第8話、お願い

 メアの為の小説選びは難航した。


 というのも最近買っていた小説のジャンルがかなり偏っていたからだ。


 本棚に詰まっているのは異世界を舞台にしたハイファンタジー、異世界転移/転生物か追放ざまぁ。かなり前に買って読み終えた現代世界を舞台にした恋愛系のラノベをダンボールに敷き詰めていたはずなのだが、そのダンボールが何処にも見当たらない。


 しばらく探して思い出したのだが、異世界へ転移する前に新しい小説を買う為の資金調達として、古本屋に全部売ってしまったのが原因だった。かなり長い期間を異世界で過ごしたせいで、転移直前の出来事をすっかり忘れてしまっていたようだ。


 元魔王であるメアに読ませるなら異世界を舞台にした小説はNGだとして、そうなってくると結局は俺の持つ数ある小説の中から一つも作品を選ぶ事は出来なかった。


 そして朝になってメアの分の弁当を作りながら気付くのだ、俺の本棚に読ませる本が無いなら買いに行けば良いんじゃないか。学校が休みの日に本屋に行ってメアに読ませる小説を買いに行こう、ついでに街を色々とうろついて買い物をしていく、そんな計画を立てていた。


 それからいつものように学校へ行って授業を受けて、昼休みになってからメアに弁当を渡す。二人で机を並べて食事をしながら、無言で俺の弁当を頬張る彼女を見つめて、その時もどんな小説を彼女に買ってあげるべきなのかずっと悩んでいた。


 そうやって考え込んでいる俺の元に姫月が近付いてくる。

 学年のアイドルである姫月が何の用だろうと思って見ていると、彼女は意外な言葉を口にした。


「ねえねえ、葵くん。今週の日曜日って空いてる?」


 日曜日はちょうどメアの本を買いに行こうと予定していた日だ。


「ああ、空いてるぞ。一人で買い物に行く予定しかなかったし」

「そうだったのね、実はあたしも買いたいものがあって、でもあたし一人で買い物に行ったりすると結構大変で……」


「あー話は聞くよ。歩いてるとしょっちゅうナンパされるんだろ? 他校の男子だったりモデル探してるカメラマンだったり、以前は映画の監督にスカウトされたとか」

「そうなの。それでね、男子が一緒について行ってくれたらすっごく助かって……もし良かったら葵くん、あたしの買い物にも付き合ってくれない?」


「構わないぞ、俺も学校じゃ姫月にはかなり世話になってるしな」

「ほんと? よかったー!」

 

 ぱあ、と満開に咲いた花のような笑顔を見せる姫月。

 彼女には色々と恩がある。まだ異世界転移をする前の事、入学当初の誰とも話せず教室の隅にいた俺の事を、彼女は何度も気にかけてくれた。クラスの底辺にいた俺がいじめを受けなかったのは彼女のおかげと言っても良い。


 その経験を活かして今度は俺がメアを気にかけているわけだが、姫月の優しい性格は俺にも良い影響を与えてくれた。そんな彼女に恩を返せればと、快く彼女のお願いを聞いたわけなのだが――。


 俺のスマホに反応がある。


 画面をタッチすると翔太からメッセージが来ていた。何で同じ教室にいるのにわざわざスマホで連絡を寄越すんだ? と思った直後、手招くような仕草を見せて翔太は廊下の外へと出ていった。


 不思議に思いながらもメッセージを開くとそこには『廊下に出てきてくれ』の一文。


「すまん、姫月。友達からちょっと呼ばれた」

「分かったわ。日曜日についてはまたスマホで連絡するからよろしくね、葵くん」


 姫月は笑顔のまま女子が集まるグループへと駆けていく。


「雨宮はこのまま弁当食べててくれ。じゃあ行ってくるよ」


 メアは無言のままぱくぱくと俺の手作り弁当を口へと運び続ける。今日は弁当箱を返してもらうのを忘れないようにしないとな、そう思いながら席を立った。


 廊下では翔太が腕を組んで待っていて、なんだか鬼気迫るものを感じる。一体何の用なんだろう?


 翔太の元に近づくと開口一番の言葉に俺は驚いた。


「すまん、葵! 一生のお願いだ、オレも日曜日連れて行ってくれ!」


 両手を合わせて頭を下げて翔太は俺に懇願する。

 まさかこのタイミングで一生のお願いを使ってくるとは思わなかった。


「翔太、さっきの姫月との会話聞いてたのか?」

「ああ……驚いたぜ、確かに姫月は葵にかなり良く話しかけるとは思っていたけどよ、まさかこんな早く行動を起こすなんて思ってなくて」


「行動を起こす? 買い物するにしても女子だけだとナンパされたりで大変だから、男子の俺についてきて欲しいって、ただそれだけの話だろ?」

「はあ、お前は本当に女子が相手になると色々と鈍くなっちまうなあ……」


「鈍くなるってどういう事だよ」

「いや、葵が気付いてないっていうなら良いんだ。ともかくオレにもチャンスを恵んでくれよ……友達だろ、日曜日の買い物を通じてオレも姫月と仲良くなりたいんだ……!」


「なるほどな。いきなり何かと思えばそういう事か。じゃあ俺から姫月に話をつけておくよ」

「いや待て。多分だがこのまま頼むだけじゃ断られる。そこでだ、もう一人女子を用意して欲しいんだ」


「女子をもう一人ってどうしてだよ?」

「そりゃ警戒心を解くためだろ。あの人は葵との二人きりをご所望しているだろうしな、男が一人増えるだけなら姫月には断られるかもしれねえ。だけどよ、男女一人ずつ増えるっていうなら断りにくくなる、だろ?」


「警戒心、って。そういうものなのか……?」

「ああ。オレの目に狂いはないはずだ、頼む……! 何とかしてくれ!」


 頭を下げて頼み続ける翔太。翔太は俺が異世界転移を終えた後、一番早く友達になってくれた。それから彼の手助けもあって俺はクラスの最底辺から脱する事が出来たわけで、姫月同様に翔太にも色々と恩がある。そんな彼にここまで頼まれて、それを断ってしまうのは恩を仇で返してしまうようなものだ。


「分かったよ。じゃあ女子を一人誘ってみる」

「おお~! ありがとう、心の友よ!」

 

 泣くな、くっつくな、離れろ。

 とりあえず翔太の事は置いといてだ。女子の誰を誘うべきなのか。

 

 姫月と仲の良いグループの女子か、やっぱりあの辺りがベストだろうか? だがそれなら姫月から先に買い物に一緒に行こうと誘われていても良いはずで、それだとスケジュールが合わなかったのだろうか。そうなれば別の女子を見つけなければならないわけで……。


 まだ学校が終わるまでは時間がある、その間に見つければ良いか。浮かれている様子の翔太を置いて俺は教室へと戻った。

 

 そして自分の席へと戻ると、隣の席に座っていたメアが食べ終えた弁当箱をランチクロスで包んでいた。


「お、食べ終えたのか。今日の弁当は見た目にもこだわってみたんだがどうだった?」

「あ、い……いそきゅ」


「その感じだと微妙だったか?」

「そ、そう。微妙……」


「そうか。ならもうひと工夫しないとな」

「……」


 黙って俯くメア。

 また本心を伝えられなかった事を残念に思っているのか、彼女は大きくため息をついて俯いた。


 さっき『とても可愛かった』と異世界の言葉で伝えてくれたんだが、これくらいなら素直に伝えられないものかなあと、まあ恥ずかしがってそれも出来ないのだろうが。


 メアから弁当箱を受け取った後、俺はスマホに登録された女子の連絡先を眺めていた。


 新学期になってから多くの女子に連絡先を教えてと言われて交換した事もあって、俺のスマホには大量のトークルームが乱立していた。


 かなりの女子達と連絡を取ってはいるが親しいかと言われたらそこまでではない。突然日曜日に遊びに行かないかなんて聞くのも失礼だし、どうしたものかと悩んでいると静かに俯いていたメアが口を開いた。


「日曜日……遊びに行くの?」

「ああ、さっきの姫月との会話は雨宮も聞いてたろ?」


「う、うん……」

「買い物行きたかったし丁度良いよ。一人で買い物行くより、友達を連れていく方が楽しいしさ」


 ちらりちらりとメアはこちらを見る。薄く開いた口で何かを言い出そうとするのだがすぐに黙ってしまって、もじもじと落ち着かない様子で机に視線を落とした。


「……」

「もしかして雨宮も一緒に行きたいとか?」


「い、行かない……行きたくない……」

「そうか。まあ休みの日は一人でのんびりするのも悪くないもんな」


 見当違いだったか、変に気を遣ってしまったなとスマホの操作を再開すると、今度は異世界の言葉が聞こえてきた。メアは机に突っ伏しながら独り言を言っている。いつもは短い言葉を告げるだけなのだが、今回のは随分と長いものだった。


「わかあさ……ありちとまぱ? はあ……いゆわとはふぁ、じゃせいわどあり……まふまふ!」


 そう言って大きなため息をつく彼女を見ながら、確かにその通りなんだよなあと思っていた。


『どうして本当の気持ちを言えないの? はあ……遊びたいなら遊びたいって言うだけなのに、なんで嘘ついちゃうの……わたしのバカバカ!』

 

 彼女がさっき言ったのはこんな感じの内容だ。さっきもじもじしていたのは、一緒に遊びに行きたい事を伝えたがっていた。けれど結局は恥ずかしさに負けてしまったというわけだ。


 しかしメアが一緒に行きたいと思っているのなら、これほどタイミングの良い話は他にない。翔太に他の女子を誘うように言われているし、俺からメアに頼むという形なら断られる事もないんじゃないかと思う。


「なあ、雨宮。さっき行きたくないって言ったけど、俺から一つ頼み事をして良いか?」

「……っ?」


 机に突っ伏していたメアは俺の方に振り向く。そして透き通った綺麗な瞳で俺の事を見つめていた。


「日曜日に姫月と出かける話、お前にもついてきてもらえたら嬉しいんだ。どうしても駄目か? 一人でのんびり休日を過ごしたいのも分かるんだけど、こっちも色々と訳アリで」

「わけあり……?」


「ああ、翔太からのお願いでさ。姫月と仲良くなる口実が欲しいらしい。それで雨宮からも協力してもらえないかなって」

「あ……ど、どうしてもと言うなら……ついて行っても、良い」


「本当か? 良かった、それじゃあ日曜日はよろしく頼むよ。時間と集合場所は姫月から聞いておくからさ」

「わ、分かった……!」


 メアはそう言った後、すぐにそっぽを向いた。

 一体今どんな顔をしているのか見てみたいものだったが、嬉しそうに肩を揺らしている様子で満足しようと思った。

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