者は来なかったのに」




 若者が発した戸惑いの声に周囲の族民達も頷く。


 正式な形で発出された族長宛の依頼文。


 そこには辺境護民官を任じたこと、クリフォナ地域の担当者として派遣することが記されており、アルキアンドに便宜を図るべく要請されていた。


 辺境護民官と雖も管轄を持つ帝国の官吏であるが、以前はともかく現在は帝国の治外に有るアルマール族がこれに従う必要は全く無い。


 そうであるが故の依頼文なのだが、出して来た相手はあの強大な西方帝国の行政府であるので、無碍にする事も出来ない。


 夜もかなり遅いが誰一人帰ると言い出すものは無く村は静かな興奮に包まれていた。




 アルマール族はクリフォナム人に属する部族で、北方辺境の最南部に位置する南クリフォナ領域を生活圏としている為、早くから帝国を始めとする内海沿岸のセトリア諸国と交流が深く、クリフォナムの民の中でも文化習俗共に比較的帝国寄りである。


 もっとも帝国との協調路線を目指すアルマール族の思惑は外れ、ここ最近は退廃し始めた帝国との交流は上手くいっているとは言えず、帝国の威圧的な外交姿勢とその帝国人による横暴や進入に悩まされる辺境の一部族に成り下がっていた。


 一時はセトリア諸国や帝国の前身である西方王国と対等な同盟関係を結び、北方辺境に睨みを効かせた時代もあったものの、時代が過ぎるにつれて部族は帝国からもたらされた文明と疫病、そして帝国への様々な要因による人口流出で勢力を失った。


 その後は辺境護民官の赴任の後、帝国州の設置がなされ平和的に帝国へと編入されるかに見えたが、40年前に起こったクリフォナムの民の帝国への大反乱によって他の部族に引き摺られる形ではあったが一応の自治を取り戻す。


 今は北方辺境中部において一大勢力となっている、アルフォード英雄王率いるフリード族に一応の臣従を誓う一方で、帝国側の態度で幾度となく破綻寸前まで至りながら、協調的な交流をなんとか保つことで均衡を図り比較的平和な時代が続いていた。




 そこへ降って沸いた帝国からの依頼文である。


 40年前の反乱で陣頭に立ち、帝国の勢力を州設置前の国境まで押し戻した英雄王がこれを知ればどう思うか。


 穏健派であるアルキアンドから見てもこの依頼文は乱暴であり、まともに文面だけを受け取ればどう考えてもクリフォナムの民を挑発しているとしか思えない。




「帝国はいったい何を考えているのじゃ……戦争をしたいのか?」




 そんな情勢に無いのはお互い様である。


 帝国は内部の派閥争いに軍閥と官吏が加わり腐敗と混沌が浸透しつつある。


 一方クリフォナムは老いた英雄王の後継者問題が持ち上がっている。


 かつてアルフォード王と共に帝国と戦った事のある長老は深いため息を吐き、上質な羊皮紙で作成された厄介事の種を恨めしげに見つめる。




「往事の勢いを失ったとはいえ帝国は帝国だ、どんな謀略を凝らしているか分かったもんじゃあ無い、一度英雄王にお伺いを立てるべきじゃ」


「いや、ここは帝国に従う方が良い!」




 長老の一人が見解を開陳し、それに血気盛んな青年が反論したことでアルキアンドの屋敷はたちまち議論の渦に巻き込まれ、一瞬で白熱した。


 聞いている限りは英雄王の意を酌み、護民官を拒否するという意見と、帝国に従い護民官を受け入れるべきであるという意見が対立している。


 アルキアンドはしばらく熱心に議論する人々の様子を伺い、意見が集約されるのを待つ。




「どうするかのう……長よ」




 やがて議論は自然と下火になり、最初に発言した長老がアルキアンドに決を求めた。




「……帝国からの通知を見る限りでは、我々に対して護民官の受け入れは求めていない。ただかつて帝国が拠点としていたシレンティウムに赴任する旨が記されている」


「しかしあのような場所に人が住めるわけがなかろう。結局は最寄りの我らが面倒を見る事になるではないか」




 シレンティウムとは村の西南方向に有る帝国都市の廃墟で、かつて帝国の最北の州として栄えたクリフォナ・スペリオール州の州都ハルモニウムのことである。


 調和の都市と言う意味で名付けられたハルモニウムは大陸陸路の中枢として栄え、その繁栄ぶりからカプト・ノムル(北の都)とも呼ばれた。


 北はクリフォナムの民が、西からはオランの民が、東は東照の商人達がはるばる沙漠と大森林を超え、東南からはシルーハの隊商が、そして南からは帝国の文物が集まり、世界の都と称された帝都に勝るとも劣らない殷賑ぶりを内外に謳われていたのである。


 しかし40年前のクリフォナムの大反乱で帝都の尖兵たるハルモニウムはクリフォナムの英雄王ことアルフォードの猛攻を受ける。




 都市警護の帝国第21軍団は果敢に戦うも衆寡敵せず全滅。




 ハルモニウムも陥落し、クリフォナ・スペリオール州は事実上消失してしまった。


 3日で陥落と言われた都市を5ヶ月にわたって守り、最後は満身創痍でアルフォード王に一騎打ちを挑んで激闘の末敗れたアルトリウス軍団長の逸話は北方辺境と帝国で今も語り継がれている。


 今はシレンティウム(静寂の都)と呼ばれ、死霊悪霊が真っ昼間から屯する禍々しい残骸が残るのみである。


 西方帝国は書面や地図上ではクリフォナ・スペリオール州を未だ記載し続けているものの既にその事実は失われて久しく、帝国の財宝や腕試しに訪れる以外に人の寄りつかない廃棄都市である。


 何かに気が付いた長老がアルキアンドに顔を向けた。




「もしや……左遷か?」




 その言葉に頷くアルキアンド。


 文章の端々に面倒を見てやって欲しいが、余り構う必要は無いといった雰囲気がにじみ出ている。


 帝国内部では日常茶飯事と化している官吏や軍人の諍いや勢力争いは辺境にまで轟いていた。




「……特に軍や官吏を連れて来て州を復活させるという訳でもなさそうだ、アルフォード王に知らせる必要はあるだろうが、受け入れて良いと思う。本人は既にこちらへ向かっているようだ」


「ふむ、1年か2年我慢するしかないか……」




 若者の言葉に大勢は決し、アルキアンドは直ぐさま帝国の文章を持たせた使者をアルフォード王に発する。


 そして辺境護民官を受け入れる準備を始めたのであった。


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