第6話
翌日の午前10時前、僕は住宅街の陰に身を潜めていた。
「どう考えても怪しいんだけど」
隠れながら僕は
「大丈夫、もうそろそろお兄ちゃんが家を出るから」
通夜後に家族に近づいてスケジュールを盗み聞きしたそうだ。本人の告別式の予定を盗み聞きっていうのはなかなか面白い表現だった。
「お父さんとお母さんは寺に泊まってるし、お兄ちゃん達は10時には向かうらしいから」
確かに情報収集にも抜かりない。
すると香澄の諜報通り、家から兄二人が出てくるのが見えた。喪服を着た兄達が玄関の鍵を閉めて、寺があるほうへと歩いていった。
「よし、行くよ」
香澄が見計らってゴーサインを出す。
「でも鍵掛けてたよ」
僕は香澄の背中に問い掛ける。
「大丈夫、わたしの秘蔵があるから」
そう言って香澄は僕を先導した。僕は辺りをキョロキョロと見渡しながら、香澄についていく。
人に見られることなく、玄関にたどり着いた。
香澄は扉の横の壁を指差した。
「この隙間に鍵があるから」
壁に走ったヒビの中に何かが埋まっているのが見えた。
「いつもこんなところに入れてたの?」
僕は人差し指の先端をそのヒビへと入れ込む。
「よく落とすからここに入れてたんだよね」
慣れないと鍵が奥へと入っていきそうで不安だったが、ゆっくりと手を動かすとうまい具合に鍵は手元のほうへと寄ってきて鍵を手にすることが出来た。
「よし」
僕は玄関を開けて、鍵を閉めてから靴を手に持って家へと入っていった。他人の家独特の匂いと無断で入る緊張感に鼓動が早くなる。香澄が育った家だと思うと、それだけで感慨深くなる。
玄関からすぐに階段が見える。
「よし、行くよ」
香澄は階段を昇った。香澄の足音は無音だが、僕が昇るとミシミシと古びた音がした。そして一番奥のドアへと向かう。
「わたしの部屋」
わたしはドアを開けずに通過して入った。
「下着とか詮索しないでよ」
僕は静かにドアを開けて後に続く。部屋は僕のと同じくらいの広さであった。
「女の子の部屋だなぁ」
ベッドに勉強机、クローゼットに丸いテーブル。それらに加えて、クッションやぬいぐるみがたくさんあって、それらが家具を柔らかい印象に変えている。色味もカラフルで、植物園にでも居るかのような華やかさがある。
「物が多いなぁ。こりゃ、調べるの大変だよ」
丸テーブルを囲んだクッションを拾い上げる。
「ちゃんと元の配置を覚えておいて。ズレてたらバレるから」
犯行グループの言い草じゃないか。
「じゃあ、まず、どこを調べたらいい?」
僕は部屋を見渡して、ベッド横のラックを覗いてみた。マンガやファッション誌などが並んでいる。
「へぇ、このマンガ集めてたんだ。好きだった?」
香澄は勉強机を調べているようで、生返事をする。
「……まぁ、好きだった……かな」
音楽のジャンルはJPOPがほとんどで、同じ女性アイドルグループのCDが多い。
「へぇ、CDで買ってるんだ。ってことは、ファンだったのかな」
香澄の知らないことが徐々に分かっていく面白さがあった。
「確かファンクラブに入ってた……はず」と香澄は答えた。
香澄の趣味嗜好が分かってくる度に、彼女が普通の高校生で、同じ年齢で、普通に生活していたんだと実感する。
しかしラックにはそれ以外、取り立てて特徴的なものはなかった。
「スマホは……、そっか……事故の時……」
香澄は放課後、学校帰りに事故に遭っている。その時に持っていたに違いない。
壁には思い出の写真が飾られている。小学校の運動会、中学の修学旅行、そして高校時代のA組の女友達とのプリクラ。香澄の生きた記録、それらが一度に目に入ってくると、悲しみで締め付けられる。
「やっぱり下着コーナーも見てみないと」
僕は冗談っぽくそう言いながらクローゼットを覗き込んだ。
「和孝」
「おっと、ここは靴下か」
「和孝」
「じゃあ、次の引き出しは……。おっと、タオルか、残念」
「和孝」
香澄が静かに呟いていた。僕は振り向いて香澄のほうを見た。真顔になっている香澄はこちらをじっと見つめていた。
「どうしたの? 何か見つかった?」
香澄は勉強机の引き出しを指差していた。
「これ」
香澄はそう確信めいて言った。
僕は立ち上がって机に寄った。三段ある引き出しの一番下は鍵穴がある。
「また鍵かぁ」
一応引いてみるが開かない。
「中、覗いてみたら?」
香澄なら開けなくても中を見れるだろうと僕がそう提案すると、香澄は首を振って「いや、開けよう」と低く言った。
「鍵の場所は?」
香澄はベッドを指差した。
「その隙間に」
香澄の言う通り、マットレスと骨組みの間に鍵があった。
「隙間好きだな」
僕は鍵を手にして、引き出しの鍵穴に差し込んだ。カチリと小さな金属音がして鍵は開いた。香澄が緊迫した面持ちになっている。それを見ると何かとんでもないものが見つかりそうで僕も緊張した。
僕はゆっくりと引き出しを開いた。引き出しの中は筆記用具や封筒などのレターセットが入っていたが、その中で特徴的なものは、引き出しの大部分を占める、数十冊のノートだった。
僕は香澄の顔を見た。
「これ?」
僕が尋ねると、香澄は首肯した。
僕は一番上のノートを手に取った。可愛らしいカラフルな市販のノート。表紙には『33』という数字だけ書かれている。
僕はめくってみた。そこには香澄の綺麗な筆跡の文章が罫線に沿って青いペンで書かれていた。
「これは……日記?」
尋ねると、香澄は記憶を紐解いてゆっくりとうなずいた。
「……そう、そう、中1から書き始めたの」
『33』というのはその時からの通し番号ということか。ページの左上端には日付がある。文章の短い日は1ページに2日分書かれていることもある。
「つまりここに書かれている?」
僕は香澄に問い掛けたが返事をしなかった。鍵を掛けて厳重に保管しているということは、かなり赤裸々なことが書かれているわけだ。
「読んでいいの?」
僕が尋ねると、香澄は黙ってうなずいた。
この『33』は今年の9月からのものらしい。約1ヶ月前からのものだ。後ろのページには余白があったので、これが最新の日記ということになる。
1ページ目の日記を読んでみた。
『9月13日(火)
エアコンのかけすぎか風邪っぽい。のどが超痛い。この暑い時期のマスクはホント地獄。口元にニキビできちゃったよ。最悪!』
寝る前に日記を書く習慣なのか。風邪を引いても日記を書くとは、随分とマメな性格のようだ。
『9月14日(水)
今日も暑い。学校休んだ。熱はないけど、体はダルい。食欲はめっちゃある。
こんな時、人肌が恋しくなる。ああ、寂しい。』
風邪でしんどいせいか文章も短い。それが伝わってくる。
しかしとても普通の日記だった。次のページをめくってみても、そこまで変わらない、日常的な言葉が並べられているだけだ。本当にこの日記に何かしらの核心があるのだろうか。
と、ペラペラとめくるその時に、僕の目に留まるものがあって手を止めた。それは僕を相当に驚かせた。
そこに『和孝』という文字があったからだ。
「僕の……名前?」
喋ったことのない僕の名前。しかし名前としてはありふれた名前である。同名の別人である可能性のほうが高いはずだった。しかしこれは姓名とも書かれている。『高橋和孝』という僕の姓名がはっきりと書かれている。
「これって……」
しかもその日の日記は長文で、いや、文章ではなかった。1ページ丸々僕の名前がびっしりと書かれていた。その羅列は何だかとても恐ろしい。
僕は香澄に振り返った。香澄は僕を見ずにノートの文字列だけを見つめている。
「どうして僕の名前を?」
香澄は答えなかった。
「やっぱり僕に何かの怨みが……」
横にいる香澄が恐ろしくなってきた。ノート一面に書かれた僕の名前がその感情の強さを物語っているようだった。何か知らないところで僕は香澄を傷つけていたのだろうか。
「違う……」
香澄は小さく呟いた。
「違う」
香澄はもう一度呟いた。僕はノートの文字を見つめた。
「だってこんなに僕の名前を……」
僕はページをめくった。
「思い出した……」
香澄はひとりごとのように囁いた。
「どうして忘れてしまったんだろう……」
僕は次の日の日記が目に入った。ここにも僕の名前が書かれてあった。
「わたしは……」
それは普通の文章として、僕の名が書かれてあった。
香澄は僕の横で、吐息と共に呟いた。
「そうだ、わたしは……」
『9月28日(水)
もう9月も終わる。どうしても声を掛けられない。やはり不審に思われるだろうなぁ。何かきっかけがあればいいけど、それはなかなかやって来ない。来てくれない。
入学式で和孝と出会ってもう半年になる。仲良くなりたい。喋りたい。その気持ちが日に日に強くなっていく。
そうだ、高望みはまずは捨てるべき! まず一歩目を目指そう。単に友達として仲良くなればいいんだ。その後のことはその時に考えよう。和孝のクラスメートから攻めるというのはどうかな。そこからみんなで出掛けるなんて話になって、そこに和孝が参加してくれたりして。そしたら最高なんだけどなぁ。そこで意気投合して、今度は二人で行こう、なんて誘われたりして。
なんて、無理だよね……。きっとわたしになんて興味なんてないよね。見ず知らずの、喋ったことのない別クラスのわたしなんて。
あぁ、胸が痛いよ。この気持ち、どうすればいいの。いつか会話できたらいいな。いつか仲良くなれたらいいな。
仲良くなって、そして和孝がわたしのことを好きになって、わたしのことを想ってくれたら、わたしは死んだっていいのに』
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