第6話、放課後

 俺は異世界から帰ってきて、元勇者の超人になった後も、以前と変わらず部活動には入っていなかった。ありとあらゆる運動部から声をかけられたがそれは全部断った。


 野球をやればバッターとしては全打席ホームラン、ピッチャーなら毎試合パーフェクトゲーム。サッカーならどんなチームが相手でも必ずハットトリックを決めて、キーパーをやれば全てのシュートを防ぐだろう。陸上部なら短距離も長距離も出そうと思えば世界新記録は余裕だし、柔道部や剣道部なら生涯一度も負ける事はないはずだ。


 日本に帰ってきた直後はどの部活に入って青春を過ごそうかと悩んだものだが、結局は『あまり目立ちすぎるのも良くない』という答えに達して帰宅部という道を歩み続ける事にした。


 そんな答えに至ったのには理由がある。

 転校生であり元魔王であるメアの存在だ。


 幸い彼女はまだ俺が勇者である事に気付いていない。けれどあまり超人的な活躍を続ければ、俺が勇者なのではないかと勘付かれてしまう事を考慮した。


 隣の席の人間が自分を倒した勇者だと知ってしまったら、魔王としての力を隠していたメアが復讐の炎に燃えて暴れ始めるなんて事になりかねないと、そうしたら世界はどうなってしまうのかと考えたものだ。


 しかし、そんな悩みは杞憂のものでメアは魔王として持っていた力と知識と才能を失って、か弱い少女になっている。となれば勇者だと知られても何の問題もないのではないかと思うようになったが、色々と接しているうちに彼女とは仲良くなれそうな気がしていて、異世界の言葉で感謝の言葉を口にするようになった今、その関係を壊すような事はしたくなかった。


 メアは友達がいないし、そうなってしまった原因は俺にもあるわけで、勇者としてそれは放ってはおけないのだ。


 そして今日もメアの事を気にかけて優しく接していたわけだが……実はもう放課後だった。今日も彼女に弁当を作ってあげて、それを美味しそうに頬張る様子を見てほんわかした気持ちになっていた俺だが、彼女から食べ終わった後の弁当箱を返してもらうのをすっかり忘れていた。


 校門を出た辺りでそれを思い出し、弁当箱を返してもらおうと教室へ戻ったのだが彼女の姿はない。靴箱にはまだ彼女の靴は残っていて、学校からは出ていないはずなのだが、一体何処に行ってしまったのかと悩んでいる最中だった。


 そうして教室に残っていると翔太が扉の向こうから現れた。どうやら忘れ物を取りに来たらしい。


「葵、お前まだ帰ってなかったのか?」

「ああ、雨宮に弁当箱を渡したままでさ。返してもらおうと思ったんだが何処にもいなくて」


「また雨宮か。もう止めないけどよ」

「翔太は雨宮の事見てないか? もし見てないなら校門で待っていようかなと思うんだが」


「校門で出待ちするならかなり待たされるぞ。この時間だと雨宮は部室にいるはずだしよ」

「部室? 雨宮って部活に入ってたのか?」

「あんなに仲良くしてんのに知らなかったのかよ……」


 驚きだ。今までずっと彼女を見てきたが部活動に参加している事は知らなかった。メアのあのコミュ障ぶりを見ていて部活に入るのはなさそうだと、勝手に決めつけてしまっていたのが原因だ。


「文芸部だよ、文芸部。ほら文化部棟の隅っこに部室あっただろ、あそこだよ」

「なるほど、文芸部か。それは盲点だった」


「言うほど盲点か? 運動部はあの運動音痴ぶりで無理だとしても文芸部なら関係ないしな。本とか好きなんじゃねえか? 休み時間とか読んでる姿は一度も見たことねえけど」

「本……か。ともかく助かったよ、翔太。これで雨宮から弁当箱を回収出来る」

「全くよ。前世でどんな徳を積むと、今や学校中の女子から大人気となった葵に弁当作ってもらえるようになるんだろうな」


 徳どころか前世は魔王だったわけだが……まあそれはともかくとしてだ、彼女の居場所が分かればここにいる必要はない。


 翔太に礼を言うと俺は足早に文化部棟へと向かった。


 俺達が授業をしている校舎が新館で、文化部棟は旧館にあたる。新館と比べるとやや古い建物だが部室は広めで割と居心地の良い事で知られていた。しかし、うちの高校で文化部棟を使える部活というのは、特別教室を持っていない事が必須条件。


 規模の大きな部活動には特別教室が割り当てられる為、書道部や手芸部、写真部などの小規模な部活のみが在籍している。そしてその片隅に文芸部の部室があった。


 まだ学校の中にメアが残っているのに見つからなかった理由。彼女が文芸部に入部していたからだったとは予想外。


 他の部員達と仲良く出来ているのかと心配に思いながらも俺は文芸部へと辿り着く。


 ノックして部室に入って俺の視界に広がる光景。


 壁に立てかけられた本棚と、折りたたみ式の長テーブルの上に重ねられた何冊かの本、そして部室の窓際で本を読み続けるメアの姿だけがあった。


 メアは驚くような表情を浮かべる。さっきまで読んでいた本から視線を外し、じっとこちらを見つめていた。どうして? なんで? と俺が文芸部の部室に来た事を不思議がっているのが見て分かった。


「よう、雨宮。悪いな、部室にまで押しかけてきちゃって。用事があったんだ」

「……?」


 無言のまま首を傾げる彼女に説明を続ける。


「ほら、お昼に食べてもらった弁当さ。弁当箱を返してもらうのをすっかり忘れてて、それで雨宮を探しにきたんだ」

「そ、そう」


 メアは座っていたパイプ椅子から立ち上がって、長テーブルの上に置かれていた鞄へと駆け寄った。鞄を開いて赤色のランチクロスに包まれた弁当箱を取り出し、目を逸らしながら俺へと手渡す。


「ありがとよ、雨宮。それじゃあ俺は帰るから、部活動に勤しんでくれよな」


 俺が踵を返して文芸部の部室を後にしようとすると異世界の言葉が聞こえてきた。


「あどわゆとご……!」

「またその外国語か、それどういう意味なんだ?」


 その言葉の意味が分からないふりを装ってみる。元勇者だとばれないようにする為にも、こういうのは必要だろうなと思った。


「さ、さっさと帰れと言った!」


 俺から目を逸して、メアの白い頬が赤く染まる。


 何でこう本心を言い出せないかなあとメアを見ながら思うのだ。さっきの言葉の本当の意味は『行かないで』彼女は俺に帰らないで欲しいと言ったのだ。


 どうして残って欲しいと言っているのかは分からない。俺は文芸部に入っていない部外者だし、他の部員が来たら邪魔になってしまうと思うのだが。


「そうか。まあ俺も弁当箱さえ返してもらえれば長居する気はなかったし、言われた通り帰らせてもらうよ。それじゃあまた明日」

「あ……」


 俺の言葉にぎゅっと本を抱きしめながらメアは俯いていた。


 まあ仕方ない事だ。俺は異世界の言葉を知らないふりをしているし、今の会話で無理やり残ろうとするのは違和感がある。ここは真っ直ぐ家に帰らせてもらう事にしよう。


 俺はメアの残る部室を後にした。


 窓から見える校庭には汗を流す運動部の姿があって、ずっと遠くから吹奏楽の音色が響き、ジャージ姿で談笑する生徒達とすれ違う。そういえば放課後にこうして校内をうろつくのは初めてだったなと、流れる青春の時間を感じながら正面玄関へと向かって歩いていった。


 そして校舎の外へと出た時に、別れ際のメアの顔を思い出していた。俺が帰ると言った時に浮かべていた弱々しく寂しげな表情。声を震わせて本を抱きしめながら視線を落とす。


 彼女はあの時、異世界の言葉で『行かないで』と言った。けれどその言葉が俺に伝わるとは思っていない。極度の恥ずかしがり屋で口下手で、人と関わるのが苦手な彼女は、本当の気持ちを伝えられないまま、その気持ちを誤魔化そうと全く真逆の言葉を俺へと伝えたのだ。


「何で行かないで……って言ったんだろうな」


 彼女が俺を呼び止めようとしたのにはきっと理由がある。

 もしかして文芸部に入ったは良いが実はそこでいじめられているとか、だからそれで優しくしてくれる俺に頼っただとか、あれは彼女なりの精一杯のアピールだったのではないかと思った。


 彼女が異世界で魔王だった時は、自分と敵対するような相手がいたら最強の魔力で全部返り討ちにしてたってのにな。力を失った今となってはそんな事が出来るはずもないのだが。


 もしメアがいじめられるような事になっているのなら、魔王であった彼女を倒した勇者として責任を持って助けてやる必要がある。向こうの世界で暴虐の限りを尽くして凄惨な最期を遂げた魔王だとしても、こちらの世界ではコミュ障なだけの罪なき少女なのだから。


 ちょっと確かめに行ってみるか……だがさっき帰ると言ったばかりなのにこのまま戻るのは変に思われてしまうかもしれない。さて戻る理由をどう説明したものか、俺は頭上に広がる青空を目にして思い付いた。


 そうか、理由がないなら作れば良いじゃないか。その内容はとてもシンプルなもの。けれど勇者だった俺にしか出来ないものだった。


 雨が降れば良いのだ。


 夕方の通り雨で帰れなくなってしまったと、傘なんて用意してないから雨が止むまで文芸部で時間を潰させてくれないか、そんな理由で戻るのはきっと不自然ではないと思う。


 だが、雲のない晴天が何処までも広がって雨が降る気配なんて全く無い。てるてる坊主をいくらぶら下げても、どれだけ雨乞いしたってこれから雨が振る可能性はゼロだった。それでも俺になら出来るのだ。勇者としてのスキルを使えば天候すら自由に操れる。


 俺はまず、繰り返し何度も何度も隠蔽スキルを使って魔法の存在をメアに気付かれないように細工した。これに気付ける存在は異世界にも存在していない、それほどの緻密な隠蔽工作を施した天候操作の魔法を空へと放った。


 よし、成功だ。

 空を突然黒い雲が覆い尽くしていた。それを確認した俺は校舎の中へと戻る。

 

 分厚い雲からは大粒の雨が降り始める。湿った空気が風になって吹き込んできた。運動部の連中には悪いが今からは屋内での練習に切り替えてもらおう。


 ともかくこれで俺が文芸部の部室へと戻る口実は出来た。


 俺はメアの身を案じながら早足で歩き始めた。


 来た道を戻って文化部棟の片隅にある文芸部の部室の前で立ち止まる。今度は他の部員もきっと居るだろうなと思いながら、再びノックをしてドアノブに手を伸ばした。


「あれ?」


 俺はつい声を出してしまっていた。さっき来た時と変わらない光景。部室の片隅で、椅子に座って一人で読書を続けるメア。他の部員が来た様子は一切ない、メアの鞄だけが長テーブルの上に置かれていた。


 俺が戻ってきた事にメアは驚いているが、さっきとは違うリアクションを見せる。


「ど、どうして戻ってきたの?」

「いや、ほら、急に雨が降ってきただろ。天気予報じゃ雨が降る確率なんてゼロだったし傘なんて持ってなかったからさ」

「……雨?」


 ぽつぽつと雨粒がガラス窓にぶつかった。その雨粒が線になって滴り落ちていく。


 読書に集中していたのだろう、俺に言われてメアは雨が降っている事にようやく気付いたようだ。この様子じゃやはり俺の使った天候操作の魔法にも気付いていないだろう。


「雨が止むまで時間を潰そうと思ったんだが行き場が無くて。教室には誰も居なくてさ、ここなら同級生の雨宮も居るし、邪魔にならなければここに居てもいいか?」


 読んでいる本のページをめくるのを止め、メアは透き通った瞳で俺を見つめながら異世界の言葉で答えた。


「あむはとびうぃゆ」


 そう言った後、かっと頬を紅くした彼女は本のページへ視線を落とす。


「今のはどういう意味なんだ?」

「勝手にすれば、そう言った」

「そうか。それじゃあ遠慮なくゆっくりさせてもらうよ」


 畳んであったパイプ椅子に腰掛けて本を読むメアを見つめた。


 勝手にすれば、なんて言葉じゃない。彼女の口から出てきた言葉は『あなたと一緒に居れて嬉しい』だ。今の言葉は正直ちょっと――いや、かなりぐっと来てしまった。言葉の意味を知らないふりをして、上手くリアクションを抑えられた自分の事を褒めてやりたいくらいだ。


 そして無言のまま本を読み続けるメアと、椅子に座って雨が止むのを待つ俺の、ゆったりとした放課後の時間が始まるのだった。

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