僕は彼女を知らなかった
浅見 青松
第1話
「うらめしや~」
おぼろげに聞こえる声に目を覚ますと、枕元に白い物体があった。僕はそれと目が合った。
「うらめしや~」
それはもう一度、こちらに向かってそう呟いた。空耳ではなかった。それは僕を
「あれ、あんまり驚かないなぁ」
それは不満そうにひとりごちた。
一軒家の自室で寝ていた僕は目の前のそれを理解できないでいた。夢のようであるし、夢のようでなかった。生まれてから16年、こんなことは経験しえなかったのだった。
「……何でしょうか?」
僕は至って冷静のままにそれに
「いや、だから、うらめしや~」
それは肘を上げ、両手の甲を垂れさせたスタイルを僕に見せつけた。僕は目を手のひらでこすると、ゆるりと半身を起こした。
「僕に用ですか?」
冷めきった態度が予想外だったようで、それは僕を唖然と見つめていた。
「びっくりしないの?」
僕は素直にうなずいた。
「いや、だって……」
僕はそれの体をくまなく眺めた。
「あまりにもベタ過ぎて」
僕の言葉にそれは素早く反応した。
「いやいや、衣装はわたしが選べないし!」
現在の格好は不本意であるらしい。
「わたしだってTシャツとか迷彩柄とか選べたらそっちにするし!」
いや、その格好ファッションじゃないから。
格好には触れてほしくないのかもしれない。ただ、暗闇でもくっきりと視認できる白装束は光沢に包まれて妙に神秘的でもあった。
「あのー」
僕はそれを見ていて、湧いてくる興味のままに訊いた。
「なになに? 何か聞きたい?」
何だか嬉しそうにそれは僕に顔を寄せた。 さっきまで僕が白けていたことを気に病んでいたのだろう。
「幽霊さんですか?」
僕がストレートに訊くと、それは腕を組んだ。
「それ聞いちゃう?」
それは笑みをこぼしながら体を揺さぶらせた。
「えー、どうしよっかなぁ。言っちゃおうかなぁ」
いや、さっき『うらめしや~』ってセリフ吐いてるし。
「何を隠そう、実はそうなんだ!」
意外と早く明かしたな。
「どう? 驚いた?」
驚いてはいるのだが、明るく言われると恐怖はさすがに湧いてこない。僕はもう一度それの全身を見つめた。正座をして枕元に座っている。
「足、あるんですね」
それは自分の体を見つめた。
「当たり前でしょ。フワフワしてると思った?」
「ええ、まぁ」
「古いんだよね、感性が。今時は徒歩よ、徒歩」
徒歩なんだ。フワフワ飛べるほうが近未来的だと思うけれど。
「そういうもんですか」
それは浮かべていた笑顔をやめた。
「あのさ……、敬語じゃなくていいから。なんか距離を感じる。同年代なんだし」
見たところ、確かに若い女性だ。同じ高校生のようである。ということは、そんなに若くして非業の死を遂げてしまったのか。そう思うと、さぞ無念であったろうという同情は素直に湧いてくる。
しかし目の前の彼女はそれを微塵も感じさせないほどあっけらかんとしている。
「電気、つけてもいい?」
僕は枕元のライトを手に掛けて訊いた。灯りをつけると見えなくなりそうな気がした。
「いいよ、たぶん」
「たぶん?」
「わたしもこんな体になり立てでよく分からない」
僕は灯りをつけた。急な
間違いない。ここは自分の部屋。勉強机とテレビと本棚、壁に掛かった制服、時計の針の音、いつもと変わらない。ただ異質な存在がいるだけだ。
僕は横に座る彼女に目をやった。暗がりで見ていた姿とはまた違った驚きがあった。
信じられない。まるで生身の人間のような肌質をしている。綺麗な黒髪で一本一本までくっきりと見える。目鼻立ちも良く、スタイルも良い。胸は……そこそこ。
「随分と血色がいいんだね」
「青白いなんて古い古い」
それも時代によって違うのか。幽霊に成り立てでよくわからなかったんじゃないのか。
「しかもスッピンみたい」
彼女は自分の頬を撫でて、それに気付いたようだ。
「えっ、ウソ、恥ずかしい」
こちらが見ても生身の肌をしている。人肌らしいほのかな赤みが温かみを感じる。
そう考えると、奇抜なファッションをした不審者のようだ。確かに今は10月初旬、先取りハロウィンの酔っぱらいが入ってきた、と考えるほうがまだしっくりくる。
「確認……させてもらっていい?」
僕は彼女に訊いた。
「何を?」
僕はそれに答えずに彼女に手を近付けた。ゆっくりと差し出した僕の手を、僕と彼女が目で追う。
僕の手が彼女の胸へと近づく。
「ち、ちょっと、何する気!?」
彼女は自分の胸を手で覆った。
「い、いや、そういうんじゃないよ」
「じゃあ、何する気よ!」
僕は少し手の高さを下げた。彼女のお腹に高さが合う。そして手を近付けた。
彼女は僕の意図を汲んだのか、体を動かさずにじっとしていた。僕は若干緊張しながらも手を伸ばした。彼女の体に近づいた。
彼女の体に当たるまで伸ばした僕の手は、そこにいるはずの彼女を感じなかった。手は何の感触もなく空を切った。
こんなに血色も良く、こんなに明るく潑剌とした彼女に僕は触れることが出来なかった。
その瞬間に僕は居たたまれない思いがした。僕が彼女の死を確定させてしまったような気がした。
「ごめん、余計なことした……」
僕は彼女に何だか酷く失礼なことをしたと気付いた。彼女の心情を無視した、余りにもデリカシーの無い行動だった。
彼女はそれでも僕にあどけなく笑った。
「何言ってるの。わたしは自覚してるって」
彼女は腕を組んで頭を傾けた。
「ただ、他のことはあまり思い出せないんだ」
「そうなんだ」
「なぜここに居るんだろう?」
「えっ、僕に何か用があるんじゃないの?」
彼女は首を傾げた。
「うーん……」
「君、名前は思い出せる?」
彼女は僕に目を合わせて明るくうなずいてみせた。
「それは覚えてるよ。ムラセカスミ」
何だか不思議な感覚だ。名前を聞かされると、彼女の存在が今ここで生まれた気がした。
僕は何だか嬉しくなった。この温かい皮膚感を持った一人の女の子は、教室で出会った新たなクラスメートのようだった。
「よろしく」
僕がそう言うと、彼女もまた僕を見て微笑んだ。
「よろしく、和孝」
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