第4話、体育

 体育の授業、今日の内容は長距離マラソンだ。

 俺は今、男友達の翔太に走るペースを合わせながら一緒にグラウンドを周回していた。


「なあ、葵。お前……急に雨宮と仲良くなったんじゃねえか?」

「そうだなあ。一昨日からか、弁当を一緒に食べるようになって」


「弁当なあ……。葵、雨宮の分の弁当も作ってたって女子が裏で騒いでたぞ」

「騒がれてるのか。でもさ、雨宮って昼になると必ず日の丸弁当を食べてるんだぞ。流石にあれじゃあ健康に良くないって思ったんだ」


「新学期からほんとにお前変わったよなあ……。なんつうか人を避けてるような感じすらあったのに、新学期からは人を良く見るようになってよ。それで雨宮の弁当を見て気をかけてるって事か」

「そんな感じ。見ていると放っておけないっていうか」


「新学期から超人デビューしちまった葵だが、女を見る目はなさそうだな」

「女を見る目? どういうことだよ」

「そりゃ決まってるだろ。雨宮は止めとけ、って話だ。ほら見てみろ」


 翔太は短距離走のコースに並ぶ女子達の方へと視線を向けた。そこにはメアの姿もあってクラウンチングスタートをしようと構えている。


 スターターピストルの炸裂音が鳴り響いた瞬間、一斉に女子達が走り出す。だがその中で一人だけ出遅れるメア。更に走り出した瞬間、メアがド派手に転ぶ姿を見て翔太はため息をついた。


「な……やめとけ。あの運動音痴っぷりはやべえ。それにお前も話したから分かるだろ、極度のコミュ障でありゃ筋金入だ。ろくに会話は出来ねえし勉強も全くだめ。顔だけは良いんだけどなあ……転校してきたあん時は俺達も盛り上がったわけだし」


 確かに翔太の言う通りだった。

 でも俺は彼女をずっと見続けていて気付いた事がある。


 転んでも彼女は立ち上がって真っ直ぐ走り出す。どれだけ遅くても最後はちゃんとゴールまで辿り着く。勉強だってそうだ、いくら悪い点数を取って補習になってもサボらず熱心に教師の話す内容に耳を傾けるし、最後はちゃんと再テストで合格する。


 みんなはそれに気付いていないのだ。

 彼女は誠実で努力家で何があっても諦めない。そんな彼女の姿を見ていると、元勇者として彼女の成長を純粋に応援してやりたくなってくる。


「葵、狙うんだったらやっぱ姫月にしとけって。成績優秀、スポーツ万能、それでいて誰にでも優しい才色兼備。新学期に入って変わった葵ならいけるって、絶対」


 翔太が言う姫月とはクラスで委員長をしている『姫月由佳ひめづきゆか』の事だ。


 ちょうど今、短距離走で走る番が来ている。そんな彼女にクラスの視線が集まっていた。


 スターターピストルが合図を鳴らす。

 

 真っすぐ伸びた艶やかな黒髪が風でなびいた。大きな二つの胸を揺らしながら、誰よりも速く駆けていく彼女が姫月だ。大輪の花を思わせるような上品で美しい容姿に加え、翔太が言ったように成績は学年でもトップクラス。


 運動となれば女子一番で、更に明るく元気で性格も良い、天が二物も三物も与えてしまったような学年カーストの最上位に君臨する学年のアイドル的な存在だ。


 以前の俺では話しかける事も躊躇するような遥か雲の上にいたような彼女だが、俺が異世界転移を通じて精神的にも成長し、超人的な身体能力と学年トップの成績を叩き出すようになってからは声をかける事が出来るようになっていた。


「姫月か……まあ忠告ありがとうな、でも、俺は俺のやりたいようにやるよ、翔太。それと今から本気で走るからさ。丁度良い頃合いだしな」

「本気で走るって……だよなあ。葵、ぜんっぜん息も切れてねえし。お前だったら陸上部に入ればそのまま活躍して全国大会……いや、オリンピックで金メダルを取れるぜ……」

「あんまり目立ちすぎるのもどうだろうって思ってさ。それじゃあ行ってくる」


 俺はそう言って翔太に合わせて走るのを止めて、ペースをぐんぐんと上げていった。息一つ乱さずにグラウンドを駆けていく俺の姿を、息を荒げて大粒の汗を垂らしながら翔太は見送るのだった。


 そして長距離走をいち早く走り終えた後、俺は短距離走を終えた女子生徒が集まる所へと向かった。そこにはさっき転んだメアもいて、擦りむいた膝を抑えながら小さくなって座っていた。


 随分と派手に転んだせいか、膝の傷も大きいものだ。早く保健室に行って消毒なりしてもらった方が良さそうで、かなり痛いだろうに本人はそれを言い出せないのか黙ってうずくまっている。


 俺はメアの元に駆け寄った。


「さっき派手にコケてたけど大丈夫か?」


 声をかけるが反応はない。


 このまま放置していると大変な事になりそうだ。

 そうやってメアを心配していると、さっき短距離走を終えた姫月が俺の元へとやってきた。


「あら、葵くん。こっちにきてくれたのね。見てたわ、ラストスパートの走り。男子は長距離でずっと走ってたのに、あなただけは汗もかかずに息も乱さないで本当に凄いのね」

「まああれくらいなら余裕だよ。それよりも雨宮は大丈夫なのか? 派手にコケてたのが見えたんで心配で来てみたんだ」


「あたしもさっき保健室に行くか聞いたんだけど……反応がないのよね、それで困ってしまって」

「だろうな、俺が声をかけてもだんまりだし」


 今も極度のコミュ障を炸裂させるメア。

 保健室に連れて行ってやりたいが、このままでは埒が明かない。強硬手段を取る必要がありそうだ。

 

「俺、雨宮を保健室に連れて行くからさ。先生に伝えておいてくれないか?」

「良いけど……どうやって連れて行くの?」

「こうやって、かな」


 俺はメアを抱き上げる。

 びくりと驚きながらも、無言のままメアは俺の顔をじっと見つめていた。そして驚いたのはメアだけではなく、その様子を見ていた姫月も目を丸くしている。


「ほ、本当にそれで連れてくの?」

「まあ……この様子じゃテコでも動かなそうだし放っておくわけにもいかないし」


「そ、そうね。それじゃああたしが先生に伝えておくから、葵くんは雨宮さんの事をよろしくね」

「ありがとう、姫月。それじゃあ保健室に行ってくるよ」


 俺はメアを抱き上げたまま保健室へと歩き出す。

 いわゆるお姫様抱っこのような形になっていて、クラス全員の視線が集まっているのを感じた。少しその視線がくすぐったい気もするが、今はそんな事は言っていられない。メアの傷を消毒して、ガーゼや絆創膏を貼ってもらわないと。


 そして彼女を運びながら気付くのだが、メアの頬が赤くなっていた。どうしたのだろうかと彼女をよく見てみれば、ほっぺただけはなく耳まで真っ赤になっていた。


 まさかと思って聞いてみる。


「雨宮、風邪ひいてる?」


 もしかして今日転んだのは体調が悪かったのが原因で、メアの事だからそれも言い出せずに体育の授業に参加してしまったのならこれは一大事だ。風邪が悪化する前に彼女を早退させる為の手続きもやってあげなければと――思ったのだが。


「か、風邪はひいてない……! そ、それにわたしを保健室に連れて行こうだなんて余計なお世話、頼んでない……!」


 声を上げて彼女はまたそっぽを向いて黙ってしまった。

 

「風邪をひいてないなら良いけど……とにかく雨宮がなんと言おうと保健室に連れてくから。保健室の先生に良く診てもらってな」


 そう声をかけるがメアからの反応はない。まあ仕方のない事だ、勇者だった俺と戦うまでは魔王としてあらゆる敵と戦って無傷だった彼女が、走って転んで膝を擦りむくなんて醜態を晒してしまって落ち込んでいるのかもしれない。


 そんな事を考えながら保健室に向かって歩いていると、メアはぽつりと異世界の言葉を呟いた。


「たゆふぉあみ……」


 心配してくれてありがとう。俺から目線を逸らし続けながらそんな意味の異世界の言葉を口にする。


 今までの発言は全部強がりで、頬を赤らめていた理由も風邪を引いていた訳ではない、恥ずかしがっているだけだったのだ。そして今、彼女が告げてくれた本心。それを知った瞬間に何だか嬉しくなってくる。


 勇者としての役目を全う出来ている気がして、保健室へと向かう俺の足取りは軽やかだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る