第8話

 目を覚ますと、目の前に顔があった。


「うわっ」


 僕がのけ反ると、香澄は口をとがらせる。


「何よ、人を化け物みたいに」

「いや、化け物じゃん」


 香澄は眉を下げて悲しそうな顔をした。


「ひどい、ひどすぎる!」

「いや、だって、何でそんな近いんだよ」

「寝顔を見てただけでしょ」

「何だよ、それ」

「いいじゃん、別に。何しようってわけじゃないんだから」

「そういう問題じゃないよ」

「何よ、出会った頃はまるで驚かなかったくせに」

「そうだけど」

「わたしの想いを知った途端に怯えるって!」

「いや、別にそんなつもりじゃないけどさ」


 不満そうな香澄をどうにかなだめて落ち着かせた。たくさんの言葉を交わしたことで、香澄も本来の飾らない姿で僕と接しているようだ。



 起き上がり、僕はカーテンを開いた。暖かい陽が射し込んでくる。


「いい天気だからどっか出掛けようか」


 僕は香澄に振り返った。


「学校は?」と香澄が尋ねた。

「今日は日曜だよ」

「あ、そっか。なんか曜日の感覚ないや」

「どっか行きたい所ある?」


 僕が尋ねると、香澄はみるみる目を輝かせた。


「じゃあ、ショッピングに行こうよ!」

「ショッピング?」

「そう、ぶらぶら」

「何か欲しいものあるの? あぁ、迷彩の装束?」

「違う!」

「頭巾をやめてシュシュでも巻く?」

「違うって!」

「じゃあ、何?」

「とにかく!」


 香澄がそう言うので、僕はそれで納得した。


「わかった。準備するから待ってて」


 僕は寝巻きのスウェットを脱いで、シャツに着替える。何だか激しい視線を感じて手が止まる。


「……そんなに見つめないでくれない?」


 香澄は我に返ってうなずいて目を反らした。


「あ、あぁ、ごめんごめん」


 下も脱いでジーンズに穿き替える。


「……だから見すぎなんだけど」


 香澄はこちらを凝視している。


「えっ? あ、あぁ、気にしないで」

「気になるよ」

「別に意味はないから」

「そういや、昨日も風呂覗いてただろ?」

「は? し、知らないなぁ」

「完全に壁から髪の毛はみ出てたし」

「そ、それは冤罪だよ。人違いだと思われる」

「他に誰がいるんだよ」

「わ、わたしは知らない。見てない」

「見てただろ」

「知らぬ存ぜぬ」

「正直に白状しろ」

「記憶にございません」

「完全に容疑者の言い分だろ、それ」


 どこにでもいる高校生である僕に香澄は照れたりはにかんだり、特別な感情だったりを垣間見せる。いったいどこに興味を持って半年も想いを募らせたのか。早く日記で確かめたいところだが、読もうとすると香澄が騒がしくするので、とりあえず今はそのままにしてある。


「じゃあ、行こうか」


 僕は黒いジャケットをまとって、襟元を正した。香澄は顔いっぱいに笑みを浮かべて頷いた。


「うん!」


 電車に乗って都心へと向かった。今日は日曜日、駅も街も賑わっている。

 忙しい平日を乗り越えて、人々は息抜きを求めて集っている。そうして安らげない人混みを作り出しているのは本末転倒のように思えるが、僕もその一員なのだからとやかく言える立場でもない。


 香澄はごった返す人の群れの中でもへっちゃらで、向かってくる人に対してキックや体当たりを繰り出して「そいや!」と彼らをなぎ倒している空想に興じていた。男勝りに元気だ。二人の兄のせいなのか、実にさばさばしている。


 駅から少し歩いたアウトレットパークに僕らは入っていった。カップルや家族連れが所狭しと行き交っている。


「人に酔いそうだ」


 僕が早くも疲れた言葉を投げると、香澄は自分の腰に手を添えた。


「えー、楽しいじゃん。盛り上がってて」


 二階建てのフロアがずらっと建ち並び、それに囲まれた中庭ではギター奏者がステージで歌い、子供に風船を配っていたりしていた。


「確かにひとりで来たら寂しいだろうな」


 僕がそう言うと、香澄は少しだけ間を空けた後に、

「……うん」

 と答えた。


 セレクトショップに入ってカジュアルな服を見て回った。


「これなんてどう?」


 僕はTシャツを体に重ねて香澄に見せた。


「良いねぇ、似合う」


 香澄はグッドと右手の親指を掲げた。


「あっ、あれはどう?」


 香澄は小綺麗なチェックシャツを指差した。それを着て見せると香澄は上から下までを見渡して、「うんうん」と満足げに笑った。


「あっちにレディースあるよ」


 僕は先程の同じ柄のTシャツを手にして香澄の体に合わせた。


「お、いいねぇ。似合う!」


 香澄は少し照れながら、それでもポーズを決めていた。



 10月下旬ではあったが快晴のためにしばらく歩くだけで汗がにじんだ。ちょっと休憩がてら、中庭のベンチで一息つくことにした。


 香澄はベンチの傍にたたずんで、僕は中庭に停められた移動販売車のソフトクリーム屋の列に並んだ。香澄は眩しそうに空を見上げている。僕の番になって僕は店員に声を掛ける。


「えっと、バニラソフトクリームをふた……」


 僕は言葉を途切らせた。


「……ひとつ」


 僕は香澄のほうを振り返る。香澄は変わらずに空を見上げていた。


 きっとこんな天気の良い日は、きっと……。


 僕は店員に再び声を投げた。


「すみません、やっぱり2つ下さい」



 両手にソフトクリームを持って香澄のところへ帰っていった。僕の手を見て驚いていた。


「2個も食べるの?」


 僕は笑いながらベンチに腰掛けた。


「いや、だって2人で来たのに、ひとつって頼みたくなかったんだよ」


 香澄は苦笑いした。


「でもわたしは……」

「別に当てつけで買ったんじゃないよ。形だけでもいいから一緒に食べたかったんだ」


 僕がそう言うと、香澄は納得して頷いた。香澄はしゃがんで僕の手に持ったソフトクリームを大口開けてかぶりついた。


 思えば酷な行為だったのかもしれない。食べることのできない、味わうことができない香澄に、食べるフリをさせるなんて。それでも香澄は口をモグモグとさせると、僕に向かって微笑んだ。


「……おいしい」


 香澄が口に入れた途端にソフトクリームの先端が無くなったように見えたのは、きっと溶けてしまったせいで、僕の見間違いだろう。



 こうしてショッピングはとても楽しいままに幕を下ろした。僕は家に帰ってふと気づいた。


 そうか、端から見たら僕はひとりに見えていたのか。Tシャツの時もきっと周りはひとりの僕が喋って、ひとりで笑っていることにおののいていたに違いない。


『ひとりで来たら寂しいだろうな』と僕が呟いた際に、香澄が嬉しそうに頷いたのは、『2人で来た』と僕が躊躇ちゅうちょなく認めていたからであろう。


 僕はそれを気づかないでいた。気づかないほどに楽しんでいた。香澄との買い物はそんなにも楽しかったのだった。


「ありがとう」


 香澄は改まって僕に微笑んだ。香澄にとっても楽しい一日だったことは喜ばしいことだ。

 香澄は、僕とこうしてショッピングへ出掛けることを夢見ていた、と言った。香澄が感慨深く幸せを噛みしめている顔がとても胸に沁みる。


 僕は香澄に幸せを与えているのか。ただ一緒にショッピングへ出掛けるだけで。


「僕も楽しかったよ」


 僕は香澄に微笑んだ。本当に楽しかった。香澄は嬉しそうに微笑み返した。


 僕はその時にふと、違和感に気づいたのだった。




 何だか香澄の姿が薄くなっているような気がする。

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