第5話
紅陽は随分と早く山の向こうに隠れてしまって、夕方6時ともなると外灯がなければ歩けないほどに暗くなった。
香澄の実家に近いその寺は黒白の鯨幕に囲われ、鈍くともる提灯が物悲しげにぶら下げられていた。
A組のクラスメート全員と香澄の親しかったであろう他組の生徒、そして教師達、それに小学校、中学校時代の同級生らしき高校生が弔問に訪れていた。
当の香澄は寺前の敷居に腰を下ろして中に入ろうとしなかった。
「だから家で待ってて、って言ったのに」
制服のネクタイを正して僕が言うと、香澄は膝を抱えて
「だって気にはなるじゃん」
そう言いつつ動こうとしないので、僕は香澄の座った頭に声を掛ける。
「ちょっとお焼香してくるから」
「……うん」
本人が嫌そうな焼香をしに行くとは何とも罰当たりな行為だと複雑な気分になる。でもやっぱりしておきたい。本人不在だけど、してこよう。
僕は列に並んで、親族に頭を下げる。初めて見る両親と兄達。やはり皆、
出来ることなら寺前の香澄を見せてやりたい。香澄はここにいますよ、と知らせてやりたい。
仏壇の前で手を合わせた。生前の香澄が、飾られた額縁の中で笑っていた。
きっと学校のどこかですれ違ったこともあっただろうに。そんな生身の香澄を知らなかったことを僕は改めて悔やんだ。
親族に断りを入れてから棺を覗く。
不思議だ。香澄が眠っている。あたり前なのだがとても不思議だ。顔にはかすり傷ひとつない。化粧をしているせいか粘土細工の作り物のようで、さっきまで会っていた血色の良い彼女のほうが生身のように思える。
僕は棺の中の彼女を見つめる。
動かない、体だけの香澄。
香澄……、
いったい君は、どうして僕のところへ魂を
外で待っていた香澄に声を掛けた。
「お待たせ」
香澄は背を向けたまま、首だけ回してこちらを見た。
「……どうだった?」
僕は香澄の横へ座った。
「……うん。とても立派な仏壇だったよ」
聞きたいことはきっとそんなことではないだろうけれど、あまり香澄に心配かけたくもなかったので僕はそう伝えた。
「……そっか」
香澄も察してか、そう答えた。
僕は棺の中を思い起こしながら呟く。
「出来ることなら生前に香澄に会っておきたかったな」
「……そう」
香澄は深くそう呟いた。
しばらく沈黙が流れた。やっぱり香澄をここへ来させるべきではなかったと僕は後悔した。
すると香澄は意を決したように立ち上がった。
「ねぇ」と香澄は僕に声を掛ける。
僕も立ち上がった。
「明日、お葬式でしょ?」と香澄は尋ねた。
僕はうなずいた。
「午後1時から告別式だって」
「そっか」
香澄はこちらを見ずに空を見上げた。こんな夜には似つかわしくないほどに星が
「やっぱり自分の体が焼かれるのは嫌だなぁ」
そりゃ僕だってそうだ。香澄のそんな場面を見たくない。
「体がなくなるってのはどうも怖いな。帰る場所を完全に失うようで」
香澄はそう言って自分の発言にすぐさま言葉をかぶせた。
「いや、生き返るかも、なんて思ってないよ。でも体を完全に失くしてしまったら、余計に生きてた頃の記憶が消えちゃいそうな気がするんだ」
香澄は決意を込めてしずしずと歩き出した。
「だから早急に探さないと。ここに留まっている理由をね」
香澄は僕をまっすぐと見つめた。
「一緒に来てくれない?」
「どこへ?」と僕は訊いた。香澄はすぐさま整然と答えた。
「わたしの家」
香澄は自分の手のひらを見つめた。
「色々調べたいんだけど、あいにくこんな体でね」
しかし、他人の僕がこんな時に家を訪ねるのはなかなか難儀ではないか。
そう僕が言うと、香澄は提案を切り出した。
「だからお葬式で家族が留守の時に忍び込むの」
思いがけないことに僕は驚いた。
「えっ? 無断で? 何か心苦しいなぁ」
「大丈夫だよ。別に泥棒しろって言っているわけじゃないんだから。しかも当のわたしが言ってるんだし」
そう言われても、僕はあまり気が乗らなかった。
「見つかったら最悪だなぁ」
そんな僕に香澄は得意気に親指を立ててみせた。
「任せといて。作戦は抜かりは無い」
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