第3話

 ガードレールの途切れた住宅街の歩道、ブロック塀は崩れ、バリケードと赤いコーンで足元注意を促している。警察車両もいまだに何台か停まって、車道側で地面の痕跡を調べていた。


 僕はそこの歩道へしゃがみ、花を手向け、手を合わせた。



 帰宅して部屋に入ると、室内から声を掛けられた。


「おかえりっ」


 窓越しに景色を眺めていた体をこちらに向け、村瀬香澄は僕を迎えた。


「……ただいま」


 僕は驚きつつ、夜の出来事が夢ではなかったことを確信した。香澄の顔を見ると胸が痛くなる。


「学校終わったの?」


 僕は素直にうなずいてみせた。


「そっか」


 僕は机に鞄を置きながら香澄の様子をうかがった。香澄は夜中と変わらない様子で、平静な面持ちをしていた。


「どっか……行ってたの?」


 僕は香澄に尋ねた。

 これだけはっきり見えるということは、僕が見えなくなったわけではないのだと感覚でわかった。そもそも彼女はここに居なかったのだ。


「ちょっと家にね」


 香澄は顔に陰を生ませながら言った。


「何だか記憶が途切れ途切れで、自分の家もなかなかたどり着けなかった」


 突然の事故だったのなら、確かにそんなことも起こるだろう。


「まぁ、電車はタダで乗れるし」


 香澄はおどけて笑った。


「昔遊んだ友達の家とか、通ってた小学校とかを訪ねていくうちに段々と記憶が甦ってきてね。そして村瀬という表札を見つけた」


 香澄は寂しそうに顔を下げた。


「家に入るとさ、お父さんもお母さんも泣いてたよ。お兄ちゃんが2人いるんだけど、家族4人わたしの体を囲んでてさ」


 横たわっている自分の亡骸を見たのか。死を自覚しているそうだが、それはやはり残酷な光景だったに違いない。


 わずか16年ほど、たった16年の人生、あまりにも早すぎる。家族にしてもそうだ。最年少の彼女が先に逝ってしまったことを素直に受け止められることなど出来やしないだろう。


「わたし、交通事故だったんだよ」


 香澄はそうつぶやいた。



 そう、交通事故。

 高齢者が運転する車が歩道に突っ込んだ。そこをたまたま歩いていた香澄は運悪くそれに巻き込まれた。何ともやるせない報われない事故だった、と校長先生は皆の前で切々と語った。


「ホント、ついてないっていうか」


 香澄はしゃがみこんで言葉を噛みしめた。


 死んでしまったことに関してさほどショックを受けていないことが不思議だったのだが、それはきっと突然のこと過ぎて完全には実感できていなかったのだろう。


「同じ……高校だったんだ」と僕は香澄に言った。

「誰が?」

 香澄は顔を上げて僕を見つめた。

「僕と君」


 香澄は驚いた。


「えっ、うそ? マジ? そうだったの」

「君も知らなかったのか?」


 香澄は腕を組んで頭を傾けた。


「うーん、そうかぁ。元々知らなかったのか、忘れているのか」


 同じ学校に通っていてもクラスが離れていれば、気付かない可能性はある。共通の友人を介したり、部活で巡り会わなければ、半年の高校生活ではそういったことも起こるだろう。


 僕は社交的でもないし、行動範囲も狭い。部活にも入っていない。香澄に昨夜出会ってなければ、今朝の全体集会もさらっと聞き流していたかもしれない。


「僕を知らないなら……」

 僕は香澄の前に座った。

「なんでここに来たわけ?」


 僕が香澄と出会ったこともなく喋ったこともないのであれば、香澄も僕を知らないはずである。

 香澄はしかし僕の意に反して声を張り上げた。


「ひどい、なにその言い方!」


 あれ、言い方が冷たかったかな。


「いや、だって……」

「同級生がわざわざ訪ねて来たっていうのに」

「いや、だって知り合いじゃなかったのに何でかなぁって」


 香澄は両手を目に当てて嗚咽おえつらしき声を漏らした。


「ひくっ、まるで、ひくっ、わたしを邪魔者みたいに」

「いや、そんなことないんだけど」

「どうせわたしは、ひくっ、お化けよ」

「そんなことないって」


 そんなことあるけど。多々あるけど。


「ちょっと脅かしたり、怖がらせたかっただけなのに」

「それって悪戯いたずらの域を越えてるから。本物の幽霊なんだし」


 その言葉に幽霊……、いや、香澄はまたも声を張り上げた。


「ひどい、ひどすぎる!」

「ご、ごめん、そんなつもりじゃ」

「幽ハラだ」

「ユウハラ?」

「幽霊ハラスメント」


 それは僕を脅かすために枕元に居たそっちのハラスメントのことじゃないのか。そう思っていたが、僕はぐっと言葉を呑み込んだ。


「ごめんってば」


 香澄はヒクヒクと嘘泣きをしながら、「じゃあさ」と僕をチラッと目を向けた。

「しばらくここにいていい?」

「えっ?」

「邪魔?」


 香澄の目が鋭く訴えている。


「邪魔では……ないけど」

「じゃあ、いい?」


 気圧けおされて僕は渋々と了承した。


「まぁ、別にいいけど……」

「気の済むまで?」

「は?」

「わたしの気の済むまで?」

「い、いや、でも家に帰ったほうがいいんじゃ……」

「ここがいい」

「なんで?」


 香澄はその質問に嗚咽の演技を一瞬忘れた。


「……わからないけど、ここがいい気がする」

「随分と適当だなぁ」


 香澄は泣き真似をやめると、普通に考え込んだ。


「だってさ、真っ先にここに来たんだから、ここなんだと思う」

「何が?」

「だから、わたしがこんな状態の意味」


 香澄は自分の白装束を僕に見せた。死んだら誰もが幽霊になるのか分からないけれど、香澄がここにいることには確かに目的がありそうだ。


「僕に何かしらの因果があるってこと?」

「だと思う」


 香澄はさらっと答えた。しかも僕を何だかいぶかしそうに見つめている。まるで今の状態が僕のせいだと言わんばかりだ。


 そうなると僕に一抹の不安がよぎる。


「ちょっと待って! もしかして僕を連れていくつもり?」

「は?」

「僕を道連れに、みたいな」


 香澄は手のひらをポンと叩いた。


「あー、そういう手もあるか」

「ないよ!」


 香澄は無邪気に笑った。


「なんて、大丈夫だよ、わたしにそんな能力はないと思うから」


 能力って。

 でもそれを聞いて僕はホッとした。


「けど、僕に怨みがあるってことだろ?」

「怨み? 何の?」


 僕に聞くなよ。


「知らないよ。だってここに真っ先に来たんだし、 僕に『うらめしや』って言ってただろ?」


 香澄はわざとらしく頷いた。


「ああ、あれね。あれはまぁ、お決まりの挨拶みたいなもんだから。演出っていうか、出オチっていうか」

「は? なにそれ?」


 やっぱり幽ハラはそっちじゃないか。


 こんがらがったのか、香澄は目をぎゅっとつむって考え込んだ。


「だからぁ、記憶が曖昧なんだって! でもここにいれば思い出しそうなんだよ」


 そんな曖昧に出てこられちゃたまらないよ。


 僕はかしこまって香澄にさとすように言った。


「言っておくけど、僕は加害者じゃないからな」


 香澄は普通に返した。


「知ってるよ。交通事故だったことは知ってるし、事故起こしたのはおじいさんだから」


「なら、そのおじいさんに『うらめしや~』って言うべきなんじゃないのか?」


「いや、そのおじいさんも死んじゃったから」

「そうなの?」

「事故直後にめっちゃ謝られたし」


 直後って、二人とも幽霊になってからの話か?


「まぁ、あんまりに謝ってくるし、わたしもおじいちゃん子だったから、その場で許してあげたって感じで」

「よく許せたな……」

「だって涙ながらにおじいさんに土下座されちゃ、怒るに怒れなくない?」

「まぁ……そうかもしれないけど」

「そんなんで怨みは残ってないはず」

「なら、なんでここに来たの?」


 香澄は上目遣いで考えた。


「さぁ。何でだろう」


 曖昧なことばかりで、何だか目の前の存在が疑わしくなる。


「まさか、人違いとかじゃないの?」

「さぁ」

「さぁ、って」

「あ、もしかして」

「なに?」

「事故の時、わたしを突き飛ばした?」

「してないわ!」

「おじいさんに裏で指示出した?」

「出してないわ!」


 ひどい言いがかりだな。


「じゃあ、何でわたしはここに来たの!」


 僕は今までで一番大きな声で突っ込んだ。


「こっちのセリフだよ!」







「ねぇねぇねぇねぇ」


 真っ暗な枕元で声が響く。


「うるさいなぁ」

「もう寝ちゃうの? もっと話しない?」

「僕は眠いんだよ」

「わたしは眠くないんだもん。ねぇねぇ」

「明日も学校なんだよ」

「えー、いいなぁ。用事あって」

「君には違う責務があるだろ」

「責務?」

「そうだよ。ちゃんとここにいる理由を思い出さないと」

「なるほど、一理ある。それを考えよう」


 ようやく静かになって僕は安堵のままに布団をかぶった。


「すぴーすぴー」


 わずか数分後に香澄は床に臥せて寝息をたて出した。



 寝るのかよ。

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