第2話

 目を覚ますとそこにムラセカスミは居なかった。何だか僕は少しガッカリした気がした。


 あの真夜中の出来事は夢だったのかもしれない。

どちらにしても彼女はまさしく幻のような存在であるからさほど変わりないのだが、彼女が見えなくなってしまったのかと思うと、何だかそれは僕が不甲斐ないせいかもしれない。彼女ともっと真摯に向き合うべきだったと反省も出てくる。


 僕は起き上がり、重たい頭のバランスをふらふらと保ちながら学校へ行く準備を整えた。



 階段を下りると、父親が食卓についていた。朝陽が漏れるリビングもテレビのアナウンサーの声も味噌汁の香りもここが普遍的な日常であることを物語っている。


 普段同様に食欲不振である腹をさすり、朝食を無理やり口に掻き込んで、僕は家を出た。表札には『たかはし』と書かれている。自分の家であることを再確認して、僕は歩き出した。



 駅へと向かう道中、僕は無意識ながらも目を動かし続けていた。通りすがる人が制服姿であるならば、僕は反射的に目を向けていた。家並みのブロック塀に座っていやしないか、なんて秘かに思った。


 電車はいつも通りに混み合っている。

 僕は、彼女と挨拶を交わした夜中をつり革に掴まりながら思い出していた。


 彼女は『村瀬香澄』と名乗った。香る、澄んだ、村の瀬。そう覚えて、と彼女は言った。その時に見せた清々すがすがしい笑顔はとてもあどけない表情だった。

 そんな不思議な出会いをふと電車の中で思い出す。


 しかしそれよりも心に引っ掛かるものがあった。なぜ彼女は僕の名前を知っていたのだろう。僕が自己紹介する前に彼女は僕の名前を口にした。


 その挨拶を交わしてからの記憶が無い。眠りこけてしまったのか、そこからプッツリと途切れてしまっていた。随分と危機感も相手への思いやりもない態度だ。



 西武線の改札を下りて、気だるい道程を歩いていく。同じ制服を着た魚が、下流へと流れていくように同じ高校を目指して歩いていく。


 高校へ進学して6ヶ月半が過ぎた。通学の道順も、日によって替えるほどに慣れてきている。


「おっす、和孝」


 後ろから声を掛けられて振り返ると、クラスメートの倉本が近寄ってきていた。彼が悪いわけではないが僕は少しだけガッカリした。


「いつにも増して幸薄そうだな」


 朝からなかなか傷つくセリフだが、彼とはいつもそんなやりとりだから刺さりはしない。


「ちょっと寝不足で」

「なんだ、ガッツリとテスト勉強かよ」


 夜中にあった出来事を彼に話すことなどはせずに僕は首を振った。


「寝つけなかったんだよ」

「どうせエロゲーでもやってたんだろ」


 何の決めつけかは分からないが、そんなことを言いながら倉本は僕の肩を叩いた。愉快そうに笑うから、僕も否定もせずに合わせて笑った。



 教室に辿たどり着くと、クラスメートがダラダラと教室を出ようとしていた。どうしたのかとくと、体育館で全体集会があるらしい。週始めや大きな行事がない限り、こんな週の真ん中に集合させられることはないはずであった。


 彼らはかったるそうに溜め息を漏らしながら廊下へと向かっていた。席に鞄を置いて、僕も皆にならって教室をあとにした。



 体育館には全校生徒がひしめき合い、クラス別にに並ばされ、ざわざわと喋りながら何が始まるのかも知れないままに待っていた。


 程なくして校長先生が舞台へ登場し、壇上のマイクで声を発した。拡声がスピーカーから体育館を包む。


「本日は緊急でこういった場を設けることになりました」


 校長は挨拶もせずにそう話し出すと、生徒達はようやく静まった。マイクがキーンと音を立て、校長は慌ててマイクをスタンドに立て直した。


「まことに悲しい出来事なのですが」


 校長は重く溜め息を吐きながら、マイクに向かって発した。


「1年A組の村瀬香澄さんが事故に遭われて亡くなりました」

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