辺境護民官ハル・アキルシウス
あかつき
廃棄都市の復興
第1話
丁度峠も登りから下りに差し掛かる少し開けた場所で、旅装に身を包んだ青年は額の汗を拭い、見渡す限りの緑の大海原に思わず歩みを止めて見とれた。
所々に森が切り開かれ、畑や牧草地が形成されており、その近くには村落と思しき粗末な屋根の建物が立ち並んでいる。
しかし炊煙と思しき煙が薄く立ち上るそれ以外の場所は、未だ手つかずのうっそうとした森が広がっており、天気の良い今日はその先の遥か彼方にある東部山塊までもがうっすらと目にすることが出来た。
「これは凄い……こんな景色は始めて見た」
誰に言うとも無くつぶやいた青年の背中には、はちきれんばかりに様々な物品が詰込まれた背負い袋。
暑い最中にもかかわらず、厚手の衣服にがっちりと革のブーツで整えられた足元、左手に引く手綱の先には馬が一頭ついて来ている。
青年に続いて素直に歩みを止めた馬の背にも、見ればかなりの荷物が左右に振り分けて結わえ付られている。
「さあて、もう一息だ」
そういいながら、馬を優しく促し歩き出す青年。
背丈はそれほどでもないが、がっちりとした体格、短く刈りそろえられた髪は黒色で、目は涼やかな一重目蓋。
服装も帝国風に縫製されてはいるものの、布地の色彩や材質は帝国南方の群島嶼地方のものであり、その特徴的な風貌と相まって青年の出身は帝国に住まう者であれば一目見ただけで南方のヤマトの民と分かるだろう。
しかし、旅の商人にしては青年の様子は固く、また客商売が向くような雰囲気ではない。
また、荷物も商用品ではなく、どちらかと言うと生活用品が多く見て取れる。
「もう少しでアルマール族長の集落に着きますよ」
その後ろからたおやかな女性の声が青年の背に向かって発せられた。
「何時までついて来る気ですか神官殿?……いい加減に戻られたらどうなんです」
「太陽神様の御導きを無碍にする事は出来ません」
うんざりしたように後ろを振り向いた青年の目に、特徴的で鮮やかな色彩の貫頭衣を身に纏った20代前半の女性が映った。
青年と同じくらいの背丈があり、細身でその長い髪は金色、目は緑色。
典型的な北方の民クリフォナム人の特徴を備えたその女性はにこやかな笑みを浮かべながらも、青年の言葉をやんわりと否定する。
「いや、それは違いますよ。私はただ山賊を追っ払っただけです。そこにあなたがたまたま縛られて転がされていただけの事じゃないですか」
「いいえ違いません、太陽神様があなたをあの場に御導き下さらなければ、私は人の姿をしたケダモノどもにいいようにされてしまっていたでしょう」
胸の前で手を組み合わせ、そのときの恐怖と安堵を思い出しているのか、固く目をつぶってその女性神官は言う。
「……その件はもう忘れていただいて結構だと、さっきから言っているでは無いですか!そもそもあなたは大地の巡検とか言う、修行の旅の途中じゃないですか!?」
「恩を受けた相手にその恩を返すのもまた修行です、そもそも、あなたは地理不案内で困っていたのではないのですか?」
青年の言葉をさらりと受け流し、女性神官が切り返すと、青年が困惑の表情となる。
「……それは」
「ですから、私が道案内をして差し上げましょうと……」
「要らない道の案内までしようとするからでしょう!」
一旦困惑の表情になった青年だったが、再び額に青筋を浮べて怒鳴る。
「太陽神に仕える神官は婚姻を否定されておりません、私は何時でも大丈夫ですよ?」
「……何が大丈夫なのか意味が分かりません」
涼しい顔をして言葉を返す女性神官にいささか疲れた様子で返事をする青年。
そんな青年の様子を見ながら女性神官はくりっと首を傾げてぽそっとつぶやくように言った。
「……照れなくとも良いではありませんか?」
「違いますっ!」
「そうむくれないで下さい、せっかくの旅の道連れ、楽しくおしゃべりでもしながらの方が楽しいですから」
「…………」
「私はこう見えてもこのあたりを旅し始めて10年近く経ちます、この北方辺境の村々には知り合いも多く居ますし、道案内も出来ます、あなたの御役目にもきっと役に立ちますよ?」
黙ったまま少し呆れを含んだ視線を返す青年に、女性神官は可愛らしく言った。
「夜の御役目にも?」
「……………」
「そんな目で見ないで下さい、ちょっと変な気分になってしまいます。」
しばし黙ったまま見つめ合う2人であったが、最後は青年が根負けした様に言葉を発っする。
「……分かりました、夜のことはさておいて、宜しくお願いします」
「そんなあ……一番大切なところですのに」
「置・い・て・くれ」
「分かりました、でも、いつでもいいですからね?」
「……はあ」
きっちり一語一語言葉を区切りつつ言い切った青年に、さも残念そうな口調で女性神官が応じると、再度ため息を吐く青年であった。
結局日中に目的地であったアルマール族の村落へたどり着けず、野営をする羽目になった青年と女性神官は、ぱちぱちとはぜる火を囲んでとりとめのない会話を交わす。
青年が持っていた鍋には小川で汲まれたきれいな水が焚き火にかけられ、ぐらぐらと音を立てている。
青年は道々で摘んだ野草、それから持っていた穀物のかたまりと干した猪肉を用意し、更に鍋の中の水が沸騰するのを待った。
「……そろそろ御名前を聞かせていただけませんか?」
「ああ、自分はハル・アキルシウスと言います。帝国の辺境護民官ですよ」
女性神官がした問いに、青年、ハルは食材を鍋に投入する準備をしながらその官職を含めてあっさりと答える。
素直に答えをくれるとは思っていなかったのだろう、女性神官は虚を突かれて一瞬戸惑いの色を見せたが、すぐに気を取り直して自己紹介をした。
「……そうですか、私はクリフォナムの太陽神に仕える神官、エルレイシアと申します、宜しくハル、そして助けてくれて有難うございました」
「いえ、職務ですから……それから、私の事はアキルシウスと呼んで下さい」
少し口を濁らせるハルに、エルレイシアは諭すような口調で言葉を返した。
「ハル、ここはもう西方帝国ではありません、帝国領域という境界の曖昧な辺境の地、そのあなたが仰る職務というものがどれほどの力を持っているのか私には分かりませんが、為した事は全てあなたが成した事、為す事、それは覚えていた方が良いと思います」
「……分かりました、ご忠告に従いましょう。ですが、アキルシウスとお呼び下さい」
しつこく呼び方を訂正しようとするハルであったが、エルレイシアは意に介さない。
「ハルは案外素直なのですね、帝国の護民官といえば、辺境を帝国の版図に組み込むべく働く尖兵のようなものと聞いていましたが……」
エルレイシアが違和感を感じたのか、そう口にすると、ハルは根負けしたのと、エルレイシアの言葉の内容両方の理由から苦笑いを浮かべ、煮立った鍋の中に野草と干し肉を入れ始めた。
ぐつぐつと順調に煮え始めた鍋を見届け、ハルはエルレイシアに向き直る。
「そういう、役目も負わされている事は否定しません。ただ自分は見ての通り、生粋の帝国人という訳ではありませんので、そこまでその類の仕事に熱心なわけではないですよ」
ハルが投げやりな雰囲気で言うと、エルレイシアはしばらくその言葉の意味を考えていたが、左遷と言う事については綺麗に無視する事にした。
聞きたかったのは彼がここに来た理由であったが、その裏事情までは聞けそうな雰囲気ではなかったし、また必要は無いと考えたのである。
ただ、ガチガチの帝国人でないとい言う事は重要だ。
「そうですか……帝国人がみなあなたと同じ考えなら、クリフォナムの民とも上手くやっていけるのですけれども」
エルレイシアがそう言いながらため息を付くと、ハルは厳しい顔になり頷いた。
その理由はハル自身が一番よく分かっている。
帝都での北方の民に対する差別待遇のみならず、つい先頃も辺境蛮族に対する帝国人の横暴ぶりを目にしたばかりだ。
「先程の山賊も、帝国人でしたからね」
帝国と呼ばれる西方帝国は、ここ100年で最も大陸西部で栄え、そして強大化した国家である。
大陸西部に都市国家として誕生した帝国は、王政、共和制を経て頂点に皇帝を戴く現在の帝政になった。
東はシルーハ王国という大国と接し、西は大洋を挟んで西方国家群と接する。
そしてその更に東には大陸東岸で覇を唱える東照帝国がある。
南は群島嶼地域と呼ばれる半内海で、更に海を経たその先には南方大陸の部族国家が存在し、船舶による交易や通行が盛んに行われている一方、北方は北方大平原と呼ばれる森と草原が広がる未開の地域である。
大陸にはかつて様々な国家や都市が存在したが、西方帝国の膨張と共にそれら近隣の小国家や、かつての覇権国家は戦争や政争、果ては経済戦争に敗れた末に吸収されてその一部となった。
しかし、大陸には未だ帝国の力が完全に及ばない地域も存在する。
元々文化的には温暖な地域で発祥した西方諸国の文化的系譜を引く帝国は、寒さに弱く、また地勢的、距離的な理由もあって北方辺境の支配や開発はそれほど進んでいない。
南方の群島嶼地域と併せ、北方は帝国の2大辺境であったが、つい5年ほど前に群島嶼諸国連合は帝国との激しい戦争の末に敗れて完全に併呑されたため、今や北方は帝国唯一の辺境となった。
西方帝国は支配した地域に属州を設置し、総督を帝国から派遣して支配に当たらせる。
しかし、北方辺境の地は未だ部族社会が主体の帝国人が蛮族と呼ぶ人々が住み暮らす地域で、帝国の領土宣言があるとはいえあくまで対外的なものであり、実際は支配が行き届いているとは言いがたい地域であるため、属州を設置していない。
そのため辺境護民官という官吏を派遣し、その地域の部族民の宣撫工作や懐柔、そして討伐に当たらせる制度が出来た。
名目上は帝国の領土である事から護民官の身分は内務官吏に準じ、権限は徴税や民政に留まらず、警察権や裁判権、そして有事の際の帝国軍の派遣要請権やその一時的な指揮権、更には暫定的な兵員招集権までを有する非常に強大な権力を持った官吏である。
派遣された地の民度が上がって、帝国に編入可能なだけの税収や財政上の基盤が出来上がり、皇帝の命令により属州が設置された段階で権限は自然消滅する。
後は本人が望めば新しく設置された州の官吏、多くは州総督として採用されることが慣例であったが、かつては高級職を目指す優秀な官吏の登竜門であったため、新設の州総督で終わる者はほとんど居らず、大抵が中央に栄転していった。
しかしそれも今や昔の話。
与えられた権限は辺境地域だけに限られるとはいえ、権限の大きさ相応の位階が付与されているにも関わらず、現在では決して栄達や名誉のある官職とは言えなくなってしまっていた。
理由は明白で、近年目ぼしい地域にほとんど属州が設置されてしまったからである。
辺境護民官はいわば実体の無い名誉職となり、老齢で退役間際の官吏や何か問題を起こして元の職場に置く事が適当でない官吏を左遷する為の官職となってしまっていた。
当然現地へ赴く者など全く居らず、一応設定されている3年間の任期が切れた段階で退職するか復職する為、その任期は自宅で引退前の有給休暇として家族と過ごすか、半ば謹慎扱いでいる者がほとんどであった。
そんな閑職と成り下がった辺境護民官。
他にも特徴があり、本来西方帝国の内務官吏に帯剣は許されていないところ、辺境護民官だけはその任地や職務の特殊性から帯剣と武装が許されており、実際ハルも着込んでいるのは厚手の帷子、武器は刀、小刀、弓矢を持っており、荷物の中には先祖伝来の鎧兜も入っている。
ただこの慣習も今や現地に赴く者が存在しない事から形骸化しているのは言うまでも無い。
「それで、ハルの任務と割り当て地域はどこなのですか?」
「クリフォナムの民が住まう地域ですよ」
「えっ!?正気ですか?」
ハルの言葉に驚きを露わにするエルレイシア。
それも当然、クリフォナムの民とは北方辺境は愚か、はるか極北地域にまで居住地を持つ北の一大民族である。
民の中でも更に数十の部族が存在しており、更にその部族の中でも住み暮す地域ごとにそれぞれの首長が居る。
人口にすれば帝国と同じくらいの規模であり、居住地域は北方辺境だけで見ても帝国のほぼ半分の広さがある上、極北地域まで入れれば帝国の優に2倍から3倍の領域になる。
しかも、その地域は帝国のように道路や港湾が整備されてはおらず、部族の者が付けた道があるといっても無いよりはましといった風情のもので、その他は丸っきりの未開の地域であった。
帝国がただ単に東方の諸国への軍事的な牽制の意味合いから領有宣言をしただけの地域で、名目上はともかく一度も帝国が実質的に押さえたことのない地域であり、帝国に反抗してはいないものの支配を受け入れているわけでもない。
むしろ帝国の領域である事を知っている者は部族長や首長くらいの主だった者だけで、そのほかの民は全く名目上とはいえ帝国の支配下にあることすら知らず、政治的なこととは関係なく日々生活している。
そのような人々をただ言葉だけで帝国に恭順させようとしてもできるわけがない。
ましてや官吏風を吹かせて統治など出来るはずも無い。
笑われて終われば良いが、最悪機嫌を損ねれば殺されてしまう。
しかしながらクリフォナム人は蛮族と呼ばれてはいるが、誇り高く武を重んじるという蛮族特有の性質を有してはいるものの、文字を知り農業を知る民であり、無用な諍いや混乱を望まない民でもあり、真性の蛮族というわけではない。
高身長、白皙、毛髪や瞳の色に特徴があり、他の帝国に暮らす者達とは著しく異なる為、差別的な扱いを受けることが多いが文化水準はそれなりに高い。
帝国内の人民の多くが黒か茶色の髪の色を持ち、瞳の色も黒か茶色であるが、クリフォナムの民は、長身、白皙、金色や銀色の髪を持つものが多く、また瞳の色も青や灰色、緑色の者が多くいる。
同じような人種として北方領域の西部に住むオラン人がいるが、文化的にはかなりの差異があり、おまけに両方とも長年の領域争いがあって互いを嫌っており諍いが絶えない。
ただ西方大陸において言葉にそれ程違いがなく、その西方語を元にした帝国公用語であればクリフォナム人やオラン人も理解する事が出来る為、大陸では帝国公用語が共通語として使われており、ハルにとって救いと言えば言葉に不自由はしないと言う事ぐらい。
そのような辺境の真っ只中にたった一人で派遣された、ハル・アキルシウスであった。
「どれだけか広いか分からないのですが、全部といわれました。任命書もありますよ……任期は一応3期9年、クリフォナムの民を恭順させられなければ延期、恭順させるまでは戻らなくとも良いそうですよ、はは……」
努めて明るく言うハルに、エルレイシアが少し言いにくそうにしながらもずばりと聞く。
「それって、左遷ではありませんか?」
「そ、そうとも言うかな」
一瞬言葉に詰まるが、ハルは任命書をエルレイシアに示しつつ何とか答える事が出来た。
「……何をしたのです?」
「内緒……」
見かけによらないのかと、エルレイシアが恐る恐る尋ねると、ハルは硬い顔で答える。
しかしエルレイシアは諦めずに言葉を継いだ。
「教えてくれないと、夜中に襲っちゃいますよ?」
「……止めて下さい」
怯えを含んだ目でエルレイシアを見るハル。
「そんな顔をされると、ちょっぴり傷つきます」
顎の下に人差し指を付け、あざとい表情でハルを見つめるエルレイシア。
ハルはがっくりと疲れたように顔を落としてつぶやいた。
「何でこんなの拾ってしまったんだか……」
丁度いい具合に沸騰し始めた鍋を見ながら、ハルは反論を諦めて任命書をしまうと、鍋に用意していた食材を投入し始めた。
「あ、これは米ですね、初めて見ました、干して固めてあるのですか?」
「そうですよ、煮れば元に戻ります。しかし米を知っているんですか?物知りですね」
エルレイシアが食材に興味を示し、話題が変わった事にほっとしながらハルは質問に答えた。
「はい、帝国製の博物学の書籍を見たことがありまして……温暖で湿潤な気候でないと育たないとか。残念ながらこの辺りでは育ちませんね」
「そうですね、流石に寒すぎますから」
北方辺境とは言ってもあくまで帝国から見て北方なのであり、気候はそれほど厳しくはないが、それでも米の生育には条件が悪い。
西方帝国、そして北方の民のクリフォナム人も基本的には麦を育てている。
米を主として生産しているのは帝国では群島嶼部のみで、他には東照帝国が主要な穀物としている。
米は麦に比べて単位面積当たりの収穫が多くはあるものの、豊作と凶作の格差が酷く、東照帝国では凶作のたびに政情不安が起きており、今も凶作を発端とした反乱に東照は悩まされていた。
ハルは木製のおたまを取り出し、ゆっくりとかき混ぜながら鍋が煮えるのを待つ。
しばらく無言の時が過ぎた。
ハルはゆっくり、そして静かに手を動かし、エルレイシアは今までのおしゃべりが嘘のように落ち着いた表情でその様子を黙って眺めている。
そして出来上がりが近付くと、塩と香草を刻んで乾燥させたものを投入し味を調える。
「ハルは準備万端ですね?白塩や香草を用意しているなんて」
「色々言いたい事はありますが、とにかく……あ、賊に捕まってたんでしたっけ」
「はい、荷物は全て失ってしまいました。食糧や衣類はともかく、経典や神話辞典を失くしてしまったのが残念です。全て私の師から賜ったものでしたので」
エルレイシアは少し寂しそうに言った。
「う~ん」
「いえ良いんですよ、ハルが悪いわけではありませんから」
「あ~いえ、実は荷物なんですが……」
「え?」
言葉を濁すハルにエルレイシアは訝しげな表情で小首をかしげる。
その様子に心苦しさを感じたのか、ハルはエルレイシアから視線を外して口を開いた。
「あるんです、実は……奴らが追ってこれないようにと思って、食糧や水が入ってた背嚢を持ってきたんですが、それと一緒になってて最初分からなくて……色々本やら女物の服やらが入ってたので、多分あなたの荷物だと思いますよ」
「本当ですか!?」
「つい、言いそびれてしまって、すいませんでした」
そう言いつつハルはバツの悪そうな顔のまま、一段落付いた調理の手を止めて徐に立ち上がると、自分の荷物の中から綺麗な刺繍が施された鞄を取り出した。
「これでしょう」
ハルは鍋の側に戻りながらバツの悪さを取り繕うように、ぽんぽんと軽く表面についたほこりを手で払ってからエルレイシアに鞄を手渡す。
「あ……」
無言でハルを凝視したまま、エルレイシアは鞄を両手で押し頂くように受け取る。
「すいませんでしたっ」
その無言と視線を抗議のものとして解釈したハルが、我慢しきれずにそう言うと、エルレイシアは否定の意で首を左右に振りつつ受け取ったかばんの中から一筋の細い黄色の布を取り出してハルに近付く。
「な、なんです?」
座ったまま身じろぎするハルに構わず、エルレイシアはその布をハルの帯の左脇部分に結びつけた。
「これは太陽神のお守りです、これを収めてください、せめてもの感謝の気持ちです」
「あ、ありがとう」
ようやく口を開いたエルレイシアに、安堵したハルは素直にそう言ってお守りを見る。
「綺麗な色ですね」
何で染められたものだろうか、鮮やかな黄色が紺色の帯に映える。
「良く似合っていますよ」
笑顔で言うエルレイシアに少し照れ臭そうな顔をしたハルは、木の椀を2つ荷物から取りだし、良く煮立てた粥をよそって木の匙と一緒にエルレイシアに手渡した。
エルレイシアが椀を覗くとほんのりと香草の香りが湯気と共に漂う。
早くも粥を食べ始めるハル。
エルレイシアは椀と匙を奉げ持ち、しばらく瞑目して休んでいる太陽神への感謝の祈りを口ずさんでから徐に匙で粥をすくいとって口へと運んだ。
「……おいしい」
「でしょう?残り少ない米と香草ですが、今日は特別ですよ。捕まっていたので、知らず知らずに体が弱っているでしょうから」
おいしそうに粥を口にするエルレイシアに、ハルはそう言いながら素直に嬉しそうな笑顔を浮べる。
粥を口にしながらも木椀ごしにハルのその笑顔を上目遣いで盗み見ていたエルレイシアは、ポツリとつぶやく。
「そういうさりげない優しさは……ずるいですね。」
ただその声は小さく、ハルには届かない。
「お代わりどうですか?」
もりもりと粥を平らげていたハルは、手が止まったエルレイシアを認め、自分の木椀を傍らに置くとしゃもじを持ち、空いた手をエルレイシアに差し出す。
「遠慮しなくて良いですよ。少し多めに作って置いたので」
「……いえ、まだ大丈夫です」
盗み見ていた事に気付かれて顔を赤らめたエルレイシアは、慌てて視線を逸らしまだ椀に残る粥を匙で口に運ぶ。
その様子を見たハルはしばらくしてエルレイシアが椀を空にするのを待ってから、その椀を取り、粥を満たしてから返した。
そうして食事が終わるとハルは手早く食器を汲み置いていた手桶の水で濯ぎ、空拭きした後に立ち上がり、馬から下ろした荷物の場所へと歩いて行く。
そして食器を片付け、共に中に入っていた毛布を取り出して火の近くに戻るとエルレイシアへ手渡した。
「何時から捕まっていたのかは知りませんが、疲れているでしょう?自分は大丈夫ですから休んでください」
「はい、それでは失礼して……」
確かに道中で山賊に襲われて縄で縛られ、まるで荷物のように運ばれるだけであったとは言え食料や水はほとんど与えられなかったために心身ともにかなり消耗している。
エルレイシアは素直に毛布をハルから受け取ると、火のそばに座ったハルの横へいそいそと寄り添い、こてんと横になった。
頭はもちろんハルの膝の上。
「……何をしているんです」
ぴしっと青筋を再び浮き出させるハル。
「えっ?」
何を質問されているか分からないといった様子でハルを見上げるエルレイシア。
そして毛布から両手をちょこりと出し、ぽすっと打ち鳴らした。
「そうでした、忘れていました。」
「クリフォナムの太陽神官がどうか分かりませんが、神職の身で慎みや遠慮を忘れていたとは不幸ですねえ……まあ思い出したのなら良いです。すぐに退いてください」
ハルが引きつった笑顔で身じろぎすると、エルレイシアはがしっとその膝頭を意外に強い力で掴んで固定すると口を開く。
「ハルが襲っても良いんですよ?」
「寝ろっ!!」
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