第7話、文芸部

 俺がこうして文芸部に長居していても他の部員が現れる気配はない。


 別の場所で活動しているのか、なんて思ったがその答えは簡単なもので、初めから文芸部の部員はメアただ一人だけだったのだ。


 去年の三年生が卒業してからは部員も居なくなり、俺が入学した当時も新たな入部者は現れなかった。二学期中にはこのまま廃部になる予定だったが転校してきたメアが文芸部に入りたいと申請した事で、首の皮一枚繋がったという事だった。


 今のこれはかなりの要約で、この内容をメアから聞き出すのに随分と時間がかかった。


 彼女をずっと観察していて分かっている事だが、メアは人と会話するのが苦手。最近は俺も話しかけてはいるが、その会話が長い時間成立し続けた試しはない。

 

 俺が話す、メアの短い返答、彼女はすぐさま読んでいる本へと視線を落とす、しばしの沈黙。この繰り返しだ。


 こうして話している様子は第三者からすれば、まるで俺がメアの読書を邪魔しているようにも見えたかもしれない。だが実際はそうじゃなかった。本に書かれた文章を目で追っているように見えるが、彼女はただ本を読んでいるふりをしているだけだった。


 時折ちらりとこちらを見る事があって、向こうは俺が気付いていないと思っている。その時は本を読むふりすら忘れて、ページをめくる手も止まってしまう。


 さっきのは『あなたと一緒にいれて嬉しい』という言葉。


 なぜあんな発言をしたのだろうか、それが不思議で仕方がなかった。その前も『行かないで』と異世界の言葉で言っていたわけだが、これではまるで俺に好意があるようではないかと勘ぐってしまう。


 それとも相手がその言葉が分からないのを良い事に、好き放題な事を言ってからかっているだけなのか。それを確かめたい気もするが、俺は異世界の言葉の意味を知らないという設定だ、そこに言及してしまえば勇者だという事がバレるだろう。


 どうするべきなのかと思ってメアを見ると、同じタイミングで彼女もちらりと俺の方へと視線を向けていた。目が合ってしまう。ぱっと目線を逸らすメア。髪の隙間から見える耳と柔らかそうな白い頬に朱色が差していって、そのまま視線を本へと落とした。

 

 それからのメアは硬直したように本を見つめ続け、俺の方に視線を移す事は一瞬たりとも無くなった。ページをめくる音だけが一定間隔で聞こえてくるだけだ。


 目をほんのちょっと合わせただけで、こんなに緊張してしまうものなのかと、異世界の旅でも感じた事のない胸の高まりを感じていた。部室内に流れるそんな気まずい空気をどうにかしようと、俺はメアに話を切り出す。


「な、なあ。さっきから雨宮って何を読んでいるんだ?」

「え……これ?」


 そう言ってメアは本の表紙を俺へと見せた。

 その本は俺も名前は聞いた事のある有名な作家の小説で、表紙は色が若干くすんでいるようだった。きっと以前から文芸部の本棚に敷き詰められていた中の一冊なのだろう。


「雨宮って小説読んだりするんだな、休み時間とか読んでいる姿は見た事なかったしさ」

「本は好き……。でもたくさんの人が居る所で読むと集中出来ない」


「なるほどな。それで教室にいる時は本を読まないってわけか」

「そう。だからこの場所はちょうど良い。わたし以外に誰もいない、落ち着いて本を読めるから」


 おお、珍しくちゃんとした会話が成立していくぞ。

 本の話題にメアが食いついてくれている。このまま話を続けてみよう。


「あーそれ分かるな。俺もそういうタイプでさ。本の世界に入り込めないっていうか、周囲の人が視界の中でちらちらしたり、周りの声で気が散っちゃうの。一度集中してしまえば本の内容以外には何も入らなくなるんだけど」

「……あなたも本を読むの?」


「ああ、めちゃくちゃ読むぞ。本だけじゃなくスマホでweb小説とかも良く読んだりする」

「すまほでうぇぶ小説?」


 首を傾げるメアを見ながら思う。そう言えば彼女がスマホを弄っている姿は見た事がなかった。今の反応を見るとこちらの世界に転生してきてから、まだスマホを触った事もないしそれに対する知識も持っていないのかもしれない。


 俺は制服のポケットに入れていたスマホを取り出してそれをメアへと見せた。


「ほらこれだよ。スマートフォン、略してスマホ」

「ああ……みんなが良く触っているそれがスマホ」


「そうそう。これでネットに繋いで小説とか読めるんだ。無料で公開されてる作品だったり、商業化されてる作品もお金を出せばいつでも読める」

「ねっとに繋ぐ、というのは良く分からないけれど、そんな便利なものだったんだ。それであなたはどんな内容の小説を読んでいるの?」


「あー、ラノベとか、あとはなろう系って言ったら伝わるかな……?」

「らのべ、なろうけい?」


 まあそうだよな。伝わるはずがないか、スマホの事も知らないくらいだ。彼女が知っている小説というのはこの文芸部の本棚に並ぶものだけなのだろう。


 読ませてやりたい気もするが、俺が実際に経験した異世界転移や転生もののネット小説をメアが読んだとして、一体どんな反応を示すのか想像もつかないものだ。


 そして俺が異世界転移を終えた元勇者だというヒントに繋がってしまう可能性だってある。ここは詳細を話さず軽く話して誤魔化しておこう。


「説明すると長くなるんだが……ともかくだな、小説っていうのにも色んなジャンルや読む方法があるって事さ。ちなみに雨宮はスマホを持ったりする予定はあるのか?」

「多分……ない」

「そっか。まあそれならそれで良いんだ」


 むしろ好都合なくらいだ。ネットへの知識がないのを見ると家にはパソコンもないだろう。文芸部にはラノベも置いてなさそうだし、彼女がこのまま変わらず日常生活を続けるなら、異世界転移や転生ものの小説に触れる機会はきっとないはずだ。


 それを聞いて一安心した後、俺はスマホを片付けた。

 しかし今の時代でスマホを持たない高校生というのは珍しい。家族との連絡を取り合う時だってスマホは便利なものだ。俺が弁当を作る以前は毎日昼に食べていたのはコンビニの日の丸弁当だったし、それを見て貧乏なのは伝わっていたが、実はかなり深刻な状況なんじゃないかと思ってしまう。


 魔王であった彼女を倒した勇者としても、彼女の転生後の生活が不幸というのはどうにかしてやりたいものだ。だが深く詮索して怪しまれてしまうわけにもいかない。常識的にもまだ知り合って間もない俺が、相手の家庭環境に踏み入ってしまうのは失礼というものだ。


 だから彼女に聞く内容は最低限のものに抑えておこう。


「雨宮は本屋に行ったりして、自分で本を買ったりはしないのか?」

「しない。でも……」


 彼女は小さく呟くように異世界の言葉を口にする。


「……ありわとれもあ、ものおあき」

「それは、どういう意味なんだ?」


「ここにある本で十分……と言った。だから買う必要もないし要らない」

「そうかい。まあ雨宮がそれで満足しているっていうんなら良いんじゃないか」


 そう会話した後は沈黙のまま彼女は何一つ言葉を返さなくなった。さっきまでとは違ってちゃんと本の内容を目で追っている。


 彼女はここにある本で十分だから他の本には興味がない、文芸部にある本だけで自分は満足だと言った。だがそれは本心ではない、だって異世界の言葉の意味は全く異なるものだったのだから。


『本当はもっともっと色んな本を読んでみたい』


 それがメアの本心だった。

 やはり彼女は本すら買えない環境にあるのだ。だがそれを言い出せず、誰かに頼る事だって出来ない。ここにある本だけで自分を満足させようとしているのだ。そしてそんな彼女の本心を知って、同じように本を読むのが大好きな俺が黙っていられるはずがなかった。


 明日、メアの為に何冊か本を用意しよう。

 異世界転移や転生系の本は流石に読ませられないが、俺のハマった別のジャンルなら彼女に影響なく喜ばせる事が出来るはずだ。今からどんな作品を持ってこようか楽しみになってくる。持ってきた理由は後で考えたら良い、異世界の言葉を理解していたのを悟られないようにするだけなのだから。


 そしてそんな事を考えていると、俺を文芸部に留めてくれていた雨雲が晴れていく。使っていた天候操作の魔法の効力が切れたのだ。流れていく雲の隙間からは眩しい太陽の日差しが溢れ始める。


 その光景を眺めながら俺は立ち上がった。


「晴れたみたいだな。雨宿りに付き合ってくれてありがとう、それじゃあそろそろ帰るよ」

「……」


 メアからの返事はない。だが無言のままでも構わなかった。


 今日は本という共通の趣味の話を通じていつもよりずっとたくさんの話が出来た。これは大きな進展と言えよう。


 異世界では勇者と魔王という敵対していた関係だったのが、こうやって話す事を通じて親しい仲に変わっていく。勇者として俺が彼女をこの世界で正しい道へと導く事が出来たというのなら、それはこの世界にとって良い事なのだ。


 俺は文芸部のドアノブに手を伸ばす。

 そして別れ際に聞こえた声に振り返った。


『話してくれてありがとう。今日は楽しかった』


 窓の外を見つめるメア。聞こえてきたのは異世界の言葉。

 いずれ仲良くなれば異世界の言葉ではなく、こちらの世界の言葉で俺の方をちゃんと見て、彼女がその本心を伝えてくれるようになるのではないかと、それを期待しながら俺は文芸部を後にするのだった。

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