第9話
11月初旬の週末に僕たちはキャンプへ来ていた。キャンプと言っても大掛かりなものではなく、山間を縫う渓流の河原にあるバンガローでのもので、そこでは専門グッズを準備しなくとも気軽にキャンプ気分を味わえる。
僕はクラスメートの倉本を誘ってみた。前々からそういったアウトドアに行こうと誘われていたので、僕から誘うと倉本はすぐに食い付いてきた。他に誰か誘おうかと訊かれ、僕は中野沙織と佐伯里佳の名を挙げた。
「は? A組の女子?」
「うん、まぁ、誘ってみたら行くって言ってくれたから」
倉本は茫然と僕を見つめていた。
「お前、どうした?」
「は?」
「意外とチャラいタイプ?」
「は?」
「モテないオーラ出してるくせに」
なぜか幻滅されている。
中野沙織と佐伯里佳は香澄の友達だった。香澄が親友と呼ぶのだから、相当に仲良かったのだろう。部屋のプリクラにも映っていた。A組の教室でひときわ泣いていた姿を以前に見掛けたことを思い出す。
数日前、僕は彼女達にコンタクトをとっていた。そもそも見ず知らずの相手に話し掛けることすら苦手なのに、女の子となればなおさらハードルは高いのだが、僕は意を決してA組に出向いて二人に話し掛けた。
二人は僕を見るなり驚いた表情を見せた。
「まさか高橋くんから声を掛けられるなんて」
それは二人が香澄から僕のことを聞かされていたからであった。
「お通夜でも見掛けてて、私たちすごく驚いた」
二人は互いに顔を見合せ頷いた。
「香澄もきっと喜んでるだろうなぁって」
二人はそう言って涙ぐんだ。
あの夜は僕がお焼香をあげてすぐに帰ってしまったから話す機会がなかった。でもずっと僕のことは気に掛かっていたという。
僕は二人にキャンプの話を持ちかけた。たった一度だけでいいから、一緒に行ってほしいと。
僕の切なる頼みに、二人は互いを見つめながら了承した。
バスを乗り継いで都内西部の山奥へと向かっていた。車の往来も少なくなり、周りを山に囲まれてゆく。
「わたしの考えてたメンバー通り! いやぁ、まさかこんな日が来るとは!」
香澄はバスの中ではしゃいでいた。
僕と倉本、中野沙織、佐伯里佳、そして石本という僕のクラスメートの男。彼と喋ったことがなかったのだが、中野沙織と石本が同じ中学出身で知り合いであり、香澄が日記で『F組のクラスメートから攻める』と書いていたのは、この石本のことらしい。
中野沙織と石本がキャンプの話を持ちかけ、そこに香澄と僕が参加するという妄想だった。倉本は
キャンプへ行くと決めたのは、香澄の希望であった。日記にも書いてあった僕へのアプローチ。それを是非とも体験したいらしい。
「わたしは平静な顔をしながらも期待に胸を膨らませて向かうんだ」
香澄の頭には脚本が出来上がっているようだ。
「それでどうにか2人きりになれるチャンスを伺うの」
妄想が膨らんで、香澄はひとり情熱的に語っていた。
「あぁ、ドキドキする!」
自分の胸を押さえて香澄は顔を赤らめている。
僕にネタバレを語ってどうするんだよ。
冷え込んでいる時期のせいか、キャンプ地は週末であっても人はまばらでゴミゴミしていないことは喜ばしいことだった。僕らは川沿いで空気を肺いっぱいに吸い込み、マイナスイオンを体に浴びて日頃の疲れを癒した。
バンガローに荷物を置いて、小さな七輪を2つ借りた。河原の小石を除けてから七輪を設置し、そこに網を敷いて肉を焼いていく。大きなバーベキューセットはレンタルでも高かったので、少人数ならこれで充分だった。
七輪を囲んで僕らは頬を緩めながら笑い合う。喋ったこともなかったA組の子や石本とも食を交えることで段々と打ち解けていった。
その間に香澄は僕の向かいに座り、僕に話し掛けて来なかった。自分だけ食べられずじまいで疎外感を味わっている、というわけではないようだ。
「和孝と気さくに喋りたいんだけどなかなか喋れない。そのモヤモヤが積もっていくバーベキュー。……というシチュエーション」
これも香澄の脚本演出の一部のようだ。
バーベキューを堪能し、僕らはバンガローへと戻っていった。陽が暮れると寒さが増して、僕らは暖をとりに戻ったのだった。
バンガローには風呂も完備している。ただ狭いユニットバスなので、ひとりずつ順番に入ることになった。
僕の番になって、僕はシャワーを浴びた。指先がかじかんでいたので、温かさが染み込んでいくようだ。香澄は意外にもその間、覗きに来なかった。おとなしく他の者と待っていたようだ。
「湯上がりの和孝が出てくるのをソワソワ。……という場面」
演出、多いな。どれだけ綿密なんだよ。
夜になり、トランプをしたり、花火をしたりした。
「そうそう、こういう特別なことを一緒に過ごして距離が近づいてゆく。……というワンシーン」
これも脚本に書かれてるんか。奇才め。
夜も深まり、僕らは男女別の部屋へと分かれた。二段ベッドが二台置かれ、じゃんけんで僕は下の段を獲得した。
僕は布団に入って目を閉じると、疲れもあってかすぐに寝入ってしまった。
「高橋くん」
ふと耳元で声が聞こえた。
「高橋くん」
目を覚まして深く息を吐くと、ベッドの横に香澄がたたずんでいた。もう枕元にいることに慣れて驚くことはない。
「ちょっと外に来てくれない?」
何だか神妙な顔つきの香澄に言われて僕は起き上がり、上着をまとって香澄についていった。
真っ暗な外はひんやりとした風が舞っていて、じゃれるように頬を打ってきた。僕は身を縮こまらせながら歩いた。香澄は僕の前を歩いている。振り返らずにそのまま進んでいった。
川沿いを進み、ブナやシダが生い茂る林の中を進んでいく。昼間は鳥のさえずりや虫の羽音が聞こえてきたが、彼らも寝床にこもっているらしい。
バンガローが見えなくなるまで進むと、香澄は川沿いの岩にゆっくりと座り込んだ。僕も
「ごめん、寝てたのに」
香澄はそう呟いた。
「なんかさ、高橋くんともっと喋りたかったんだ」
何だか言い回しがセリフっぽいし、僕を名字で呼んでいる。
これ、もしかして例の台本のセリフか?
「実はさ、わたし、高橋くんと仲良くなりたかったんだ」
香澄はこちらを見ずに、川に向かって小石を投げるフリをした。
「前から、ずっと」
香澄の脚本。香澄が思い描いた脚本。
演技は大根だし、セリフも取って付けたようで硬く感じる。
なのに。
それなのに僕の胸は締め付けられている。苦しいほどに胸にこみ上げるものがある。
香澄のしたかったこと、それを香澄は今、懸命に叶えようとしている。
僕に淡い想いを寄せて、仲の良い女友達と出掛けることを画策して、念願叶って一緒に出掛けて、けれど喋りたいのに喋れなくて、二人きりになれるチャンスをうかがって、寝ている僕を起こして、僕に想いを告げている。
香澄のそんな純粋な想いがひしひしと僕に伝わってきた。
香澄はこうして僕と二人きりになりたかったのか。
香澄は生前に出来なかったことを、心残りなものを今、実演している。
それがとても切ない。
僕は香澄を知らなかった。今まで香澄の存在すら気づかずにいた。半年間、陰で僕を想いながら過ごしていた香澄を知ることもなく生活していた。
気さくに喋りかけてくるタイプなのに僕には話し掛けられずにいた。
こんなに明るくて綺麗な女の子なのに、僕が存在を知らず、見た記憶もないのは、香澄が校内で僕を見るなり身を隠していたからだ。
知らなかった。
僕は香澄を知らなかった。
それが後悔となって今の僕を襲っている。
知っていたら何かが変わっていただろうか。
喋っていたら何かが変わったのだろうか。
友達になれただろうか。
仲良くなれただろうか。
付き合うことになったのだろうか。
そしたら……
そしたら香澄は生きていられただろうか。
あの日、僕と出掛ける約束をしていたら、香澄はあの道を通らなくて済んだのだろうか。
僕も喋りたかった。
僕も仲良くなっていたかった。
「仲良くなれたよ」
僕は香澄に向かって言った。
「今日、こうして仲良くなれたよ」
今日ここで香澄と初めてちゃんと話をした。……というシチュエーション。
そんな脚本に、僕も合わせた。
香澄が思い描くセリフはこんな感じではないのかもしれない。もしかしたらもっとドラマティックな展開を望んでいるかもしれない。
けれど香澄は僕を見つめ、優しく微笑んだ。
「……うん。そうだね」
香澄は嬉しそうに呟くと、僕に誘いかけた。
「今度、良かったら買い物に行こうよ、二人で」
そうか、そういう流れか。
ショッピングに固執していた理由がわかった。
順序は逆になってしまったけれど、香澄の思い描くシナリオはあそこへ繋がっているのか。
見上げると澄みきった空に星が一面にまたたいていた。僕は香澄の人柄や純粋な想いに次第に惹かれるのを感じた。胸が苦しくなるような想いが、香澄に対してはほのかに芽生える予感が胸の内に湧き上がってきていた。香澄の実直で純真な想いが僕をそうさせていた。
二人きりでいるこの時間がとても特別なものに感じてくる。そう思わせてくれるほどに、香澄は既に特別な存在だった。
けれど、香澄へ目を戻した僕の感情は、それ以上の事実によって一瞬にしてかき消された。
香澄の姿が……
更に薄くなっている。
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